閑話 エルとメルのその後(上)
いつもお読みくださりありがとうございます。
前話の後書きでお書きしたように「夜の巣創設編」終了という事で時間を少し戻し、第三章、エルとメル(下)語られていた当時のエルとメルのその後、夜の巣の様子をご覧いただこうと閑話を書きました。
この話ともう一話続くのですが、本編が気になる方は飛ばして頂いても直接物語に影響はないので大丈夫です。
もしちょっと気になるな、と思われた方やお時間のある方はお読みいただけると幸せます。ᐕ)ノ
————ドサドサッドシャァッという音と共に二人は地に降り立った。
いや、雪の上に積み重なって落ちたというのが正しい表現だろう。上空から風魔法を使って降りてきたのだが視界の悪さにエルが距離を見誤ったのだ。
「メル、ご、ごめん」
エルが自分の上に折り重なるように倒れていたメルを抱き起した。二人とも木の枝で引っ掻けて傷だらけだ。
しかしメルはだらりと力なく腕にもたれ掛かるだけ。
メルのスカートに何か硬いものの感触がした。ポケットを探るとエルの丸メガネと、鍵束が幾つか出てきた。
エルは寒さに身を震わせながらメガネをかけた。辺りは猛吹雪だった。メガネをかけてもさして視界の悪さは変わらなかった。
ここはどこだろう。
エルの使った魔法は長距離転移魔法だ。母の出身地であるノーゼンブルグの街中に座標を合わせて使ったのかどうやら失敗したらしい。
生きてるだけでも成功とも言えるが。
取り敢えずイスタルリカの支配圏から出たことは確かだった。
生まれてこの方イスタルリカから出たことのないエルは雪を見るのも吹雪に飲まれるのも初めてだった。
これが雪!これが吹雪!
エルはガタガタと震えた。
魔力も残り少ない感覚がする。エルは上着を脱ぐとメルを背負った。その上から上着で括り付ける。
とにかくどこかでこの吹雪を凌がねば。
ポーチからコンパスを取り出して一応確認する。
南だ。南に行こう。
安直にそう考えて杖を握って歩き出した。
しばらく歩いてコンパスを確認すると西にズレていた。
寒さと雪がエルの体力をガリガリ削り取っていく。木が多くなってきたから林か森なのかもしれない。
枝の下で時々休みながら、進んでエルはハッとした。長く尾を引く遠吠えを聞いたからだ。
拙い!狼……!
狼の遠吠えが多数上がる。
エルは駆け出した。
魔力感知を最大限まで広げて雪の中を駆け抜ける。狼の声が段々と、近くなり、増えていく。
エルは足を止めメルを木に寄りかからせると杖を振って木で囲った。
悴む手で杖を握り直す。迎え撃つことにしたのだ。
間も無くエルの身の丈程の大きさの薄青い狼が現れた。エル達を円形に囲んでジリジリと距離を詰めてくる。
エルはまだ距離があるうちに叫んだ。
「サンダーアロー!」
エルを中心に雷の矢が展開されて放たれる。狼達の数匹が食らって黒焦げになり、後は避けられた。
素早い。
エルの背中に冷たい汗が流れる。狼達が一斉に襲いかかってきた。
もう魔力の温存など考えていられない。次々と襲いくる狼に雷撃を食らわせ、炎の壁を張り、嵐の刃で切り刻んだ。狼達は怯むことなく、むしろ倒すごとに敵意を漲らせて襲いかかってくる。
一体何匹いるんだろう。
そんな考えが頭を過ったその時。エルの魔法が一瞬遅れた。
「あっ!」
狼の一匹の体当たりがエルに命中した。ギリギリ噛みつこうとする顎を杖で食い止める。他の狼も駆け寄って来た。
エルが死を覚悟した瞬間、銃声が立て続けに響き渡った。
エルに噛み付こうとしていた狼から力が抜け、エルの上に覆い被さるように倒れた。見ると額に穴が開いている。再び銃声が響いてエルに殺到しようとした狼達が次々と倒れた。
狼達はターゲットを銃声の主へと変えたようでそちらの方へ駆けて行く。
エルは狼の口をこじ開けて杖を引き抜いた。ガクガクと震える体に鞭打って狼を押しのけて下から這い出る。
その間も絶え間なく銃声が鳴り響いて誰かが応戦していた。
エルはメルの側へ駆け寄って戦況を見守ろうと目を凝らした。
吹雪の中青白い光が飛び交う。
暫くすると銃声が止んだ。足音が近づいてくる。エルは前に出て身構えた。
「落ち着け。お前を傷つけるつもりは無い」
声と共にかなり明るい赤い髪に黒い布で両目を覆った背の高い少年が現れた。
