16 満月の夜
11月19日月曜日21時
気温は10度を下回り、空気は澄んでいて星の輝く夜だった。
石油ランプの灯りを消して、ミカと平太は床についた。
灯りが消えたのに、特に目を凝らさなくても部屋の中を見渡せた。
今夜は満月だ。
土間の窓からは明々と月明かりが差し込んでいる。
まるで昼間といっても良いほどの光量に、平太はどこかワクワクした気持ちを抱いた。
「平太。ワクワクしちょるやろ」
ミカが少し呆れたような声色で平太に聞く。
「う・・・なんで分かるの?まさかミカもワクワクしてる?」
「ワクワクとはちょっと違うかな・・・どっちかといえばソワソワやね」
「沢口さん?」
「そう」
もらい風呂の回で登場した沢口家。信男の妻明美は3人目の子供を身籠もっており、どうも今夜あたり生まれそうだとミカは田代夫人から聞かされていた。そのことを夕食時に平太にも話していたのだ。
「信良くんと美幸ちゃんは起きるといかんから、今夜はクラさんのところで寝るとと」
「クラさんって確か沢口さんのお婆さんだよね?」
「うん、今年80歳と。元気やがね」
沢口クラ。
沢口信男の祖母であり、御歳80となるこの村の長老的な存在である。あの田代も流石に頭の上がらない数少ない重鎮の一人だ。
クラは母屋の隣に隠居部屋を構えており、母親の出産に合わせて子供たちはその隠居部屋で預かっているのだった。
ミカの寝息が聞こえ始めた。
平太も流石にウトウトとし始め、ようやく目を閉じることができた。
「平太、平太!」
「んん・・・え?もう朝?」
平太は先ほど目を閉じたと思ったがすぐにミカに起こされた。
「何言っちょるとね!ほら、起きて」
ミカの声はどこか慌てているように感じた。
「どうしたの?まだ外は暗いよ?」
目を閉じた時と変わらない夜の雰囲気に、さすがの平太もミカに質問した。
「わからん。でもなんか直感が訴えてくるとよ」
ミカは上着を羽織りながら平太に答えた。
「そろそろや。生まれる」
ミカは平太に自転車を出させ、自転車のリアキャリアに乗って沢口家に向かった。
沢口家にはすでに数人の婦人会メンバーが集まっており、田代夫人も目に入った。
「田代さん!」
ミカが声をかけて自転車から飛び降りた。
「ああ、ミカちゃん。なんね、まさかあんたわかったと?」
夫人は半纏を着ており、小刻みに体を震わせて寒さに耐えているようであった。
「はい、なんか感じたんですよ!」
ミカの頬はうっすらと赤らんでおり、体温の高さを感じさせた。
──若いってこういうことなんやろうね
と夫人はミカを見て思った。
「もうそろそろみたいやわ。やっぱ満月の夜やったね」
時刻は深夜1時を過ぎた頃。
ここに集まっている面々は知る由もないが、その時刻は明け方に向けて潮が満ち始める時間であった。
沢口家の庭に10人ほどの婦人会メンバー集まった。
バッと音を立てて襖が開く。
「よし、そろそろじゃろ。みんなよろしく頼むわ」
襖を開けたのは沢口クラであった。
クラの掛け声で女たちは一斉に沢口家の中に入り込んだ。
「お湯は土間で沸かしちょる。布もあるだけ準備しちょった。取り上げはうちの嫁がするかい。みんな気張ってくんないよ、慶応元年生まれ、岡田以蔵の生まれ変わりのオレのひ孫じゃ」
クラはテキパキとお産のための準備を指示した。
平太はその様子を庭の隅で鼻水を垂らしながら見ていた。
──クラさんってかっこいいなぁ。一人称がオレなんだな。
と平太は思った。
開け放たれた勝手口から土間の中が窺える。
ミカが必死の形相であれやこれや準備をしている。
──これがお産か。人は産まれるって大変なんだなぁ。
「おい!」
平太は突然声をかけられて驚いた。声のした方を向くと、平太の腰あたりから平太を見上げている老婆がいた。
クラだ。
「あ、はい」
平太はクラがあまりに小柄なことに驚いていた。襖を開けてみんなに指示を出していたクラはもっと大きく見えていた。
「あんた男やろが!」
「はい、そうです。あ、何か手伝うことがあれば・・・」
「ない!」
クラは終始平太を睨みつけている。
「お産の時、男の出る幕はひとっつもない!あんた、あのミカっちゅう子と一緒に暮らしちょっとやろ?」
「ええ。そうですが・・・」
「名前は?」
「山中平太です」
「・・・・・」
クラは一度平太の足元に目をやって、再び平太の顔を見上げた。
「ふん。こっちじゃ。男はこっちで待っちょけ」
そういうとクラは平太に背中を向けて歩き始めた。
平太もクラについて歩き始めた。
隠居部屋に連れていくのかと思っていたがもう少し先の、物置小屋に辿り着いた。物置小屋といっても広さはミカと平太の暮らしている小屋と同じくらいはある。
木板の引き戸を開けて、クラは先に中に入った。平太も続いて小屋の中に入る。
中にはたくさんの書物があり、農機具等もきれいに整頓されて置かれていた。
月の明かりが差し込んでおり、部屋の中が明々とした月明かりに照らされている。
物置の奥にいるクラにはその月明かりは届かず、影の中にいる。
「オレは慶応元年生まれ、岡田以蔵の生まれ変わりやど」
これはクラの口癖で、クラは1865年生まれでこの年は土佐勤王党の志士で人斬り以蔵の異名で知られる岡田以蔵が処刑された年だ。
その年に生まれたクラは自分が以蔵の生まれ変わりだと信じているのだ。
また、クラの名は”蔵をもつほどの良家に嫁ぐことができるように”と名付けられたのだが、本人は以蔵から一文字もらったのだと思っている。
「オレの目は誤魔化せんど!」
暗闇からクラが平太に怒鳴る。平太からクラの表情は見えないが、平太はクラがどんな表情でこちらを見てるのか想像できた。
「名前を変えても無駄じゃ。陸軍の軍人がこの村になんの用じゃ。戦争が済んでようやく平穏が訪れようとしちょるとじゃ。軍人がこんな田舎に来寄って。なんの密命かは知らんけんどん、さっさと帰れ」
クラが怒鳴るように平太に言った。
クラからは月明かりに照らされた平太の顔がよく見えた。
少し口角を上げて
笑っている。
平太は静かに
「いつ、お気づきになったのですか」
と言った。
クラも静かに
「それで」
と続ける。
「あんたは向井と野田には会ったとか?」
参考文献
鉱脈社 阿万鯱人作品集第2分冊第四巻「戦争と人間」
国富町、国富町老人クラブ連合会、国富町農業改良普及所 土とともに生きた人々の生活誌「いろりばた」
鉱脈社 滝一郎著 宮崎の山菜 滝一郎の山野草教室
社団法人 農山漁村文化協会 日本の食生活全集45 聞き書宮崎の食事
廣瀬嘉昭写真集 昭和の残像
みやざき文庫146 木城町教育委員会編 高城合戦 二度にわたる合戦はどのように戦われたか
NHK宮崎放送局 NHK宮崎WEB特集 平和を祈る夏 宮崎市は空襲で焼け野原に 証言と神社の日誌
Yahoo!JAPAN 宮崎県の空襲被害 -未来に残す戦争の記憶
永岡書店 今井國勝、今井万岐子著 よくわかる山菜大図鑑
渡邉一弘著 宮崎神宮「日誌」に見る昭和二十年
鉱脈者 うどん




