40 隣人を愛しなさい
1937年11月14日 日曜日
16師団は南京を目指して進撃を開始した。
遡ること2日。11月12日
大連を出発する直前に、中沢は連隊長に呼び出されていた。
「連隊長、中沢であります。お呼びでしょうか」
官舎の個室に入ると、置かれている簡素な事務机に連隊長が着席していた。
「入れ」
と声をかけられ、失礼しますと断り入れて中沢は部屋に入る。
「どうだ。この休息期間で少しは休めたか?」
との質問。
「はい!一時は空腹のあまり少々幻覚幻聴もございましたが、もうすっかり元気であります」
と中沢がハキハキ答える。
「結構結構。お前は16歳だったな?」
「はい!8月の3日で16になっております」
「ならば、飲酒喫煙はいかんと知っておるな?」
「はい!・・・え?・・・あの・・・はい・・・」
「8日の夜、宴会の後官舎で飲酒及び喫煙をしたな。その後、花街にも行ったそうだが」
──ああ、太田のやつ。全部オレのせいにしてるなこれ。
「・・・はい」
「お前一人でやったと聞いているが間違いないか?」
──やっぱり・・・
「はい。間違いございません」
──太田。後で覚えとけよ
「若者が血気盛んなことは大いに結構だ。別に咎めはせん。だが、周りに示しがつかんのもいかん。よって、中沢。お前は隊を離れろ」
「はい!・・・え?隊を離れる?・・・でありますか?」
「そうだ。お前は別隊で上海に向かえ」
「上海でありますか・・・。しかし、上海はすでに攻略したとの知らせが・・・」
「ここからは他言無用だぞ。
実は上海派遣軍大将であられる松井石根大将がご病気なのだ。どうやらマラリアに感染されたらしい。知っての通り上海に駐留している師団も南京攻略に向かわねばならん。看病に人手が足りんのだそうだ」
松井石根
当時59歳
言わずと知れた軍人であり、この日中戦争の最も重要な人物と言っても過言ではない。
アジア理想郷政策をうたい、中国との友好を推し進めた人物でもあったが、日本国内での反発や当の中国国民党蒋介石が盧溝橋事件をきっかけに抗日に態度を転じたことで松井の構想は破綻。松井自らが軍を率いて上海占領を進めた経緯があった。
が、実は松井は上海に上陸して以降体調不良が続き、実質的な軍の指揮は取れないでいたのだった。
後に国際問題となる南京攻略作戦も、松井が指揮をとったものではないとの説も存在する。
中沢は、渋々ではあったが松井大将の看病のため隊を離れて、上海に向かった。
病院に着いたのは15日月曜日昼頃。
前任の看病役であった兵士から食事や薬の時間、簡単な治療器具の配置などを申し送られた。
松井と初めて顔を合わせたのはその日の夜であった。身の回りの世話は病院の現地スタッフが、軍事司令等は側近である上役が担っていた。その補佐が中沢の役目であった。
上役である上官について病室に入ると、ベッドに横になった松井の姿があった。松井から机にある手帳を取るように言われ、手渡したところ
「君は、見ない顔ですね。今日ここにきたのですか?」
と声をかけられた。
「はい。第16師団歩兵第38連隊中沢2等兵であります」
「中沢君か。歳は?」
「16であります」
「ああ、飲酒喫煙の彼か」
答えを戸惑っている中沢に代わって上官が、そうでありますと少し笑いながら答えた。
「中沢。松井大将から説教があられる。しばらくここに居ろ」
というと側近の上官は病室を出た。
「あの、大将殿・・・私は」
「ははは。冗談ですよ中沢君。彼はああやって人をからかうのです。大将の私もからかうのでタチが悪い」
と少し掠れた声でありながら笑って松井が言った。
「話し相手になってくれたら良いのです。こう長く病床に伏せていると退屈でしてね」
松井の口調は極めて穏やかであり、中沢もどこか心が和んでいくのを感じた。松井のベッド脇に椅子を持ってきて座り、中沢は毎夜松井の話を聞いたのだった。
