12.残念な王子と呼ばれた少年(ジョン視点)
「残念王子、とはどういう意味だ? 私の事だろう?」
そう乳母に尋ねたのは、まだ声変わりもしていない頃だった。
陰でこっそり噂話に興じる使用人たちからこぼれ落ちた言葉は、幼い王子の記憶に鮮明に焼き付いた。
乳母は一瞬目を見張ったが、すぐにその垂れ目を柔らかく緩めた。
「恐れながら殿下。殿下のお母君、王太子妃殿下が直ぐに儚くなった事でございましょう。ジョン殿下をお産みになって直ぐ、殿下をお抱きになる前に身罷られたと聞き及んでおります」
母の温もりを知らぬ憐れな王子。残念な王子。
それどころか、父親である王太子殿下の顔もジョンは知らない。正確に言えば絵姿では見た事がある。でもどんな人間なのか、よく知らない。会ったことも無いから。
大恋愛で結ばれたという両親はとても仲が良かったと乳母はいう。学園に通ううちに愛を育んだ二人の恋愛劇は、市井では演劇の演目になる程大人気らしい。
曰く『王位をかけた真実の愛』
父、王太子には幼い頃から決められた婚約者が居たらしい。その為、成長してから真実の愛に目覚めた王太子は苦悩する。
相手は身分の低い子爵家の庶子だったからだ。王位を取って恋人を捨てるか。それとも王位を捨てて恋人と駆け落ちするか。苦悩する彼を助けたのは、なんと王太子の婚約者である侯爵家の令嬢だった。国王陛下に直談判し、自分は身を引くので彼らの愛を応援して欲しい、彼らを助けて欲しいと訴えた。侯爵令嬢の真摯な想いに胸を打たれた国王陛下は二人の結婚を許した。二人は国中から祝福され華燭の典を挙げる。
───演劇はここで終わる。
だが、実際の幸せはふいに崩れ去った。最愛の王太子妃が、王子を産んだ後すぐに儚くなってしまったのだ。
残された息子は妻にそっくり瓜二つ。
彼を見ると、今は亡き愛しい妻を思い出して辛くなる。王太子は息子に会わなくなった。
未だ王太子妃の座は空席のまま。
彼は愛した女性たった一人のみ恋い慕い、後添えを拒んでいる。
妻が死した後も彼女を思い続ける王太子の様は好ましいと、市井の評判は悪くない。
だが、ジョンは王宮で独りぼっちだった。
母は鬼籍。父には第二夫人も側室もいないから兄弟が増える予定は無い。その父親とは会ったことも話した記憶も無い。祖父の国王陛下は更に遠い存在だ。
家庭教師以外誰も訪ねて来ない広い王子宮で、彼は常に一人だった。
ジョンにとって父親であるレオン・アンドリューは王国の王太子殿下であって、自分の父親という認識は薄い。生まれてからほぼ会った事も無いからどんな人間なのかも知らない。
乳母や人伝に聞くのみの男にいつか会えると信じていた。声もかけて貰えない赤の他人と同様の男ではあったが、慕わしい気持ちを抱いていた。
とある冬のよく晴れた日、いつか逢えると信じていた彼が、にこやかに微笑みお茶をする姿を見かけた。
王宮の庭園の奥にある、高価なガラスで造られた温室。寒い季節でも香り高い花々が咲き誇るその場は、王太子の憩いの場だった。
ジョンがその場を目撃したのは偶然だった。
王太子のささやかなお茶会の相手は自分の婚約者、グレース・フェリシア・フォーサイス公爵令嬢。
王太子、と言うよりは普通の父親の様な、柔らかな視線を対面に座る少女に向けている。何を話しているのか、終始和やかな雰囲気で偶に笑い声が響く。ジョンはガラスの外から彼らの姿を眺めるしか出来なかった。
その後、王太子殿下は外遊の際、公爵令嬢を伴うようになった。令嬢はまだ幼かったが、ファーストレディとして紹介され、次代の国を担う逸材だと他国の上層部の評判も良いようだ。
何故、実の息子である自分は放置され、血の繋がらない公爵家の令嬢が優遇されるのだろう?
幼い頃から才媛の誉高いグレース・フェリシア。
王太子が公務で忙しい中でも時間を作りゆっくりお茶をする相手、グレース・フェリシア。
他国からの大使が来ると必ず対応し、評判の良いグレース・フェリシア。
対する自分はどうだろう。
勉学は家庭教師達から及第点だと言われている。
剣の腕も、乗馬の腕も及第点。
人並み。そこそこ。
父、王太子にも、ましてや祖父である国王陛下にも未だ会ったことが無い。
他国の大使にも大臣達にも会った事も無い。
グレース・フェリシアが自分より出来が良いからか。彼女が居なかったら、彼女の華々しい活躍は王子である自分のモノだったのではないか?
鬱々と思い悩むうちに
ジョンは自分の婚約者の事が大嫌いになった。彼女がいるから、自分が不幸になるのだと考えた。
そんな鬱々とした日々を打ち破ったのは学園で出会ったマリアだった。
彼女は明るく天真爛漫で、常にジョンの気持ちを思い遣ってくれた。
ジョンの身体を気遣い、休息を取るよう勧めた。
夕暮れの教室で二人、何も言わず落ちる夕日をただ眺めた日の心の温まり方に感動した。
言葉がなくとも心が通じ合う事があるのだと実感した。初めての経験だった。
ジョンはマリアに恋をした。
王子としてではなく、一人の男として自分を見るマリアが愛しかった。
彼女と居れば寂しさなど感じなかった。
毎日が充実して、生きている実感が湧いた。
あれも
それも
どうやら偽りの世界の出来事だった、らしい。
「愛した者に裏切られる。私と君の共通点、だ。変な所が、似てしまったね」
ジョンが北の塔に収監されてから一週間経ったある日の午後。
塔の中にある鉄格子に阻まれた面会室にジョンは連れて行かれた。
暫く待つと現れたのはレオン王太子だった。
粗末な椅子に座った王太子は、開口一番、皮肉めいた口調で言うと薄く笑った。
随分、疲れた顔をしている……とジョンは思った。
“北の塔”は罪を犯した王族が収監される場所。
アーサー王によって王族籍を剥奪されたジョンには、本来なら入る資格はない。だが彼は収監された。市井に放り出すより確実に始末する為に。終生出る事は叶わないと言われたのも、恐らく数日後に毒杯を賜る、という意味なのだろう。
「まずは、君に謝ろう。
……済まなかった。君を放置したままで、私は責任を果たさなかった……。
君をこの世に生んだミュゲは私の妃だった……。
君がこの世に存続する為の口添えをしたのは私だった……。
君には全てを話すべきだったのに……」
そう言ったレオン・アンドリュー王太子はポツリポツリと昔語りを始めた。




