3 クコの実
1945年9月10日月曜日
前日の日曜日から平太はリハビリのため、日中は山中を歩いて山菜を収穫している。
今日も平太は黒縞のジュバンに長ズボンの野良着で山中を歩いていた。
「だいぶ体も動くようになってきた。ミカさんが朝昼晩きちんと食事を作ってくれているからだろう。回復が早い気がする」
この辺りは昔狩猟のために猟師が山に入っていたそうで、大まかな獣道ができていた。が、ところどころ倒木や崖崩れ等で道が寸断されているところがあった。
「道を作り直さないといけないな」
平太の額にはうっすらと汗が見られる。数本の木が入り組んで倒れ込んでおりそれ以上進めないところまで来ると
「よし、今日はここまでで折り返すか」
そう言うと平太は来た道を引き返した。
午前中におよそ2時間山を歩いた。
腰につけた竹籠にはセントウソウ、ツユクサ、それから何やら赤い身が摘み取られていた。
「ただいまー」
「おかえり平太さん」
ミカは午前中は洗濯をしており、今もしゃがんで洗濯板に着物を擦り付けているとことだった。立ち上がり前掛けで手を拭いながら平太に駆け寄った。
「何が取れた?」
平太は腰に竹籠をくくりつけていた帯を解いて、竹籠をミカに渡して
「これです」
と言った。
「セントウソウとツユクサと・・・わ!クコじゃ」
「はい。クコの木を見つけました。ミカさん喜ぶと思ってたくさん取りましたよ」
「やったー。果物は貴重やかいね。嬉しい」
ニコニコと笑って喜ぶミカを見て、普段はしっかりとしたように見えているが、やはりまだ16歳の少女なのだなと平太は思った。
「平太さん、クコの木の場所はちゃんと覚えちょくとよ!」
クコは杏仁豆腐の上に乗っている干した赤い実がお馴染みだが、じつは春に出る木の芽も山菜として食することができる。
柔らかいクコの芽は山菜特有の「あく」や「くせ」が無く、あえもの、汁の実(具)、天ぷらなど何にでも向く。
「クコの芽を炊き立てのご飯に、醤油と酒で作った出汁と混ぜ込むとうまいとよ」
ミカがうっとりとした表情でクコの芽の食べ方を平太に伝えた。
ぐうっと平太の腹がなった。
「ミカさんの話を聞いていたら腹が減りました」
平太が恥ずかしそうに言った。
「そろそろお昼じゃね。ご飯にしようか」
今日の昼食は
麦ご飯
みそ汁(朝食に作った残り。具はからいも)
ツユクサのあえもの
セントウソウの油炒め
クコの実
「いただきます!」
二人分の椀がいつものように囲炉裏淵の木枠に並ぶ。
「麦ご飯、プチプチした食感で美味しいです。僕、白ごはんよりも麦ご飯の方が好きなんですよね」
「うん、美味しい。白ごはんよりも食感が面白いから私も好きよ。でも腹にたまらんじゃろ?」
麦ご飯はすぐに腹が減ると感じていた人は当時も多かったようで、若い者は一度の食事で4〜5杯食べていたそうだ。白米と比べて麦の方が容易に手に入る時世であったことも理由ではないかと思われる。
「セントウソウの油炒め、安定のおいしさです。そしてツユクサ。あちこち見かけるのに、食べれるなんて知りませんでした」
「ツユクサはさっと茹でて、醤油とカラシで和えたとよ」
「カラシが鼻に抜けてご飯のおともにもってこいですね」
「うん、上手く味付けできたと思う。それに、クコの実」
「うん!口の中がさっぱりするので食後にぴったりですね・・・ん?」
平太がクコの実を口の中で転がしながら妙な顔つきななった。
ミカがニヤニヤとしながらその様子を見ていた。
「し・・・渋い・・・」
平太は急いでお茶と一緒にクコを飲み込んだ。
「あはは。渋いの苦手なんやね。クコは普通生では食べんとよ。干して食べるんやけど、たまに生の渋みが好きって人もおるかいね。出してみた」
「・・・だからミカさんは食べないんですね、クコ」