松井の話はどれも興味深く、軍人としての志はもちろん、慈愛に満ちたその人柄に中沢は大きく影響を受けた。
ある夜、中沢はこんな話を聞いた。
「中沢君。人を殺したことはありますか?」
この日は松井の調子も良く、上体は起こしていた。穏やかなその表情からは松井の感情は読み取れなかった。
「先の沙河橋の決戦におきましては、敵の猛攻を受けました。やるかやられるかの瀬戸際でありましたので、相対した中国兵を銃で撃ち抜きましたし、銃剣で刺しもしました。絶命の確認こそしませんでしたが、おそらく彼らは助からなかったと思います」
中沢が少し下を向いてそう話した。
「沙河ですか、私も行きましたよ。日露戦争の際、私は歩兵第6連隊の中隊長でした。沙河は要衝ですからね。銃撃、爆撃で大勢を殺した」
松井も視線を少し下げた。
「正しいことをしたのかと聞かれれば、私は正しくないと即答します。あんなことしてはいけなかった」
「ですが、大将殿は軍人としての務めを全うされた」
「軍人であれば人を殺して良いとは思いません。相手が軍人であってもです。
軍人は、軍人である前に人なのですから。
いいですか、中沢君。戦争というのは究極の外交手段です。戦国時代のような、合戦でどちらが正しいかを決するような戦い方ではなくなった現代、戦争は自国の攻撃力、防衛力を示した上で交渉でもって解決せねばならんのです。武力を行使してはいけない。
如何なる立場だろうと、如何なる状況だろうと、如何なる大義名分があろうとも、人を殺すことはやはり罪なのです」
松井はまっすぐ中沢を見た。中沢も、松井をまっすぐ見つめた。
「キリスト教をご存知ですか?」
松井にそう聞かれた中沢はその名を聞いたことがある程度だと答えた。
「イエスの教えに、隣人を愛しなさいというものがあります。私は、その教えが国際社会においての理想ではないかと思うのです」
松井は自らの手を結び、祈りを捧げるような格好になった。
「隣人を愛しなさい、ですか」
中沢が目を閉じた松井に聞いた。
「はい。簡単なことです。そう思いませんか。隣の人を憎むのではなく愛する。それだけなのです。もちろん、一人では難しいです。相手もまた隣人を愛する姿勢とならねば成立しないからです。ですが、誰か一人が始めなければ、何も始まらない」
そう言って松井は中沢を見た。
「あなたがその一人になってはくれませんか」
と真剣な表情で言った後
「南京攻略作戦は間違っています。直ちに軍を退却させねばなりません」
と続けた。
参考文献
鉱脈社 阿万鯱人作品集第2分冊第四巻「戦争と人間」
国富町、国富町老人クラブ連合会、国富町農業改良普及所 土とともに生きた人々の生活誌「いろりばた」
鉱脈社 滝一郎著 宮崎の山菜 滝一郎の山野草教室
社団法人 農山漁村文化協会 日本の食生活全集45 聞き書宮崎の食事
廣瀬嘉昭写真集 昭和の残像
みやざき文庫146 木城町教育委員会編 高城合戦 二度にわたる合戦はどのように戦われたか
NHK宮崎放送局 NHK宮崎WEB特集 平和を祈る夏 宮崎市は空襲で焼け野原に 証言と神社の日誌
Yahoo!JAPAN 宮崎県の空襲被害 -未来に残す戦争の記憶
永岡書店 今井國勝、今井万岐子著 よくわかる山菜大図鑑
渡邉一弘著 宮崎神宮「日誌」に見る昭和二十年
鉱脈者 うどん
宮崎市史編纂委員会 宮崎市制施行満三十年記念 宮崎市の回顧と展望
鉱脈社 みやざき文庫74 福田鉄文著 宮崎の戦争遺跡 旧陸・海軍の飛行場跡を歩く
河出書房新社 太平洋戦争研究会編 平塚柾緒著 図解写真で見る満州全史
朝日新聞社 本多勝一著 南京への道
日本文芸社 太平洋戦争研究会編著 人物・事件でわかる太平洋戦争 重要人物から解き明かす日米決戦の真相




