17 弓の音
「あんたは向井と野田には会ったとか?」
月明かりの差し込む物置で平太は沢口クラと対面している。
「・・・・え?誰ですかそれ」
平太の表情がフッと崩れ、いつもの平太に戻った。
「え?いや向井少尉と野田少尉よ。百人斬り競争で有名な」
平太の態度のあまりの変わりように、クラは少し慌てた。
「向井・・・野田・・・・んー・・・」
平太は顎に手をやって考えてみて
「やー、わかんないですね」
と笑顔でクラに答えた。
「い・・・いやだってさっき、いつ気づいたんですかって言ったやないか。お前は軍の回し者なんやろうが。ちょっと笑いよったやないか」
月明かりの届くところまでクラが歩み寄る。右手の人差し指で平太を差しながらクラは慌てた表情で聞いた。
「あぁ、それは僕が軍人だったことに、いつ気づいたんですかって聞いたんですよ。僕今日クラさんと初めて会ったのに。あと、笑ってたのは雰囲気出すためですよ。クラさんのお芝居なんだろうと思ってちょっと合わせてみました。でも・・・その向井さんと野田さんは・・・ちょっとわかんなかったです」
──田代が言っちょった記憶がないっちゅうんは本当か。じゃったら少し酷やったか・・・
「全然覚えていなくて。ごめんなさい」
平太が申し訳なさそうにクラに言った。
「や、オレも悪かった。岡田以蔵の名折れじゃ。堪忍してくんない」
赤ん坊の鳴き声が聞こえた。
「産まれましたね」
「・・・平太。お前」
「おばあちゃん。おめでこうございます」
平太はクラに向かって笑顔でお辞儀した。
「・・・その、お前がもし」
ガラっと音を立てて物置の引き戸が開いた。
「ああ、クラさんここにおった!みんなー、クラさんおったよー」
引き戸を開けたのはミカだった。
「平太もなんしよるとね、早よこっち来て!」
ミカは慌てている様子で、平太の腕を掴んで共に小屋を出た。
ミカに腕を引かれ、平太は痛いよーと呑気な声をあげながら母屋へと姿を消した。
「・・・・このまんま記憶が戻らんければいい」
クラが小屋を出ると、その時に起こった微風で積まれた書籍の上に置かれた一枚の小さな紙がひらりと舞って地面に落ちた。
月明かりが、紙に書かれた 終連 中村 の文字を照らし出していた。
◇◇◇
11月22日、時刻は11時
20日深夜に産まれた子はスヤスヤと寝ている。
あの日、ミカと平太が小屋に帰ったのは4時頃であった。少し眠って、部屋の掃除と洗濯を済ませるとミカは田代宅へ、平太は親方のところへ仕事に出かけた。
それから3日後の今日、お産に立ち合った面々は再び沢口家に集まった。
「名付け祝い」に参加するためだ。
子が生まれると名を付けることは今も昔も変わらない。今は名付けに儀式は執り行われないが、この時代の名付けには儀式が執り行われ、重大な儀式のひとつであった。
その儀式が「弓の音」である。
沢口一家、お産に立ち合った産婆さん(今回の場合、信男の母ヤエ子)、親戚一同、婦人会の面々が表の間(座敷のこと)に集まっている。
二十数名の面々が部屋の壁側と襖側に一列に並び向かい合って座っている。
その間は広く取られており、儀式弓の音はそこ、つまり皆が見ている部屋の中央で行われるのだ。
ミカと平太は襖を背に座っている方の列におり、向かいの列には田代もいた。
ミカと平太の後ろの襖が開き、クラが現れた。
クラは新生児を抱いて部屋の中央まで進み、ゆっくり左に90度方向を変えて上座に移動した。
クラの後について入ってきたのが3人の子供たちで、その顔には平太も見覚えがあった。
信良5歳、忠司10歳、熊治11歳の月どろぼう3人衆だ。
「ヤエ子さん、子を頼むわ」
クラが信男の母ヤエ子に赤ん坊を渡した。ヤエ子は立ち上がって赤ん坊を受け取り、クラの横に立った。
「それじゃ、これより名付け祝い、弓の音を始める。熊治、よろしく頼んだど」
クラの掛け声で儀式が始まった。
ヤエ子が床の間の前に敷かれた小さい布団に赤ん坊を寝かせる。赤ん坊を背にして正座する。
ヤエ子に向かい合って熊治が正座する。
熊治は御弊竹(一般にはヒゴ竹と言われる)で作った簡単な弓と矢を持っている。
熊治から赤ん坊は見えない構図となる。
さらにヤエ子は忠司からセキムン(箕のことで、農具の一種)を受け取り、自分の前に盾のように立てる。
熊治がセキムンを盾にしたヤエ子と1.5メートルほどの距離で向かい合う。熊治の隣には忠司と信良が座る。
熊治が弓を引き
「オトコン子か、オナゴン子か」
とヤエ子に聞く。
ヤエ子が
「オナゴン子ど」
と赤ん坊の性別を答える。
すると熊治が矢を放ち、セキムンにパッと当たって矢が落ちる。
落ちた矢をヤエ子が拾い、セキムンの下を通して後ろへ回し自分の左側へ矢を回して右側へ置く。
「1回目じゃ」
ミカが小声で言う。
「え?何回するの?」
平太も小声でミカに聞く。
「3回。他の地区は2回のところもある。木脇は3回よ。今の流れをもう2回繰り返すとよ」
