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1945年、あの日のそよかぜ  作者: 乃土雨


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12 朝子と小夜

 小夜はキラキラと光る水面を眺めながら、自分は一体何がしたいのか、どこに自分の居場所があるのか、戦争は終わる時が来るのか、こんなに世の中が生きづらいのは自分に原因があるのか、社会に原因があるのか等と答えの出ないことを考えていた。


 「小夜」


 姉の声だ。穏やかな口調。

 

 小夜は振り向かなかった。

 すると朝子は小夜の隣に座った。

 無言のまましばらくキラキラ光る水面を眺めた。

 パッと魚が跳ねてすぐ水中に姿を消した。


 「魚がおるね。釣れるやろうか」

 朝子が言葉を発した。


 「お兄ちゃんなら絶対釣ってたわ」

 小夜が答える。


 朝子も小夜も、将吾の笑顔を思い出していた。


 「あの人川魚よう釣りよったもんね」


 「うん。ふなを食べさせられたの覚えちょる・・・会いたいわ。お兄ちゃんに」


 「私も。・・・会いたい。・・・父様も母様もそう思ってるよ」


 「・・・知ってる。

 ・・・さっきはちょっと言い過ぎた。ごめんなさい」


 「謝りなんな」


 朝子は小夜の方を見て言った。


 「へ?」

 小夜も朝子を見た。朝子は小夜の目をまっすぐ見ていた。


 「ひどい言葉やったけど、あんたの言っていることは間違いやない。父様も本当のことやったり、一番後悔してることを小夜かい言われてカッとなったとよ。

 ・・・兄さんがおったら、絶対小夜に賛同してたわ」

 朝子の目は水面に照り返した夕日のせいか、すこし潤んでいるように見えた。小夜は水面の方を向き直し


 「私、五反田さんのこと嫌いやないよ。でも結婚は・・・ようしきらん」


 「結婚は家のためにするもんやないって思っちょっとやろ?」

 朝子も水面を見て言った。


 「私もそうやった。だから結婚はすごく嫌で。嫁いでからも井戸川と全然違う生活様式に戸惑った。うちちゃぶ台ないわ。全部テーブルと椅子やがね。そこから違うとよ。

 おまけに子供も授からんかった・・・」

 朝子が抱えた膝に額を当てて涙声になった。


 「お・・・お姉ちゃん?」

 気丈な姉の涙声に小夜は驚いた。


 「・・・私、向こうの家に居場所がないとよ。子を産めん女は嫁やないって姑に言われて・・・」


 「え?そうやと?・・・あ、やかい家に帰ってきよったと?」


 「・・・うん。私家におった頃家事もあんまり手伝わんかったし、大人みたいな所作ができんかったから、姑からかなり厳しくあたられて・・・井戸川のことも悪く言われた。やかい、小夜にはそんな思いさせたらいかんと思って・・・」


