10.国王陛下による断罪⑤
「スパイですって?! あたしが?! なんでよ!! 違うに決まってるでしょ! それに侮辱罪? なんの事よ! 知らないわよ!」
マリアは必死に釈明の声を上げた。
こんなシナリオ、知らない。一体、どうなっているのだろう!
マリアの混乱を余所に、宰相は淡々と言葉を紡いだ。
「先程ナーガラージャ国第一王女からの訴えで疑惑がより深まりましたが……。そもそもマリア・カーペンター。お前は先程自ら言ったではないか。“グレース様付きの専属侍従はレックスです”と。
お前は、何処で、それを知ったのだ?
……確かにこの男はレックスという名だが、残念ながらそれを知っている者は我が公爵家に仕える使用人の中でもほんのひと握りしかいない。
この男は幼かったグレース自らが他国で拾ってきた元孤児で、この国に縁者はいない。普段は偽名で通していたし、学園内に潜入した時も偽名で過ごしていた。
……ジョン殿下、この男は自らをポール・フェイスと名乗っていましたよ。……影の報告にはそう名乗った者が学園で放課後、貴方に近づいた、と記されてます。姿形の特徴も克明に」
その名を聞いてジョンは顔を明るくした。
「あぁ! その名なら覚えがある! 確か、2度、俺に話しかけてきたな! グレースが公爵邸内で王家を侮辱していると、言っ……て……」
明るかった顔が徐々に強ばり、色を無くしていく。
「マリア、キミ…………何処で、知ったんだ?」
頭の回転が鈍いジョン王子も、やっと矛盾に気がついたらしい。
確かにこの男はジョンに近づいた。その時、マリアはジョンと一緒にいた。“ポール・フェイスと申します”と名乗ったのを一緒に聞いていたはずだ。
マリアは、いつ、彼の本名を知ったのだろう。
本来の名前と違う名で過ごしていたグレース専属の侍従。
グレース本人は学園に籍はない。
他国出身の平民であるレックスに学園に通う資格はない。彼はジョンに接触するために学園に潜入していたに過ぎない。
男爵家令嬢であるマリアの行動範囲では公爵家の侍従との接点など無いはずだ。主人であるグレースの命で、レックスからマリアに近づかない限り……。
だが、そのレックスは主人を裏切り嘘の進言をジョンにした……。
何を信じれば良いのか?
解らない、解らなくなった。
もし、マリアがスパイだと言うなら。
……辻褄が、合うのだ……。
ジョンは信じられない者を見る目で、傍らの愛しい女を見た。
「違うわ! あたし、スパイなんかじゃない! 信じて! ジョン! 貴方を愛しているの!」
「そういえば、キミ……よく言ってたね……“あたしは全てお見通しよ”って……俺の食の好みも、苦手な物も、知っていた……誰にも言ってない俺の秘密の隠れ家も……俺の、淋しさも、俺が話す前に、“全部、あたし、分かってるから”って……」
ジョンは自分に縋り付くマリアの手を払い、一歩マリアから離れた。
「そういえば、マリアは前に、僕にも言いましたね……“お家の事は残念だけど、貴方自身が頑張れば良いのよ”って……我が家の没落は40年も前の話だ……考えてみれば男爵令嬢の君が、今18歳の君が、我が家の事情を知ってるのは不自然じゃないか?」
キースが青い顔をして、一歩マリアから離れながら呟いた。
「俺の家の事情にも、妙に詳しかったよな……俺のすぐ上の兄貴の事だって……兄貴は5年も前からこの国に居ないのに、何故か知っていたよな? ……俺、誰にも話した事ないのに、おかしい、よな?」
嫌悪感で顔を歪めながらロバートが言う。
マリアを中心に集まっていた男たちが、一歩、また一歩と彼女から離れる。
ある者は怪訝な顔で。
ある者は嫌悪感を露わにして。
そして。
マリアの愛した男は………………
「キミは、スパイだったのか……だから、俺の事も、キースの家の事も、ロバートの家族の事も、知っていたのか……俺たちを……俺を騙して、探っていたのかっ!!」
憤怒に顔を歪めていた。
マリアは譫言のように違う違うと呟き、首を横に振る。
スパイなんかじゃない。ただの転生者だ。
皆の些細な情報を知っていたのは、彼らが攻略対象者だからだ。この世界観にハマって公式サイトを巡り設定資料集の購入もした。大好きだったから、記憶に焼き付いていただけ。レックスもコンプリート後に解放される隠しキャラの一人だから知っていた。彼は他国の孤児という表向きと、子どもながら暗殺ギルドに育てられた暗殺者の1面も持つ厄介なキャラだった。怖かったから近寄らないようにしてたけど、向こうからジョンに近づいて来たのには驚いた。てっきり姿を見せないグレースの代わりにマリアの持ち物を破損させたり等嫌がらせをしていたのだと思ってた。
でも。
そんな本当の事は、言えない。
本当だからこそ、言える訳がない。
でも、このままではスパイ容疑で捕まってしまう!
