◇7
兄のセイドリックと今後の対策を話し合っているうちに眠ってしまったらしい。
気付けばベッドの上で、目の前には整った兄の寝顔があった。
ハロイエッド侯爵家特有の深い海の底のような碧い髪がサラサラと揺れる兄の無防備な姿に、他所の令嬢だったら歓喜の雄叫びを上げてしまう場面だのだろうか。
はっ・・・!
私の思考が恋愛小説化している?!
お兄様に婚約者がいなくて良かったわ。
13歳の兄には婚約者がいない。
数多の令嬢からの打診を全て蹴っているからだった。
ユリウス侯爵も運命の出会いをするまでは、結婚には全く興味がなかったと聞いている。
転生者とは、こんな所まで影響してしまうものなのだろうか。
婚約者がいないといえば、ラカーシュ第二王子もだ。
彼にこそ他国の姫君からの打診も含め、数多くの候補があるだろうに・・・。
ユーステス第一王子の婚約状況がこんなだから、忖度をしているのかもしれない。
そっとベッドから起き上がり、昨日『婚約破棄作戦会議』が意外な方向で白熱するきっかけになった’’これ’’をじっと見つめた。
これは単なる偶然?
話の内容は恋愛小説だった。
主人公の男爵家令嬢は前世の記憶…『日本』という科学?が発達した国で育った記憶を持ったまま転生し、その類まれなるチート能力を活かして、隣国の王子と結婚するというものだ。
正直、科学だとかチートだとか、私たちの世界にはない解釈で、『読解』の力をもってしても納得できるものではない。
だから、その辺は軽くスルーすることにした。
私たちが驚いたのは、その隣国の王子が我が国の第一王子、ユーステス殿下にそっくりだったことだ。
名前などは違っていたが、見た目(挿絵も含め)や言っている言葉のチョイス、家庭環境や婚約者の存在など・・・瓜二つだったのだ。
確かに、男爵令嬢目線ということで、感覚の違いはあるのだけれど。
胸キュンポイントが分からずじまい。
兄は『最高の参考資料じゃないか!?』と興奮したようだった。
そう、参考資料としては最高なのよ・・・でも。
「最終結末がいかんせん、納得できないのよね・・・。」
「王子様が戦争で死んで、王子の弟と結ばれるからか?」
どうやら、無意識に呟いてしまっていたようだ。
そんな私の声に答えた声の主を振り返れば、大きな欠伸をしながら上体を起こしていた。
「目が覚めたのですね?おはようございます、お兄様。」
「ああ、おはよう。・・・で、朝から可愛い妹が悲し気に見えるのは、王子が戦争で死ぬから?それともその王子の弟が主人公とくっつくから?」
「戦争の内容が兄弟喧嘩だからですわ!」
主人公の男爵令嬢と隣国の王子は愛を語り合うほどに仲睦まじくなる。
しかし、王子の見栄と虚栄心が災いして、王太子闘争の挙句、内戦が勃発してしまう。
主人公はその内戦の期間、自国に帰り無事なのだが、恋人の王子は戦死。
悲しみに打ちくれる主人公に誠心誠意謝意を伝え、側に寄り添う王子の弟・・・王太子に惹かれていく。
最終的に、聡明な王太子と心を通わせ、ハッピーエンド。
「どこがハッピーエンドだぁ!!?」
内戦とは言え、数多くの人々が亡くなるのが戦争。
愛を語り合う前に、戦争を止めることは出来なかったのか?主人公よ!
そんな戦争に駆り出された王子の婚約者の兄って・・・セイドリック兄様じゃない!?
しかも、婚約者の私も戦争後、反旗を翻した王子に助言をした罪で修道院に送られるって!!
私は!意地でも!馬鹿には助言なんてしない!!
