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蝉さえなくのに

作者: 天衣神宮

さて、これで三回目のおはようとなる。

僕は妹に三回目のおはようをした。7時ちょうど。

夏休みだというのに明らかに起きるのが早すぎないか?この妹は。

まぁ、それは僕にも当てはまる。


三回目のおはようを華麗にスルーしながら、妹はテレビのチャンネルを変える。

足で。テトリスをしながら。なんと行儀の悪い。

いつもの朝だ。何のことはない、いつもの朝。

ただ懸念事項が一つ、今日は8月31日で僕は宿題が終わっていない。

しかし、何も焦る必要はない。


先ほど僕は、おはようの挨拶が三回目のような言い方をした。

しかし、そうではないのだ。

”三回目”は行間の”今日”に掛かっている。今日が、三回目なのだ。

そう、僕はループしている。一回目の8月31日、それは、今日三回目の8月31日と僕が観測している以上は一切の変化なく、そして誰一人ループに気づいていない。

僕だけの8月31日×3なのだ。


だから僕は今日も今日とて宿題をやらない。やる必要がない。

今日は明日も来るし、その明日も今日になるからだ。


いやはや全くなんて優雅な朝なのだろう。

8月31日天気は晴れ。気温は過ごしやすく、実に惰眠を謳歌するのにちょうどいい。

とは言え、とは言え。このループの原因を解明しない限り終わりがない。

果てのないループに溺れることになる。

…まぁ、今日くらいはいいか。


寝すぎてしまった。寝過ごしてしまった。

日は傾き、夜が目の前に迫っている。

明日も今日とは言え、しかし一日寝過ごすのはもったいなさがある。

明日は、明日はちゃんとしよう。


22回のループが過ぎた。

あぁ、まったく。辟易する。自分の意志の弱さに、辟易する。

この合計22回のループで、僕の合計睡眠時間はおそらく300時間を超す。

明日は明日はと22回言ってきて、ただの一度も明日は来ない。

今日ですらやる気にならない。

辟易する。


昨日の今日は寝た。

24回目の8月31日、僕は行動に出る。行動を起こす。


朝7時、24回目のおはようを華麗にスルーされた後、朝ごはんのバタートーストを牛乳と一緒に食らい、8時ちょうどに僕は家を出た。

とにもかくにも、原因を突き止めなければいけない。

何に起因する現象なのか、突き止めなければいけない。

僕は、この街を調べることにした。端から端まで。


僕の住む「蝦巣町」は、言うなれば陸の孤島に当たる。

北部は山に囲まれ、南部は海に面している。

町の外に行くには、たった一つのトンネルを通らなければいけない。

高校はなく、たいていの人は中学卒業後すぐに働くか、隣町までバスで往復二時間かけて高校に通うしかない。

コンビニ一つなく”町”と呼ぶのがぎりぎりなほどである。

そんな町で僕は、僕らは育った。


違いを探しながら歩いているうちに彼女と出会った。

ショートの彼女。首にタオルをかけた、スポーツウェアの彼女。暑苦しく全身を包むスポーツウェア。汗だくの彼女が向かってくる。

(レイ)。僕らの”ら”に当たる。同級生にして幼馴染。

最近の彼女は部活で忙しく話すことも少なくなったが、彼女は立派な友人である。

この”立派”は”彼女”に掛かっている。

バスケ部では常にレギュラーに食い込み、成績も優秀。まごうことなき”立派”である。

僕も友人として、鼻が高いくらいだ。


「朝からジョギング?」


きれいなフォームでこちらへ向かってくる彼女に話しかける。


「うん、日課だからね」


「精が出るね」


彼女は僕の隣につくと進行方向を僕と合わせて歩き出した。


「そっちこそ、こんな時間に散歩?」


「うん、暇つぶし」


「珍しいね」


彼女は思った通りとばかりにニコッと笑う。頬を伝う汗がきらめく。

首にかけたタオルで頬を拭う様は、まるで芸術作品のようだった。


「課題終わった?」


突然の問いかけに僕は自信満々に、威風堂々と、はっきりとした声で言った。


「いや、1ミリも」


あまりに格好つけて言うものだからか、はたまたその愚かさにか、両方か。

彼女は僕の言葉を聞いて笑った。大きく笑った。


「だとおもった」


はーはーと息を切らしながら、目尻に涙を浮かべながら、笑いながら、彼女は言った。

ひとしきりの雑談を終えた後、僕は彼女と”約束”をした。

蝦巣町において”約束”は絶対である。これは僕らの常識であり固定観念だが、事実だ。”約束”という言葉を口にしたならそれは”(イコール)”で絶対なのだ。それがこの村の信仰の現状だ。

