天使のお仕事〜乙女ゲームを主人公に攻略させろ!なお、悪役令嬢は記憶を取り戻した転生者〜
「はあ……」
学園のアイドルと呼ばれる私の可憐なため息に、チラチラとこちらを見ていたクラスメイトたちがざわつく。木漏れ日を集めたようなプラチナブロンドとどこまでも透き通る天界の空のような瞳を持つ、世界一可愛い女の子。それがこの王立魔法学院1年生の私、ソラル・オランジュ。
瞬きをすると音がしそうなほどに長いまつ毛を物憂げに伏せ、トントンと机を叩く。まるで絵画のようだ、と誰かが呟いた。
そんな私には、もう一つの顔がある。とある公的機関の魂管理課転生部の平天使。そう、私は天使なのだ。 私の容姿は神様が愛を込めてデザインしたものを基準に作られているので可愛いのは当たり前。むしろ天使の中では普通の容姿だが、人間と比べるとずば抜けて見えてしまう。
もちろん人間も神様のデザインではあるのだが、書いている途中でくしゃみをしてしまい少しだけ歪んでしまった。完璧でないそのデザインが、神様の母性をくすぐったらしく、そのまま人間は生産されたのだ。
話を戻そう。私が今、天界ではなく下界に降り立っているのにはわけがある。
私が所属する転生部の主な業務内容は人間たちがどの世界に転生するかを決めること。一見簡単そうに見えるが、その実難しい仕事だ。送り込む魂をミスると何かの間違いで記憶が戻ってしまったとき、その魂がチートなんてものを始めることがあるのだ。
記憶が戻るのはどう考えても記憶管理部の不手際なのだが、記憶の調整はベテランの天使でも難しいため、そこがミスってもまあ仕方ないよねーで済まされる。そして私たち転生部がちゃんと魂を選別してなかったからだなんて上からお叱りを受けるのだ。理不尽だ。
それ故、慎重に魂の選別をおこなっていたわけだが、最近入社してきた新人天使くんがやらかした。
この世界、乙女ゲーム『ロマンティック・ガーデン』をプレイしたことのある女子高生の魂を、よりによって主人公とライバルに転生させたのだ。
記憶が戻ったら世界改変まっしぐらだけど、スーパーエリートである私は落ち着いて天界から観察していた。すると、一番最悪なパターンで、どちらも記憶が戻ってしまっていた。そして上司と相談し、有給を使用した下界旅行なんて名目でこの世界に火消しにやってきたわけだ。
世界改変がどれだけやばいことなのかは、以前やらかしたときに給料300年分減俸になった部長を見ればよくわかる。天界の一等地に家を買ったばかりの部長は神様の最高傑作と称されているほどの端正な顔を鼻水だらけにして、びえんびえんと泣きながら悪魔にお金を借りようとしていた。そこを私が将来の結婚資金として貯めていたお金を貸すことで事なきを得た。
そして、今回やらかした新人天使くんのメンターは私。つまり、世界改変が起こり、原因がばれると私のお給料が吹っ飛ぶ。そんなのいやだ。ただでさえ薄給なのにこれ以上下がると天使の羽根エクステにも天使の輪パーマにもいけなくなってしまう、ドブス天使になってしまう! 絶賛婚活中の私にとって、見た目は命なのだ!
最近他世界に転職した同期のカイルくんに「喋らなかったら可愛いよね」と褒められたこの容姿をなんとしてもキープして、高収入、高位翼、高学歴の3K天使を捕まえるんだ。
……そう意気込んでこの世界にやってきたのだが、少しだけ面倒くさい事態になっていた。
「お前は最近よく勉強しているな」
「私なんてまだまだですわ」
公爵である父に褒められて謙遜しているのはリーラ・シュネー。記憶を取り戻したライバルの悪役令嬢だ。
白銀のストレートヘアに、深いライラックの色をした切れ長の瞳。綺麗に通った鼻筋と薄い唇で少しクールな印象を受ける。
『ロマンティック・カーデン』で彼女は最終的に婚約者からは婚約破棄、家族からは絶縁されるわけだが、そのルート回避のために今は自立できるだけの知識を蓄えることに必死のようだ。
婚約者であるギルバート・ロートにはまったく寄りついてない。
……なんでだよ! 別に死ぬわけじゃないじゃん! 少しくらい乙女ゲームの主人公に力を貸してよ、ギルバート・ロートが君に興味持っちゃうじゃん!
