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2 兵隊さん

 「今、なんとおっしゃいました?」

 男はミカの言った言葉をきちんと聞き取れなかったのではないかと思い、もう一度聞いた。


 「ここで、私と一緒に暮らしてくれませんか?」

 改めて聞き直してみても、やはり男にはその言葉の意味が理解できなかった。


 「ミカさん。歳が随分と若いように見えるんですが、おいくつですか?」

 「16です」

 「ダメでしょ」


 男は即答した。


 「あ、今月の28日が誕生日で、17になります」

 「ダメでしょ」


 男は再度即答した。


 「え、なんでですか?」


 ミカは提案を断られた理由がわからなかった。

 男もまたミカがなぜかと聞き返す意味がわからなかった。


 「いやいや、見知らぬ男女が一緒に暮らすって、社会通念上、それはダメでしょ」

 「兵隊さん、もしかしてご家族のところに帰る途中だったんですか?」

 「多分・・・違います」

 「じゃあどこかに向かう途中だったとか?」

 「それも多分違うと思います」


 ミカは腕を組んで考え始めた。

 うーんと唸りながら炊事場の端まで歩いて、また元の流し台の前に戻ってきた。


 「兵隊さん。あのですね」


 腕を組んだままミカが男に話しかけた。

 男ははいと返事をして背筋を伸ばした。

 

 「私、生まれつき心臓が弱いんです。それで、長い時間働けません。

 今は田代さんの畑仕事を手伝って生活物資を分けてもらっています。でも、冬になれば仕事は減ります。

 このままだと私は弱ってしまって冬は越せないかもしれない。

 でも、もし兵隊さんが一緒に暮らしてくれて、働きに出てくれたら私は冬を越せる、兵隊さんは住む家ができる、これってどこにも損なところなくないですか?」

 

 ミカは真顔で男に問いただした。

 

 「いえいえ・・・でもそれは・・・」

 

 咄嗟に断る言葉が出そうになるのを男は飲み込んだ。

 真顔で話すミカの心に純粋な何かを感じたのも確かだが、言われてみれば、この先どうするかなど全く決まっていない、いやそれすらもわからない状態で土地勘のないこの辺りを闇雲に歩き回るのも得策とは思えないでいた。

 

 男は俯いてやや心に揺らぎが生じているように見えた。

 ミカはもうひと押しだと思い

 

 「それに、兵隊さんには一宿なんとかの恩義があるんですよね?」

 

 と男に追い討ちをかけた。

 

 「一宿一飯の恩義。まあ、兵士に限った話ではないですが・・・

 んー。でもですなぁ・・・」

 なおも渋っている男に向かって、ミカは決定的な言葉を放った。

 

 「兵隊さんが生きているのは、誰のおかげでしたっけ?」

 

 この一言に男はうなだれた。

 

 「それを言われては・・・

 確かにミカさんには命を助けていただいた恩があります。

 ・・・わかりました。

 僕がそばにいてミカさんの暮らしの助けになれるのであれば、出来得る限り一生懸命働かせていただきます」

 

 そう言って男は正座に座り直してミカに向かって頭を垂れた。

 ミカはぱあっと笑顔になり

 

 「よかったぁ。やっぱり女の一人暮らしって怖いやないですか。人ももちろんですが、この辺は野生動物も結構出るので、夜は震えて寝てたんですよ。兵隊さんがいてくれたら心強いです」

 

 と明るい声で男に言うと流し台の茶碗を洗い始めた。

 

 「あの!」

 

 男は一際大きく声を発した。姿勢は正座のままだ。

 ミカは洗い物の手を止めて、男の方を見た。

 

 「すみません。ごまかしが効くものであれば、そのままごまかすつもりでした。しかし、共同生活を送るということであれば、なにか不便があってはいけないので、ここで打ち明けます。

 

 その・・・。僕どうやら記憶が無いみたいなんです」

 

 「え?記憶?」


 「はい。あの壁にかかっている軍服、それから軍支給のリュック。この状況から僕のものなんだろうなとは思いますが、正直軍にいたこと、戦場でのこと、何も覚えていなくて・・・

