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閑話 フレデリック・ベイカーの日常

 兄上が、あの憎いギルバートと旅に出て、早一日が経った。

 兄上があの男と冒険に出ることも、そのまま2、3日戻らないことも珍しくはない。

 兄上とあの男が一緒に領地に戻られて、私は王都に残ったこともある。

 兄上としばらく会えないことは何度かあったのだ。


 しかし


 兄上に会いたい。

 兄上のお声が聴きたい。

 兄上のお顔が見たい。

 兄上に頭をなでてほしい。

 兄上に思いっきり抱き着きたい。


 兄上に半年もの間会えないと考えただけで、おかしくなりそうになる。


 兄上からもらった兄上の色をした小さな熊を膝の上でそっと撫でる。

 兄上からの連絡はまだない。しかし、まだ一日。今通信をしてしまえば、この兄上の目の色をした魔石の寿命を速めてしまうことになる。


 まだ我慢だ。フレデリック・ベイカー。

 まだ耐えろ。フレデリック・ベイカー。


 自分に言い聞かせながら、熊の心地よい手触りにふと先日兄上と一緒に眠ったときのことを思い出した。

 夜中にふと目が覚めて、仰向けのきれいな姿勢を保ちながら、穏やかにすやすやと眠る兄上を眺めたときの幸福感。

 思わず、兄上の滑らかな頬に触れてみたときの感動。

 私と同じ色をした兄上のさらさらの髪に触れてみたときの優越感。

 私が触れたことに反応したのか、兄上が身じろぎしたときの胸の高鳴り。

 そのまま寝返りを打って、こちらを向いて手を伸ばしてくる兄上を見たときの高揚感。

 

 そして、その伸ばした手で私の胸元の寝間着を掴むと、すり寄るようにそのお顔を私の胸元に寄せてきたときにはこのまま死ぬのかもしれないと思った。


 しかし、次の瞬間、死神が訪れるべきは私ではないことを知る。

 

 兄上が小さな声で「ぎるぅ」と呼ばわったからだ。

 

 そのまますやすやと寝息の続く兄上の様子に、寝言であったことは理解した。

 だが、先ほどまでの輝くような高揚感は鳴りを潜めた。

 今や、私を支配しているのは、周囲の闇に溶け込むような真黒な高揚感だ。


 どのようにして奴を葬るか。

 いや、まずはこの兄上の夢の中から追い出さなければ。そこでふとした不安に襲われる。

 

 よもや、今夢に現れているのではなく、兄上は今横にいるのが私ではなくギルバートだと思っていらっしゃるのか…?