頭を抱えつつ、千里眼で見える先を切り替える。もう一つのバグはどうなっているかなっと。
「ふふ、セシル様のスチルゲットぉ! 次はコリー様のイベントだからぁ、うーんと、中庭ねぇ。よーし、逆ハー目指してぇ、えいえいおー!」
こちらはチェリー・ローザ。『ロマンティック・ガーデン』の主人公。桃色の髪と瞳を持った彼女はリーラと違って少し幼い顔立ちをしている。肌触りのよさそうな頬、ぷっくらとした唇。守ってあげたいと思わせる王道ヒロイン甘々フェイス!
そんな彼女は逆ハーエンドを目指して頑張ってくれているようで、もう、ソラルちゃん花丸あげちゃう!
逆ハーということは、すべてのフラグを立ててくれるということであり、万が一どこかのルートがバグってもいくつも保険ができるということ。最高である。
死んだ暁には良い転生先用意してあげるから、チェリー・ローザの人生頑張ってプレイしてね!
そんなこんなでチェリーは放っておいても攻略対象の好感度をガンガン上げてくれている。問題は悪役令嬢のリーラだ。
「はあ」
もう一度ため息を吐くと、私の親衛隊隊長がいつも私が大好きだと公言しているロマンティック通りのマシュマロを買いに走って行った。私ってば罪な天使。
★
『ロマンティック・ガーデン』の舞台となるのは中世ヨーロッパっぽい貴族社会のお貴族様たちが通う魔法学院。
ここに主人公は「あたし、チェリー! 孤児院で暮らしてるの。昔、孤児院の前に捨てられてた私を園長先生が拾ってくれて、両親の顔は見たことないけど、同じように捨てられた多くの子たちが私の大切な家族。いつも笑顔で頑張ってるよ! ……そんな穏やかな生活だったのに、ある日突然高そうな服を着た人が孤児院にやってきた。え、あたしが貴族の娘? 魔法にも適性がある? 貴重な光属性? あ、あの貴族様たちが通う名門魔法学院に通う!? あ、あたし、これからどうなっちゃうのー!?」ってノリで入学する。とっても楽しそうだよね。
私がこの世界に来たのは3日前だけど、今までも存在してたように記憶を植え付けてる。こんな美少女が転入生として来たら主人公が目立たなくなっちゃうからね。
記憶の植え付けは天界にいるときに転生部の部長にやってもらったから楽勝だった。天使パワーを使いたくないと駄々こねる部長に、かつて貸したお金の返済を迫ったら渋々やってくれたのだ。借りは作っておくものである。私の天使パワーだと記憶をいじるのは難しいんだよね。部長でも記憶の植え付けはできるけど、削除はできないみたいだったし。削除ができたら楽なんだけどなあ。
ともあれ、部長のおかげで可愛すぎるモブである私はリーラにもチェリーにも疑われることなくこの世界で学生をしている。
ついでに言うと、この世界に降り立ってからというもの、若い子供たちにちやほやされて気持ち良い。15歳なんて4桁生きる天使からすると赤ん坊だけど、それでも褒められないよりは褒められたい。ちやほやされたい。同期だったカイルくんには「ソラルさんってなんで堕天しないのか不思議なくらい欲深いよね」と言われていた。
「ソラル様、相変わらず可愛いなあ……」「可愛いと言うかお美しいの間違いじゃない?」「美! って感じ」
いいよいいよ、もっと言って! 翼があったならバッサバッサと喜びの舞をしていたところだ。
そしてチェリー、君は本当にいい主人公だよ。さっきのイベントも完璧だった。ハンカチを拾うために木登りするなんてギルバートの記憶にばっちり残った。ゲーム通りだよ。
リーラ、君はよくない悪役令嬢だ。木登りをして恥じらう主人公と婚約者ギルバートを見ながらハンカチを噛んでギリィってするシーンがなかったじゃないの。
悪役令嬢不在でこのゲームがうまく進むなら今のままでも良いんだけど、このままだとゲームのクライマックスである婚約破棄イベントがうまくいかない。卒業パーティで悪役令嬢のいじめを断罪し、婚約破棄を行うのだ。ダンスホールで寄り添い合い悪役令嬢を裁くスチルを見ると胸がスカッとする、とはこの世界を調査していた新人天使くんの言葉である。
あー、もしかするとシーラとギルバートの婚約関係を塗り替えて、私がシーラポジションに入った方がよかったのかもしれない。けれどこの世界から部長に連絡は飛ばせないし、どうしたものか。うーん、ま、いっか!