熊治が信良から矢を受け取り、また
「オトコン子か、オナゴン子か」
と聞く。
「2回目」
平太も固唾を飲んで儀式を見守った。
「3回。よし。無事に済んだ」
クラの声で部屋の中の緊張感がほぐれた。
熊治はうっすらと額に汗をかいており、息も少々上がっている。ふうっと大きく息を吐いて、肩の力を抜いた。
「よくやった熊治。さすがじゃ」
クラが熊治を称賛した。すると信男が熊治に近づき
「熊治、おおきん(ありがとうの意)」
と熊治の肩をポンポンと叩いた。そして熊治はそのままクラよりも上座の席に通された。
「え?熊治くん一番上座に座ってるよ?」
平太はクラよりも上座に座った熊治がクラから怒られるのではないかと思ってミカに聞いた。
「そうよ。弓の音で弓引きに選ばれるのはそりゃあ名誉なことよ。この後お祝いの膳が出るけど、熊治くんは一人前の膳が出るし、帰りには金一封ももらうことになっちょる」
金一封について、中身は10〜20銭が相場とされた。
弓の音は悪魔を祓い、子が一生元気に過ごせるようにとの願いが込められた儀式で、弓引きの役は両親そろった男の子が選ばれた。
名付け祝い膳
いわしの押し寿司
きんぴらごぼう
こんにゃく
油揚げ
白身魚の吸い物
かしわ、とうふ、ねぎの吸い物
なます
煮ごみ
酒も入り、賑やかな祝いの席となった。
平太は婦人会のメンバーから次々に酌を受けている。
ミカは男性陣への酌に周り、ようやく自席に戻ったところであった。
ヤエ子がミカの後ろから
「ミカちゃん、お産の時はありがとうね」
と声をかけた。
「いえいえ、足手纏いやなかったですか?」
と会釈しながら答えた。
「助かったわほんと。それで、申し訳ないんやけど・・・」
と言ってヤエ子がクラの方を見た。
ミカもその視線に気づいてクラの方を見ると、クラはミカを睨んでいた。
「お義母さんが、ミカちゃんを呼んで来いって言うとよ・・・」
ヤエ子が申し訳なさそうにミカに言った。
「あの、お呼びでしょうか」
ミカがクラの隣に正座した。
「ん。ミカ。お前平太んこつが好きやとか」
酔っ払ったクラは単刀直入にミカに聞いた。
「へ?・・・い・・・いやいや、ただの同居人ですから」
ミカが狼狽える。
「ん?田代の嫁じょかいあんたと平太は良い仲やと聞いたど?」
「そんな・・・別に良い仲やなんて・・・」
「お前に見合いの話が来ちょる。平太となんでもないんやったら、見合いせい」
ミカの表情が一瞬こわばった。
見合いの件で父親と大げんかして家を飛び出し、ミカは空襲にあった。
「えっと・・・その・・・」
困った表情でミカはクラに視線を向けられずにいた。その視線は、自然と平太の方に向けられており、その様子をみたクラは
「田代ん嫁じょは、ミカなら即答で断るじゃろち言いよったが。まあいい。見合いの話はオレかい断っちょくわ」
と腕を組んで言った。
「すみませんクラさん」
ミカはペコっと頭を下げた。
「うんにゃ、いいとよ。ミカは17歳やったか?」
「はい」
「オレも初恋は17じゃった。じゃかいミカの気持ちも分からんでもない」
「や、だから別に私は平太を好きってわけじゃ・・・」
「うんうん、オレも初めはそうじゃった。それに、オレもミカと同じ、顔に傷のある女じゃかいよ」
「え?」
ミカは驚いてクラの顔を見た。が、傷は見当たらなかった。
「ほれ」
と言ってクラは左頬のシワを伸ばしてみせた。
よく見ると、左目尻の少し下あたりからまっすぐえら顎下まで傷がある。普段はシワと一体となっており目立たないのだ。
「・・・ほんとだ」
「こん傷はオレが。あの人を熊本まで追いかけた時の傷よ。
オレとあの人は高岡で生まれ育った。
高岡は薩摩藩じゃったかい西南戦争んときはだいぶ兵も出したとよ。
あの人も兵隊として熊本に向かったっちゃわ。泣きながら追いかけて、ようやく会えたところは田原坂じゃった」
西南戦争の激戦地、田原坂。クラはそこで想いを寄せていた男性の死を目にしている。
逃げる最中新政府軍の兵によって切り付けられたが九死に一生を得た。
ちなみにその時に助けてくれたのも新政府軍の兵であり、その兵はのちにクラの夫となるがそのお話はまた別の機会に。
「顔に傷のある女は一途やとよ。そう思うじゃろミカ」
「はあ・・・そう・・・ですかね・・・」
酒の力なのかクラは饒舌で、その後も宴の終わりまでミカに恋愛についてを語ったのであった。
参考文献
鉱脈社 阿万鯱人作品集第2分冊第四巻「戦争と人間」
国富町、国富町老人クラブ連合会、国富町農業改良普及所 土とともに生きた人々の生活誌「いろりばた」
鉱脈社 滝一郎著 宮崎の山菜 滝一郎の山野草教室
社団法人 農山漁村文化協会 日本の食生活全集45 聞き書宮崎の食事
廣瀬嘉昭写真集 昭和の残像
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