少年は背嚢からブランケットを取り出すとエルに放った。
「こんな吹雪の中でそんな格好でいると死ぬぞ」
とぶっきらぼうに言う。エルは木の魔法を消すとメルをブランケットに包んだ。
少年はメルが現れて僅かに驚いた様子を見せたが直ぐに表情を戻すともう一枚ブランケットを取り出した。
「あ、ありがとうございます……」
エルが歯を鳴らしながら礼を言うと、少年は頷いてエルの横を通り過ぎて、メルに近づこうとした。
エルは慌てて立ち塞がった。
「運ぶだけだ。このまま凍えるつもりか?」
少年はそう言うとエルを押しのけてメルを抱き上げた。
「お前は自分の足で歩けるな」
少年がエルを見て言った。
「着いて来い」
と歩き出した。エルは遅れない様に小走りになって着いていった。
少し歩くと崖に突き当たった。少年は崖に沿うように歩いて行く。
両目を覆っているのになんでなんとも無いんだろう。
エルは少し疑問を感じながら着いて歩いた。間も無く崖に細い割れ目が現れた。
少年はその隙間に身を滑り込ませた。エルも躊躇いなく入る。中は真っ暗だった。少年がランプをつけた。
割れ目の中は入り口からは考えられないほど広く、空洞になっていた。誰かが焚き火した後が見える。メルは地面に横たえられていた。
少年はポーチから薪を取り出すと積み上げて火を起こした。そして背嚢から毛布を取り出して広げるとメルを火のそばに寝かせた。
「噛まれたのか?」
少年が問うた。エルは一瞬なんのことか分からなかった。
「お前たちは狼に噛まれたか?噛まれたならすぐに治療の必要がある」
エルは首を振った。
「彼女はどうしたんだ」
少年は虚空を見つめ続けるメルに目をやった。エルの体が硬直する。
この少年は自分たちを救ってくれた。でも事情を話した後も助けてくれるとは限らない。
「どうしてチルズウルフの巣の真ん中にいた」
少年は質問を変えた。
「魔法の……事故で……」
少年はじっとエルの顔を見つめた。
「事情があるなら言わなくてもいい。だが嘘を吐くな」
エルはギョッとした。なぜ嘘と看破されたのか。
「俺は目がいい。遠くを見通すだけではなく、人の仔細な表情、目の動き、顔色の変化などから嘘を確実に看破し、情報を抜き出せるくらいに」
少年は火に目を落としながらエルの口に出していない疑問に答えた。
「もう一度問う。何故あんな所にいた」
少年が再びエルを見つめながら訪ねた。
「ちょ……長距離転移の魔法に失敗して……」
エルが答えると少年は片眉を上げた。エルは次の質問に対して身構えた。
「どこに行こうとしたんだ」
少年の問いはエルにとって少し予想外のものだった。どこから来たのかと問われると思っていたからだ。
「……ノーゼンブルグに」
エルが答えると少年はもう片方眉を吊り上げた。
「ここはノーゼンブルグからさほど離れていない山の中だ。
どこから来たかは知らないが生きてここまで辿り着いたなんて余程の腕前だな……」
エルは驚いた。
「俺はノーゼンブルグ所属、黎明の騎士団のヨイヤミだ。お前たちのことはなんて呼べばいい」
「僕はエル……妹はメルです」
エルは素直に答えた。エルは自分たちの事情に深入りしてこないこの少年、ヨイヤミに好感を覚えいた。
ヨイヤミが金属の筒のようなものと茶色い包みを渡してくる。中を開けると香ばしく甘い香りのする棒状の携帯食かなにかが入っていた。
エルがヨイヤミを見ると
「腹に何か入れておけ。安心しろ。毒は入っていない」
と自身もその携帯食を齧った。エルも頬張る。
甘くて美味しい。
エルがしばし携帯食を夢中で食べているとヨイヤミはふ、と表情を和らげた。
「ようやく子供らしさを見せたな」
ヨイヤミの言葉にエルは少し赤くなった。
「ノーゼンブルグ地方は地下の奥深くに赤鋼石の鉱脈があってな……。北であるにも関わらずそれほど雪が深く積もらない。
天候も穏やかなことが多いんだが今日は久々に吹雪いた。ツイてなかったな」
赤鋼石とは僅かに熱を発する石だ。炎の魔法と相性が良く、加工しやすいため、アイロンなどの日用品にも使われている。
本当にツイてない。
エルもそう思った。
ヨイヤミが渡してきた金属の筒の様なものをしげしげと眺めた。
なんだこれ……?