考えるのをやめようとしたとき、太陽が翳った。正確には、私が座っている机の前に人が立った。
「ソラルさん、お時間宜しくて?」
おっとまさかのシーラからの接触である。にこりと笑って答える。私の笑顔はどこか儚く、消えてしまいそうだとよく言われる。そんなソラルスマイルが見事に直撃したクラスメイトの何人かが倒れる音がした。
「シーラ様からのお誘い、断る理由はございません」
「あら、学院内では階級なんてないのよ」
「そうでしたね。ですが、シーラさんとお話しできることは光栄なのです。少し移動しましょうか?」
鈴を転がすような声と言われるソラルボイスに、また人がバタバタと倒れている。ここから離れてあげないと、耐性のない人々がかわいそうだ。天使は慈悲深いので人間の心配をするのである。
★★
「単刀直入に伺いますわ。『ロマンティック・カーデン』に聞き覚えはあるかしら」
「へ?」
ああああああれ? 部長!? 記憶を植え付けたはずじゃないの? ど、どどどどうしてこんなことを聞かれてるの?
「ああ、やっぱりあなたも転生者なのね」
「あわわわ……、ど、どどどどどうして」
「あらあら、落ち着いてくださいな。簡単な推理ですわ」
シーラが十数分ほど推理を話してくれたが、まとめるとこうだ。「そんなに可愛いモブはいない」。間違いない。
これは私の失策だ。下界用に容姿を変えることもできるのだけど、神様が設計したこの容姿を変えることはしたくなかった。失策だが、後悔はしていない。私は開き直った。ミスをこっそり元同期のカイルくんになすりつけようとしたことがバレたとき開き直って言い訳したら、笑顔で「ソラルさんって開き直り早いよね!」と言われたことを思い出す。後日、カイルくんにはその5倍は責任重大なミスを擦りつけ返された。
「声をかけたのは、お友達が欲しかったからなの」
「友達?」
「そう、不用意に声をかけたら取り巻きを作っちゃいそうで。取り巻きができたら、その人たちが代わりに主人公をいじめるかもしれないでしょう? そう思うと誰とも仲良くなる気にならなくて……。そんなときにあなたを見つけて、あの、お友達になれたらなって。わ、私も誰かとお茶会をしたり、髪飾りをお揃いにしたり、その、楽しみたいの……」
顔を真っ赤にして徐々に声を小さくするシーラに心が射抜かれた。な、なんだこの可愛い人間は! 恋の神様であるキューピッド様が弓矢で私の心を射抜いたのかもしれない。
制服のスカートをぎゅっと握っている手を取る。
「なりましょう、友達」
「わあ、本当?」
「はい! そして一緒にクッキーを食べたり、髪飾りをお揃いにしたり、恋バナをしたりしましょう!」
そして、今日の放課後に早速お茶会をすることを約束して別れた。
そのお茶会でシーラが本当は婚約者のギルバートを愛していること、だけども主人公に惹かれる未来を知ってるから見たくなくて離れていることを聞く。涙を溜めながら話すその様は、抱きしめてあげたいくらい儚かった。その姿を見ながら私は思いついたのだ。
これ、私がチェリーをいじめればシーラのせいになるんじゃない?
つまり婚約破棄フラグが立つ! 天才だ、悪魔的な発想だ! 堕天しそうな勢いである。
シーラとギルバートをくっつける? そんなことは考えない。だって、私のお給料の方が大事だもん。シーラは次に良い転生先を用意してあげるから、今生では素敵な悪役令嬢になってほしいものである。
★★★
ところで、私の部長は神様の最高傑作と呼ばれる造形を持っている。アーモンド型の碧眼と絹のような金髪、薄く形の良い唇を持つ部長は、人間界に一緒に視察に行ったとき、目が合った人間を老若男女問わず心肺停止にしてしまい大惨事を起こしたことがある。その時は天使パワーを使ってなんとか蘇生した。
そんな部長ほどではないが、私も天使だ。
天使って、基本的に嫌がらせとかしないじゃん。何か争い事はいつも真正面からぶつかるじゃん。だから慣れてないんだよね、裏工作。
私は目の前でびしょびしょに濡れている端正な顔立ちの男の子を見ながら現実逃避していた。燃えるような紅蓮の髪に、これまた燃えるような瞳を持つ彼は炎の魔法を得意としている。得意なんだから、今その魔法を使って自分を乾かして何事もなかったかのように去って行ってほしい。そんな願いも虚しく、彼はただただ私を見て突っ立っている。
「ええと、ごめんなさい。あの、木に水をあげようと思いまして」
にこり。必殺ソラルスマイル。これでどうにか誤魔化されてくれ。目の前の彼が口を開く。齢15歳にして威圧感のある雰囲気を持っている。さすが王族とでも言うべきか。
「木は、俺から15歩ほど離れた場所にあるが」
「はやく元気にしたいと気持ちが逸ってしまって」
「元気に青々と生い茂っているが」
「あら! 私には、枝が垂れて見えてしまいまして」
「空に向かって元気に伸びているが」
「……」
「お前、名前は?」
「も、モブ・デスヨ」
「ソラル・オランジュだな。ついてこい」
なんだなんだと人が集まってきてしまったため、素直に彼の背中についていく。観衆の中にシーラを見つけて泣きそうな目で訴えたが、ふるふると首を振られた。おい、シーラの隣の新聞部! "ソラル様に熱愛発覚!?"じゃない! "お相手はあのギルバート・ロート?"でもない!