 「それで・・・私にあんげ厳しくしよったっちゃ・・・

 帰ってきたらいいわ、そんな辛いんやったら」


 「離婚は世間体が悪いかいできんとと。でも後継が必要やかい、旦那は別の女と子供作ったとよ。今はその女と女が産んだ子も一緒に暮らしよる」


 「ひど!ちょっと引いた・・・

 え⁉︎私、お姉ちゃんにてげひどいこと言ってなかった?家に帰ってくるなとか、向こうの家にいろとか・・・」

 小夜は両手を頬に当てて自分が放った言葉の棘の鋭さを今更ながら思い知った。


 「いいとよ。小夜は知らんかったんやかい。いつか話そうと思っちょったとよ。話せてよかったわ」


 「・・・そうやったっちゃ・・・」

 小夜は薄暗くなってきた川の水面を見ながら、いかに自分が周りの人間を傷つけて生きてきていたのかを知り後悔していた。


 「さ、そろそろ帰ろ。今日は私の嫁ぎ先に泊まらせるって父様には言ってきたかい」


 「大丈夫やと?私が行くとまた姑さんからなんか言われん?」


 「大丈夫。私の部屋は母屋とは離れたところにあるし、あの家では私に関心のある人なんておらんから・・・」

 笑ってそう言った朝子だったが、悲し気な雰囲気は小夜に伝わっていた。



 3月18日日曜日


 午前6時に赤江空港(現在の宮崎空港)に向けて空爆が行われた。

 この日は朝から空襲注意報が鳴っていた。

 空襲警報には2種類あり、警報と注意報ではサイレンの音色が違っていた。


 人々は口伝いに空港で空襲があったことを知ったが、主要軍事施設である空港のみの攻撃だろうと思っていた。

 度々鳴らされる空襲注意報も先の東京大空襲を受けての訓練だと思い込んでいた。


 昨晩朝子の嫁ぎ先に一泊し、朝子と小夜は朝食前に井戸川に向けて出発していた。


 「昨日はありがとう、お姉ちゃん」


 「ううん。私もあんたと色々話せてよかったわ」


 また、空襲警報が鳴った。


 通りにいた人々は念のため家屋に避難する。


 ──まあ、すぐ鳴り止むやろ


 小夜は軽い気持ちでそう思っていた。

 宮崎駅に繋がる線路を跨いで、東へと進み、遠くに井戸川のガソリンスタンドが見える。

 もうすぐ家に着いてしまう。

 「ねえお姉ちゃん」

 警報で聞こえないだろうが、小夜はそう言って振り返り少し後ろを歩いていた朝子を見た。

 もう少し姉と一緒の時間を過ごしたかった。


 朝子の表情は凍りついていた。


 そして姉の頭上をグラマン機が市内に向けて通過


 「小夜!」

 朝子が叫ぶ。


 伏せてと朝子が言うと、地面には小夜と朝子の肩幅より若干広い位置に轍のように着弾痕が付いていった。


 サイレン、航空機のエンジン音、射撃音の爆音が街を襲った。


 小夜はパニックになり、急いで井戸川の方に向かって走り出した。


 「いかん!小夜!」

 朝子は声の限りに叫んだ。


 機銃掃射を行う戦闘機は低空飛行を行うために、機内から動く人間はしっかりと標的として捉えることができると言われている。

 機銃掃射を免れるには動かないことが一番なのだ。


 また、多くの証言が残っている事実として、当時のアメリカ軍は日本国内での機銃掃射において、人を標的とした射撃を行っていた。

 機銃掃射を免れ頭上を通過する戦闘機内で笑っている米兵を確認できたと言う人もいることから、いかに低空飛行していたかが窺い知れる。


 走り出した小夜は機銃掃射の格好の的となり、地面には小夜の行く手を阻むように弾痕が帯の如くついていく。

 怖くなった小夜はその場に座り込んでしまった。


 ──狙われちょる!このままじゃ撃たれてしまう・・・あ、お姉ちゃんは?


 小夜が朝子の方を振り返ると、朝子は小夜に駆け寄ろうと身を起こしているところだった。


 その刹那


 弾痕の帯が朝子の体に被さった。


 左ふともも、右脇腹、右腕に被弾。


 機銃掃射で使用されるブローニングM2重機関銃は50口径(12.7×99mm弾)、対物ライフルと呼ばれ、コンクリート製のトーチカや軽装甲車両の破壊に使用されるもので、被弾した遺体は損傷が激しいことで有名だった。


 朝子は被弾した瞬間に、左足と右腕を弾き飛ばされた。

 その場に崩れる朝子。


 「お・・・お姉ちゃん!」


 グラマン機の音が遠ざかるまでうずくまる格好で待って小夜は朝子に近寄った。


 姉は血溜まりの中、仰向けになっていた。


 ゴフッと血の塊を吐き出して、ブフウと変な息をしている。


 「さ・・・よ・・・」


 「お姉ちゃん、喋らんで!誰か・・・誰か呼んでくるから!」

 朝子はすでに焦点が合わなくなった目で空を見ていた。小夜の声は聞こえていない様子だった。


 「・・・ご・・・ごめん・・・ね・・・」


 「いいから、もう喋らんでて」


 「ま・・・た・・・の・・・のはら・・・いこ・・・いこう・・・ね・・・」


 「ちょっと・・・誰かいませんか!お姉ちゃんが!お姉ちゃんが・・・」


 「・・・・」


 「お・・・お姉ちゃんが・・・・おね・・・おねえちゃんが・・・」

 朝子が息をしていないこと、噴出する血の勢いが弱くなったことで小夜は朝子が亡くなったことを理解した。が、その後も泣きながらお姉ちゃんと呼びかけ続けた。



 再び空襲警報が鳴った。


 姉の遺体から小夜は離れたくなかった。

 自分も次の空襲でこのまま撃たれて兄、姉のところに行きたい、そう思っていた。


 しかし、あの世で再会した時に姉なら怒鳴りつけるだろうし、兄なら悲しい表情をするのだろうと思った。

 

