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1週間前。
「明後日はリリーシュアお嬢様のお誕生日ですね。」
私の世話係をしてくれているメイドのモアが笑顔で言った。
鏡台の前で頬杖を突きながら、モアが私の髪を梳かす様子を鏡越しに見つめながら溜息をつく。
「嬉しくないんですか?」
18歳だという彼女は、父親の借金が原因で廃爵された元子爵家の長女だ。
宰相である私の父親がそんな彼女の事情に同情し、引き取り、うちで住み込みのメイドとして雇っている。
15歳まで子爵家令嬢として真面目に勉強してきた彼女は、基本的な貴族のマナーが出来ており、私の専属にしようとしていることは一目瞭然だ。
貴族らしからぬ温和で素朴な彼女を、私も気に入っているのでありがたい話ではあるけれど。
モアの桃色の瞳と鏡越しに視線が交差したため、私は素直に答えることにした。
「誕生日は嬉しいわよ。美味しい料理やケーキが食べられるし、滅多に会えないお父様にもプレゼントを頂けるでしょうし。・・・ただね・・・神殿に行かなきゃならないでしょう?それがちょっと億劫で。」
5歳の誕生日は神殿で加護を授からなければならない。
歴史の古い侯爵家に生まれた私にどんな加護が付くか・・・少し怖い。
父の『策略』のような政治利用されるものも、母の『浄化』のような医療目的で利用されるのも、兄の『移動』のような騎士や魔術師としての利用価値が高いものも・・・なんだか腑に落ちない。
「私、自分の興味のあることに利用できる加護がいいわ。誰かの為じゃなくて自分の為に加護を使いたいの。」
私の素直な吐露にモアは目を丸くして、笑い出した。
「リリーシュアお嬢様なら、どんな加護だってご自分の為にお使いになれそうですのに!」
「ちょっと、モア~。どういう意味?」
「そのままの意味です。さあ、出来ましたよ。お嬢様、本日は王都の古本市場に行くのでしょう?」
モアに促され、鏡で自分の姿を確認すれば・・・商人の娘にも見えなくはない、ちょっと良いとこのお嬢さん風の装いに仕上がっていた。
「うん。いいわね。貴族だからって簡単に市場に行けないなんて不便よね。」
「お店の店主の立場で考えてください。貴族のお嬢様に古びた本を売り付けるなんて、心臓がいくつあっても足りませんでしょう?」
モアの説明は分かりやすい。
「確かに。」
貴族社会のこの国では、庶民である店主が貴族を目の前にして平静でいられるとは思えないもの。
しかも取り扱っているのが古本とは・・・店主なら死にたくなる恐怖を抱くことが想像できる。
庶民の服を着た護衛を二人連れて、私服のモアと一緒に市場へ向かった。
市場から離れた場所で馬車を降り、庶民に混じって人込みの中を歩いていく。
古本市場は年に2回、商店街の隅で催される本好きの為の市場だ。
モア曰く、庶民や下級貴族は新品の本を買うことは出来ないため、こうして古本市場でお目当ての本を安く手に入れているのだとか。
「本は高価ですから。」
そう呟いたモアはきっと、子爵令嬢時代にここで安く手に入れた本で勉強をしていたのだろうか。
小さな区画の至る所に古びた本が並べられている場所に辿り着き、私はちょっと暗くなった気持ちを振り払った。
「お目当ての本があると良いですね。」
モアが笑顔で言ってくれる言葉に、私は素直に頷く。
「私の欲しい本は古代語のものが多いからね。」
物心ついた時から本を読むことが好きだった。
その中でも魔術具に関する物や、魔草に関する物は古い文献の物が多い。
おのずと古代語も見慣れてしまい、今は大体の古代語なら読めるようになった。
「文字は読めても意味が分からないのが悔しいのよね~。」
文字が読めるのと意味を理解するというのは別物だと改めて思う。
現代語にはないニュアンスの言葉が多い古代語は、正確に意味を理解をするには少し難しいのだ。
「まるで小さな学者様ですね!」
モアが笑って言った言葉に、私は胸が高鳴った。
「うん。私、学者になりたいわ。魔術具の研究をして、分かりやすく現代語にして。世界中の人々の生活を今よりもっと便利にするの!」
「素晴らしいですわ。」
モアと話しながらもキョロキョロと露店に並んだ本を見ていく。
「ん?」
ふと本の山の中に埋もれた小さな物に手を伸ばす。
他の本より随分と小さく、薄っぺらいそれは、ペラペラと捲ると『本』だった。
何語だろうか?