「そこで待て」
生徒会室に入り、ソファを指差される。立ってなくていいんですね、ありがとうございます!
バフっと音を立ててソファに座ると、睨みつけられた。ひゃ〜こわいよ〜! 正直、仕事で大ミスをして魂200個を輪廻転生の輪から外してしまったときの部長の方が怖かった。いつもは何かあるとすぐにお母さんを呼びながらびええええんって泣くのに、いざと言うときのブチギレは怖い。怒らない人ほど怖い。
仮眠室と書かれた扉の向こうに消えてったのをぼけーと見ていると、生徒会室の扉からわらわらと人が入ってきた。攻略者と主人公ちゃんである。仲良さげにキャッキャウフフと笑いながら談笑していて、思わずニコニコしてしまう。
「あれぇ? お客さんですかぁ?」
鼻にかかったような甘ったるい声を出しながら、チェリーは首をこてんと傾げた。思わず10点というボードを掲げたいくらいの芸術的ぶりっ子である。私も婚活パーティでそれやってみよう……。
「ほんとだー! あのソラル・オランジュちゃんじゃないー?」
どうやら可愛すぎて有名になっているようだ。無駄に語尾を伸ばす彼は、蜂蜜のような色彩の髪と瞳を持つレイ・ツィトローネン。雷を操る遊び人ポジションの攻略者だ。アクセサリーをじゃらじゃらつけたレイは、歩く度にじゃらじゃらと音がした。重そうだな、着飾らないといけない人間って可哀想だな、なんて見ているといつの間にかそばにきていたクリスに右頬をするりと撫でられる。
「俺、一回君と話してみたかったんだー」
そう言って顔を近づけてくるクリスを、誰かの手がべしん! と叩いた。
「こいつは俺が連れてきた。触るな」
ギルバートがぎろ、とレイを睨む。その視線を受けて、仕方ないなあとでも言うようにレイは両手をあげた。私を背中に隠すように立っていたギルバートが振り返る。
「さて、ソラル・オランジュ。この制服がいくらか知っているか」
あれれれ、セリフどこかで聞いたことあるような。どこかのゲームで、どこかのイベントで聞いたことあるような。確か、ゲームの名前は"ロ"から始まるものだったような。チェリーを見るとこの世界で私の次に可愛いお顔が怖いことになっていた。
「お前にはそれ相応の働きをしてもらおう」
ああ、主人公ちゃんのイベント取っちゃった。
★★★★
さて、オーディエンス、この世界で一番可愛いのは誰でしょう? それはもちろん私だ。鏡に聞くまでもなく理解している。おそらくそろそろアイドルのスカウトが来る。あ、それは10年前に旅行した世界での話か。
一回くらいイベントを奪っても大丈夫でしょ、なんて開き直っていたけれど、どうやら世界一可愛い私はその一回でギルバートに気に入られた。好感度ゲージが見えるなら今80といったところか。なんでこんなに自信があるのかって?
「おい、お前マシュマロが好きだそうだな。レイが新しいカフェができたと言っていた。マシュマロが看板商品だそうだ」
「そうですか」
「だから、今日どうだ。ああ、心細いなら友達を誘っても良い」
「そうですか」
お分かりいただけただろうか。水をかけただけでこの熱の上げようだ。お湯をかけたらもっとすごかったかもしれない。
ーーなんて。そんな勘違いをしないのがエリート天使のソラルちゃん。天界の大学を主席で卒業した後、就職活動で大企業からもいくつか内定をもらったけれど、将来結婚するなら公的機関の安定した仕事についてる天使がいいと考えて全部お断りした。そして、この仕事につく人たちはどこか頭のネジがぶっとんでいることも知った。結婚するならIT(愛・テクノロジー)業界の社長がいいな。そんなスーパーエリートの私だからわかることがある。
ギルバートは私を通してシーラと近づきたがっている。
まったく、どうしよう!?!? 興味持ってるじゃん、むしろ好きじゃん。思春期で気になる女の子に話しかけられないシャイボーイだよ、これは。燃えるような真っ赤な瞳よりも顔が真っ赤になってるよー、そういう炎属性だったのかなー?
