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4 社日講(しゃにちこう)

 1945年9月14日金曜日

 朝の山歩きを終え、平太は薪割りの真っ最中。

 

「ようやく薪割りもできるようになってきた。しかし、やはり薪割りは重労働だ。いままでミカはどうやって薪を割っていたのか・・・」


 ミカは朝から家を留守にしている。今日は田代さんの畑仕事を手伝うことになっていたのだ。

 自分も同行すると平太は言ったが、体力が十分に戻っていないことを理由に断られた。


 「薪割りで体力が回復したことをミカにわかってもらわなくては」

 そう言って、一層薪割りに精を出す平太であった。


 一方ミカは。

 平太には体力が回復していないことを理由に同行を断ったが、実のところ、まだ田代さん夫妻に平太のことを話していないため、突然平太がミカの同居人として現れては何かと面倒なことになるのでは、との勘が働いたことも理由だった。


 「平太、無理しちょらんかな・・・」


 畦から自宅のある方角を見てミカは言った。


 「え?なんか言った?」

 対面の畔から声を掛けたのは田代夫人。


 「あ、いえいえ!なんでもないです」

 ミカは慌てて身を屈めて、もとの畦の除草作業に戻った。

 夫人は身を起こしたついでに伸びをして


 「どーら。そろそろ休憩にしようかいね」

 とミカに声を掛けた。


 畑は田代夫妻宅の真ん前にあるが、家に戻るには畑の畦を伝うか、畑を囲むように通っている道を歩くことになる。

この道は坂になっていていちいち家に戻るのは面倒なので、休憩の時に飲み食いするお茶やふかし芋などをあらかじめ竹籠に入れて畑に持ってきている。

 ミカと夫人は畦に座り、ぬるいお茶の入った湯呑みを持って、秋の風に吹かれた。


 「風が気持ち良いね」

 夫人がミカを見ずに言った。ミカも夫人を見ずに


 「はい。秋ん風ですね。朝は少し寒くなってきたかい」

 と返した。


 ミカは、まだ田代夫妻に自分の名前を名乗れないでいた。

 平太に言ったとおり、自分の名前は捨てたつもりでこの地に移り住んだのだが、田代夫妻にはいつも良くしてもらっているのに

 

 「あんたがあの小屋に住み出してそろそろ半年んなるね」

 このように、自分を呼ぶ時に「あんた」と呼ばせてしまっていることに併せて、名乗らない自分になんの詮索もしない優しすぎる夫妻へ罪悪感を感じてしまっていた。


 「あんた炊きもんは切らさんようにしちょっと?夜も寒くなるっちゃかい炊きもんを切らすと凍ゆるわ」

 夫人から「あんた」と呼ばれる度に、ミカはなんだか顔の傷が少し疼くように感じる。


 「た・・・炊きもんはたくさん作っちょるかい・・・」

 妙な表情になっていないか心配で、下を向いてそう答えた。


 そんなミカのリアクションを見て、夫人は

 ──まだ、あんまり踏み込んだこと聞かん方がいいみたいやね。

 そう心の中で思った。


 「おーい」

 ミカたちを呼ぶ声がした。声の主はこの家の主人、田代だ。


 ミカたちが座っている畔より少し離れた、この集落に通る広い道から家の敷地に入ってくるところだった。


 「あら、早かったっちゃね」

 夫人はそう話しかけながら主人に渡すお茶を準備していた。


 「おぉ。あんた来ちょったっつね。ご苦労さん」

 田代はミカに挨拶して、夫人の横に座ってお茶の入った湯呑みを受け取った。


 「どうやった?」

 夫人が聞く。

 今日は朝からこの集落の集まりがあり、田代は今まで公民館にいた。この時期の議題は「社日講」だ。


 「誰が行くことんなったつね」

 夫人は興味津々で主人に聞く。


 「それが、まあ決まらんの決まらんの」

 田代は肩を落として答えた。


 社日講とは、農村で年2回行われる祭りごとの一つで、春と秋に催される。

 春は豊穣の祈りを捧げ、秋は収穫に感謝する。

 娯楽の少ない農村にあって、祭りは数少ない宴の機会であり、大事な行事とされてきた。

 集落によって形式は異なるが、ミカたちの住むこの地域での社日講は、ここより120キロメートル離れた北郷村宇納間神社まで村の代表二〜三人が一泊して代参し、お札を持って村に帰ってくるというものだった。