 先ほどは、母上から一緒に眠ることは禁止されたと言っていた。一緒に眠っていたのは小さな子供のころのことのはずだ。しかし、冒険に出た際のことまではわからない。

 私は血の気が引くような思いで兄上のお顔を見た。幸せそうに、安堵しきったお顔で眠っている。


「ぎるぅ…。もうだいじょうぶだよ…。きょうからいっしょ…」


 むにゃむにゃと、小さな子供のような口調で寝言を話す兄上は、寝間着を掴んだ手を離すと、今度は私の腕をぽんぽんと優しく叩いた。


 やはり、夢を見ている。兄上の様子に私はほっと安堵した。ギルバートが我が家にやってきたときのことは私も聞いている。おそらく、その日の夢を見ていらっしゃるのだ。

 小さな子供であったころの兄上の天使のような優しさに、暖かな胸の高鳴りが戻ってきた私は、兄上にぽんぽんとあやされながら再び眠りについたのだ。


 私も鬼ではない。ギルバートの過去を知り、兄上に心酔するギルバートの気持ちは認めないではないのだ。そして、その思い出を汚す程愚かでもない。


 おそらく、私が横にいたことで、子供が横にいる思い出を夢に見られたのだろう、と納得することにしたのだ。ギルバート。私の寛大さで命拾いしたことを神に感謝するといい。


 そんなことを考えていると、今度は奴が話したことを思いだし「ふむ」と一人息をついた私は、熊を大事に抱えたまま父上の執務室へと向かった。

 今日は父上は屋敷で仕事をされているのだ。そこにはきっとセバスもいるはず。


「父上。お邪魔してもよろしいですか?」


 ノックをして入室した私は、父上にお声をかける。


「フレディか。ちょうど休憩しようと思っていたのだよ。一緒にお茶をしよう」


 そそくさとソファーに移動してきた父上だったが、テーブルの上には飲み終わった茶器と食べ終わった茶菓子の皿が残っており、休憩をとってからまだメイドが来るほどの時間もたっていないことを示している。

 ちらりとセバスを見ると、黙って廊下に出た。メイドに新しいお茶のセットを指示するのだろう。


「ありがとう!さすがセバスはよく気が利きますね!」


 廊下から戻ったセバスに満面の笑みで私は声をかける。普段そんなことはしないので、若干警戒する気配を漂わせながら「お褒めいただき光栄です」と述べた。


「父上。実は、今日伺ったのはセバスのことなのですが…」


「セバスがどうかしたのかい?フレディ」


 私から満面の笑みを向けられたセバスを一睨みした父上は、破顔してこちらを振り返る。セバスは、一切表情を変えることもなく静かに立っているが、わずかに「めんどくさい」という空気を出し始めている。


「あの…。先日の兄上のお話から私も考えたのですが…。父上の後を継がれるのは兄上しかいないと私も思っていますが、だからと言って私が今のままというわけにもいかないと思うのです。もっといろんなことを勉強して、これから父上と兄上をしっかり支えられるようになりたいのです」


 私の話に頷きながら「フレディ…立派になって…」と涙を浮かべる父上のことは突っ込まない。


「それで…父上…お願いなのですが…。父上にしかお願いできないので…」


 ちらりと上目遣いに父上を見上げると「よし。叶えよう」と二つ返事で父上が笑っている。

 セバスが「旦那様」と声をかけているが、父上は無視しているし私も無視だ!


「ありがとうございます!父上!では、セバスを私にください!」


「は?」


 声を出したのはセバスだ。父上は「ひゅっ」と息を飲んだまま手元のフォークを取り落とし、まだ一口も食べていない給仕されたばかりのケーキにフォークが刺さって立っている。


「兄上も、子供のころにセバスを頼りにしていたと聞きました!私もセバスから色々教わりたいですし、お風呂の世話も兄上はセバスを頼っていたのでしょう?その秘訣も教わりたいですね!」


 無邪気を装って私が告げると、セバスはもう表情を隠すこともなく明らかに「めんどうなことに巻き込むな」という顔をしていた。


「せぇ~ばぁ~すぅ~」


 地の底を這うような声を出した父上は、セバスにふらりと近づくとその胸倉をつかんだ。


「お前というやつは…確かに、アルフレッドは生まれたばかりのころからやたらお前に懐いていた…。風呂の世話も、夜寝かしつけるのも…お前が良いと言ってきかなかった…街へ出る供に選ぶのもいつもお前で…」


 ぶつぶつと恨み言をつぶやく父上は掴んだ胸倉をそのままがくがくと揺らそうとしている。

 しかし、がっしりと鍛えてあるセバスの体幹はびくともしない。執事なのになんでムキムキなんだろう…。それが兄上に好かれる秘訣か?そういえば、やたらギルドマスターや冒険者たちのことも慕っていらっしゃるな…。内心舌打ちをした私は、追い打ちをかける。


「父上、良いでしょう?私もそろそろ専属がいた方がいいと思うのですが、やっぱりよく知っていて頼れる相手が良いんです!それに、セバスなら武術の方もしっかり教えてもらえますし!ムキムキになる秘訣が知りたいですぅ!」