 僕がここにきた目的も理由もわからないんです。

 もっと言うと、その・・・名前も思い出せないんです」

 

 ミカは俯いて

 

 「あの高熱の後遺症やっちゃろうか・・・」

 と呟いた。

 

 「詳しいことはわかりませんが。幼い頃のことは断片的に思い出せますが、入隊前後あたりからのことはすっぽりと頭から抜け落ちているみたいで・・・その。本当に兵隊だったのかも怪しいです」

 

 男は俯いて肩を落とした。

 薪割りなり、洗濯なり、掃除なり何かしらの肉体労働で恩を返せたらすぐにこの家を立ち去るつもりでいたが、そうもならなくなってしまった。

 

 ミカが自分を用心棒に選んだ要素の中に、「兵隊だから」という部分が大きいのではないかと男は思った。厳しい戦地を華々しく潜り抜けてきた精鋭だと思っているのだとしたら、記憶の無い自分にその役割を果たすことはできないと思ったのだ。


 「あ、ごめんなさい。私、知らずにずっと兵隊さんって軽々しく呼んでしまってました」

 

 肩を落としてしまった男の様子を見て、ミカは思い出したくないほど辛いことを経験して来たのだなと不憫に思い、俯いた。

 そして顔を上げると

 

 「平太さん」

 

 と発した。

 

 「え?」

 男が驚いてミカを見た。


 「兵隊さんの名前、平太さんにしよう」


 ミカは優しい表情で平太を見た。


 「軍や戦場でのことは聞きません。平太さんもしゃべらんでいいです。

 この前戦争が終わって、日本は負けた。

 やったら、もういいやないですか。

 無理に思い出さんでも。ちゃんと生きていけます。

 もう「へいたい」さんじゃないんやから。「い」を取って「へいた」さんでいいやないですか」


 ミカの言葉を聞いて、平太の目からぼろぼろと大粒の涙が溢れ出した。

 ミカは平太に近寄り、持っていた手拭いを平太に差し出した。平太は手拭いで涙を拭いながら


 「ありがとうございます。ありがとうございます」

 と何度もミカにお礼を言った。


◇◇◇


 「平太さーん。服は大丈夫じゃった?」


 引き戸の外からミカが居間で着替えをしている平太に声をかけた。

 すると引き戸が開き、中から黒縞のジュバンに長ズボンという出立ちの平太が現れ


 「どうですか?」

 と少し恥ずかしそうにミカに聞いた。


 「うん、よく似合っちょる。服ん大きさもピッタリじゃね」

 ニコニコと笑ってミカは平太を見た。

 

 ミカはもう顔の傷は隠さなくなっていた。

 ミカの笑顔を見ると、平太の胸にキュッと痛みが走った。

 その痛みは恋愛感情のそれではなく、どこかミカに対して申し訳ないと言う気持ちから来るものだと平太はすぐに理解した。

 

 「着物を田代さんから借りちょって正解じゃった。

 さ、じゃあ家を案内するかいね。平太さん、私について来たまえ」

 そう言うとミカは引き戸から家の中に入った。


 ミカと平太の家は、屋根は板張り、外壁も木板を打ちつけた簡素な作りの平家だ。

 

 玄関である引き戸から入って左手に一段高くなっている6畳の居間、正面に4畳ほどの横長の炊事場と土間。右手にはすぐ流し台がある。

 

 炊事場の奥には風呂場、風呂場の左隣に便所が備え付けられていた。

 

 家の中で流し台が最も高く、流し台からの排水は一旦家の外の溝(幅20センチほどで手彫りのもの)に流し込まれ、建物奥の風呂場に繋がり、風呂場の排水もその溝に一緒に流し込まれ、そのまま山から流れている小さな沢へと排出される。

 

 家は炊事場が南向き、玄関は西側に付いているが四方を木々に囲まれているため、家に直射日光が差し込むことは滅多に無い。夏は涼しいが冬は寒さが厳しい立地だ。

 