 縁日での笑顔の兄姉、謝るなと言ってくれた姉の真剣な表情を小夜は思い出した。

 

 ──私が生きちょかんと、全部無かったことになる。

 

 次の空襲で命を落としたりしないと思い直し


 「ありがとう、お姉ちゃん。お兄ちゃんによろしくね」

 と泣きながら別れを告げ、遺体を離れた。

 建物の影になるように少しずつ井戸川に向かって歩き始めた。


 戦闘機の轟音が聞こえてきた。

 機銃掃射が始まると思った矢先、とてつもない轟音と爆風があたりを包んだ。


 小夜は建物の影にいたことで、爆風をまともには喰らわなかったが後方によろめく程度の衝撃はあった。

 何があったのか通りに出て確認してみると、井戸川のガソリンスタンド、つまり小夜の自宅が大爆発を起こしていた。


 機銃掃射の狙いには、燃料供給施設の破壊も含まれており、ガソリンスタンドは集中的に攻撃を受けた。

 銃弾がタンクに命中し引火、大爆発したのだ。

 あたりは飛び散った火によって大火災となり、小夜もその場にはいられないほどの熱波を感じ、離れた場所に避難した。


 駅や線路周辺はいつ攻撃を受けるか分からなかったため、木々に囲まれている宮崎神宮を目指して北上した。

 到着すると広場で木にもたれかかって座った。神宮周辺は攻撃の影響をあまり受けておらず、通りにも人が行き交っていた。


 宮崎駅あたりも攻撃されたようだ


 どこかの家から火が出て大変なことになっている


 どうやら井戸川のガソリンスタンドが爆破されたらしい


 井戸川の人間は誰も避難しておらず、家に取り残されていた


 火の燃え方が激しく、救出は難しかったようだ


 という噂話が小夜の耳に入ってきた。それから


 「井戸川は商売が上手くいっちょったかい威張っちょったがね」


 「あそこの娘さんも、どうも好きになれんかった」


 「じゃあじゃあ、性格は悪かったて聞いちょる」


 という噂話も聞こえてきた。

 


 「井戸川にバチが当たったちゃわ」



 ──皆、なんも知らんくせに・・・


 大喧嘩して家を飛び出したが、父も母も、兄も姉も慎ましく生きていた。

 小夜は悔しい気持ちを抱いたが、体が鉛のように重く、その場から動くことができなかった。



 「君、君。大丈夫か」


 「生きてますか?」

 男の人の声が聞こえて小夜は目を開けた。


 木の根元で座り込んだまま眠ってしまっていた。ゆっくり顔を上げると


 「よかった、生きていた・・・どうしたんだその顔!」

 と神社の宮司二人が驚いた表情で小夜を見ていた。あたりには数人の人だかりができており、小夜が顔を上げると軽くどよめいた。


 小夜が手で顔を確認すると、途端に激痛が走った。

 着ていたモンペはもちろん血だらけ。寝ていたところにも血の染み込んだ痕がある。

 出血は止まっているようだが、左額から右顎にかけて斜めに1本の大きな傷を負っているようだった。

 顔は熱を持ってズキズキ疼いている。傷周辺も腫れているようで、誰も小夜を井戸川の娘と気づかない。


 「医者を呼んでくるから社務所にいこう」

 と宮司の一人が手を差し出した。

 その手を取ろうとして手を伸ばした。

 が、左手が泥と血で汚れており、その血には姉の血も混ざっていると思うと、なぜか宮司の手を握ることができなかった。


 「大丈夫です」

 そう言うと小夜はふらつきながらその場を立ち去った。


 いく当てもなくそのまま北上。

 人目につかないように山道を歩き、数日野宿をしながら、生きながらえた。


 幸い山は野草のシーズンで、食べるものはなんとか確保できた。


 ──お母さんとお姉ちゃんから教えてもらったことが役に立った。


 と小夜は二人の知識に感謝した。


 ある日大雨が降り、冷たい雨に打たれて小夜は体を洗った。

 どんどん体から汚れが落ちていく。姉の血も雨が流して土に染み込む。

 小夜は体を洗いながら大きな声で泣いたのだった。


 