「私は好きよ、この渋み。大人って感じやわ」
「じゃあ食べてくださいよ」
「食べん」
「なんですかそれー‼︎」
二人の食事は毎度笑いが起こる。
「ミカさん、今日のみそ汁もやっぱりおいしいです」
「そうね、良かった良かった」
「からいもの甘さが引き立ってますよ」
「・・・うん」
ミカが少し浮かない表情になった。
「料理の天才じゃないでしょうか」
「・・・ありがと」
ミカの箸が止まった。
その様子に気付かぬまま、平太はうまいうまいと言って食事を進めている。みそ汁の椀を置いたときにミカを見て
「このみそ汁、何か作るときに秘策でもあるんですか?いや、何かあるはずです。こんなにおいしいなんて・・・」
ようやくミカの箸が止まっていることに平太が気づいた。
「・・・ミカさん?どうかしたんですか?」
「・・・・・」
「ま・・・まさか体調が悪いんですか?」
平太が身を乗り出してそう聞いた。ミカは首を横に振る。
「じ・・・じゃあ何か僕失礼なこと言いましたか?すみません、料理が美味しいもので、つい色々と喋ってしまって」
「違う!」
とミカが怒ったように平太に言った。
平太は中腰の変な体制のまま動けなくなってしまった。
「敬語!」
「へ?」
「平太さんずっと敬語じゃ。なんか・・・よそよそしくて・・・好かん」
平太は肩から力が抜け、腰を下ろした。
「あ・・・あはは」
「笑い事やないが!」
「いや、これはごめんなさい。ミカさん体が弱いって聞いてましたので、心配しました」
平太は心から安心したように笑って言った。
「また敬語!次敬語で話したらもうご飯作らん!」
ミカがぷいっとそっぽを向いた。
「わかったわかった!ご飯食べられないのは困る。でも、本当にいいの・・・かな」
「この家の家長は私じゃ。私の言うことは絶対聞いてもらう。私の家では偉いとか偉くないとか無い対等な関係がいい」
ミカの言葉を聞いて、平太は正座に座り直した。背筋を伸ばして
「この命はミカさんに救ってもらった。ミカさんからこの家で暮らすように言われた時、僕はミカさんに付いていこうと決めた。
ミカさんが敬語が嫌と言うなら、もう敬語は使わないよ」
と真剣な表情で答えた。
ミカは真剣な平太の顔をなぜか直視できず、目のやり場に困り炊事場の方を見ながら
「ミカでいい。さん付けもいらん。私も平太って呼ぶかい」
と小さく言った。
平太は赤面し
「・・・わ・・・わかっ・・・た」
と狼狽えながら言った。
平太のその様子を見てミカはニヤッと笑って
「平太ぁ。みそ汁がうまいってもう一回言ってみ」
平太は戸惑いつつも
「・・・うまいよ、この・・・みそ汁」
言ってみてどんどん恥ずかしくなってきた。それを見抜いたようにミカが追い打ちをかける。
「え?誰がつくったみそ汁がおいしいって?平太、もう一回」
「えぇ・・・その・・・ミ・・・ミカの・・・作ったみそ汁がおいしい・・・」
「んー。そうかぁ。平太は私のみそ汁が好きじゃかいねぇ。他は?」
「この・・・セントウソウの油炒めも・・・おいしい・・・」
「ふーん。そうかぁ。平太、それから?あとは何がおいしい?」
「・・・全部!全部うまい!もう名前の呼び捨ては、流石にちょっと恥ずかしい!」
「えー。聞かせてよ平太ぁ。ねえ平太ぁ」
終始ニヤニヤしているミカを見て平太は、ミカの上機嫌は恐ろしいと思ったのだった。
と同時に
──ん?対等な関係を求めているのに、家長の言うことは絶対?おかしくないか?
と思う平太であった。
参考文献
鉱脈社 阿万鯱人作品集第2分冊第四巻「戦争と人間」
国富町、国富町老人クラブ連合会、国富町農業改良普及所 土とともに生きた人々の生活誌「いろりばた」
鉱脈社 滝一郎著 宮崎の山菜 滝一郎の山野草教室