 「へえ。風呂場と便所は別棟じゃないんですね」

 当時の家屋はまだまだ風呂は屋外、便所は離れの別棟が主流だった。

 

 「風呂は建て増ししてるみたいやけど、便所はもともとここやったみたい。

 離れを作る土地がなかったのかもしれんね。あの、平太さん。そんなに便所を見らんでください」

 「や、こりゃ失敬」

 平太は便所の戸を閉めた。

 

 「せっかくなんで便所の話もしちょくね。平太さん、家にいる時、用は便所で足してください。大事な下肥になるかい」

 

 この頃は化成肥料は銭肥ぜにごえと言われており高価で農家の間であまり浸透はしていなかった。人や家畜の排泄物は下肥しもごえといって、畑仕事をする上で大事な肥料分として使われていた。子どもが便所以外で用を足すと「お前んきょんしごつは何にんならん」(お前の今日の仕事は何にもならない)と言って怒られていた。

 

 「立ち小便禁止ってことですね。気をつけます」

 「平太さん、なんでまた便所の戸を開けちょっとね」

 「や、こりゃ失敬」


 「田代さんの家があるあたりは電気がきちょるけど、この辺はまだ電気は来ちょらん。やかい、料理、風呂焚きの燃料は主に炊きもん」

 「薪のことですね。薪割りは任せてください」

 「囲炉裏の火は夜の灯も兼ねちょるから薪は生活に欠かせん。

 暇な時は山に入って炊きもん用の木の伐採、薪割り、山菜取りをお願いします。

 私も4月からここに住み始めて、家の南側に小さい畑を作ってはみたけど、まだからいもくらいしか野菜はできんかい、山菜は貴重な食料やとよ」

 「これから冬ですし、次の植え付けは春先ですね。それまで山菜取り頑張ります」

 「さて、そろそろ日も暮れて来たし、夕飯の準備をしようかね」

 「待ってました、ミカさん。僕も手伝います」

 

 <今日の夕食>

 からいもご飯

 ダゴ汁

 セントウソウの油炒め(昼の残り)

 漬物


 「いただきまーす」

 茶碗を囲炉裏淵の木枠に置いて、二人は声を揃えて言った。


 「あつあつのご飯とホクホクのからいもが美味しい」

 

 「白米は貴重やから、からいもの分カサ増し効果もあって経済的やとよ」


 「それにダゴ汁もうまい!ミカさんのみそ汁は体に染み入ります」


 「小麦を水で捏ねて作った団子をみそ汁の具として使う料理で、この辺じゃ小麦粉を水で練ったものを団子ダゴって言うみたい。子どもがおやつに食べたりするって田代さんが言ってた」


 「もちもちしてて、本当に団子みたいだ。ミカさんはこの辺の出身じゃないんですか?」


 「うん、私は宮崎市。もっと南のほう」


 「そうですか。僕はこの土地に縁もゆかりもない分、何食べても新鮮に感じます」


 「そりゃ3日も食べてなかったんやから、何食べても美味しいはずよ」


 「もちろんそれもあるんでしょうが、やっぱりミカさんの味付けじゃないですか?僕こんな美味しいみそ汁飲んだことないです」


 「ふふ。よかったよかった」


 二人は久しぶりに笑顔で夕食を食べたのだった。




 「ごちそうさまでした」


 「平太さん、私洗い物するかい、先のお風呂どうぞ」


 「わかりました。ではお先に・・・」


 ガチャ


 「・・・平太さん、そこ便所」


 「や、こりゃ失敬」


 

参考文献

鉱脈社 阿万鯱人作品集第2分冊第四巻「戦争と人間」

国富町、国富町老人クラブ連合会、国富町農業改良普及所 土とともに生きた人々の生活誌「いろりばた」

鉱脈社  宮崎の山菜 滝一郎の山野草教室 滝一郎著

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初めまして! 大戦後の荒廃した日本の物語。 なろうでは少し珍しい作品ですが、 個人的には興味津々なジャンルです。 なんか古き良き時代を彷彿させる作風に惹かれました。 面白かったので、ブクマさせて頂きま…
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