破られてはいけないし破られたこともない。”約束”は”守られる”のだ。

だから、口に出して”約束”とは言わない。

でも、互いの心で約束する。絶対ではない軽度の約束。


「なぁ、黎」


ほにゅ?とした顔でこちらを見る彼女。


「明日、一緒に遊ぼうぜ。部活も休みだろ?」


彼女は、ほんの一瞬。僅かに、微かに、それでも確かにその表情は一瞬曇り、固まる。


『僕はそれを見逃した。気づかなかった。

確かな隙と間をおいて、彼女はなんともないようないつもの笑顔で答えた。』


「そうだね、久しぶりに遊ぼうか。一緒に」


僕はにっこりとする。


「私、こっち」


「僕はこっちに行くよ」


「じゃあ、ね」


Y字路でぼくたちは分かれた。


『じゃあね、は別れの挨拶であることを、この時僕はすっかり忘れていた。

いや、正しく言うならこの時は”またね”であるほうが正しいことを忘れていた。

じゃあねでいいと勝手に納得していた。

結果的にそちらのほうが正しいことを僕は、また、まだ、知っていなかった。』


彼女と別れたあと、それから小1時間ほど歩いたが、異質、異様、異常、異端、異例、その一切を見つけることができなかった。


僕は、普段運動など一切しない、どちらかといえばインドア派だ。

だから、一時間以上歩くなんて行為をしたら疲れるに決まっている。加えて、ただ漫然と歩くだけでなく、この町に異常がないか探索しながら歩いていたのだ。

これらの理由により、帰るころにはもうくたくたになっていた。


10時の鐘が鳴る。

僕は闇雲に町を練り歩くのではなく、少し頭を使ってみる事にした。

事にはしたが、僕には体力もやる気もほとんど残っていなかった。

2時間。僕は布団の上で寝転がり、窓を開け、扇風機の風を頭からつま先へ、つま先から頭へと浴びながら、スマホゲームをしていた。

ちょうど、僕の育てていた帰宅部がオリンピックで金メダルを取ったころ、下から母の呼ぶ声がした。


「ごはん!!!!!!!!!!」


大きな声で、威勢よく、元気よく、昼食の呼び出しが家中に鳴り響く。


僕は母とそこそこに会話をしながら今後の計画を頭の中で立てる。


今日探索したのは家の周辺、町全体で言うなら蝦巣町南西部だ。

今夜23時あたりに家を出て北西部、蝦巣中学付近を捜索してみる。

明日の今日は朝に南東部、夜に北東部。

それが終わったら昼夜を逆転させてまた探す。

それでも見つからないようならお手上げだ。何もできることはない。

でも、僕が思うにきっとある。ループなんてものはそうそう起きていいものではない。

きっとなにか、絶対的な違和感があるはずなのだ。


23時のアラームが鳴る。


「ちょっと出てくる」


と言って、僕は家を出た。

うろうろしながら、何となく中学校の方向へ向かう。

夜は少しテンションが上がる。

美しい夜に、中学校を見た。着いた。

そういえば、夜に中学校に来るのは初めてだ。

見ているうちに屋上の人影に気づく。


身長163cm。首元で揺れるショートヘア。

黎だ。

進入禁止のはずの屋上で、彼女は揺れていた。

揺れて、揺れて、揺れ落ちた。

不安定な足場から揺れ落ちた。

不安定な足場は崩れ落ちた。

進入禁止のため小さい柵しかない屋上は、簡単に(フチ)に立つことが出来る、(エン)を断つことが出来る。命と共に。

しかし、本来溢れ出る鮮血を僕は確認できない。

と言うか、黎の死体さえ確認できない。

でも、はっきりと闇に吞まれたその顔を、その眼を、はっきりと目視していた。


僕はこの時確信した。

ループは今起こった。彼女の飛び降り自殺が、ループの鍵であり原因なのだ。

僕はこの衝撃を湛えながら帰路に着いた。

正直それを見てからあまり記憶が無いが、僕は帰ってすぐに寝てしまったのだろう。

次に見たのは見慣れた天井と11時を指す時計だった。


昼まで寝て、僕は昨日の今日見たことを思い出す。

黎が、飛び降り自殺した。

原因はわからない。事故なのか、故意なのか、故意だとして何が原因なのか。

いくら考えてもわからない。わからないけど、わかる。今日もまた黎はあそこから飛び降りる。自殺する。そしてまた今日が来る。

僕のすべきことは決まった。

あの異質を、完全な違和を修正すること。

黎の自殺を止めることだ。


しかし、僕の知りうる中で自殺を止めることが出来る方法は”飛び降りる前に手を引く”くらいだ。

だから、僕はそうする。そうする他ない。


25回目。とにかく寝た。早く夜が来るようにと。

寝て起きて寝て。ご飯を食べてまた寝る。

4度寝の後、とうとうアラームが鳴った。22時。


「ちょっと出てくる」


僕はまた家を出た。

なるべく急いで中学校へ向かう。

23時丁度辺り、既に黎はあの縁に立っていた。

急いで階段を駆け上がり、屋上のドアを開ける。


