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1945年、あの日のそよかぜ  作者: 乃土雨


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19 果たすべき責任

 12月2日日曜日 14時頃


 平太は親方を連れて田代家を訪れていた。


 「田代さん、この度は本当にありがとうございます」

 親方が田代に深々と頭を下げる。

 たった今牛舎の見積もりが終わり、親方が建て替えに必要な料金を田代に伝えた。

 牛舎の入り口でのやりとりで、親方の吐く息は白い。

 

 平太は終始笑顔で二人のやりとりを見ており、鼻を垂らしていた。何度も鼻を啜るが追いつかないのだ。

 

 「平太。そう言うわけで明日から資材集め始めるかいよ。明日ん朝は早くこいよ」

 青地に黒の縁取りのあるどてらを着込んだ親方も少し肩を震わせている。田代は上がって温かい茶を飲むよう勧めたが、早速今日から資材調達に回りたいと言って親方が断った。


 「じゃあ親方。また明日」

 平太も頭を下げて、自転車に乗って去っていく親方を見送った。


 「いい人じゃね。あんげ一生懸命仕事しなさる人なら、こん牛舎も立派になるわ」

 田代も去っていく親方の後ろ姿を見ながら言った。


 「はい。こんな時期に建設の仕事があるなんてありがたいって親方も言ってました」

 鼻を啜りながら平太が答える。


 「寒かろ、中に入りない」

 家の玄関から夫人が出てきて二人に声を掛けた。中ではミカがお茶の用意をしている。

 二人が家の中に入ろうとした時


 「ん?あら」

 夫人のそう言う声に平太と田代が顔を上げた。夫人の見ている目線の先に目をやると


 「久男ひさおくんじゃないか?」

 下園久男がぼろぼろの軍服を着て田代宅の敷地の外に立っていた。そして田代に向かって深くお辞儀をした。


◇◇◇

 

 田代宅の客間、上座に田代が座っている。

 台所に繋がる襖を背にして夫人と平太とミカが座り、下座に久男が正座をしている。


 「まずは久男くん。この度は大変ご苦労様でした」

 と言って田代も正座に座り直した。


 久男は22歳。

 先の大戦では海軍に所属し、フィリピン沖海戦に参戦。

 機関工としての役割で、主な仕事場は巡洋艦のエンジン室だった。


 敵艦の砲弾が船に命中し、沈み始めた巡洋艦の中で右も左もわからない状況で方々から飛んでくる弾丸をかわすのに必死だった。

 上官に状況報告をするように、隣にいた同じく機関工だった兵に話しかけたが応答がなかった。兵の方をみると、顔面の右半分が吹き飛んでおりすでに絶命していた。その兵は久男の軍服の裾を握りしめたまま亡くなっていたそうだ。

 

 その亡くなった兵こそ、田代夫妻の三男、繁春しげはるなのだ。


 久男は先日復員し、故郷であるこの村に帰ってきた。

 今日は田代夫妻の繁春の最期を伝えるため、田代家にやってきたのだった。


 久男は、夫妻の心情を鑑み繁春は”弾に当たった”とだけ伝え、詳細な最後はあえて伝えなかった。

 繁春の戦死は、昨年末には夫妻の耳に入っていた。


 「君を助けて死んだんなら、あいつも本望じゃったち思う。同郷で、しかも幼馴染やった久男くんのことをあいつはいつも話しよった」

 田代の話を聞いて、久男は俯いて涙を流した。


 「呉の兵学校近くの食堂の娘さんのことが好きで、帰ったら交際を申し込むと言っていました。その子には許嫁がいて結婚も決まっていると何度話しても聞く耳を持たず・・・無念でなりません」


 「あん子らしい話やわ。話をする前かい振られてしもちょって」

 と夫人も涙を流しながら笑って言った。



 久男が繁春の霊璽れいじに静かに手を合わせ頭を下げた。

 頭を上げるとすっと立ち上がり


 「それでは、おじさんおばさん。僕はこれで失礼します」

 そう言うと玄関に向かって歩き出した。


 「久男くん」

 田代が声をかける。


 「これからどんげすっとね」


 「繁春の最期を伝えるために帰還するよう命を受け、この命を持って任を解くとのことでした。フィリピン沖の爆撃で右耳と右目がつかいもんになりません。僕に何ができるのかもわかりませんし、しばらくは家でじっくり考えます」