私はとっても優しい天使だから、もう婚約破棄イベントを起こそうという気持ちは無くなっていた。あの主人公ちゃん、もう何人かの攻略対象をクリアできるくらいの好感度に上げてるし1人くらいいいかなって。
それにしても、毎日毎日来られると少しめんどくさくなる。昨日は鎧屋さん、一昨日はポーション屋さん、そのまた前は盾屋さんだった。一周回ってカフェに落ち着いてくれてよかったよ。それでも、どんなお店でもシーラに一緒に行かないかと誘うと頑なだし、一体どうすれば良いんだろう。
「あ、シーラ」
「!?」
「うっそぴょーん! ぎゃー!」
鬱憤を晴らすかのようにからかってみると、机を燃やされた。こわいよ〜。
★★★★★
魔法学院という名の通り、魔法の使い方を学ぶのがこの学院だ。魔法はよくあるファンタジーのようにいくつか属性がある。私は全属性使えるのだけれど、ソラル・オランジュは雷属性に設定した。仕事で疲れたときに弱い電気を流してマッサージなどをしているからお手の物なのだ。
「あ、ソラルちゃんだ!」
「レイ様。こんにちは」
「はーい、こんにちはー」
属性ごとに魔法の使い方が異なるため、授業は属性ごとにクラス分けをして行う。シーラは水、チェリーは光だから見張るためにはどっちかにすればよかったな、と思う。ま、光属性は主人公以外にいるとややこしくなるのだけど。
おっと、そこの遊び人、なんで私の横に座るの。空色の瞳を不思議そうに瞬かせる。
「あちらも空いているようですよ」
「そうだね! でもソラルちゃんの隣がいいなー」
「……そうですか」
「ねーねー、マシュマロが美味しいお店行ってみた? ギルに教えたとこ」
「いえ」
「そうなんだー。……そういえば、ここだけの話なんだけど、すごく辛いものが美味しいレストランがオープンしたらしいよ」
「……へえ? どこですか」
「あはは! 一緒に行こう? じゃないと教えてあげなーい」
私はマシュマロが好きと言っているが、本当は無類の辛い物好きである。なんでそれをレイが知っているかはわからないが、大方どこかのお店で辛いものを貪っているところを目撃されたのだろう。辛いものをかっ食らいながらお酒を飲む時間が至福なのだ。ただ、私は酒癖が悪いようで、よくカイルくんに「ソラルさんって酒癖悪いよね!」と言われていた。記憶が吹っ飛んでいるので何をしでかしたかわからないのだが、こわいので聞いてもいない。
「今日の放課後なら空いてますが」
「え! 本当に一緒に行ってくれるの? うれしー!」
くっ……背に腹は変えられない。確か、この遊び人はすでにチェリーが攻略済みだ。あとは卒業パーティの告白イベントを待つのみという状態。
ちなみに、ギルバート以外の人は婚約破棄はない。ただ、逆ハーエンドでギルバートの婚約破棄の手助けを行う。婚約破棄後、逃げ出した悪役令嬢を尻目に、一斉に主人公への告白合戦が始まるのだ。
そして放課後、レイと辛いものを食べた後に家まで送っていくという申し出を断り、ルンルン気分でロマンティック通りを歩いているとチェリーと出会った。否、後ろから男に襲われ、暗い道に引き込まれたと思ったらそこにチェリーがいたのだ。主人公がやることじゃない!
「あんた、なんなの」
「えっと、ソラル・オランジュです」
「そういうことじゃないのぉ!」
ピンク色の髪を振り乱してぷりぷり怒るチェリーに思わず可愛い、と呟いてしまう。シーラが抱きしめたい可愛さならば、チェリーは頭をよしよししたい可愛さだ。男に押さえつけられているので今は身動きは取れないけれど。
「あたしが可愛いのはぁ、知ってるのぉ! あと、ギルバートだけなのぉ! ギルバートさえ、攻略すればっ」
「あのー、ひとついいですか?」
「何よぉ!」
下界にくる前に、どんな魂を転生させてしまったのか書類には目を通してきた。8徹した状態だったので頭は朦朧としていたが、なんとか記憶には残っている。例えば、シーラの前世は遊び人に浮気されたことに傷ついて傷心旅行に行ってる最中、飲んだくれて階段から落ちて死んだとか(長くこの世界にいれたら良い飲み仲間になれた気がする!)、チェリーの前世は病弱で人生の大半を病室で過ごしたとか、ルーカス推しだった、とか。
「チェリーさん、隠しキャラを出したいんだと思うんですが」
「! なんでそれを、あ、あんた、もしかして……!!」
「ここって、ゲームじゃなくて、ゲームを再現した世界じゃないですか」
「は? 何が言いたいの?」
「いるんじゃないですか? その、逆ハーしなくても。図書館に隠しキャラ」
「!!!」
その考えはなかった、と言わんばかりの驚き顔。桃色のお目々をまん丸に見開いたチェリーはあほの子みたいで可愛い。
「あ、あんた! それでいなかったら許さないわよ!」
あんたたち行くわよ、と言って男たちを連れてチェリーはどこかに去っていった。
何を許すのか、何を許さないのかわからないが、私の可愛さを許せないのはわかる。まあ、結論、図書館に寡黙でどこかぼんやりとしている、アメジストの瞳を持った攻略対象はいる。だから私は何かが許されるわけだ。
事実確認をしないままに突っ走ってしまうのはゲーム世界に転生した魂にありがちなので仕方ない。しかし早めに出会って、早めに落としていただけると幸いである。早めに伝えればよかったんじゃないかって? 仕方ない、私は夏休みの宿題は最終日にするタイプなのだ。締め切りが近づいてから本領発揮することって、あるよね!