見たこともない文字が縦に並び、時々『、』や『。』、『・』や『!』など変な記号が付いている。
古代語ではななさそうだが、外国語でもなさそうなその文字らしき羅列を見つめているうちに、なぜか読まなきゃいけない気持ちがウズウズと膨れ上がっていった。
「これ、買うわ。いくらかしら?」
「お嬢さん、それはただの落書きです。タダでいいですよ。」
流石本を生業にしている者だ、この文字が古代語でも外国語でもないことを理解しているようだ。
「そう?じゃあ、貰っていくわね。」
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『読解』の加護を得て、最初に確かめたかったのはこの本だった。
見れば見るほど不思議だ。
普通、本と言えば分厚い装飾がされた表紙があり、薄い羊皮紙を何枚にも重ねて綴じたものを、人が丁寧に書き写したものが『本』であると認識していたのだが・・・これは表紙は薄い紙。しかも羊皮紙とは違って薄くツルツルとしていて、なめらか。人が書いたとは思えない等間隔の文字列と少しも崩れない文字たち。インクも私の知っている物とは違うようだわ。
これは魔術具なのではないか?
そんな予感すら感じさせる不思議な本を再度見つめて見れば、表紙に書かれていた文字が読める。
『白薔薇の皇太子に溺愛されて、夢のような王城ライフを満喫します。』
・・・。
はあ?!
なんだそのタイトルは?
物語にしてもおかしい。
タイトルってのは短く簡潔に意味が解かるものが・・・ああ。そうか。
これはこの世界の本ではないのね。
『作者 マスカットCAT』
変わった名前ね。
世界が違えば、耳慣れない名前もあるわよね。
それにしても『ラノベ小説』って何かしら?
本の右端上の方に書かれた文字に疑問符が並ぶ。
まあ、いいわ。
外身より中身よ。
文字が読めるようになって分かった。
文章が縦書きに形成されているためいつもと逆に開いていくスタイルなのだ。
しかも途中途中に挿絵があり、繊細かつ大胆なタッチの絵にドキドキしてしまう。
なに?破廉恥じゃないかしら?
なんだかいけない物を見ている気分だわ。
この世界にもいるだろう殿方が上半身はだけたシャツ姿で、ドレス姿の令嬢を抱き抱え口づけをしている絵に、堪らず本を投げ出してしまった。
「リリー?うわ!!」
「きゃあ!セイドリック兄様!?」
投げた本がセイドリックの顔の脇をギリギリ掠めて飛んでいく。
「ごめんなさい!私ったら!」
「いや、僕は大丈夫だけど。リリー顔が赤いけど熱?」
兄の手が私のおでこを捕えようとする瞬間、先ほどの絵が脳裏を過ぎり思わず兄の手を避けてしまう。
「な・ななな・・・なんでもありませんわ!それより、お兄様はどうされましたの?」
セイドリックを直視できない私は思わずダッシュで床に落ちた本を取りに走る。
本を手に取り、振り返った私の目に飛び込んできたのは、興味で目が爛々と輝く兄の姿だった。
「リリー?何か面白い事を隠していない?」
「ま!ま・・・まだ駄目です!」
「まだってことは、そのうち教えてくれるんだ?」
兄の目と口がニタリと弧を描く。
悪魔か!
「そ・・・そのうち、兄様にはちゃんとお教えします・・・きっと・・・。」
「じゃあ、明日教えて!」
「あ、明日!?」
顔の熱さが一気に冷めていく感覚を、この時初めて私は体感した。