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1945年、あの日のそよかぜ  作者: 乃土雨


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22 おんだすかん

 12月5日水曜日 午前9時

 田代宅の牛舎前に、平太、久男、田代、親方が集まっている。


 「それで、久男くん。クラさんは今日相手方の牛を見てこいって言ったんやね?」

 寒さから小刻みに身を震わせながら田代が久男に聞く。

 久男は田代から借りた綿入りの上着を着ているがさすがに寒さに震えている。


 「はい、そう言ってました」


 「それで、牛を見てどうするんですか?」

 鼻を啜りながら平太が聞く。


 「平太は何にも知らんちゃな」

 親方が言って

 「いいか、牛を見にいくっていうのは口実よ。本当はその家の娘さん、つまり久男くんの嫁さんになる人を見にいくとよ」

 と続けた。


 当時の見合いの始まりは、村の世話役が年頃になった男女の目星をつけ両家に紹介するところから始まる。

 男方はまず、娘の家庭やその容姿を確認するため抜き打ちで女方の家を訪れた。非公式の訪問であるため、その口実には


 「牛(もしくは馬)を見にきました」

 と言ったものなのだ。


 「へえ、じゃあ久男くん今日初めてその人の顔見ることになるんですね」


 牛を見にきて、運良く目当ての娘の顔を確認できればいいが、タイミングを逃せば見ることはできない。そんな時は顔を見れるまで通うこともあったという。


 「正直、僕はまだ結婚なんかせんでもいいと思っちょります。まだ、そんな気分やないっていうか」

 久男が俯いてそう話すと


 「やかいやろ」

 と田代が言った。


 「一人でおるより、嫁さんと二人でおった方が気が紛れるち思ったっちゃがクラさんは。じゃかいほら。自転車ん乗んない」

 今日平太が呼ばれたのは牛舎の建て替え作業のためではなく久男と田代を送迎するためなのだ。


 「まあまあ田代の旦那。娘さんの家は八代やろ?流石の平太でも二人乗せて自転車で移動するのはきついわ」

 八代の地名は熊本県で有名であるが、実は国富町にも八代の地名がある。熊本県の八代とは特段関係はない。


 「いや、僕は別に大丈夫ですけど・・・」

 と平太が言うと


 「そうやなぁ。親方さんの言う通り流石の平太くんでもきついわな・・・どんげしたもんじゃろかい・・・」

 と田代が続く。


 「いや、大丈夫ですよ」


 「仕方ない!今日は牛舎の建て替え作業もあるんやけんどん、久男くんの一大事じゃ!田代さんはワシが連れちくわい」


 平太の話を聞かずに親方と田代がキャッキャと話を進めた。結局親方も久男の嫁候補の娘が気になっているのだ。

 

 かくして平太の自転車に牽引したリアカーに久男、親方の自転車のリアカーには田代が乗り込み、4人は八代に向けて出発した。

 

◇◇◇


 「こ・・・この家ですか・・・」

 声を上擦らせて久男が田代に聞く。4人とも家に隣接している竹林に身を隠して家の方を伺っている。


 「ああ、クラさんに聞いた住所はここじゃ。さっき表札も確認してきた。間違いないわ」

 田代がクラからもらったメモ紙を見ながら言った。


 「ここが、三木家・・・」

 久男は胸が高鳴っているのを感じた。


 三木家は正門から入り、右手に納屋(牛はここで飼われている)、納屋から続きで家屋が建っており、一番奥に表玄関が見えるこの辺りでは一般的な農家の家屋の作りであった。


 「じ・・・じゃあ行きましょうか。田代さん」

 久男が意を決して竹林を出ようと動き出した。


 「あ、久男くん。ち・・・ちょっと待たんね」

 田代は慌てて立ち上がって久男を追いかけたため、少々出遅れた。


 「すすすすみませえええん!」

 上擦った声で久男が三木家の正門に立って呼びかけた。が、特に何の反応もなかった。

 もう一度呼んでみたが、やはり中の住人からの反応はなかった。


 「こりゃ・・・留守かもしれん」

 田代のその言葉を聞いて、久男は肩の力が抜けた。


 「出直しじゃ」

 と田代が言って竹林に潜んでいた平太と親方の方に帰ろうとした。

 だが久男が田代についてこない。不思議に思った田代が振り返ると

 