 甘えるように言い募る私の言葉を聞いた父上はぐぅと唸るとまたぶつぶつと「セバス…アルフレッドだけでは飽き足らず、いつの間にフレディまで…」と今度はセバスの胸板を右手で打ちながら言うが、やはりセバスはびくともしない。

 びくともせずに静かに立ったままのセバスは、うんざりとした顔で「フレデリック様」と声を上げた。

 父上は埒が明かないと判断したのだろう。


「なあに?私のものになってくれるの?」


 言葉選びはわざとだ。父上に恨まれて面倒なことになってしまえ。実際、父上は両手でセバスの胸板を叩きながら「セバス!お前なんか!お前なんか!」と言っている。クビだと言いたい気持ちを抑えているのだろう。まあ、セバスが父上のお側を離れては、公私に渡って色々と滞りが発生することは私も分かっている。

 これは、ただの暇つぶしと憂さ晴らしだ!


「ギルバートですか?」


 言外に「入れ知恵されたな?」と伝わってくるその呆れたような口調にむっとするが、そこでふと気づいた。

 そういえば、今私はセバスに恨みを持って憂さ晴らしをしているが、そもそも奴自身、セバスが兄上のお気に入りだったことは気に入らないはずだ。


 今、私は奴の手のひらで踊らされて、復讐の肩代わりをさせられている。


 そのことに気づいた私は愕然としてしまった。なんということだ。私ともあろうものが、あんな男に踊らされるなど!

 羞恥で一気に顔が赤くなったであろう私を見たセバスがため息をついた。それに腹立たしさを感じるが、仕方がない。これ以上やつの思い通りになるわけにはいかない。


「父上…。やっぱりセバスはやめますね」


 あっさりと言った私の方を父上が思い切り振り返る。


「いえ。やっぱりセバスほど鍛えるのは無理がありますし、もう少し年が近く、でも少し年上で兄上も頼りにしていて、私もよく知る人がいいなぁなんて…」


 確実に無理だということはわかっているが、ギルバートが浮かぶように話す。先ほどのセバスのつぶやきの効果も期待する。


「ギルバートか…?いや、しかし奴は…。いや、しかしフレディの頼みならもしかしたら…」


 と思ったとおり、父上がぶつぶつとつぶやき始めたので「とにかく考えておいてくださいね」とそそくさとその場を後にした。しばらくは父上がセバスにメンドクサイ絡み方をするだろう。それで許してやる。ギルバートも面倒に巻き込まれてしまえ。と父上の性格を知り尽くした私は気分よく自室に戻ったのだった。



 その数日後、兄上から待ちに待った通信が入り、楽しくおしゃべりをしていたのに突然通信をミハイルに変わられた。なんでも、兄上の困りごとを解決するのに良い働きをしたとのことで、そのお礼に少し私と話す機会を与えることを許可なさったらしい。


「ミハイル。兄上のためにありがとう」


 兄上のために役立ったのであれば、労うことはやぶさかではない。上機嫌で言う私に、ミハイルが「褒美に、今度領地に戻った際は一日でいいから護衛させてほしい」と訴えるので速攻で断りかけたが、奥から兄上が「フレディ、駄目かな?」とおっしゃる声がしたので、二つ返事で了承した。兄上の期待は裏切れない。

 まあ、あのギルバートを出し抜いて兄上のお役に立ったというのだから、褒美をやるのも仕方のないことだなと思い、同時にどうやって兄上にお褒めいただいたのか、聞きださねばと心に誓ったのだった。


 そして、わずかながら兄上との癒しのひと時を過ごした私は、その日は気持ちよく眠った。

 兄上と一緒に、先日兄上が乗っていらした新しい魔道車で旅に出るとても幸せな夢を見た私は、そのあとしばらくご機嫌に過ごしたのだった。




 一日護衛時に、お役に立った事情を知った私に死神が乗り移りかけたり、このことがきっかけでミハイルが私の専属となってしまい、絶叫を上げたりする羽目になるのはまだ先のお話。

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