 「闇雲に山道を歩いてたら、この小屋が目に入ったとよ。

 助かったと思ったけど小屋には誰もおらん。

 そのまま歩いて行ったら田代さんたちの集落に出て。小屋の持ち主を聞いて回ったら田代さんのやった。

 田代さんのお爺さんが明治の頃に狩猟小屋として使いよった小屋で、田代さんも田代さんのお父さんも狩猟はせんかったからずっと空き家やったとと。

 それで、住んでもいいってことになって。この家に住み出した」


 ミカは囲炉裏の火を見つめながら、井戸川小夜の話を終えた。


 平太も囲炉裏の火を見ていた。とミカは思っていたがグスグスと鼻を啜る音が聞こえてきた。


 「・・・平太?何で泣いちょるとね」


 「だっで・・・だっで・・・辛すぎるよぉ・・・」

 ミカは近くに置いていた手拭いを平太に差し出し


 「ありがとう、泣いてくれて。私たち井戸川は街の人たちには好かれちょらんかったみたい。

 まあ物理的にも家がなくなってしもて。もう家には帰れんかったとよ。

 田代さんにも私が井戸川の娘やとは話しちょらん。

 名前を聞いて嫌な思いされるかもしれんかったから。

 だったら、いっそ名前を捨ててここでやり直そうと思って」

 

 「それで名前を捨てたっていっていたのか・・・辛かったねミカ・・・」

 鼻を啜りながら、平太はミカに言った。


 自分のために泣いてくれること、話を聞いて、それでも自分を「井戸川小夜」ではなく、「山中ミカ」として名を呼んでくれる平太の優しさにミカも目頭が熱くなった。

 

 「平太。こんな私やけど・・・これからも一緒に暮らしてくれる?」


 ミカは自分の過去全てを曝け出した。

 これで平太が離れても、仕方ないことだと思った。


 グスっと鼻を啜って、息を整えて平太が答える。


 「はい。これからは今までの分、ミカの家族の分もたくさん笑って生きていこう。そんなミカの隣に居れたら、僕は幸せだよおおおお」

 最後は涙を堪えきれなかった。


 「ちょ・・・ちょっと泣きすぎやが平太」


 「だっでぇぇぇ」


 「わ!鼻水垂れた!鼻押さえんね鼻!」

 この後しばらく平太は泣き続けた。


 ミカは、平太と巡り会えたのは家族の導きだったのではないかと思い、平穏な生活を1日でも長く続けることが家族への弔いになるのではと感じた。


 明日は少し奮発して豪華な食事を平太と食べようと思ったのだった。



参考文献

鉱脈社 阿万鯱人作品集第2分冊第四巻「戦争と人間」

国富町、国富町老人クラブ連合会、国富町農業改良普及所 土とともに生きた人々の生活誌「いろりばた」

鉱脈社 滝一郎著 宮崎の山菜 滝一郎の山野草教室 

社団法人 農山漁村文化協会 日本の食生活全集45 聞き書宮崎の食事

廣瀬嘉昭写真集 昭和の残像

みやざき文庫146 木城町教育委員会編 高城合戦 二度にわたる合戦はどのように戦われたか

NHK宮崎放送局 NHK宮崎WEB特集 平和を祈る夏 宮崎市は空襲で焼け野原に 証言と神社の日誌

Yahoo!JAPAN 宮崎県の空襲被害 -未来に残す戦争の記憶

永岡書店 今井國勝、今井万岐子著 よくわかる山菜大図鑑

渡邉一弘著 宮崎神宮「日誌」に見る昭和二十年


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