 久男の家は、本家こそ田代の家から少し離れているが、使わなくなった分家の土地があり久男が兵学校に入学した年に久男の名義に変えていた。

 その土地に家というよりも納屋に近いような小屋があり、久男はそこに住むように言われたのだった。

 そして小屋は田代家の一軒隣に建っているのだ。


 「そうね、一人やかい何かと不便かもしれんけど、お隣さんみたいなもんじゃかい、困ったらいつでもきない」


 「ありがとうございます」


 久男が斜め45度に頭を下げた。


 ◇◇◇


 「なんか平太。また来たっつか」

 クラが縁側でお茶を飲んでいる。

 平太はクラと出会った11月20日以降、時間を見つけてはクラのもとを訪れていた。


 「ごめんおばあちゃん。また来ちゃった」

 そう言うと平太は言われてもないのに縁側に座った。


 「勝手に座るな。座って良しと言ってないじゃろが」


 「ごめん」


 「まあいいわ。茶でん飲んでけ」

 そう言うとクラはあらかじめ用意しておいた湯呑みに茶を注いだ。



 「ふーん。久男は帰ってきたか」


 「うん。なんか久男さんの話を聞いてて胸が詰まって言葉が出てこなかったよ。僕も久男さんみたいな体験をしてるのかもしれないし、そしたら久男さんみたいに僕が最期を伝えなきゃいけない人もいるんじゃないかとか。そういう、自分の果たすべき責任とかから逃げてるのかなって。なんか色々考えちゃって」


 平太は湯呑みをお腹の中で両手で持ち、真っ直ぐ庭を見ながら言った。


 「ふん。覚えちょらんことのために果たせる責任なんか無いわ。平太は稀じゃ。慶応元年生まれ、岡田以蔵の生まれ変わりのオレでも、平太のような症例は知らん。前例が無いっちゃかい、平太は平太んままでいいっちゃが」


 クラも真っ直ぐ庭を見ていった。


 「ありがと。おばあちゃん」

 冬は日の傾きが早い。16時を過ぎた時間だがもうあたりは薄暗くなり始めている。


 「礼を言われる筋合いは無いわ」

 そう言ってクラはお茶を飲んだ。


 「あ、平太。やっぱりここにいた」

 ミカがなかなか帰ってこない平太を探しに来た。


 「クラさん、すみません。いつもいつも平太がお邪魔して」

 ミカはぺこっと頭を下げて言った。そして平太の隣に座った。


 「ん。茶でん飲んでけ」

 クラはあらかじめ用意しておいた湯呑みを取り出してミカの分のお茶を注いだ。



 「久男さん、大丈夫やろか」

 ミカが湯呑みを両手で胸の前に持って言った。


 「そんげ心配ならミカ。お前が久男ん世話をしない。あんたは器量がいいし独り身じゃ。久男もミカがおったら何かと気が紛れるじゃろ」

 クラは少し意地の悪いことを言った。

 ミカの困ったリアクションも見たかったが、平太がどういう反応をするのかも気になったのだ。


 「おばあちゃん。それは無理だよ」

 平太の即答にミカもクラも驚いて平太の方を見た。


 ──あ、平太これ恥ずかしいこと言う流れのやつや


 と直感したミカが


 「そそそそうですよ。私が久男さんのお世話しに行ったら、平太の・・・ごごごご飯は誰が作るんですか。平太何にも作れんかいすぐ弱っていきますよ」


 としどろもどろに言葉を付け足し話を逸らした。


 「いやそうじゃなくて。

 僕はミカといると決めたんです。ミカのそばを離れません。もし、記憶が戻って僕の果たすべき責任があったとしたら、その責任を果たしてミカのところに戻ります。

 僕は、ミカから離れません」

 

 ──てっっげ恥ずかしいこと言いよった


 とミカは赤面して俯いてしまった。

 クラはじっと平太を見た。平太もクラから視線を逸さなかった。


 「そうね。冗談よ。ミカん気持ちはオレが一番知っちょる」

 そう言って庭を見た。


 ──自分の果たすべき責任は、しっかり見えちょるやないか。

 でもまあ。冗談とは言ったものの、我ながらいい案かもしれん。


 「よし。決めた」

 クラがそう言って湯呑みを盆に戻した。


 「え?私の気持ちを知ってる?いや、じゃかい別に私は平太を・・・

 え何を決めたんですか?」


 「久男に見合いの段取りをつけるわ」

 ミカと平太を見てクラが言った。


 クラの目には炎が灯ったような光が宿っていた。



参考文献

鉱脈社 阿万鯱人作品集第2分冊第四巻「戦争と人間」

国富町、国富町老人クラブ連合会、国富町農業改良普及所 土とともに生きた人々の生活誌「いろりばた」

鉱脈社 滝一郎著 宮崎の山菜 滝一郎の山野草教室 

社団法人 農山漁村文化協会 日本の食生活全集45 聞き書宮崎の食事

廣瀬嘉昭写真集 昭和の残像

みやざき文庫146 木城町教育委員会編 高城合戦 二度にわたる合戦はどのように戦われたか

NHK宮崎放送局 NHK宮崎WEB特集 平和を祈る夏 宮崎市は空襲で焼け野原に 証言と神社の日誌

Yahoo!JAPAN 宮崎県の空襲被害 -未来に残す戦争の記憶

永岡書店 今井國勝、今井万岐子著 よくわかる山菜大図鑑

渡邉一弘著 宮崎神宮「日誌」に見る昭和二十年

鉱脈者 うどん

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