◇5
第一王子と第二王子の兄弟喧嘩は護衛たちによって収束され、期待の王子教育に臨んだ私だったが…
「まさかの王太子妃教育以下の内容だったんだけどぉぉぉ!!!!」
邸に戻るなり叫んだ私に、兄は苦笑いを見せた。
「リリー、考えてごらん。授業内容に口出ししているのは誰だい?」
「え?国王陛下?」
「そう。陛下は君の秘密を知る人物だよ?そして、前世の君が家庭教師をした人物だ。」
「ああああ!!!!」
そうだったわ。
確かにそうだったのよ。
5歳から15歳までの彼の教育を一手に任されたのは’’私’’なのだ。
そんな元教師に教えることなんて・・・あるわけないじゃない?
そんな簡単なことにも気付けず、私は苦痛の時間を過ごしてきたのかぁ・・・。
授業内容はおいといても、第一王子にわざと正解を譲る第二王子。
そんな第二王子に正解を譲る私は、とてもとても大変だった。
「何度『はあ?!』と言いかけたか…」
疲れ切った私の様子に、色々想像が出来たらしい兄は、同情を向けてきた。
予想の斜め上をいく第一王子に振り回される私を想像出来たのだろう。
算術の授業では、『100ペル+300ペル』の答えを『∞』と答え
政策の授業では、『敵からの包囲網から抜ける方法』に対し『焼き尽くす』と答え
魔術の授業では、『水魔法に対抗しうる魔法』に『氷』と答えたのだ。
ちなみに『氷』と答えた理由は『硬いから強い』だそう。
一周回って、ある意味正解かもしれないと一瞬思った自分が生まれた頃、授業が終わった。
「馬鹿すぎて泣けてきましたわ!」
「じゃあ、婚約破棄しちゃえば?」
しれっと言い捨てる兄を睨む。
「私が出した条件を反故にする行動は出来ません。」
「頑固~。」
それにしても、第一王子の頭の悪さは3年前と変わっていないように思えるのよね。
ちらっと見えただけだけど、第二王子が読んでいた本は『策略について』書かれたものだったわ。
私に『戦争でもしたいの?』と聞いてきた彼だって、なかなかに危うい本を読んでいたと言える。
「そういえば、ラカーシュ殿下に会えたんだろう?」
兄が思い出したように聞いてきた。
「ええ。お兄様の言う通り、ユーステス殿下に気を使っていらしたわ。」
ふと、彼が『800ペル-50ペル』に『-∞』と答えたことを思い出し、苦い笑いが零れる。
あの時、真面目な顔でそう答えた彼に、第一王子が「そっちか!」と叫んだのよね。
そっちってどっち?って困惑する私に、彼は人差し指を口に当て笑った…
はう!?
思い出しただけで顔が熱くなる。
なんか、見てはいけない表情を見た気がする。
「なに?もしかしてラカーシュ殿下となんかあった?」
ニマニマと面白がる笑顔で覗き込んでくる兄を睨む。
「なにも!ありません!」
❀------------❀
王太子妃教育も、とうとう終了してしまった私は、「流石だね~」と笑う国王から禁書庫の鍵を預かることになった。
「どうせ、図書室の本は読み切っているんだろう?」
国王陛下!
私、生まれて初めて貴方を尊いと思えた気がします!
本気で拝んだ為、側にいた父親から叱られた。
既に王太子妃教育を終え、一旦教えて貰うことがなくなった私は早速、図書室の禁書庫へ向かうことにする。
王城の禁書庫には流石のマリエッタ夫人も入ったことがないはず!
高鳴る鼓動を無理矢理、落ち着かせる。
王城の長い廊下を淑女らしく優雅に、且つ速足で進むも、大人には普通のスピードだと城の大人たちを見て理解する。
子供の足であることが憎い。
図書館について、脇目もふらずに奥に進む。
禁書庫のドアの鍵穴に国王より預かった鍵を差し込み捻れば、心地よい開錠の音が響いた。
図書館の奥の本棚の隙間にある重厚感溢れるこの扉。
ここが禁書庫であることは、本能的に知っていたが…まさか、この中に入れる日がくるなんて。
開拓されていない森の奥地のダンジョンに足を踏み入れる冒険者は、きっとこんな気持ちなのだろうか。
何度か気持ちを落ち着かせる為に深呼吸を繰り返し、顔を上げる。
よし!行こう!
