2.アーサー王の憤り②
レオン・アンドリュー・ロックハート王太子。父親譲りの黄金の瞳の下にくっきりと黒い隈が出来、彼がここ数日ろくな睡眠も休息も取っていない事を示していた。
よく見れば、髪もぼさぼさだし無精ひげを生やしていて、うっすら小汚い印象だ。常日頃身だしなみには人一倍の気配りをするこの独身王太子は、疲労困憊といった風情で父王の前で片膝ついて頭を垂れた。
「フェリシアを捜索していると聞いた。どういう事だ、話せ」
レオンは一度大きくため息を吐くと顔を上げ、話し始めた。
「ジョンが……あのバカが、グレースを北の地下牢に投獄したと聞いた私は、すぐさま彼女を保護する為に地下に向かいましたが、牢は無人でした。すぐさまあのバカに事情説明させましたが要領を得ず……あやつは北の塔に放り込みました。それから今までグレースを捜索しておりますが、未だ発見に至らず……面目次第もございません」
「待て。無人だったと申したか? 北の地下牢には、確か死刑囚が収監されていたはずだが……4人……5人だったか? いたはずだ」
「はい……ですが、牢は全ての扉が開かれ無人でした……牢番も含め行方知れずとなっております……」
横から発言の許可を求める声を聞き、老王は自分の侍従に是と答えた。
「申し上げます、記録によりますと、北の地下牢に収監されていたのは4名。いずれも国家転覆を図った凶悪な政治犯で、裁判も終え死刑執行を待つ身でした」
老王は天を仰いで呟いた。
「そんな者どもの前にフェリシアは投げ出されたというのか……あれは……いずれ余のあとを継いで、この国の女王となる身ぞ……その尊い身で政治犯どもと顔を合わせたと申すかっ! ……もしや……もう既に命を絶たれ……」
国家転覆を図った政治犯……彼らの眼前に未来の女王が居たらどうなる?
未来の女王を害すれば国家転覆など、赤子の首を捻るより容易く為されてしまうではないか!
「恐れながら、それは無いかと! きっと政治犯どもはグレースを人質に彼らの要求を突きつける気なのだと推察いたします! だからこそ、あの子は連れ去られたのです! まだっ! まだ生きているはずですっ! きっとどこかに潜伏しているはずなのです! いま騎士団総出で捜索している最中ですので、いずれ朗報が来るとっ……!」
王太子の悲痛な叫び声にアーサー王は沈黙した。
どちらにしても、グレース・フェリシア・フォーサイスが行方不明なのは現実である。何事もなく保護される事を願いつつも様々な、否、最悪な状況も検討しなければならない。
「宰相を……フォーサイス公爵を、呼べ。」
◇◇
程なくして参内した宰相、フォーサイス公爵もまた疲れの滲む顔をしていた。
「公爵……此度の事、いかように詫びたらよいか……」
アビゲイル・サイモン・フォーサイス公爵。宰相として国家を支える重鎮の一人で、彼の叡智は他国にまで轟いている。最近では専らグレース・フェリシア・フォーサイスの父親として有名にもなっているが、彼の王家への忠誠は誰もが認める所である。
「陛下。遺憾ではありますが、今は娘の安否が確認されれば臣は満足ですので……」
「あぁ、騎士団総出で捜索している。すぐに見つかるだろう」
「父上……いえ、陛下。ジョンとグレース嬢との婚約は破棄します。あのバカはこのまま幽閉……いや、毒杯を与えます。私の不徳の至すところでございます。……公爵、誠に申し訳ない……私があの夜……王宮内だから安全だと気を抜いたのが悪かった。まさかこんな事態になるなんて思ってもいなかった……悔やんでも悔やみきれない………」
部屋には重苦しい沈黙が満ちる。
しばらく視線を下げていた公爵が、沈痛な面持ちで顔を上げ、重い口を開いた。
「殿下……陛下……いずれ至高の冠を抱く予定の身でありますが、グレースは……女性です……最悪、其の身が汚されてる可能性もございます……それでも、あの娘を王位に就けるおつもりですか?」
考えてもみなかったという顔で王太子は老王の顔を振り返る。
老王は苦虫を噛み潰すような表情で、しかし何も言わない。
「しかも、騎士団が声高に娘を捜索しております……娘が行方不明なのは周知の事実となりました。何事もなく保護されようとも、娘の名誉が疑われる事態になるでしょう……あれを……もうこの王位を巡る重圧から解き放っては頂けないでしょうか?」
「ならんっ!!!」
鋭い怒号は立ち上がった国王から。老いた身でも若かりし頃戦場を駆け巡った体躯から放たれる怒号は、部屋中をびりびりと響き渡る。
「ならんっ……ならんっ!! あの娘でなければ我が王家は滅亡するではないかっ!!!」
老王は、小さなこどもが駄々を捏ねるような激しさで頭を振る。
「……御意。我が娘が……グレースが五体満足で保護されたなら、万難を排して箝口令を布き、陛下のお望みのままに……しかし、子を為せない身体になっている、もしくは……死体で発見される場合もございます……。その時は如何されますか?」
「―――その時は」
老王は言葉途中で口を閉ざした。
ゆっくりと椅子に腰を下ろし、目を閉じ深い溜息を吐く。
「―――その時、考える……今は考えたくも、ない」
その答えは弱々しく、かつて英雄と称えられた男が一気に年を取ったような印象を王太子と公爵に与えた。
「公爵。余は真相を知りたい。どうしてあの愚か者は、かような愚行を犯したのだ?」
切れ者と評判の宰相であるフォーサイス公爵は、暫し思考を巡らせた後、答えた。
「本人に問い質さねば、当人の気持ちは解りかねましょう」
言外に自分にも理解できないと答えた公爵は、王太子に視線を向ける。
彼は公爵の視線を受け、ひとつ溜息を吐くと老王に向かい口を開いた。
「陛下のお耳には届いていなかったでしょうが……」
王太子レオンが語る、ジョン・レイナルド・ロックハートの学園時代の所業は、アーサー国王を心底呆れさせた。
そして国王は彼の名の下に関係者一同──その場に居合わせたメイドも含め全員──を、即刻、その日の内に集めさせた。
3日前ジョンが衆人環視の中、己の婚約者を断罪した場、卒業記念パーティが行われた王宮の第一ホールに。
それは一国の国王自らが、自分の孫に対して行う断罪の場となった。
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