「危ないぞ、そんなとこ立って」


少しずつ歩み寄る。


「落ちたらどうすんだ」


手を、掴んだ。


「こっち、こいよ」


「…うん」


黎の表情は暗かった。


少し雑談をした。

中学校の教室で思い出に耽りながら、あの時はどうだった、あいつがアホなことをした、あの子は今こんなことをしている。そんな、なんてことのない談。

黎は何も言わなかったけど、少し、ほんの少しだけ表情は明るくなった。


どれくらい時間が経ったか、教室の時計は23時58分を指していた。

もう大丈夫だ。ここは2階、飛び降りで死ねるような高さじゃない。

このまま2人で帰れば何事もなかったかのように朝が来る。9月1日の朝が。


そう、高を括っていた。


「私…ちょっとトイレ」


おもむろに、声を発する。


「あ、うん」


教室を出るその背中に返事をした。

23時59分、秒針は6の数字に重なった。

ふと、違和感が僕を襲った。

蝦巣中学校のトイレは階段のすぐ横にある。

東に男子トイレ、西に女子トイレ。

屋上へは東の階段からしか行けない。


黎が向かったのは、東だ。


秒針は既に1の数字を超えている。

0時、9月1日の0時のはずだ。

それでも拭えない違和感。

何かが、何かがおかしい。


窓の外を見る。

黎の眼。


僕は恐る恐る窓を開け、確認する。

しかし、当然のように確認できない

そこにあるはずの、そこにあって然るべき黎の死体が。

僕には、25回目の8月31日には、確認できなかった。


急いで隣の教室へ向かう。

たった一つの疑惑、そして失敗を確認するために。


「やっぱり…違う…」


僕達がさっきまでいたのは2年2組の教室。

その教室に掛けられた時計は今現在0時1分を指している。

しかし、隣りの教室に掛けられた時計は0時ちょうどを指していた。

2年3組は0時12分、2年4組は0時5分。

すべての教室の時計が違う時間を指していた。

時計が、ずれていた。


そしてここからが沼だった。

何度も、何度も何度も何度も、間違いないように、明日を願って、一所懸命に、ただひたすらに彼女を救おうと何度も、何度でも手を伸ばした。

でもダメだった。何をしようとどこであろうと、彼女は必ず飛び降りる。

高さは関係ない、致死性も関係ない。実際彼女が死んだことは一度もない。

死ぬより先に今日がまた来てしまう。

そういう運命にある。きっと運命〈サダメ〉なのだろう。


153回ループした。154回目の今日が来た。

ついに、手を取ることさえできなくなっていた。


とぼとぼと家に帰る。何もできなかった、そんな絶望に打ちひしがれながら。

枕を濡らす。昨日も濡らしたはずの枕、乾いた枕。


11時、目覚める。何をしようか、何ができるか、もうわからなくなっていた。

ソファに寝転がる。ソファの端に座っていた妹を少し頭で押し出す。

不快な顔をすることもなく平然とテトリスを続けた。


「なぁ」


こっちを向くこともなく、口を開くこともなく、ん?とただ答える。


「運命って、なんだろうな」


憔悴していた。疲れ果てていた。だから、だからなんだろう。

突拍子もない質問に、この妹は、中学1年生の妹はほんの一瞬眼球をこっちに向ける。

眼球を一回転させ、0.5秒ほど考えた妹はゲームのポーズボタンを押す。


「運命は、文字通り命を運ぶその道筋に過ぎない。と私は思う」


そう述べる妹であった。

僕はその時納得のいかないような疑問を抱くような、そんな表情をしていたのだろう。


「神は賽を振る、これは量子論の世界で証明されている」


解説を始める妹の手には既にカシャカシャと音を立てるゲーム機があった。

既にこちらを向いていなかった。


「初めと終わり、行く先は神に決める権利があるかもしれないが、その道筋、つまり運命は神にさえ関与することのできない領域にある。私はそう思う」


突拍子もない疑問に、もっと突拍子もない回答が返ってきた。

僕は中1の口から出た言葉を飲み込めずにいた。


「例えばだ、ネットで物を買うだろ?それをどこから買うか、そして、どこに届けるかは購入者が決めることだ。でも、それを運ぶ道のりは配達員が決めることであり、購入者に干渉の権利はない」


ますます勢いを増す妹の解説に戸惑いつつ、しかし受け入れつつ。

ただ黙って聞いていた。


「この場合の購入者とは神で、配達員は人間だ」


そして、決め台詞のように言葉を吐いた。


「運命はきっと神の領分だろう、しかし、その神さえ賽を振る。1から10まで全てを決めることは神にさえ出来ない。神はあくまで1と10を定めたに過ぎない、2から9、ここが運命だと私は思う、命を運ぶ流れなのだから。時々運命に定めなどとルビを振るのを見かけるが阿呆かと言おう。1から10まで決めることなど不可能だ。」