 

 「若いもんは戦争に行って帰ってこんし、この辺の男衆は年寄りばっかりじゃかいね。春もじゃったけど、秋ん社日講も中止んなるじゃろ・・・」


 田代は諦めの表情で湯呑みの中の茶を見つめた。

 ──私が行きますって言えたら、少しは田代さんたちに恩返しができるじゃろうか

 ミカはそう思ったが、自分の体では往復240キロメートルの旅に耐えられないだろうとすぐに諦めた。

 

 「ミカ」

 

 「ああ。そりゃはたから見ればただの飲み会じゃろうけど、違うとよ。社日講は特別よ」

 田代が熱を込めて言う。

 

 「ミカ」

 

 「女からしたらね。そりゃ酒や食べ物の準備も大変よ。でもよ。やっぱ楽しみよ社日講は」

 夫人も空を見上げて言う。


 「・・・ミカ?」


 「私の体が丈夫であれば、おじさんおばさんの役に立てたんでしょうけど・・・」

 ミカがそう言うと3人は同時にため息をついた。


 「・・・・あの」


 「なんねさっきから!っていうかあんた誰ね!」

 ちょくちょく会話に入ってくる部外者がとうとう夫人の怒りに触れた。


 「えー!いや僕結構前からいましたよね?皆ちょいちょい目合ってましたし。ミカもさっきしっかり目があったけど敢えて無視してたよね?」


 部外者の正体は平太だった。


 「で、こん子に命を救われて恩返しに一緒に住んでると、そう言うことやね」

 田代が座敷の上座に座って下座の平太に聞いた。


 田の畦ではなんなので、畑仕事を一旦切り上げて田代夫妻の自宅に場所を移した。

 今しがた、ミカから同居人である平太との関係を田代夫妻に打ち明けたところだ。


 「しかし、なんも覚えちょらんのは難儀やな・・・」

 あぐらをかいて腕組みをしてミカの話を聞いていた田代は右手で顎のあたりをさすりながら平太に聞いた。


 「それが、不幸中の幸いと言いますか、僕の過去を知るものがいない地に流れて参りましたので、さほど不便は感じておらず・・・。ミカさんも生活する上で過去は関係ないとおっしゃってくれて」

 「まあ、確かにそうやろうけども・・・

 それより、さっきから君らが呼び合っちょる名前はなんね?本名じゃないとやろ?」


 ミカは顔面が熱くなるのを感じた。

 お世話になりっきっている田代夫妻には固有名詞を明かしたこともないのに、ここ数日一緒に暮らしている新参者の平太には安易と名を明かしたとなれば、田代夫妻もいい気がしないだろうと思った。

 心拍数が上がり、どんどん顔面が熱くなる。顔の傷が脈を打って疼いた。


 「ああ、はい。偽名です。

 僕が勝手にミカと呼んでいるだけです。僕も、ミカの本名は知りません。

 もちろん僕も自分の本名は思い出せません。

 寝込んでいる時に、お世話になったミカを天使と見間違えたので、大天使ミカエルから名を取ってミカと呼ばせていただいています」


 ミカはあっけに取られた。

 よくもこんなにまでいけしゃあしゃあと偽名だと明言できるものだと思った。

 と同時に、どこかとてつもなく安心したような気持ちになったと思ったら、人様の前で天使と見間違えたなどと恥ずかしいことを言うものだと恥ずかしさと怒りが込み上げてきてた。


