◇2
兄からの執拗な興味攻撃は、別の理由を代用し事なきを得た。
今まで読み込めていなかった魔術具の本の中に『虫呼びの魔術具』という物があったため、それを軽く盛った説明をしたのだ。
「気持ち悪い虫が沢山寄ってくることを想像してしまって・・・」
「・・・ああ、気持ち悪いね。」
「足が沢山あって、もぞもぞうねうね動いて・・・」
「ううっ・・・リリー、分かった・・・もう、やめてくれ。」
セイドリック兄様は想像力豊かだ。
私の説明で、彼なりにリアルな想像をしてくれたようだ。
「思わずそこにあった本を投げてしまって…淑女らしからぬ行動をまさかお兄様に見られるとは思わず…恥かしくて…ごめんなさい。」
「そういうことか!リリーそんなことは気にしなくていんだよ。可愛いなあ。」
兄に頭を撫でられ、ほくそ笑む。
よし!誤魔化しは成功だ。
5歳の私はあの後、モアに助けを求めた。
古本市場でタダで貰った本に破廉恥な絵が描かれていて、びっくりして投げたら兄にぶつかりそうになって、それを説明するのが恥ずかしいから言い訳を考えて欲しいと素直に伝えた所、この案を示されたのだ。
結果、モアには本を没収されたのだが。
ざっと読んだ結果、恋愛小説っぽかったから、悔いはない。
「リリー、また本読んでるの?」
兄が部屋にやって来るや否や、私が机の上で本の虫になっている様子を見て苦笑いをした。
「お兄様。これ、魔草の本なんですが、今まで分からなかったことが分かるようになって、面白いんです。『読解』の加護を頂けてリリーは幸せですわ。」
この世界には薬になる薬草が多々ある。
その中でも魔力を持っている薬草を魔草といい、主に魔力による怪我などに効能があるのだ。
「そういや、ラカーシュ殿下もよく薬草を調べてるよ。」
「へえ・・・。」
セイドリック兄様は時々王城に呼ばれ、王子たちの遊び相手になっているようだった。
王子たちの性格なども知り尽くしている兄だから、私の婚約者が第一王子のユーステス殿下だったことに不安を覚えたらしい。
「ユーステス殿下は10歳ってこともあるけど、剣の腕は凄いんだ。才能があるんだろうな。でも。飽き性というか、ちょっと上手くいくともう辞めちゃう癖があるんだよ。勿体ないよ。」
「そうなんですねえ。ラカーシュ殿下も剣がお上手なんですか?」
ラカーシュ殿下は兄の一つ下。つまり私の2歳年上だ。
現在7歳のラカーシュ殿下だが、第二王妃の子ということもあり、王太子になる可能性は低いらしい。
第二王妃はこの国の男爵家出身だ。
その男爵家も今は跡継ぎが途絶え、無くなってしまった。
そんな身分も低く、後ろ盾もない第二王妃の子は、王城でも差別されているのだろうか。
「ラカーシュ殿下が本気を出した所は見たことがないんだ。・・・勉強も、剣術も、魔術も、どことなく平均点を意図的に取っている感じかな。まあ、第一王子があんなだから気を使っているのかもね。」
「・・・そうなんですね。」
モアがお茶の準備を終えたタイミングで、兄をソファに促す。
今日は先日王都で買ってきた庶民的おやつである、ビスケットを出してもらった。
貴族は甘みと柔らかさからクッキーを好んで食べるが、私は素朴な甘さが癖になるビスケットが好きだ。
ちょっと硬めのビスケットを噛んでいるうちに、口の中で甘く柔らかく溶けていく感じがたまらない。
「そろそろ教えてくれないかな?りりーは婚約の条件に何を父上に言ったのか。」
お茶を一口飲んだ兄が突如として口を開いた。
思わずむせ込みそうになる私に、モアが心配そうにお茶をすすめる。
「兄様、まだ気になっていらしたの?」
「そりゃあ、気になるよ!だって、あの日からリリーの様子も少し変だし。」
私は少しだけ考えて、口を割ることにした。
「5年経って、ユーステス殿下に好きになってもらえなかったら破棄してください。」
「へ?」
兄の間抜けな顔を見たのはいつぶりだろう。
思わず笑いが込み上げてきた私に、兄はひと睨みしてから納得したように言った。
「だから、大人しいリリーをやめたんだ?」
「やめたつもりはありませんわ。私は元は大人しい性格だと思っていますもの。外遊びよりも本が好き。お洒落よりも調べもの。美味しいお菓子は好きだけど…基本的には人と関わることは得意ではありません。お茶会も、夜会も…出来ることなら行きたくありませんのよ。」
私は王家に嫁ぐには不適格な人間だと思う。
お妃様という言葉に憧れの念も薄いのだ。
「じゃあ、なんで頑張るんだい?嫌われちゃえば破棄してもらえるんだろう?」
「努力しないで嫌われるのと、努力したけど嫌われるのでは意味が違うじゃないですか?私は好きでもない人の為に努力しましたが、どうやら嫌われましたを目指すのよ。その方が大人たちの納得も得られるでしょうし。」
私の発言に、兄の目が丸く大きく見開かれる。
これは理解したけど納得できない目だ。