ニコッと笑いながら、こちらを向く妹。

あぁ、こいつはこういうやつだ。自分が一番で、自分こそが正しい、IQ130の中1。末恐ろしい、ただそれしか今の僕には出てこなかった。


「フッ、なんだそれ」


僕も笑い返すと満足したのか、またテトリスを始める妹なのであった。


しかし、案外正しいのかもしれない。

黎が飛び降りる。この事象はこのループの間で必ず観測される事象だった。

その間の事柄は僕が干渉することによっていくらでも変化しうる。

ただ、飛び降りると言う事だけが、つまり10だけが絶対に変わらない事象なのだ。


しかし、そこが変わらなければ何の意味もない。

どれだけ間が変化しようと、結果飛び降りてしまうのであれば何の意味もない。


僕は考えた。ソファに寝転がったまま、はみ出た足をプラプラとさせながら。

僕は考えた。

幾ばくか考えた後脳内会議を終えた僕は、結論を出した。

それは、自分でも笑えるくらい単純な発想だった。


自殺は変わらない。これは確実に故意であることの証明だ。

手を取り、教室に連れ戻っても飛び降りに向かう時点でそれは明確だった。

ならば、確実に何か原因があるはずだ。自殺と言う最終手段に出ざるを得ないほどの何か。

それを、見つける。突き止める。

むやみやたらに止めたところで止まるわけがない。それは定めでもあり黎の意志でもある。

ならば原因を調査し理解する事。そうして何か、きっと何か一歩が踏み出せるはず。

僕は、そう結論付け、決心した。


154回ループした。155回目の今日が来た。


久しぶりに、僕は彼女の家の呼び鈴を鳴らした。

どたどたと足音が鳴る。階段を下りて、廊下を歩く音。

ガチャリとドアが開いていかにも活発そうな女の子が顔を出す。


(アキ)!久しぶりじゃん!」


黎が僕の名前を呼んだ。たった33時間ぶりの彼女の声に少しこみ上げる。


「どうしたの?」


「あ、あぁごめん」


僕は咄嗟に謝った。


「いや、宿題を見せてほしくてさ…」


へへへ、と気持ち悪く笑った僕の顔を、黎はあきれ顔で見る。

うなだれる黎。尚もへへへと笑う僕。


「まーそんなことだろうと思ったよ…」


昔はよく遊んだこの家に上がるのも、3年以上ぶりだ。


「おじゃましまーす」


しんと悲しげに響く。

黎には母親がいない、と言うかいなくなった。

高校入学あたりで突然いなくなってしまったらしい。

元々黎は高校に行かず、中学卒業と同時に働くつもりだったらしい。

しかし母の勧めで高校を受けることにしたのだという。


黎と母は”約束”していた。必ず入学し、卒業するように”約束”をしていた。


「お父さんは、仕事?」


黎は少し苦い顔をした。


「うん、仕事」


何事もないように答える、しかしその声にはほんの少しの曇りがあった。

階段を上がり黎の部屋に入る。


「見せるのはいいんだけど今日中に終わるの?」


黎はカバンを漁りながら小言を放つ。

女子の部屋。高校に入って、いや、高校に入る前から女子と関わりの薄かった僕にはとても新鮮で、ドギマギしてしまうほどに刺激的だった。


「いや、ちょっと無理...かなぁ...」


暗に頼み込むようにそう言った。


「私も手伝うからさ、ほい」


プリントの束を机の上にドサッと置く。


「さっさとやって遊ぼ!」


僕らは宿題を始めた。




4時間がたった。


「「ぶっはぁーーー終わったーー」」


2人して空気が抜けたように倒れ込む。


「早めにやらないからこうなるんだよ?全く」


呆れたようでも、少し嬉しそうに黎は言った。


「来年はきっと多分もしかしたらちゃんとやるから」


僕も笑いながら返した。


「それ絶対っ」


飛び起きた


