36 訪問者
──中沢一夫・・・?
1946年6月12日水曜日、午前10時20分
山中家を訪れた訪問者は、引き戸の向こう側から、中沢一夫はいるかと聞いている。
ミカはその名を聞いたことがなく、引き戸を開けようか戸惑っていた。
「みか、おきゃくさんよ?と、あけんと?」
居間で人形遊びをしていたエルが動かないミカに対してそう言った。
平太は今便所にいる。
「うん、あけるね・・・」
とミカは言って引き戸をゆっくりと空けた。
外には寄れたネイビーのスーツを着た無精髭の男が立っており、その10メートルほど背後にはやはりスーツを着て、その上に黒のレインコートを羽織って黒い傘をさした男が4人立っていた。
「ああ、奥さん。よかった。戸を開けてくれんのかと思ったよ」
そう言ってスーツの男は左手に持っていた火のついているタバコを口に持っていった。
「どなたですか?うちに中沢一夫はいませんが」
ミカは少しだけ懐疑的な表情で男に答えた。
「・・・あそうか、えっと・・・ややこしいな」
と言ってタバコを持っている左手の小指で頭を掻いた。
「あー・・・山中平太はご在宅ですかね、井戸川小夜さん」
男は表情を変えず、ミカの本名を発した。
ミカがその名を聞いた時、若干表情が強張った。
「ミカ?お客さん?」
便所の戸が空き、家の中から平太が外を見ながら言った。
「あ・・・平太・・・その」
ミカは平太に駆け寄った。
「あの人私の本名を知っちょった。で、平太のことを中沢って言いよる」
平太がミカとスーツの男の間に立ち
「どなたですか?」
とスーツの男に聞いた。
スーツの男の身長は平太よりも若干低い。スーツの男は真っ直ぐに平太の目を見た。
「俺に名乗らすなんていい度胸だな、中沢」
「すみませんが、僕はあなたを存じ上げない。用がないのであればお帰りください」
平太も表情を変えずにスーツの男を見て言った。
はあとスーツの男はため息をついて
「まだその設定続けんのかよ。面倒くせえな。中村だよ俺は。中村茂。旧友にくらい心を許せよ全く」
「・・・中村・・・」
平太は少し目線を下げた。
「ん?ちょっと待て。忘れたのか俺のこと」
中村が平太の様子を見て不安げに言った。
「平太は、戦場の記憶がないとよ!あんたたち、一体なんやとね!」
ミカが大きな声で言った。エルは居間の隅で耳を押さえてうずくまっている。
「じゃあ、あの婆さんが言ってたのは本当かよ・・・そりゃねえぜ中沢ぁ」
中村が天を仰いで残念がった。すぐに目線を平太に戻し
「まあいいや。中沢。俺と一緒に来い」
中村がそう言うと、10メートルほど後ろにいたレインコートを着た男達が一斉に平太を取り囲んだ。
「あ」
と平太が声を出し
「クラさんの倉庫にあった紙だ。終連 中村って書いてあった」
と中村を見て言った。
「ああ、そりゃ俺のことだよ。お前の足取りを追って、宮崎に来た時にあの婆さんに接触した。お前が変なことする素振りを見せたらすぐ連絡するようにって言って渡した紙だろ」
「ちょっと、本当にあんたたちなんやと?クラさんに近づいたり、平太を監視するようなことしたり、平太が変なことする?するわけないやろ平太が!」
ミカも平太の横に移動して中村に言った。その勢いからあまり前に出ないように平太から右腕を出されるほど興奮していた。
ミカの姿を見て中村は
「・・・そうかそうか」
と言って
「何も話してないんじゃなくて、どうやら本当に何もかも忘れたってことか」
と独り言のようにぶつぶつと続けた。
「そうじゃねえよお嬢さん。変なことっていうのは、こいつが自決しないようにってことだ。中沢。まだ持ってんだろ?」
中村がは平太に言ってみて、平太の記憶がないことを思い出した。
「お嬢さん、こいつと初めて会った時に、こいつが背負ってた背嚢があったろ?」
「あ、ある。物置の奥にしまっちょる」
「その中に拳銃と小瓶があるはずだから持ってきてくれ。おい、一緒に行ってやれ」
中村がミカに言った後、ミカについていくよう仲間のレインコートの男の一人に声をかけた。物置は家の引き戸から入って左手にある。居間と外壁の間のわずかなスペースだ。
「・・・中村さん」
平太が声を震わせて言った。
「あなたは・・・僕の何を知っているんですか?僕の過去を知っているんですか?」
「ああ、まあ。と言っても大体はお前さんが自分で話したことだがな」
「あ」
と物置からミカの声がした。
レインコートの男が出てきて
「ありました」
と言って九四式拳銃と茶色い小瓶を中村に渡した。
「回収しろって命令忘れてたぜ。手間が省けたな」
ミカが真っ青な顔で現れた。
「あ・・・あの・・・それは・・・」
ミカが中村に聞く。中村は銃と小瓶を仲間に渡し、仲間はそれを持っていた革製のカバンにしまった。
「軍のことを聞かれたらこれで自決するように命じられてんだこいつは」
と言って平太を見た。
「そろそろ思い出してきたか?あのやべえ部隊でのこと。
731部隊のことをよ」
参考文献
鉱脈社 阿万鯱人作品集第2分冊第四巻「戦争と人間」
国富町、国富町老人クラブ連合会、国富町農業改良普及所 土とともに生きた人々の生活誌「いろりばた」
鉱脈社 滝一郎著 宮崎の山菜 滝一郎の山野草教室
社団法人 農山漁村文化協会 日本の食生活全集45 聞き書宮崎の食事
廣瀬嘉昭写真集 昭和の残像
みやざき文庫146 木城町教育委員会編 高城合戦 二度にわたる合戦はどのように戦われたか
NHK宮崎放送局 NHK宮崎WEB特集 平和を祈る夏 宮崎市は空襲で焼け野原に 証言と神社の日誌
Yahoo!JAPAN 宮崎県の空襲被害 -未来に残す戦争の記憶
永岡書店 今井國勝、今井万岐子著 よくわかる山菜大図鑑
渡邉一弘著 宮崎神宮「日誌」に見る昭和二十年
鉱脈者 うどん
宮崎市史編纂委員会 宮崎市制施行満三十年記念 宮崎市の回顧と展望
鉱脈社 みやざき文庫74 福田鉄文著 宮崎の戦争遺跡 旧陸・海軍の飛行場跡を歩く
河出書房新社 太平洋戦争研究会編 平塚柾緒著 図解写真で見る満州全史