「隠しキャラって、なーに?」
「ルーカスですよ。図書館にいる。彼のあだ名です」
「ふーん」
突然のレイ・ツィトローネンのカットインに驚きながらも、冷静に対処する。私がチェリーにルーカスの存在を教えたばかりにレイは失恋が決まったのだ。非常に可哀想だ。
「な、なんでそんな可哀想な目で見られるのー? ソラルちゃんが連れ込まれてるの見て、焦って助けに来たのに」
「ヒーローは遅れちゃだめですよ」
「なんか冷たくないー?」
その日は結局レイに家まで送ってもらった。
★★★★★★
恋にはときめきが必要だ。
キューピッド様は矢だけで感情を動かすことができるが、あいにく私にはその力はない。恋を生み出すには無理矢理ふたりをお化け屋敷にぶち込んだり、事件が発生したりすることが好ましい。
そして、このゲームにも漏れなく誘拐イベントがある。ある日ロマンティック通りを歩いていると馬車に押し込められるのだ。そのイベントを思い出したとき、ビビッときたね。これはシーラのカップルをくっつけるのにもうってつけだと。
私は仕事のできる天使なので、誘拐イベントが起こるタイミングを見計らってシーラを誘い、ロマンティック通りを歩いていた。タイミングはうろ覚えだったけど、チェリーが今日ロマンティク通りで買い物をするの、と言っていたので今日だろう。
あの日からチェリーは何故か私によく進捗を報告してくれる。
「あんたがぁ、よく一人でいるからぁ、可哀想だと思ったのよぉ!」
なんで話しかけてくれるの? と聞くと、ぷりぷり怒りながらそんなことを言っていた。可愛い奴め、とほっぺたを突いていると、それを見ていたシーラが放課後のお茶会で私のほっぺも突いてほしいと言い出して私はあまりの可愛さに気を失いそうになりながら、ちょん、と突いた。
そんなシーラと今日はお買い物である。
「お揃いの髪飾りを買いたいわ」
「もちろんですよ、買いましょう。ところで、最近ギルバート様とはいかがですか?」
「な、何もないわ。だってギルバート様は……」
「言ったじゃないですか、チェリーはルーカスが好きだって。だから、もう素直になっても良いと私は思いますよ」
「ううん、そうね、それはわかってるの。だけど、これまで避けてきたからどんな顔してお話しすれば良いのか……」
「笑いかければそれだけでギルバート様は喜ぶと思いますよ」
不安そうに揺れるライラックの瞳に安心させるように笑いかける。
最近魔法の授業で副会長のセシル・ブラウをずぶ濡れにしてしまったとか、シュヴァルツ先生の口癖は「どうだ」で授業の中で22回言っていたとか、そんな話をしながら歩いていると仕立て屋さんの前に立っているピンクの姿を見つけた。
「あ、チェリーさんだ。こんにちは」
「ん? あー、ソラル何してるのぉ? あれぇ、そっちのは悪役令嬢じゃないのぉ」
「えっ? 今なんて……」
転生した主人公としては意識の低すぎる前世の知識ポロリに、シーラが反応する。こうなったらお互いを紹介するか。そう思って息を吸ったと同時に、ハンカチを押し当てられて気を失った。
意識が戻ると、煙たい倉庫の中にいた。すやすやと寝転んでいるチェリーとシーラをそのまま転がして、千里眼を使う。確か、夜にデートの予定だったのにチェリーが来ないことに気づいた攻略対象者がチェリーを探し、助けに来るはず。今回はルーカスが来ると思うんだけど、一緒にギルバートもきてほしい。
ということで、誘拐に合わせてギルバートの元に手紙が届くように仕込んでおいた。誘拐先の場所は分かっていたから、ここに預かってますって書けば良い。なんとも親切な犯人だ。
千里眼で状況を確認すると、その手紙は封を切られた状態で生徒会室に置いてあった。ちょっと、あの、できれば隠して欲しかったな。
そして目論見通り、ギルバートとルーカスがこちらに向かっている。
よしよし、一安心して千里眼を切ると、シーラとチェリーが恋話をしていた。いったいどういう状況!? ソラルも混ぜて!