「やらないやつじゃん」


倒れたままの僕に微笑みかける。


「さっ、アイス食べよ!」


僕に手を差し伸べる黎は、窓からさす光が、逆光がまるで後光がさしたようで、やはりとても綺麗だった。


二人軒下でアイスを食べる。

バニラの棒アイス。

許されるなら、この甘さに溺れたい。

悠久の今日をこのまま黎と過ごしたい。

でも、僕がどれだけ願ってもきっと黎は今日も飛び降りる。

何もしないなら何も起こらない。それは世の常で理だ。

だから、黎を探らなくてはならない。


「お前さ、最近悩みとかねぇの?」


火の玉ストレート。

僕はカウンセラーのように器用じゃないし、人の心を読めたりもしない。

こうやって聞くしか今の僕には思いつかない。


僕の言葉を聞いた黎は一瞬驚いて、それから笑った。

ハハハと声をあげて笑う黎を横目に、僕はふてくされたような表情をする。


「一応これで心配してるんだぞ」


黎は一層声をあげて笑った。


「なに?心配してんの?」


黎は黎の母親がいなくなったときさえいつもと変わらない表情でいた。


「そりゃ、いろいろあったし」


僕がこっぱずかしそうに返すと、黎は人憂うような優しげな目でこちらを見る。


「大丈夫、私は大丈夫だよ」


今度は見逃さなかった、気づいた。

大丈夫と言った黎の目は少し悲しみを含んでいた。

どこか諦めじみた悲しみを含んでいた。


察した。きっとこれ以上黎を探ろうとしても、黎の口からは何も聞けない。

僕がどうこうしようときっとここからは何も見つけられない。

家には、なにもなかった。仏壇があるくらいで、それ以外は普通の一軒家。


そう見えた。僕にはそう思えた。


写した宿題をカバンに入れ家へ帰る。その間も自殺の要因を考え続けた。

いじめだろうか、それともやはり母の喪失は大きいのだろうか。必死に考え続ける。なにもしないなら必ず死ぬ、彼女のために。必死に。


家に帰ってすぐに、友人へ連絡をとった。

プリントでいっぱいのカバンを置いて、顔と肩でスマホを挟みながら手を洗う。


「もしもし?突然で悪いんだけどさ、今会えるか?」


電話相手は男子バスケ部に所属する、数少ない高校での友人。


「あー暇してるけど、また随分と唐突だな。どうしたよ」


「いや聞きたいことがある。出来れば会って」


電話越しでもわかる頭のはてな。それでもやっぱり会って話したい。

人との会話で大事なのは表情だ。必ず何か隠せば変化が出る。

疑っているわけじゃない、いや、やはり少し疑っている。

きっと、電話越しでもこいつは嘘をつかない。そういうやつじゃない。

そう信じるに値するだけの関係はある。でも、やはり安心したい。確実が欲しい。

隠しようの無い対面の会話。確信できる、対面とは”そういうための”だ。


「まぁ…どうしてもって言うならいいけど…」


僕の意思を汲み取ってか、単純な優しさか。

了承を得た。


「俺がそっち行くか?」


「いや僕が行くよ」


「わかった、じゃー待ってるから、近くき来たら教えろよー」


「ういー」


通話終了。幸いバスの時間は近かった。

定期券を持って僕はまた家を出た。


バスに乗って40分。郵便局前というアナウンスが流れ、僕は停車ボタンを押した。

LINEでもうすぐ着くことを伝え、郵便局前の停留所で降りた。

そこから徒歩5分、チャイムを鳴らそうとした瞬間にガチャリと思い切りドアが開いた。


「いらっしゃい」


そこには満面の笑みを浮かべる翔人(ショウト)がいた。


「いやーお前が急に来るっていうからさ、いっそいでお菓子ひっぱり出してきたわ」


「気にしなくてよかったのに」


「いや、お菓子は大事だろ」


何を言っているんだこいつ、みたいな顔でこっちを見てくる。