 「何の用ですか」


 そう言って作業着姿の娘が久男の前に立って、久男を睨みつけているところだった。

 娘の端正な顔立ちが手伝って睨む顔は迫力があった。

 身長も小柄な久男よりも高く、長くて細い腕や首はきめの細かい白い肌が見えた。

 久男が言葉に詰まっていると


 「あぁ、三木さん?もしかして三木スミ子さんですか?」

 と田代が娘に聞いた。


 「はい、スミ子は私じゃけんどん。何か用ですか?」

 不機嫌そうにスミ子が答える。


 「やあやあ、こりゃあたまがった (驚いたの意)。こんげよかおごじょ(美人)やったとは」


 「ああああああの!」

 久男がようやく言葉を発したかと思うと


 「う・・・う・・・牛を見にきました!」

 と馬鹿正直にスミ子に言った。


 「ば・・・ばか!久男くん、もう顔見たっちゃかい牛は見らんでいっちゃが!」

 田代が小声で久男に言ったが久男は少々パニックになっていた。


 「う・・・牛が見たいんです!」

 と大きな声でスミ子に言った。


 この非公式の訪問は、見合いという儀式の上では非公式であるが年頃の娘のいる家庭では、牛を見にきたという男性が訪れたと言うことは、見合いが始まる合図のようなものとして認識されていた。もちろん、それは年頃の娘本人も大体の察しはついた。


 スミ子は顔を赤らめて目線を下げた。

 そして右に一歩移動して左手のひらで納屋の方を指し


 「こ・・・こっちに牛はおります・・・」

 と言って久男を納屋に招き入れた。


 田代が

 「ほんとに牛を見てどんげするとや」

 と呆れて久男の後について納屋に入った。平太と親方は竹林から出て納屋の裏手に回り込み中の様子を伺った。


 「スミ、誰か来たつね?」

 畑から帰ってきたスミ子の母親が納屋を覗いた。

 母親には田代が


 「あ、これはスミ子さんのお母様!その、ちょっと牛を見に来まして」

 と言って納屋の中に久男とスミ子がいることを目で合図した。

 母親はその言葉を聞いて


 「あ、ああ。牛を。そうですか」

 と棒読みで返事をした。そして田代とともに納屋の入り口から納屋の中の二人を覗きみた。


 「ここここれは、りりり立派な牛ですなぁ」

 牛などほとんど見ていないが久男はそう言った。


 「・・・ありがとうございます」

 スミ子も俯いていて久男のことを見ることができない。


 「こんな立派な牛なら、何回でも見たいです。あの、スミ子さん!」

 久男は意を決してスミ子の方を見た。


 「また、牛を見に来てもいいですか?」

 と気をつけの姿勢でスミ子に聞いた。


 久男からまっすぐ見つめられたスミ子は目線を下にしてモジモジと身をくねらせている。


 本来、牛を見にきた男性が帰ると娘の意思確認が行われる。

 先述のとおり、牛を見にきた男の目当ては自分だとわかる娘は、自分の姿を相手に見せるふりをして自分も未来の旦那様の容姿を確認するのだ。


 そして男が帰ったあと、両親から感想を聞かれる。聞かれた際の答えは決まっていて


 「おんだすかん」


 と答えるのが普通であった。


 おんだすかんは、私はきらいという意味になる。


 この時代年頃の娘が自分の意見をはっきり口にしないことが美徳とされていたこともあり、周囲はその言葉を発する際の態度や表情で娘の真意を掴むのだった。


 つまり、それまで見合いをする両者が顔を合わせることはなかったのだが、今回はこうして二人で納屋にいる。


 スミ子の母親はモジモジしているスミ子に痺れを切らし


 「スミ、どんげ思ちょっとね」

 と納屋の入り口から顔だけ出して聞いた。


 「お・・・お・・・」

 なおもモジモジしているスミ子。


 周囲に緊張が走る。スミ子の態度や声のトーンを聞き逃さないように聞き耳をたてる。


 「お・・・お・・・

 

 おんだすかああああん」


 と言って勢いよく久男の右肩を叩いた。その力は周囲の想像を超え、小柄な久男の体は簡単に中に浮き


 「はああああん」


 という情けない声とともに久男の身は半回転して後方の納屋の板壁に激突した。

 スミ子は両手を赤らめた頬に当てて、モジモジと身をくねらせている。


 気を失って倒れた久男を尻目に、田代とスミ子の母親はスミ子に脈ありと判断した。


 モウ


 と納屋の牛が、大きく一度鳴いた。



参考文献

鉱脈社 阿万鯱人作品集第2分冊第四巻「戦争と人間」

国富町、国富町老人クラブ連合会、国富町農業改良普及所 土とともに生きた人々の生活誌「いろりばた」

鉱脈社 滝一郎著 宮崎の山菜 滝一郎の山野草教室 

社団法人 農山漁村文化協会 日本の食生活全集45 聞き書宮崎の食事

廣瀬嘉昭写真集 昭和の残像

みやざき文庫146 木城町教育委員会編 高城合戦 二度にわたる合戦はどのように戦われたか

NHK宮崎放送局 NHK宮崎WEB特集 平和を祈る夏 宮崎市は空襲で焼け野原に 証言と神社の日誌

Yahoo!JAPAN 宮崎県の空襲被害 -未来に残す戦争の記憶

永岡書店 今井國勝、今井万岐子著 よくわかる山菜大図鑑

渡邉一弘著 宮崎神宮「日誌」に見る昭和二十年

鉱脈者 うどん

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