怒りが沸点に到達していく自分を抑えるべく、昨夜モアが用意していったお茶をカップに注ぐ。
冷たくなったそれを一気に飲み干せば、鼻から抜けるミントの香りが、冷静さを取り戻させてくれた。
「一旦、他人事として考えて見なよ。戦争で離ればなれになることで、主人公の恋は燃え上がるっていうのは、なかなかに現実的な描写なんじゃないか?」
「それはそうなんだけど。でも、恋人を殺した相手を簡単に好きになるのは現実的ではないわ。」
「そこは・・・ほら、恋愛小説特有の?あれだよ。」
兄らしいことを言ってますが、もとは兄様も色恋には疎いユリウス侯爵ですものね。
理解できるはずはないのです。
「ただ、この本で分かったことがございますの。」
「ん?」
「このままでいくと、私は馬鹿王子との婚約破棄が一生出来ないということですわ!」
「ああ・・・確かに。」
馬鹿王子との婚約は一日も早く破棄して、私は修道院などには行かず、のんべんだらりと魔術具の研究に勤しみたいのです。
こんな婚約のせいで、既に5年も!時間を無駄にしてしまっているのです。
本来なら研究や調べものに使う時間を、馬鹿王子の為に『流行』や『話題』や『お洒落』などという、何も面白くないことに時間を使いました。
そもそも、流行とは何なのでしょう?
一旦世に賞賛されたなら、賞賛し続けられるべきではないのかしら?
何故、いちいち期限が設けられるかのように、時期が来たら廃れてしまうのか。
「全く理解が出来ませんわ!ドレス?裸じゃないのだから良いではないですか?中には身に纏うことで破廉恥なデザインの物もございましてよ!いっそ裸の方が潔いのではなくて?!お茶?美味しければ良いではありませんか!なぜわざわざ無駄にお金を使って外国から取り寄せる必要がございますの?宝石?魔力が籠っていない宝石をジャラジャラと飾り立てる意味が解かりません!話題の為になぜ毎月上演される演劇の演目を調べなければならないの?時間が空いたから劇場に行く!見る!感想!以上!!それ以外に何が大事だと言うの!!?!分かりませんわぁぁぁ!!」
「ああ・・・リリー。君はよく頑張って来たよ。本来なら母上が協力するべき所もあっただろうに、君は一人でやり遂げたんだ。胸を張っていい。そして、もうリリーの好きに生きて良いんだ。」
興奮して我を失った私を、セイドリック兄様は優しく抱きしめて、囁くように言った。
もう私の好きに生きていい・・・?
「この婚約はユーステス殿下の気分で決まるもの。ならばリリーだって自分勝手に振舞った所で、それは’’お互い様’’というものだよ。」
兄の言葉がストンと入って来た感覚があった。
「そう・・・よね?」
試用期間の5年が過ぎた。
それなら、もう誰に忖度する必要もない。
約束を反故にしたのは彼らなのだから、私は彼らを突っぱねてもいいのだ。
「ありがとう!お兄様。元気が出てきましたわ!」
兄の腕の中から見上げて優しい笑顔に微笑む。
「よしよし。リリーは可愛い妹なんだから、兄にもっと頼ってくれて良いんだよ。」
「お兄様は私のことを面白がっているだけでしょう?」
「まあね。でも、自分の次に妹に興味があるのは、ずっと変わらないさ。」
5年前、私が『加護』を受けた時から、兄は嘘を吐かないでいてくれている。
私にとっての一番の味方でいてくれる兄のためにも、私は絶対、馬鹿王子との婚約を破棄してみせますわ。
「あらあら、ハロイエッド侯爵家のご兄妹は本当に仲が宜しいこと。」
朝の支度の為に、メイドのモアが部屋にやってきた。
兄は私の頭をポンポンと軽く叩くと、部屋を出ていく。
「今日はラカーシュ殿下と剣の稽古の日だからね、何か彼に伝えることはあるかい?なくても勝手に話しておくけど。」
そんな言葉を残して去って行った兄を、恨みたくなるのは、また後の話。
「モア!久しぶりに古本市場に行きたいわ!」
「ええ?先日は行かないって仰っていたじゃないですか?」
「気分が変わったのよ。」