やめろその顔、無性に腹が立つ。


「そう、か」


その顔に圧倒されてか微妙な反応しかできなかった。


またも人の家の階段を上り人の部屋に入る。

しかし、今度の部屋は野郎の部屋だった。

漂う男の匂い、黒だの青だので染められた部屋。

もはや自分の家のリビングよりも安心できるくらいには野郎の部屋だった。


「それで、話って?」


座卓に菓子を広げ、コーラを一口飲んだ翔人。


「あぁ、単刀直入に聞くけど」


僕のただならぬ雰囲気を感じ取ったのだろうか、まさにといった感じで翔人は息をのんだ。


「バスケ部でいじめって起きてないのか?」


突拍子もない問いに場の空気は完全に静止する。静謐であった。

その空気を壊したのは、翔人のげっぷだった。


「わり」


げっぷしたことに一つ謝罪を入れると翔人は続けていった。


「少なくとも、俺はそんな話は聞いてないし現場を見たこともない」


曇りなく、隠すことなく。目が表情が物語っていた。しかし僕は念を押す。

確信のために、確実に信じるために。


「女子バスケも含むぞ。本当に、欠片もないのか?」


翔人の目を真っすぐに見つめ、尚力強く問い詰める。


「うん、誓って言える」


僕が見つめるように翔人も見つめる。


「そっか」


一気に力が抜けた。

僕の様子を見て安心したのか、翔人もまた力を抜いた。


「いやゴメン。疑って悪かった。すこし、気になることがあってさ」


「いんだけどさ、どうしたの急に」


これまでの全てを話したかった。全て言ってしまいたかった。


「黎のこと、なんだけどさ」


それでも、何も言わなかった。言ってしまったらきっとダメになる。

全部出してしまったら、もう僕は立ち上がれない。

この十字架は一人で背負わなければ、そうでなければ足の力が抜けてしまう。


「最近ちょっと、なんか、変なんだよ」


「練習も普通にやってるみたいだし、休憩の時にも皆楽しそうに話してるぞ」


けろっと、平然と翔人は語った。


「てか、好きなの?」


突然、あまりに突然に言うものだから面を食らってしまった。


「あ、いや、いいや、もうわかったから」


にやにやしながらこちらを見続ける翔人。

とりあえず、肩パンを食らわせた。


「そなんわけないだろ!!」


噛んだ。これは急に意味の不明なことを言われたから噛んだのである。

それ以外の事は何もない。ただ意味が不明なだけだ。何を言っているのだろう。本当に。


「大体、あいつとは小中高ずっと一緒なんだぞ!いまさらそんな目で見れるかよ!」


もはやにやにやではなく爆笑にまでなっていた。

もう一度肩パンを食らわせてからわざとらしくおほんと咳払いをする。


「えーとにかく、あいつが何か変なので、普段の様子が気になったから聞きに来たんです!決してそれ以外の意図はない。わかったな、他意はない。」


ひーひーと息を切らせながらわかったわかったと言う翔人。


「はーおもしろ」


頭を行ってやろうか。


「でもなぁ、特別何かあったとかでもないだろうし、本当に普通なんだよなぁ」


頭をひねらせ思い出そうとする翔人。

うちのバスケ部は男女ともに部活内の仲が良い。全く関係のない僕でも聞いたことがあるくらい有名な話だ。変な話ではあるが、あまり期待はしていなかった。

仕方ない。もういいと声を掛けようとすると、翔人はハッっと顔を上げた。


「そういえば!一つ、話を聞いたことがある」


そういって翔人はぐいと顔を近づけてきた。


「1年の時、部活動が本格的に始まって少し経ったぐらいの時に聞いたことなんだけどさ。黎ってどんなに汗をかいてても、どんなに暑くてもインナーを脱がないんだ。着替えの時も皆が終わってから着替えるらしいぞ」