「違うの! 本当にっ違うの!!」
悲鳴のような声を上げても、涙を浮かべても、ジョンはこちらに手を差し伸べない。
あの夜、プロポーズしてくれたのに。
人生を捧げるって言ってくれたのに!
星空の下、誓い合ったあれは、嘘だったの?!
「衛兵! その女を捕らえよ!」
宰相の冷徹な声が聞こえる。
複数の足音がしたかと思うと、あっという間に冷たい大理石の床に叩きつけられた。
「その者、確か今日まで一般牢に居たはずだったが、違うか? 宰相」
国王陛下の厳かな声と、是、と答える宰相の冷たい声が聞こえた。
床に頬をつけながら、マリアは驚愕した。自分が部屋を与えられたと思ってた場所は、一般牢だったのか? 確かに、ドアの前には見張りが居て行動の自由はなかった。だが牢というより、普通の部屋だったし、日に何度もメイドが世話をしに出入りしていた。あれが貴族に対する扱い、なのか……。
「罪を重ねた者に相応しいのは、“北の地下牢”、だったかな、ジョンよ。貴様がそうグレースに申し付けたのだったな。
その者、マリア・カーペンターを北の地下牢へ投獄せよ! このアーサー王の名において命ずる! 異論ある者は申せ!」
老王の言葉に、会場は沈黙を以て答えた。
誰も異論は無かった。
誰も、マリアを助けなかった。庇わなかった。
元より彼女は酷い嫌がらせを受ける程、女生徒たちから嫌われていた。同性の友だちがいなかった。
「詳しい詮議は後ほど行う。連れて行け!」
「嫌ァァァぁぁーーーー!! 助けてっ! イヤよっっ! ジョン! ジョーーーーン!!」
衛兵に両脇を抱えられ、引きずられる様にしてマリアは退場した。
力一杯抵抗し、髪を振り乱し泣き喚いたその姿は醜悪の一言に尽きた。
3日前、同じこの場所で断罪された公爵令嬢の去り際と天と地ほどに違う、と一部始終を見つめていたターニャ・ルカリオ・ナーガラージャは思った。
彼女はマリア・カーペンターが学園内で虐められているのを知っていたが、どうでもいいと思っていた。ジョン王子やその側近に囲まれて女王気取りの女など、嫌われても仕方がないとも思っていた。
噴水に落とされてメソメソと泣いてる姿を見た事があった。子どもじゃないのだから、早く立ち上がって着替えに行けば良いのにと思っていた。マリアは王子という助けが来る迄その場で泣くだけだった。
成人も過ぎているのに幼子のように泣くばかりで何も出来ない無能。マリアに対する評価はそれだけだった。まさかスパイだとは思ってもいなかった。初めからその嫌疑を向けて注目していたら、もっと早く気が付いたかもしれない。もっと早く……尊敬するグレース・フェリシア・フォーサイス公爵令嬢の危機を、助けられたかも、しれない……。
「わたくしも、まだまだ未熟ね……」
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ターニャ・ルカリオ・ナーガラージャ
南の隣国、ナーガラージャから来た留学生。ナーガラージャ国の第一王女。この時18歳。
グレース・フェリシアを慕い、ロックハート国に留学した。卒業後、祖国の発展に尽力し、周辺諸国との外交に従事。評価も高い。