勢いよく一歩踏み出した私の肩を掴む手にドキリとして振り返る。
「俺も行く。」
「ラカーシュ殿下?!」
思いもよらぬ登場人物を見上げれば、真剣な表情だが…これは待ち伏せして狙っていた表情だわ。
私がここに来ること…いえ、国王陛下から禁書庫の鍵を預かることを知っていたわね?
「毎日馬鹿兄貴に付き合っている褒美に、ここの鍵をリリーシュア嬢に渡すよう進言したのは俺だ。」
「へ?!」
「マリエッタ夫人の転生者なら、図書室の本はある程度読み切っているんだろう?」
思いもよらぬ禁句が飛び出したことで、私の頭の中は一瞬真っ白になる。
「え?なぜ!?」
待って、私が転生者ってことを知っているのは国王と父と兄だけだったはずよね?
「ハロイエッド侯爵家の秘密なら、歴史書を読み漁れば推測できる。実際、父上に確認したら口を割ったし。」
何しとんじゃ!国王!!
ハロイエッド侯爵家の転生者の話は国家機密事項だと私は念を押されたのに!
念を押した張本人が口を割ったなんて!?
「ほら、誰かに見られる前に入ろう。」
青褪める私にはお構いなしに、第二王子はさっさと中に入っていってしまった。
どうやら第二王子の策が講じて、禁書庫に入れることになったらしいし…。
きっと王族なら入っても問題ないのよね?
気を取り直して私も部屋の中に入る。
古い紙の臭い、少しかび臭い気もするれど、そこは図書室というには少し狭い…資料室だった。
置いてある書物も本の形を成している物が少なく、ただ紐で綴じただけの物や、紙をくるくると巻いただけの物が本棚に無造作に置かれており、大きな資料に関しては床に置いた木箱に丸めたそれが突っ込まれた状態で、いくつもあった。
近くの本棚から中身を確認していけば、『500年前の戦争の経緯記録』や、『300年前の飢饉の被害状況図』、『100年前の王族襲撃事件の真相』など表には出てこない内容の書類が並んでいる。
「うわぁ~。まさに宝物庫!」
興奮する気持ちを抑えつつ、どれを読もうかと悩みながら見回せば、本棚越しに第二王子の姿が目に入った。
彼もここには初めて入ったようで、興味深そうに書物一つ一つを確認している。
なんとなく、疑問を口にした。
「ところで、今って王子教育の時間ではないのですか?」
彼はこちらをじっと見つめたまま動きを止める。
「え??」
「敢えて聞くが、君は先日の王子教育をどう思った?」
・・・どう・・・って。
「時間の無駄、そう思っただろう?」
「いえ!・・・そんなこと・・・」
思わず目が泳ぐ。
バレてる・・・?
本棚越しに見える第二王子は、これ見よがしに大きな溜息を吐く。
「ちなみに、俺はあの時間に5年付き合った。」
「…凄いですね…。」
「最近はあの馬鹿な思考に合わせられるようになってきた。」
「……凄い…ですね?」
私が思わず首を傾げたのを見て、第二王子の口元が緩む。
「そろそろ、いいと思うよね?」
「へ?」
何が?
あ・・・。
王族特有の青空色の瞳が私を捕えた瞬間、蛇に睨まれた蛙の気分が襲う。
背中に嫌な汗が流れ始めたのを感じ、’’失敗した’’と頭の中で呟いた。
「俺より後に王太子妃教育を始めた令嬢が教育終了になったんだ。俺の王子教育も終了でいいよね?」
もしかして、この話題って地雷だった?
穏やかなのに、決して笑っていない青い瞳に恐怖を覚え、唾を飲みこむ。
「国王陛下が良いと言えば、良いのではないでしょうか?」
私の答えに青い目の主は頷く。
「そういうこと。」
私は、もう二度と王子教育については話題に出さないと心に決めた。