(特別回)ボタンとお風呂
本編のストーリーとは関係ない日常回になります。
「もらい風呂」という習慣を取り上げました。
10月5日金曜日
朝食を食べ終わった平太は茶碗を洗おうと腕まくりをした。
「平太ぁ」
外で洗濯をしようとしていたミカが声をかけてきた。
「なにー?」
平太も声だけで返事をする。茶碗を洗い始めた。
「今日家におるよねぇ」
「うん、いるよー」
親方の瓦礫撤去の仕事は不定休で、昨日の仕事終わりに
「明日は休みだ」
と突然告げられた。
「そしたらさぁ、お願いがあるっちゃけど」
平太は茶碗を洗いながら、できるだけミカに声が届くように少し顔をミカのいる方に向けて
「なにー?」
と聞いた。
「お風呂掃除しちょいてー」
「え?お風呂掃除?」
気になって平太は茶碗洗いを一時中断してミカのいる屋外に出てきた。
「風呂なら基本毎日掃除はしてるけど?」
「あれ?言ってなかったっけ?」
ミカが洗濯桶から手を離し、立ち上がって前掛けで手を拭きながら平太に近づく。
「今日お客さんが来るとよ」
「お客さん?田代さんとか?」
「違う違う」
ミカは平太に近寄った際に、平太が着ている作業服のボタンが取れかかっていることに気がついた。
──ボタンが取れそうや。縫わんといかん
「この地区に住んじょるボタンさん一家よ」
ミカは取れかかったボタンが気になりすぎている。
「へえ、変わったお名前だね。大勢くるのかな。とりあえず茶碗洗ったらお風呂掃除しとくよー」
そういうと平太は家の中に入ってしまった。
「ああ、平太。その取れかかった沢口縫うから脱いで置いちょって」
正しくは来客は沢口さん一家で縫わねばならぬのはボタンだ。
「ありがとー」
──来客があるから風呂掃除・・・変な風習だなぁ
と平太は思った。そして一気に2つのことを申しつけられた平太は、その後茶碗を一つ割った。
その日の夕方
今夜の夕食
麦ご飯
ダゴ汁
煮しめ (人参、さつまいも、鶏肉、こんにゃく)
ギンナンの天ぷら
「いただきまーす」
今日は少し早めの夕食にした。
「あぁ、ダゴ汁の食感いいなぁ。みそ汁も相変わらず最高だ」
平太は大体どんな料理を出してもまずみそ汁から飲む。
「それに、今日は煮物なんだね。すごく豪勢だ」
「この辺りじゃ煮しめとか煮ごみって言うとよ。具も味付けも筑前煮と大きく変わらんちゃけどね」
「さつまいもが溶け出しているくらい煮込まれてる。鶏肉も柔らかくて美味しい」
「こんにゃくも田代さん手作りやからね。歯応えがあっていいわ。鶏肉は特別やからね。普段はないとよ?」
「なんでもご馳走だよ。ミカが作ってくれてる料理は全部ご馳走。全部美味い」
「・・・あ・・・あんた・・・じゃかいそういうことを軽々しく言うなて!」
ミカは素直ではない。嬉しくて顔がニヤけてしまっている。
「んー!ギンナンの天ぷら初めて食べたけど、これ美味しいね!ほろ苦くてお酒のつまみにぴったりだ」
「ね、この苦味がいいがね。大人って感じやわ。平太、私のもやるわ」
「え?食べないの?」
「うん、私は大人やかい。平太にあげるくらい心に余裕があるとよ」
──クコの実の時もそうだったけど、もしかしてミカって苦みと渋みが苦手なのか?
