30 山の口あけ
1月2日 水曜日
昨晩も、エルはミカの布団の中で、ミカにきつく抱きついて眠った。朝までぐっすり眠るが、朝になりミカが土間で朝食を作っているのを確認すると大泣きした。
朝食を食べ終わり、平太はエルを連れ出した。
山に薪を取りに行くのだ。
正月二日は新年の山仕事始めの日であった。
これを山の口あけという。
が、正月気分が抜けるわけがなく山に薪を取りには行くが、軽く作業をしてすぐに家に帰った。一応山には入ったということにして、仕事始めとしたのだ。
平太も前日にその風習を聞いていたので、山には入るがもっぱらエルとの散歩の時間にしようと思ったのだ。
「ほらエル。まだどんぐりが残ってた。これは丸いでしょ?ナラのどんぐりは丸いんだよ。食べちゃダメだよ?とっても渋いから」
エルは前日、田代家にあった子供服をもらい、その中にあった男の子用の防寒着を着込んでいる。
田代家は3兄弟で、長男は福岡で医師をしており、次男、三男は戦死した。
エルが着ている防寒着は三男繁春が兄のお下がりが嫌だとわがままを言って買ってやったものだった。もちろん1年後の冬にはもうサイズが小さくなっており、そのまま箪笥の奥底で眠っていたのだ。
その上着がピッタリだったのをみて、田代は大いに泣いたのだった。
平太がミカから聞いた山野草の知識の受け売りをしている間も、エルの表情はずっと変わらなかった。
──なんとかエルと意思の疎通を図れないかなぁ
平太は色々と話をしている間も、ずっとそう考えていた。
「あ、そうだエル。このどんぐりさ」
そう言うと平太はしゃがんで、エルと同じ目線になった。両手を後ろに回してさっと両拳をエルの前に出した。
「どっちの手にあるでしょう」
そう言われエルは平太の右手を指差した。
「え・・・早っ。しかも合ってるし」
平太の右手にはどんぐりが握られていた。
「よし、もう一回」
また同じように平太が両手を拳にしてエルの前に出した。
エルは少し考えて、首を横に振った。
「せ・・・正解」
平太が両手の拳を広げて、どちらの手にもどんぐりがないことをエルに見せた。手を後ろに回した時にどんぐりをそっと地面に置いたのだ。
エルがふふんと特げな表情を見せた。
──あ、これ使えるかもしれないな
と平太が閃いた。
「エル、いくよ」
と声をかけ
「今、寒い?」
と言って右手の拳を出した。
「それとも寒くない?」
と言って左手の拳を出した。
エルは平太の右拳を指差した。
「そうか、よかった」
と言いながら平太はエルの意思を聞き出せたことを喜んだ。
「もう少し歩こうか」
と言って平太はエルに背中を見せた。
ニヤついてたまらない表情をエルに見られないようにしたのだ。
南の方角に30メートルほど歩くと平太は振り向き
「エル、これはね。クコの木だよ。クコ知ってる?ほら、杏仁豆腐の上に乗ってる赤い実だよ。秋に実をつけるんだけど、これも生だと渋いからね。干して食べるんだよ」
エルはクコの木を見上げた。
平太もクコの木を見上げて
「クコの木の場所は覚えておくようにミカに言われたんだ。春に芽吹く新芽はご飯と炊き込むと美味しいんだって」
平太はまたエルの前にしゃがんで
「クコの芽の炊き込みご飯、食べたい?」
と言って右手拳を
「食べたくない?」
と言って左手拳をエルに差し出した。
エルはすぐに右手を指差した。
「そ・・・そっか。そっかそっか」
平太は嬉しくてたまらなくなった。
立ち上がってエルに背中を向ける。
少しだけ、涙が出てしまった。急いで涙を拭う。すると、平太は上着の裾をぐいっと引かれた。振り返るとエルが平太の上着の裾を右手で引いていた。
「ん?どうしたエル」
エルが左手で山の西側を指差した。
クコに木の場所は山の概ね頂上にあたり、少し開けていた。木々の間から遠く霧島連山を見ることができた。目下には村の畑が広がっている。
「あ・・・雪」
ほんの少しだが、村に降る雪がふわふわと舞っていた。
「降るんだ、宮崎にも。教えてくれたの?エル」
平太がエルに聞くと、エルは頷きながら両手に息を当てていた。
「寒くなったね」
と言って一息ついて
平太はエルに
「帰ろっか」
と言った。
エルも平太を見上げ、こくりと頷いた。
そして両手をあげて万歳の格好になる。
「えー。だっこぉ?ここから?」
平太は苦笑いを浮かべたが、しっかりとエルを抱き抱えて山を降りた。
家が見えてきた頃、ミカが家の外に二人を探しに出てきた。山道を降りてくるエルを抱えた平太を見て
「平太、エル。そこにいたんね。ほら、ご飯できてるかい、はよ入って」
と笑顔で声を掛けた。
土間の排気窓から白い湯気が立ち上って、真冬の空に静かに消えていった。
参考文献
鉱脈社 阿万鯱人作品集第2分冊第四巻「戦争と人間」
国富町、国富町老人クラブ連合会、国富町農業改良普及所 土とともに生きた人々の生活誌「いろりばた」
鉱脈社 滝一郎著 宮崎の山菜 滝一郎の山野草教室
社団法人 農山漁村文化協会 日本の食生活全集45 聞き書宮崎の食事
廣瀬嘉昭写真集 昭和の残像
みやざき文庫146 木城町教育委員会編 高城合戦 二度にわたる合戦はどのように戦われたか
NHK宮崎放送局 NHK宮崎WEB特集 平和を祈る夏 宮崎市は空襲で焼け野原に 証言と神社の日誌
Yahoo!JAPAN 宮崎県の空襲被害 -未来に残す戦争の記憶
永岡書店 今井國勝、今井万岐子著 よくわかる山菜大図鑑
渡邉一弘著 宮崎神宮「日誌」に見る昭和二十年
鉱脈者 うどん
宮崎市史編纂委員会 宮崎市制施行満三十年記念 宮崎市の回顧と展望




