◇10
パレイスティ王国、王城のある王都から南に2時間ほど馬車を走らせた場所に、その街はある。
水の都ハインヒルド。
街の四方を河川で囲まれたこの町は、王国の貿易の要を担っている。
4つの川が向かう先が、4か所の主要国であるからだ。
南東に流れるシルヴィス川は正教徒が憧れるノノルア神殿がるギルシャーク帝国に続く。
東北に流れるハイエル川は芸術に特化した都で有名なオスロン国に続く。
北西に流れるユニクィーズ川は流行の発信地とも言われる果実園があるミラ王国に続く。
南西に流れるナムル川は世界の食糧庫とも言われるガーネシア共和国に続く。
そして、そんな四方を川に囲まれた正方形に近いパレイスティ王国の水の都’’ハインヒルド’’は世界屈指の魔術具が生まれる街!
私が憧れないわけがない街なのだ。
兄に連れられて歩く道すがら、すれ違う魔術具たちにメロメロだ。
「お兄様!見てください!自動で水を汲んで運ぶ魔術具ですわ。あちらには荷物を包む魔術具が!ああ!こっちには道を掃除する魔術具!ここは夢の国なのかしら?」
興奮する私の手を、セイドリック兄様は笑顔で引いて歩く。
こうして手を繫いであるくのは、何年振りでしょうか?
「これは誕生日プレゼントですか?」
「いや?ただの調査だよ。」
いつも通り面白がるも、私のペースに乗ってこない兄に少しだけ萎えた。
兄に連れてこられたのは大きな船が行きかう港だった。
川だと分かっていても、大きいため、あちら側が見えない。
そこを行き交う貿易船も、一つ一つが大きく、ずっしりとしていた。
「これで浮かぶのですから、不思議ですわね。」
「リリーは船の仕組みも知り尽くしているんじゃないのか?」
「知識はありますが、実際に見るのとでは大違いですもの。」
ハキハキ答える私に、兄は「なるほど」と言うと、目的地に向かって歩を進める。
そして、一際大きい船の前で立ち止まった。
船には『キャプテン・ゴーイーグル』と書かれている。
半分は水に沈んでいるように見えるが、王城の離宮くらいの大きさの船を見上げ、私は感嘆の溜息が漏れた。
「素敵」
帆船のそれは、勇ましくも繊細な曲線美が魅力の船だった。
畳まれた帆は見るからに大きく、広げたら王城の屋根くらいの大きさがあるのではないだろうか。
船のあちこちには小さな傷がいくつもついており、長い年月、旅を続けてきたことがうかがえた。
「確かに、ユーステス殿下の変なポーズよりはカッコイイな。」
「お兄様もみたことがあるのですか?あの変なポーズ。」
「ああ、王城で一度だけちらっとね。」
そう言った兄の顔が苦虫を噛んだように歪んだ。
(やはりあれは格好良くはないのですわ。私の感性は間違えてなかった。)
思わぬ安堵感を得た所で、兄が一人の男性に声を掛けるのが分かり、そちらに近づく。
「やあ、ハリー。こっちがこの前言っていた私の妹、リリーシュアだよ。」
「ハリー・コットンです。この船の船長しております。」
「リリーシュア・パレイスティです。」
私がニコリと笑って礼を取れば、ハリーが困惑したように兄を見た。
「ラカーシュ殿下とセイドリック様の仰ってたお嬢様ってのは、この方ですかい?」
「ああ、そうだ。」
何の話だろうか。
どうやら、ハリーが第二王子と兄の知り合いだと言うことは分かったけれど、それ以外が読めないわ。
「こんな小さなお嬢さんとは思っていなかったが、約束は約束だ。何でも聞いてください。」
ハリーに案内され、船内の食堂のような場所に通される。
(船内の様子が見られるのは貴重な体験だわ。)
キョロキョロと興味津々に歩く私を、兄は楽し気に見ていた。
「リリー、ハリーはここを拠点に各国を行き来していて、ガーネシア共和国にも何度も出入りしている貿易商なんだ。リリーの疑問を解決してくれるかもしれないと思ってね、先日、王城に商売に来た所をラカーシュ殿下と捕まえて交渉した。」
その時の様子を想像し、ハリーに同情する。
王妃殿下への貢ぎ物か何かで登場した帰りに、無表情の第二王子と無駄に笑顔のセイドリック兄様に呼び止められた時のハリーの気持ちにはご愁傷様だ。
それでも直接ガーネシア共和国とパレイスティ王国を見ている彼なら、何か分かるかもしれないのは事実だったので、ここは素直に感謝しておこう。
「第二王子殿下からも聞かれたかもしれないのですが、ハリーの目から見て気付いたことでいいのです。ガーネシア共和国とパレイスティ王国の違いって何か思いつきますか?」
私の質問に、彼はしばらく考えた後、
「そりゃあ、国が違いますからね。色々違っていますよ。」
そう言って頭を掻いた。
「そうですよね。では、質問の仕方を変えましょう。ガーネシア共和国で売れている物とパレイスティ王国で売れている物の違いで、何か気になるもことってありませんか?」
質問内容が広すぎましたわね。
国と国の違いでは広すぎる為、取り扱い商品に限定した質問にしてみたのだが、これが、思わぬ答えを導き出した。
「ガーネシア共和国では魔術具が売れますね。パレイスティ王国では、小麦が一番売れます。」
船から運び出されていた多くの木箱には『小麦』の文字があったことを思い出す。
「それ以外で、そうね…ある時だけ突発的に売れた物って何かないかしら?」
私は気になっていた。
魔風病の後遺症がシューリッツ王子の病症であるならば、過去数年以内に何かヒントがあったのではないか。
「3年前、ガーネシア共和国で、鳥避けの魔術具がやたら売れたんですけどね?3ヶ月くらいでパタっと売れなくなったことがありましたね。それと…パレイスティ王国では、最近、宝石のフェイク品が良く売れてますよ。」
鳥避け…?