「私の『加護』は文章や話の内容を解読するというだけではなかったのです。」
「どういうことだい?」
「もっと…深い…本質を理解するというべきでしょうか…。」
正直、この加護を受けてしばらくの間は頭がおかしくなりそうだった。
神殿の者たちの『おめでとうございます』の言葉ですら『義務的』『決まりだから』『とりあえず言っておく』等の感情が流れ込んできたのだ。
邸に戻ってからも『面倒くさい』だとか『仕方ない』という感情が渦巻く中、極めつけは両親の感情が『侯爵家の役に立つのか?』『将来使い物になるのか?』という耳を疑うものだった。
実際、婚約を取り付けてきたと言った父は『上手くいけば侯爵家の安定に繋がる。』という一心だったのだから、私は自分で思う以上に彼らから愛されてはいないのだと理解するには十分だった。
正直、全てを投げ出して’’自分本位’’になってやろうかとも思ったが、メイドのモアの感情に触れてしまい、私はそれを封印することにした。
『お嬢様は凄い』『ああ、可愛い』『まるで、死んだ妹を見てるみたい』『妹の分までお嬢様を守る』
モアの妹は、子爵家が潰れる前に病気で亡くなったんだったか。
その妹が亡くなってから父親の借金が増え始め…
ふと、扉の前に立つモアを見つめる。
目が合うと彼女はにこっと笑顔を向けてくれるが、その笑顔に裏はなく…本当に姉のような人だと思う。
「リリーは相手の心の声が聞こえているってこと?」
「聞こえるとはちょっと違いますわ。…感じるというか流れ込むというか…そういう感覚ですもの。」
「それって・・・」
兄が青ざめるのは無理もない。
貴族社会は騙し合いの社会だ。
「凄い疲れそうだね。」
兄がやっとの思いで言葉にしたそれに、私は吹き出した。
8歳の兄にはこれが精いっぱいの言葉だったのだと分かったから。
「セイドリック兄様が嘘をついても、私にはバレますからね。お気をつけくださいね。」
「そんなもの、嘘を吐かなければいいのではないか。」
潔く、正直に正解を出していく兄に、私は救われた気がした。
しばらく何かを考える風に黙っていた兄が口を開く。
「リリー、君はまだ5歳なんだ。すべてを受け止めるにはまだ早すぎるよ。」
流石だわ。
私には味方が必要だということに気付いてくれたのね。
王子たちと面識のある兄は情報収集の面でも味方にしたい。
「ふふっ。こんなにも理解してくださっている兄様がいるのですもの、大丈夫ですわ。」
「じゃあ、君が考えている今後のシナリオを教えてくれるね?」
ああ。兄には敵わない。
でも、こちらの言いたいことをこんなにも理解してくれる人は、兄以外にはいないのでしょうね。
「では、お話致しますわ。」
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「お嬢様、とても可愛らしいです。」
「ふふ。ありがとうモア。」
今日は婚約後初めての王城でのお茶会だ。
お茶会とは名ばかりの、第一王子との顔合わせ。
婚約は成立したものの、互いに会ったことがないことに親たちが焦ったらしい。
それもそのはず、本来なら婚約成立してすぐに男性側が女性の邸を訪れ挨拶をするのが決まりなのだが、第一王子は『格下の身分の邸など行きたくない』の一点張りで、我が家に来る気配すらないのだ。
「5年も待たずに破棄を願い出るべきじゃないのか?リリー。」
「なぜセイドリック兄様が怒っているんです?私は来ないでくれて良かったと思っていたのに。来たら来たで面倒じゃないですか?ドレスはどれがいいかとか、お茶やお菓子はどうするかとか…邸の者たちの困惑を考えたら、来なくて正解だったと思いますわ。」
「君は本当に・・・」
実際、第一王子が来たとなったら侯爵邸内は大変な大騒ぎだったことだろう。
どんなに手を尽くし、心を尽くしたとて、彼の賞賛は得られないのだ。
そんな無駄な労力など必要ないだろう。
「この度は素敵なお茶会にお招きいただき、ありがとうございます。」
家庭教師から習ったカーテシーを披露すれば、国王も第一王妃も笑顔を返してくれた。
「リリーシュア嬢、今日は良く来てくれた。楽しんで行ってくれ。」
さっさと問題児の婚約を確立させて安心したいという本心が透けているわよ。
どうやら、父に出した条件が効いているようね。
そう、この婚約は確立していない。
あくまで5年間の試用なのだ。
これからの5年間で我儘第一王子が私を好きになるかどうか…可能性は低い。
本来『政略結婚』には感情など伴わなくてもいいのだが、第一王子の性格ではそんな貴族の常識が通用しないことは国王夫妻も勘づいたのかもしれない。
いえ、たかが子供の戯言と私を甘く見ている可能性もあるわ。
女の子らしく恋愛に夢見る少女を演じるのも吝かではないわね。
「ありがとうございます!ユーステス殿下に気に入られるように努力しますわ。」