エルが戸惑っていると、ヨイヤミはエルの手からそれを取り上げて捻った。すると、小さな穴が現れた。
「ここから飲める」
そう言って返してきた。
そうか、これが水筒か。
ヨイヤミに礼を言ってほのかに温かい水筒に口をつける。温かい、少し薬草っぽい香りのするお茶らしき物で喉を潤した。
火にあたり、温かいものが胃に入るとエルは少し眠たくなってきた。
ヨイヤミが火を回り込んできてエルの額に手を当てた。
エルは驚いて初動が遅れた。慌てて少し身を引く。
ヨイヤミはエルを捕まえてもう一度額を触った。
こんな風に誰かに触れられるなんて母が亡くなってから久しく無かった。
「熱がある。震えているな。魔力の使いすぎだ」
そう言われてエルは自分の手が震えている事に気が付いた。今更ながら寒さが襲ってくる。
ヨイヤミは背嚢からもう一枚毛布を取り出して地面に敷いた。
「お前も少し休め」
と、ポンと毛布を叩いた。
エルはハッとして飛び起きた。心臓がドクドクと脈打つ。メルの苦悶に満ちた叫びを聞いた気がしたのだ。
「どうした」
声をかけられてまたもやハッとする。
ヨイヤミが何か丸い石の様なものを手に、こちらを見ていた。
「メルが……妹が……」
エルが額に滲んだ冷や汗を拭うと
「安心しろ。ここにいる」
とヨイヤミがエルを安心させるように言った。メルを見ると、目を閉じて眠っているようだった。
「寝たん……ですか?」
エルが問うとヨイヤミは首を振った。
「あまりに目を開けているんで俺が閉じさせた。眠っているのかは分からない。
だが早目に医者に見せた方が良いことは確かだろう」
ヨイヤミの言葉にエルは俯いた。
メルは如何なる方法でか分からないが記憶を壊されてこうなった。医者に見せてどうにかなるようには思えなかった。
「家族は妹だけか」
ヨイヤミが唐突に聞いてきた。
「メルだけです」
エルは即答した。
血の繋がりのある者はいるが、あれは家族ではない。絶対に。
「……俺も血の繋がりのある家族はもういない」
ヨイヤミは訥々と語り出した。
「母は俺が生まれて直に亡くなった。祖父は一歳、祖母は十歳で、父は二年前に亡くした」
エルはヨイヤミをじっと見つめた。
「だが俺は今、家族を養うために騎士団にいる」
続いたヨイヤミの言葉にエルは疑問を抱いた。
家族は亡くしたって言わなかったっけ?
「おしゃべりなエルフ、無口すぎる結界士、永遠の五歳児、戦闘狂に、金の亡者、居眠り魔、堅物、子供多数。これが俺の今の家族だ。
血の繋がりはない。だがそれでも確かな信頼と安心、絆を感じる。そんな家族だ」
ヨイヤミは炎から顔を上げると布で覆われた目でエルを真っ直ぐ見つめた。
「家族は血の繋がりだけではない。血が繋がっていなくとも家族にはなれる。
助けを求めれば差し伸べられる手もある。俺に出来ることも、な。
お前達は世界にふたりぼっちではない」
ヨイヤミの言葉にエルはハッとした。
母が居なくなって、乳母も居なくなってカリーナも居なくなった。
世界にメルと二人きりで取り残された。二人だけで生きていかねばならない。そう思った。今だってそう思っている。
でも目の前のこの少年は自分を頼れと言っている。手を差し伸べようとしてくれている。
エルは迷った。そして覚悟を決めた。
「僕達の話を聞いてくれますか」
そう言ってヨイヤミを見つめた。
ヨイヤミは一言もエルの話に口を挟まずに聴いてくれた。エルは話し終えると静かにヨイヤミの反応を待った。
ヨイヤミは顎に手を当てて考え込んでいた。沈黙が流れる。しばらくしてヨイヤミはようやく口を開いた。
「順番に片付けて行こう。
先ず一つ。お前の妹……メルはやはり医者には見せた方がいい。それもかなり腕の立つ。
未知の魔法により脳が受けたダメージ、記憶消去がどの程度及んでいるのかも診れば分かるかもしれない。それによって看病の方針も決められる。
そしてその腕のいい医者に俺は心当たりがある」
エルはヨイヤミの言葉に詰めていた息を少し吐いた。ヨイヤミは少し逡巡して次の言葉を口にした。
「二つ目に、お前達を保護する先だ。
一番手取り早いのがノーゼンブルグに保護してもらうことだ」
エルは大いに迷った。貴族に頼る事で再びイスタルリカに戻されるなんてことがあっては堪らない。
ヨイヤミはその様子を見て少し苦笑した。
「ノーゼンブルグの当主、ヴィルヘムは事情のある奴を匿うのに長けている。
それに嫌な言い方かもしれないが、お前の魔法技術はノーゼンブルグの大きな益になる、と伝えればイスタルリカに売り渡す心配もない。
魔法研究の設備も整えてくれるだろう。俺がそう話を付ける」
エルは黙り込んだ。するとヨイヤミはするりと目を覆っていた布を外した。鮮やかな青い切長の目が現れる。
「それが嫌なら俺達のところへ来い。今更子供が二人増えた所でそう変わらない。
だが返事を聞く前に言っておくことがある。」
ヨイヤミは言葉を切った。じっとエルを見つめる。
「訳あって俺を含め大人組はほとんど賞金を掛けられたお尋ね者だ。世間で俺たちは教会をたびたび襲う大犯罪者となっている。
教会を襲っているのは確かだが、話せば長くなる。今は置いておこう。
俺達はヴィルヘムに支援されている。だからどちらにせよお前達の事を話すことにはなるがな。
それを踏まえてよく考えてくれ」
ヨイヤミが犯罪者?
エルにはとても信じられなかった。