言い終わって元の位置に戻る。


「まぁ、体見られたくない人は男女ともにいるしそれ聞いた時は別になんとも思わなかったけどな。」


そう付け足してまたコーラを一口。


「今思い出せるのはこれくらいかな」


「そっか...」


思えば今日いった時も大きめの長袖を着ていた。オーバーサイズ的なモノだと思っていた。

黎は夏でも長袖のままだ。何か、何か僕の知らない意図があるのだろうか。それともただ長袖が好きなのか。

今考えたところで分からない。ぱっと思いつくようなら苦労はない。


「ありがとう。少し、考えてみるよ」


「おう、じゃスマブラしようぜ」


今は、今だけは少しだけ考えるのをやめよう。

休憩も必要なことだから。少しだけ、少しだけ。


「うん、僕ジョーカー使うわ」


「ガッツリ強キャラじゃねぇか。じゃあ俺ホムラ使お」


「好みだろ」


「うん」


翔人は笑顔でそう言った。


日暮れごろまで遊んで僕は家に帰った。

いじめなし、本人も言う気はない。

積みだろうか。自殺に起因するもの、思いつかない。

幸せ故に自殺なんて考えたこともない。考えたこともないから思いつくバリエーションも少ない。人が死を選ぶ理由。何か、その理由。


23時、今日はもう寝る。

きっと今も彼女はあの縁に立っているはずだ。

想いを馳せ、無能感に浸って。苦しく眠った。

寂しい町に寂しい空に哀しく祈って。淋しい心に苦しく眠った。


156回目の朝。行き詰まり、何をするかも思いつかなかった。

パンを口に運ぶ、一口食いちぎって牛乳を飲む。

おもむろに、正しく徐にテレビに視線を移す。

朝のニュースがやっていた。もう100回以上聞いたはずのニュースに僕は見入った。

そこでやっていたのはどこかの町の知らない家族が虐待をしていたと言う話だった。

その話のオチは、12歳の息子が風呂場で手首を切って冷たい肉になっていた。というものだ。ちょうど家宅捜索の前日に逝ってしまったらしい。


衝撃だった。僕は幸せ者だった。

僕の人生はぬるま湯につかって堕落した生活を送っているに過ぎなかった。

それをありありと見せられた。

虐待は自殺の要因になりうる。

僕は勝手に思い込んでいた、虐待の果ては自然死だと。

しかし自死さえありうるのだ。自殺さえありうるのだ。


虐待の証拠はあの家にはない。それはもう見た。もし証拠があるとすれば肉体。

黎の肉体にしか、証拠は無い。


僕の思考は再び行き詰った。

幼馴染とはいえ既に高校生だ、その裸体を見るのは容易ではない。と言うか無理だ。

漫然と、考えるふりをした。


いつの間にか眠っていた。23時になっていた。

一階に降りて夕食の残りを食べる。

心ここにあらずの僕を見て母は話しかけてきた。

僕は、ほぼ停止した脳で受け答えをした。

自然と僕の口から黎の名前が零れ落ちる。

母は普通の反応だった。


「黎ちゃん!懐かしいわねー」


実に母親らしい口調で僕と黎との昔話を語った。


「昔はずっと一緒でね、結婚の”約束”までしてたのよ。もう覚えていないだろうけど」


”約束”その言葉が僕の頭の中に響き、こだまする。

結婚の約束。今は男女両方が18歳じゃないと結婚はできない。

黎は7月で16歳になった。昔で言うなら既に可能なのだ。

虐待、自殺、結婚、母、”約束”。

響き、混濁し、そして繋がった。


黎は既に求めていたのだ。

ささやかながら救済信号を発していた。

その格好に、その表情に、その言葉に。

