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1945年、あの日のそよかぜ  作者: 乃土雨


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20 死んだら終わり 

 12月4日火曜日

 時刻は9時頃


 久男は自宅の囲炉裏に火も入れずに居間の畳に寝転んで天井を見ていた。


 2日に田代家を訪れて以降、布団に入ったまま寝て過ごしていた。流石に今朝は布団こそ畳んでみたが、やはり何もする気力が湧かず、また布団を敷いていたところに寝巻きのまま横になったのだ。


 「寒いなぁ」

 声を発してみると、口から白い息が出た。


 南方戦線にいた頃は、真冬でも気温が高かった。湿度も高く、そのせいで病気になるものもいた。

 寄港するたびに、兵学校の級友が亡くなった知らせを聞いた。初めはその知らせにいちいち気を落とし明日は我が身と恐れていた。


 しかし、あまりにも人の死が近かったせいで、しばらくすると別に誰の訃報を聞こうとも特段何も思わなくなっていった。


 だから、2日に繁春の最期を伝えに行った時、涙を流した自分に対して、まだ人の心が残っていたのかと少し不思

議にすら思ったのだった。


 こうしていると冬の寒さが身に染みる。寒ささえも、戦争が終わり生き残ってしまったと思っている久男が生き恥という戒めを感じるには十分だった。

 

 ──このまま、飲まず食わずで飢えと寒さで死んだら。みんなは許してくれるだろうか


 そう思うと、見えない右目尻から涙が溢れるのを感じた。


 「あの、ごめんください」

 閉めっぱなしの木板の戸の前で女性の声がする。

 深くため息をついて、ゆっくりと身を起こしたところで


 「あの!」

 と再度声がする。


 土間に置かれた草履を引っ掛け

 「すみません!」


 のそのそと戸に近づくと

 「留守ですか?」


 ガラッと戸を開けて

 「はい、なんですか」

 と久男はしつこく発せられる声に不機嫌そうに応対した。


 声の主はミカだった。


 「あ・・・ごめんなさい・・・」

 久男は戸から2歩あとずさり


 ──顔に傷・・・この子は確か田代さんのところにいた


 「あ、いえこちらこそ」

 と態度を改めた。


 「なんのご用ですか?」


 「あれ?聞いちょらんですか?クラさんが呼んじょります。・・・昨日田代さんが伝えるて言っちょったとに・・・」


 「クラばあちゃんが?なんじゃろ・・・やけらるっとじゃろうか(怒られるのだろうか)」


 「さあ。なんでしょうね。ほらほら、早く着替えて出掛けてください!その間、田代さんと私で家ん中の片付けと食事の支度をしますかい」

 ミカが土間に入ってきた。よく見ると背負子に桶を、右手に箒を持っていて掃除する気満々の出立ちだった。


 「久男さん風呂入っちょらんでしょ!洗濯もしちょらん!もう、男ん一人暮らしはこれやかい・・・。人のことぼうっと見ちょらんで、支度してください!」


 「す・・・すみません・・・すぐに支度します」

 先ほどまでのセンチメンタルな雰囲気はどこかへ吹き飛び、家の中が急に騒がしくなった。

 久男は軍服を着ると、追い出されるように家を出た。


◇◇◇


 「あの・・・クラばあちゃん・・・」

 沢口家の客間、弓の音が行われた部屋にクラと久男は向かい合って座っている。


 「話していいと言うちょらん」

 クラから冷たくそう言われ、久男は萎縮した。

 クラは軍の上官よりも怖いと久男は思っている。


 「久男」

 クラから名前を呼ばれ、久男ははいと返事をして背筋を伸ばした。

 すると、クラも背筋を伸ばし、真っ直ぐ久男を見た。一息つくと座っていた座布団から左にずれて畳に座り、両掌を畳につけて


 「この度は、大変にご苦労様でございました」

 と言って額が畳に付くほど低く頭を下げた。そして


 「よく、ご無事にお戻りになりました。村一同嬉しく思っております」

 頭を下げたままそう久男に述べた。

 すると、久男もすぐに頭を下げて


 「無事に戻ってきてしまったことを、どうかお許しくださいませ」

 とクラに言った。


 一度は国のために捧げた命であるのに、捧げることもなく戻ってきてしまったと久男は思っており、無事を喜ばれると、敵前で散った同胞らの顔が浮かぶのだった。


 クラはすっと立ち上がって久男に近寄って、下げている頭を

 パン

 と平手で叩いた。


 叩かれた後頭部を押さえて、驚いた顔で久男がクラを見ると


 「生きちょる奴が勝ちにきまっちょるやろうが!」

 と怒鳴った。


 「たった一回戦争を経験したかいなんか!オレはな久男。慶応元年生まれ、岡田以蔵の生まれ変わりやど」


 クラの世代はまさに戦争の世代と言っても過言ではなく、3歳の年に戊辰戦争、明治維新、12歳の年に西南戦争、29歳の年に日清戦争、39歳の年に日露戦争、49歳の年に第一次世界大戦、72歳の年に日中戦争、74歳の年に第二次世界大戦、80歳の今年終戦と、まさに近代日本戦歴とともに歩んだ人生なのだ。