と冷静に思う平太であった。
ちなみに、ギンナンは幅広い料理に利用できるが、食べ過ぎると下痢、嘔吐を引き起こすので食す際には量に注意していただきたい。
「で、お客さんは何の用でうちに来るの?」
麦ご飯の2杯目を食べながら平太がミカに聞いた。
ミカはお茶を飲んで
「お風呂よ」
と答えた。
この時代、一家に一つ風呂はなく、風呂がない家は風呂を炊く家に借りに行って入浴していた。風呂が家にあっても最寄の川か湧水地から水を汲む作業があるので毎日入浴することは滅多になかった。
ミカと平太の家は風呂の裏にある沢から直接風呂場に水を注げる作りにしているため、基本的に毎日入浴しているが、実は非常に贅沢なことであった。
「普段は田代さんところのお風呂を借りてるみたいなんやけどね。今日は田代さんたちおばさんの実家にいっちょって留守やとよ。
やかいうちらが早よ入っとかんといかんとよ」
夕食を早めたのはこのためで、風呂を借りに来る者は家主よりも先に入ってはいけないので、家主が入浴を終えるのを待たねばならない。
「それで夕食が早めなんだね」
「そう、やかいそれ食べたら先に入って」
平太は急いで麦ご飯をかき込んで浴室に向かった。
「こんばんはー」
風呂桶に手拭いと石鹸を入れて沢口一家が風呂を借りにきた。
「ようこそ、ボタンさん。どうぞ、中にお入りください」
平太が沢口一家を玄関から招き入れた。
「はぁ・・・あ・・・ありがとうございます」
ボタンと呼ばれ戸惑う沢口一家。
居間で平太のボタンを縫い付けているミカが
「平太!沢口さんやろ!ボタンは今縫いよるがね!」
「え⁉︎ボタンさんじゃなかったけ?」
平太は驚いてミカを見た。
「すみません、沢口さん。平太はたまに寝ぼけたこと言うんです・・・」
と申し訳なさそうに謝罪した。
そんな沢口一家は家長の信男、妻明美、長男信良5歳、長女美幸2歳の4人家族。明美は3人目を妊娠中だ。
信男は先の戦争で招集されたが、配属先が決まる前に終戦を迎え、8月末には家に戻っていた。
「あの、すみません。お風呂をお借り致します」
信男がペコペコと頭を下げた。
「どうぞどうぞ。狭いですけど遠慮なく使ってください」
ミカがボタンを縫う手を止めて座っていた格好から膝で立って頭を下げた。
子どもの笑い声、父親の鼻歌。ミカと平太の家では聞いたことのない音色が居間にも聞こえてきていた。
「いいね、家族って」
ミカは膝を抱えて座り、囲炉裏の火にあたりながら平太に言った。
「うん、こんなに賑やかなんだね。子どもさんがいると」
平太はあぐらをかいて座り、火バサミでちょこちょこ囲炉裏の炭を移動させている。
「でも、子どもがいたらご飯食べる人数が増えるやろ?平太、もっと仕事増やさんといかんわ」
「あはは、そうだね。頑張んなきゃね」
「うん、頑張ってよ。うちの大黒柱さん」
ミカは正直なところ、少し眠かった。
囲炉裏の火の温かさが心地よく、ウトウトとし始め平太の肩に頭を乗せてしまった。
すうすうと小さく寝息が聞こえるので、平太も動くに動けずそのままミカを起こさないように細心の注意を払った。
「ありがとうございましたー」
勢いよく浴室の扉が開いて、子どもが飛び出してきた。
体をビクつかせてミカが飛び起きた。すぐに平太との距離を開ける。
が、信男と明美にはその一瞬の動きを見られていた。
「いやー、気持ちが良かった。最高の湯加減でしたよ山中さん」
平太が土間に降りて
「そりゃあ良かったです。またいつでもお越しください」
と言って沢口一家と一緒に外に出た。
ミカも平太について外に出て、沢口一家を見送る。
「湯冷めされないように、気をつけてお帰りください」
と平太が去っていく沢口一家に向かって声をかけ一礼をした。
ありがとうございますと一家全員が振り返ってお礼を言った。
そして家長信男が
「あ、山中さん。
子どもは、いいもんですぞ」
と満面の笑みで平太に言って去った。
平太も笑顔を返した。
「賑やかだしね、子どもさんは見ていて飽きないもんね」
とミカに聞いた。
ミカは赤面して俯いている。
「ん?どうしたのミカ」
「・・・し・・・知らん!あー、暑かった。はよ寝よ」
と顔を両手のひらであおぎながら家に入った。
「結構肌寒いけどな・・・」
と小首をかしげる平太なのであった。
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