それでも僕は、僕達は気づけなかった。


僕は急いで家を出る。全速力で学校へ向かう。

久しぶりの全力ダッシュに体が追いつかず何度も転んだ。

それでもたどり着いた。黎はまたあの縁に立っていた。

急いで階段を駆け上がる。

呼吸が苦しい。胸がずきずきする。それでも、休みなどせずただ駆け上がる。


ドアを開ける。それと同時に黎の体が45度に傾く。

音に気付きこちらを見る。無意識からか、黎は手を伸ばした。

僕はそれを掴み、一緒に落ちていく。抱え、手を握る。

柔らかく、そして暖かい。

生きている、生きているんだ。

黎の命は、僕に掛かっている。


「ごめん!気づけなくて、忘れていて」


抱きとめた黎に聞こえるよう、切れた息で精一杯の声で伝える。


「僕はまだ17歳だ、だからまだ出来ない。でも、それでも必ず約束は守る」


運命の流れは神が決める。

それでも、僕達の神は約束を最優先にする。

これは僕達と僕達の神との共同戦線だ。

運命に抗うんだ。必ず守られる約束のために。

必ず守られる約束故に。


「お母さんとの約束も守ろう、必ず高校を卒業しよう」


黎の母は僕達の神と約束していた。

必ず高校に入学できるよう、約束していた。

人の間ならば必要のない供物。

だが逆説、約束の相手が人でなければ必要となる。

黎の母はその身を捧げることとなった。

捧ぐ前に、黎と黎の母は約束をしていた。


「黎はずっと覚えていたんだよね、黎はずっと隠していたんだよね」


約束は互いに覚えていなければ効力を持たない。

どれだけ強い思いでも、忘れていればこの町でさえ約束は約束としての力を失う。

でも、黎は覚えていた。


黎は人に心配をかけることを最も嫌う。

それは昔1人で遊びに行き母に酷く心配をかけたからだそうだ。

だから、絶対にその肉体を見せなかった。だから、相談さえできなかった。


「黎、好きだ。結婚しよう。約束だ」


大粒の涙が上に零れる。暖かい手が熱くなった。


「うん」


黎は笑った。なんの裏もない、なんの含みもない。ただただ笑った。笑って応えた。


ゴシャ


背中に強い衝撃。骨は、何本かいっただろうか。

意識が遠のいていく。

黎が泣いている。なにか叫んでいるが、僕にはもう聞き取れない。

僕は、”僕ら”は9月1日を迎えた。

黎明だ。






『エピローグ。

これは、病院で暇な僕の言葉。9月の僕。

途中2度入った未来の僕の言葉。

あの後、僕は助かった。今この言葉がある時点でそれは分かり切っているだろうけど。

とにかく僕は助かった。僕はあそこで死ぬ運命になかったと言うだけなんだろう。

それに、約束もある。

2重の約束とその重みがあの日のループを生んだのだと今になって考える。

黎は本筋ならきっとあそこで死ぬはずだった。

それでも僕達は、彼女を救うことが出来た。

運命という流れからすくい上げることが出来た。

それから、黎の父は娘が自殺未遂をしていたことから虐待が露呈した。

黎は僕の家に住むことになった。

黎の父は学費と、ある程度の生活費を僕の家に入れることで示談になった。

僕はあまり納得してないが、黎が了承してるので何も言わないことにした。

これから、何があるか分からない。

それでも僕らには約束がある。

だから、絶対に死なない。死ぬ訳には行かない。

やっと黎の未来は明けたのだから。』

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