 「で、平太君の名の由来は?」

 田代がそう聞いたが、ミカはもうそれどころではない精神状態であったため、危うく聞き逃すところだった。


 「え?・・・ああ。それは私が付けました。もう兵隊さんやないから、へいたいから一文字抜いて平太って呼んでます」

 ミカは不思議と笑顔でそう答えた。


 「ああ、そういうことか。

 ・・・うん。いい。いいぞ二人」


 田代が真顔で下座に座った二人を見て行った。

 田代の横に座っていた夫人は

 「何がいいことがあろうか!」

 と主人を一喝した。


 「あんた、そうやって他人事みたいに言ったらいかんが。こん子・・・ミカちゃんはまだ16歳、平太さんも・・・20代・・・なかばくらいじゃろうか、若い男女が一緒に住むて・・・そりゃ何がなんでも・・・只事じゃないがね」


 ミカも平太も夫人の言わんとしていることは重々理解できている。

 兄弟、恋人、夫婦、どの関係性にも当てはまらない二人の同居は、保護者代わりの田代夫妻からすれば、まず許されるものではない。

 だが、曖昧な関係性だからこそ、この偽名での生活はきちんと成立していることも事実なのだ。

 ミカが田代夫人に平太との関係性について説明しようとした時


 「いや!いい!」

 と田代が一際大きい声を発した。


 「なんがいいとね!」

 夫人も大声で返す。


 「いいとよ!

 二人が決めた名前で呼び合って、一緒に暮らして。

 お互いの過去は詮索せん。理想やないか。

 なかなか居らんど、こんな関係性の二人は。

 それに、わしゃ、やっとあんたの名前が呼べて幸せよミカちゃん。

 偽名でんいいと。やっぱ名前を呼んで話がしてかった」


 ミカは田代の話を聞いて、夫妻の優しさに今までどれだけ甘えていたのかを思い知った。


 また、顔の傷が疼いた。目頭が熱くなったからだ。

 

「・・・・田代さん。ありがとうございます」

 と涙ながらに言った。

 その様子を見ていた夫人もうっすらと目に涙を浮かべて


 「そんなこと言われたら、私ゃなんも言い返せんが・・・ミカちゃん」

 と涙声で言った。


 だが、一人。


 不適な笑みを浮かべている人物がいた。それは


 「よし!」


 パンと膝を叩いてそう言った田代だった。


 「平太君、ワシが認める。君、ミカちゃんと一緒にあの小屋に住みない。あの小屋は山ん中にあるんやから、苗字は山中にすればいい。

 山中ミカと山中平太。

 うん、いい。

 これからそう名乗りなさい」

 興奮気味に話す田代を見て、夫人もミカも平太も少し不審に思った。


 「あ、ありがとう・・・ございます」

 強引な田代にたじろぎながら平太が答えた。


 「あんた、なんねそんなに興奮して」

 夫人が聞く。


 「やるど、やるど今年は・・・・」

 なおも興奮して田代が言う。


 「あの、おじさん?どうしたと?何をやると?」

 ミカが聞くと田代は右手の人差し指を立てて空を指しながら


 「社日講よぉぉぉぉ!」


 と絶叫した。



参考文献

鉱脈社 阿万鯱人作品集第2分冊第四巻「戦争と人間」

国富町、国富町老人クラブ連合会、国富町農業改良普及所 土とともに生きた人々の生活誌「いろりばた」

鉱脈社 滝一郎著 宮崎の山菜 滝一郎の山野草教室 

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― 新着の感想 ―
田代夫妻、凄く良い人ですね。 これで二人の同棲は公認。 しかし平太もあけすけがない。 というか良くも悪くも正直者ですね。
ミカと平太の会話、いいですね。 また、お国言葉がこの作品の味をぐっと深くしてると思います(^o^) 支え合い、助け合い、自助と供助が織り混ざる時代だからこその、よきヒューマンドラマもうまれるのが、戦…
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