 「どの戦争でも命はたった一つ、死んだら終わり。今生きちょる奴が一番偉い。何度戦争をしても、それは絶対変わらん。

 じゃかい久男。戦争が終わったことをお前が一番喜べ。無事に戻ってきたことを誇れ。そして、おらんなった戦友を思って思いっきり泣け!」


 そう言うとクラは元の座布団に座り直した。

 久男は両腕を前について頭を垂れた。うっ・・・うっ・・・と嗚咽が漏れる。畳にぽたぽたと涙が落ちる。


 戦地では、死んでしまった方が余程楽ではないかというような恐怖体験の連続だった。クラに言われ、よく無事に戻ったものだと思うと、涙を止めることはできなかった。


 久男は畳についた左拳の上に額を乗せて、大声で泣いた。


 ◇◇◇


 「よし」

 ミカが久男の寝巻きを洗濯し、たった今物干しにかけた。


 冬の寒空の下での洗濯で、両手とも感覚がない程冷えた。それでも、洗濯したての浴衣が青空をバックになびく光景を見ると、清々しい気持ちになる。


 「お、洗濯終わったねミカちゃん。こら、こっちきて手を温めない」

 はいと返事をして、田代夫人が食事の支度をしている土間に入った。土間では、夫人が調理の合間に湯を沸かしており桶にその湯をとって冷ましておいてくれたのだ。

 ゆっくりと湯に手を入れると


 「はあああ、あったかああい」

 とミカは妙な声を出した。


 「あははは。ご苦労さん。しかしミカちゃん。よう久男くんの世話を引き受けたね」

 調理で使用した器具を洗いながら夫人がミカに聞く。


 「私が引き受けたんやなくて・・・平太が引き受けたんです」

 実は、ミカが先日クラの家で久男の世話を提案された時、ミカもクラも平太は即答で断ったと思った。しかし


 「僕はミカと離れたくはないし・・・・あそうだ!僕ら二人で久男さんのお世話してあげようよ」

 とニコニコしてミカに提案してミカもクラもズッコケたのだった。


 「そう言うわけで、そろそろ平太も来ると思います」


 「ほんとや、噂をすれば」

 夫人が土間の窓から外を見ると、リアカーを引いた自転車を漕いだ平太が現れた。リアカーには建材とともに久男も乗っている。


 「ただいまー」

 平太が笑顔で久男の家に入る。


 「平太、ここ人ん家やろ?」

 ミカが呆れて平太に言う。


 「あ、そうか。お邪魔しますだった。ミカがいるとどこでも家みたいに感じちゃって」

 恥ずかしそうに笑って言う平太に


 「じゃかいそれ!恥ずかしいこと言っちょる自覚持て平太!」

 そんな二人のやりとりをほっこりした笑顔で久男が眺めている。


 ──平太くんが現れた途端にミカちゃんは元気になるんやね。久男くんもクラさんちでなんかあったんかね。いい顔しちょるわ。

 

 飯の炊ける匂いが、久男の家の土間に広がっていた。



参考文献

鉱脈社 阿万鯱人作品集第2分冊第四巻「戦争と人間」

国富町、国富町老人クラブ連合会、国富町農業改良普及所 土とともに生きた人々の生活誌「いろりばた」

鉱脈社 滝一郎著 宮崎の山菜 滝一郎の山野草教室 

社団法人 農山漁村文化協会 日本の食生活全集45 聞き書宮崎の食事

廣瀬嘉昭写真集 昭和の残像

みやざき文庫146 木城町教育委員会編 高城合戦 二度にわたる合戦はどのように戦われたか

NHK宮崎放送局 NHK宮崎WEB特集 平和を祈る夏 宮崎市は空襲で焼け野原に 証言と神社の日誌

Yahoo!JAPAN 宮崎県の空襲被害 -未来に残す戦争の記憶

永岡書店 今井國勝、今井万岐子著 よくわかる山菜大図鑑

渡邉一弘著 宮崎神宮「日誌」に見る昭和二十年

鉱脈者 うどん

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