「ソラル! 起きたんですね」
「あんたぁ、大丈夫ぅ?」
「大丈夫です、おはようございます。それで、今はなんの話を……?」
「あぁ、この悪役令嬢も転生者だったみたいねぇ? ギルバートはとらないから安心してぇ、むしろぉ、全然靡かなかったわよぉって言ってたのぉ」
「主人公が、チェリーさんが転生者と知らなかったので驚いたんですが、ちょっと安心しました……!」
「よかったですね、シーラ。チェリーさんも順調なんですか?」
「順調よぉ。んー、というかぁ、あたしも、呼び捨てでいいわよぉ」
そう言ってチェリーが顔をさくらんぼのように真っ赤にする。それを見たシーラは嬉しそうに顔をぱああっと輝かせた。思わず今が誘拐されていて汚い倉庫の中にいて、しかも縛られて芋虫のように転がされていることも忘れてしまう。シーラが嬉しそうに「チェリー」と呼ぶと、恥ずかしがったチェリーがゴロゴロと埃を立てて転がっていった。
そんな戯れをしていると、倉庫の扉が弾け飛ぶ。
「チェリー、無事か」
「シーラ! 迎えにきた」
「ソラルー。おいでー」
朝焼けの空のような紫の髪をかき上げながら、普段図書館でつけているメガネを外し、陶器のような肌に汗を浮かべるルーカス。その正体は失われし王国の王子様。チェリーに駆け寄ってそそくさと縄を外し始める。「どうしてこんな埃まみれに……」と憂いているが、それは自分で転がったのです。
シーラに駆け寄るのはシャイボーイのギルバート。どんな顔を合わせればいいのかわからない、と悩んでいたシーラは安心しきって涙を浮かべながら微笑んでいる。100点満点だ。静かに見つめ合ってるのも良いけど、早く縄を解いてあげてほしい。
そして、何故か私の名前を呼んだレイがこちらに駆け寄る前に私は縄を引きちぎった。恋愛フラグなんていらないんだ。そんな私を見て、レイがお腹を抱えて笑う声が倉庫に反響する。
そんなこんなで緊張感のかけらも無かった誘拐イベントだけど、どうやら距離を縮めるにはちょうどよかったみたいだ。シーラとギルバート、チェリーとルーカスがよく一緒にいるところが目撃されるようになる。
★★★★★★★
天使として4桁生きる予定のある私にとって、卒業パーティまではあっという間だった。
誘拐イベントからもいろんなことがあった。シーラ、チェリーと花火を作って校舎を爆破したり、焼き芋をしてギルバートの持っていた書物を焦がしたりーー王家秘伝の書物だったらしい。焦るギルバートごとシーラが水をかけてびしょびしょに濡らしていた。燃えなくてよかったーー、雪合戦で血が流れたこともあった。
こんなのゲームでなかったよ! と言いながらはしゃぐのはとても楽しくて。ゲームはあくまで一部を切り取ったものであって、本当は連続した時間が流れているんだと再確認した。そして、ゲームが終わってもこの物語は、みんなの人生は続いていく。
卒業パーティには見つめあってダンスを踊るチェリーとルーカスの姿があった。そして、シーラとギルバートも、真っ赤な顔をしながらステップを踏んでいる。
結局私がこの世界に来なくても、こんな景色を見れた気がする。ただの旅行になっちゃったけど、楽しかった。
みんなの人生が幸せであればと思いながら微笑んでいると、ワイングラスを持ったレイが横に移動してきた。蜂蜜色の髪を片耳にかけ、ワックスで整えたその姿は周りの視線を集めている。しかしレイが来る前にすでに私だけで視線を集めまくっていたので特に何も思わない。空色のドレスを着た私は相変わらず世界一可愛いのだ。髪飾りは、シーラとチェリーとお揃いにしている。
「ソラルちゃんは踊らないのー?」
「うん、私は壁の花なのです」
「ふーん」
まあ、君がそれでいいならいいんじゃない。そう言ってレイはワインに口をつける。
「レイ様は踊らないんですか?」
「うん、俺も壁の花だよ」
「そうなんですね」
レイ様がそれでいいならいいと思います。同じ言葉で返すと、レイが喉を鳴らして笑う。
「ワイン飲む?」
「うーん」
「お酒好きじゃないっけ?」
「あれ、話しましたっけ? まあ、好きなんですけど。そうでなくて、昔の知り合いに酒癖悪いって言われてまして。一回じゃなくて、何度も。だから大切な場所では飲まないようにしてるんです」