もしかして。
「ハリー!お手柄かもしれないわ!ありがとう!」
「へ?いや、ああ…はい。」
なぜお礼を言われたか分からないハリーがキョトンとした表情を見せたが、それに構うことなく、私は兄に声をかけた。
兄は頷くとハリーに頭を下げた。
「ハリー、私からも礼を言うよ。時間を貰って、悪かったね。今度、妹に似合う宝石を見繕ってくれるかい?」
「了解です。色々希少な物もご用意しときましょう。」
船から降りた私たちは急いで馬車が停めてある広場へと、舞い戻った。
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邸に戻る途中、兄が使いを出したのは知っていたが、思っていたより早く第二王子がハロイエッド侯爵邸に来てくれた。
2人が数日前に王城でハリーを捕まえて聞いた時には得られなかったヒントが、どうしても気になったのだとか。
「魔雁?」
「はい。魔獣の一種である、魔雁は繁殖期になると決まった水辺に移動する、渡り鳥の一種です。そして、通常の鳥より寿命の長い魔雁の繁殖期は、約100年に1度。ガーネシア共和国のユフラン湖付近は、魔雁の繁殖場所ではないかと。」
お茶を飲みながら、私の推察を述べれば、第二王子が大きく頷いた。
「ユフラン湖に魔雁の群れが定期的に現れるのは確かだ。…しかし、魔雁と魔風病にどんな関係が?」
鳥のような姿形をしているとはいえ、魔獣だ。人間が好き好んで近づくとは思えない。
また、繁殖期で警戒心が強くなった魔雁が人間に近づくこともないだろう。
しかし、魔雁の魔力に触れてしまう場面がある。
「ユフラン湖の周りは田んぼが広がっていますよね?しかも、魔雁が現れる時期は夏から秋にかけて。収穫前の稲の上を魔雁の群が飛ぶのです。」
「米か。」
世界の食糧庫と呼ばれるガーネシア共和国では、ありとあらゆる作物が作られている。
パレイスティ王国では米をあまり食べないので、国内で収穫された分で十分賄えるが、小麦は輸入に頼らざるを得ないのだ。
「魔風病の発生原因は分かったけれど、なぜ''光の加護持ち''は後遺症が現れるんだ?」
兄が首を傾げ、私を見る。
「お兄様、加護の力って一旦自分の中に取り込まれて発動する感覚がありませんか?私の''読解''は文字や言葉が私の身体を巡って理解する感覚なのですが。」
私の言葉に、兄は大きく頷いた。
「ああ、確かに''移動''を行う前は周囲の空気や時間が身体の中に入ってくる感覚があるな。もしかして、ラカーシュ殿下の''無力化''も?」
兄の好奇心に当てられたラカーシュは
「私も様々な圧力や摩擦のようなものを身体中に感じ発動している。」
(やはり、そうなのね。)
「光の加護持ちの方は、きっと病気や怪我による痛みや違和感を一旦身体の中に取り込んでいる可能性があります。」
「つまり、シューリッツ王子は魔風病患者の治療を行い、その患者の『魔』を取り込んだと?」
流石は第二王子、話が早い。
「加護がどういう仕組みかは分かりませんが、魔風病の『魔』を口から取り込んだ場合と、加護により身体の表面から取り込んだ場合では、その後の経過が違うのだと推察します。」
私の話を聞いていた第二王子と兄が目を大きく見開いたまま、動きを止めた。
「シューリッツ王子の治療はどうしたら良いんだ?」