35 雨
1946年3月初旬
梅の花が最盛期を迎えた頃、田代家の牛舎が完成した。
4月初旬
桜の花が散り始めた頃、下園久男、スミ子宅が完成した。
二人はこの春から本格的に農家として生計を立てる意思を固めた。
春の山野草は最盛期を迎え、平太は念願のクコの葉の混ぜご飯を食べることができた。
山中家の畑の春野菜(主に葉物)も順調に育ち、日々の食卓を彩った。
平太の記憶は、やはり戻ることはなくただ平穏な日常が続いていた。
5月
東京市ヶ谷、旧陸軍士官学校大講堂にて極東国際軍事裁判が始まった。
6月11日
夕食
ご飯(白米)
みそ汁(とうふ、小松菜)
酢の物(きゅうり、わかめ、じゃこ)
ツユクサのおひたし
「いただきます」
山中家の3人が同時に挨拶をした。
この頃、配膳や皿洗いはエルが担うようになってきていた。
「エル、今日もお手伝いしたの?」
平太がひとしきりみそ汁がうまいとミカに伝えた後、エルに聞いた。
「した。おてつだいやなくてしごと。これ、えるのしごと」
ご飯をめいいっぱい掻き込んでエルが答えた。
「口に入れすぎやがエル。ゆっくり食べんね」
ツユクサのおひたしを箸で摘んでミカがエルに注意する。
「うまいんやもん。きょうたしろのばあばからね、ちっちゃいみかちゃんっていわれた」
日中、ミカが田代家の農作業を手伝っている間、エルは田代家や沢口クラ宅等で過ごしていた。今日は田代家で過ごしたのだ。
「もうそればっかり。昼に、家でしてるみたいに田代さんの茶碗洗ったんやって。そしたらもうおじさんおばさん大喜びで。ちっちゃい私みたいやって持て囃して」
何度も同じことを言うエルに、呆れた顔でミカが平太に説明した。
「あはは。そうか、ちっちゃいミカか。たしかになんだかお姉さんに見えてきたよエル」
平太の言葉に、ご満悦のエルはわかりやすく鼻の穴を広げてドヤ顔を決めた。
「平太まで持て囃さんで!調子に乗るが」
3人での食事はいつも賑やかだ。
◇◇◇
エルは春に自分の布団を買ってもらい、今は川の字になって3人で寝床につく。
エルは自分の布団を敷きながら
「へーた。えーきゅーせんぱんってなん?」
と先に自分の布団に入っている平太に向かって聞いた。
「A級戦犯?戦争を始めた政治家さんとか軍人さんのことだよ」
「へーたぐんじんやろ?えーきゅーせんぱん?」
「エル!」
ミカが慌ててエルの言葉を遮ろうとしたが遅かった。
「ごめん平太。最近クラさんがずっと軍事裁判の話するみたいで・・・エルはなんのこっちゃわかっちょらんから気にせんじょって」
困ったような表情でミカが平太に詫びた。
「いいよー、全然。そうだねー。僕が軍人だったってことは確かなんだけどね。どんな悪いことしてきたのか思い出せないんだよ」
「平太は!」
ミカが布団から起き上がり、正座する格好になって言った。
「平太は絶対戦場で悪いことなんかやっちょらん!困ってる人を助けてまわりよったに違いないわ」
言っている最中、ミカはなんと無責任な発言をしているのだろうと思い俯いてしまった。
「ありがとう。僕もそうだったら良いなって思うよ」
平太は笑ってそう言ったが、そんなことはおとぎ話に近いものなのだろうと思っていた。記憶はないものの、クラから見せてもらった新聞の記事、久男の話、宮崎市の惨状等を照らし合わせて、戦場にいたものは何かしらの大罪を犯しているのだろうと、心のどこかでそう思っていたのだ。
この平穏な生活を続けているのも、詰まるところ、そういった過去のことから目を背けていたいだけの、現実逃避にも似たものなのだろうと平太は思うのだった。
ザッと勢いよく雨の降り出す音が聞こえてきた。
「雨や」
ミカが布団に横になって言った。
「明日の仕事は無くなるかもね」
平太も雨の音を聞きながら言った。
雨の音を縫って、エルの寝息が聞こえ始めた。
◇◇◇
翌朝も雨は降り続いていた。
早朝から朝食の準備をしているミカは、昨夜寝る前の平太との会話を思い出していた。
平太は笑ってこそいたが、微妙な声のトーンダウンをミカは聞き逃してはいなかった。
──平太。気を悪くしちょらんければいいけど・・・
まだ寝ている平太の顔を見ながらミカはそう心配していた。
結局平太、エルが起きる時間になっても雨は止まず、平太の仕事はひとまず自宅待機となった。
ミカも雨が降っては農作業はできないため家におり、エルにとっては久しぶりの家族3人で過ごす時間となった。
10時が過ぎ、ミカもそろそろ昼食の準備に取り掛かろうとした時
「あの、誰かおられますか?」
と聞きなれない男の声がした。
家の引き戸のすぐ外に立っているようだ。
「はい、どなたですか?」
とミカが答える。
「ああ、その・・・」
男は少し間を空けて
「中沢一夫はご在宅ですか」
と聞いたことのない男の名をミカに聞いたのだった。
参考文献
鉱脈社 阿万鯱人作品集第2分冊第四巻「戦争と人間」
国富町、国富町老人クラブ連合会、国富町農業改良普及所 土とともに生きた人々の生活誌「いろりばた」
鉱脈社 滝一郎著 宮崎の山菜 滝一郎の山野草教室
社団法人 農山漁村文化協会 日本の食生活全集45 聞き書宮崎の食事
廣瀬嘉昭写真集 昭和の残像
みやざき文庫146 木城町教育委員会編 高城合戦 二度にわたる合戦はどのように戦われたか
NHK宮崎放送局 NHK宮崎WEB特集 平和を祈る夏 宮崎市は空襲で焼け野原に 証言と神社の日誌
Yahoo!JAPAN 宮崎県の空襲被害 -未来に残す戦争の記憶
永岡書店 今井國勝、今井万岐子著 よくわかる山菜大図鑑
渡邉一弘著 宮崎神宮「日誌」に見る昭和二十年
鉱脈者 うどん
宮崎市史編纂委員会 宮崎市制施行満三十年記念 宮崎市の回顧と展望
鉱脈社 みやざき文庫74 福田鉄文著 宮崎の戦争遺跡 旧陸・海軍の飛行場跡を歩く