お仕事中だし、とも心の中で付け足す。
「ふーん。それなら仕方ないねー」
グッとワインを飲み干し空っぽにしたレイは、グラスをテーブルに置いてこちらに向き直った。そして、恭しく片膝をおり、私に手のひらを差し出す。
「レディ。私と踊ってくださいませんか?」
「……壁の花って言ったじゃないですか」
「まー、いいでしょ?」
「そうですね、仕方ないです」
ぽん、と手を乗せて、ダンスフロアへ向かう。軽やかに右足を踏み出すと、あとは音楽に身を任せるだけだ。くるくると回ると、煌びやかな世界が更にキラキラ色彩豊かに見えた。途中、シーラと目があって笑い合ったり、チェリーがウィンクしてきたり。思わずソラル・オランジュを忘れて、ただのソラルとしてにいっと笑うと、それを見たレイが「ソラルちゃんって本当に、黙ってれば可愛いよね」と呟いた。余計なお世話だと足を踏む。くるくる、くるくる。きっとゲームはクリアしていて、今はエンドロールの時間だろう。くるくる。
下界での最後の夜は、そんな風に過ぎて行った。
「俺のこと、忘れないでね」
そんなことを耳打ちされて、頬が赤らんだ、なんてことはない。まったく。
epilogue
天界に帰ってきた私を出迎えたのは、新人天使くんの退職願だった。
私の分まで仕事をこなしてくれていた新人天使くんは頭がパーンとなったそうだ。こんなことなら火消しもせずに彼に全責任をなすりつけていたのに。
そんなことを天界の一等地にあるバーでマスター相手に愚痴っていると、隣に人が腰掛ける気配がした。だが、私はそんなことはお構いなしにマスターに一生懸命に話しかける。あのね、マスター聞いて聞いて! ちょっとどこ行くの! もっとお酒オーダーするからここにいて! ーーうざ絡みではなく、可愛らしく一生懸命に話しかけているだけだ。すると、右頬をするりと撫でられた。驚いて振り向くと、数年前に送別会をした彼がそこにいた。
「やっほー、ソラルさん」
「えっ、カイルくん? ひさしぶりー!」
「あはは! 相変わらず酔っ払うとテンション高くなるねー」
最近何してるの、と聞いてくるカイルくんに、マスターにしていた話をもう一度繰り返す。酔っていても機密事項を守るくらいの分別はあるので、"新人のミスを頑張ってカバーしたら新人辞めちゃった"と"旅行行ってきた"のふたつに分けて伝える。
「ふーん、大変なんだねー。下界はどうだったー?」
「楽しかったよ! 大変だったけど、人間ってやっぱり愛おしいなーって思ったの」
「それはよかったー。楽しんでもらえたようで何よりだよー」
「うん! あれ、カイルくん、カラコンつけてるの? しかもその色、ふふっ、時代遅れだよ」
「あー、そう? かっこいいかなーって思ったんだけどなー」
一時、天界の天使たちの間で真っ赤なカラーコンタクトレンズが流行ったことがある。私もつけていた。天界では赤い瞳は悪魔の印だが、それが逆にクールだという評判だった。だが、それは昔の話。今は時代遅れである。
おしゃれしようとするなんて可愛い、と思いながらカイルくんの顔を見つめていると、なんだか既視感を感じた。なんだろう、同期だから昔会ってたんだけど、それよりも最近会ったような……。
「俺の顔に何かついてる?」
「いや、なんか既視感が、こう、ブワッと」
「あはは! 何それー。同期だから当たり前じゃない?」
「確かにそうなんだけど。うーん、なんだろう、ここまで出てるんだよ」
「ふーん。じゃ、もっと飲もっか!」
そう言ってマスターにお酒をオーダーする。そうだね、飲んだら思い出すかも!
その後、楽しい気持ちになっちゃった私たちは朝まで飲み明かした。私は「ソラルさん、そろそろ俺と付き合おー?」と言われたことも忘れたし、カイルくんの目を間近で見たときにコンタクトじゃなくて裸眼と気づいたことも忘れたし、カイルくんがつけているアクセサリーがじゃらじゃらと音を立てていたことも、全部忘れたのだ。
そして次に会ったとき、カイルくんは「ソラルさんって本当に酒癖悪いよね!」と言うし、私はそれを重く受け止めて禁酒をするのである。いつものように一日だけ、だけどね。
カイルくん、いったい何者なんだ