M73 ゼスマイヤー公爵
『あたしはヤマダ=ハナコよ。』
マリに伝えた言葉は間違っていない。あたしはヤマダ=ハナコとして生を受けこの家で育った。
でもだからと言って何かが変わるのかと言えば結局は何も変わらない。あたしの記憶には今なお風見陽菜として生きた18年間の記憶が燦然と輝いているし、その記憶が霞む事も無い。
つまりあたしの中ではヤマダ=ハナコと風見陽菜が同じくらいの存在感を放ってせめぎ合ってる感じなんだ。
いや、だって18年だよ? そんな簡単に消えるモンじゃ無いでしょ。
だからあたしは今まで通りに生きていく。
『一時的に記憶を失ったけど、今は少しずつ昔の記憶を取り戻しつつあるハナコ家のヤマダお嬢さん』の設定で生きていく。
ただ、あたしの中で変わった事もある。
マリに宣言した事で今ままで宙ぶらりんの存在だった「ヤマダ=ハナコ」があたしの意識の中にしっかりと根付いた事。
決意でも何でもそうだけど『誰かに話す事に拠って自分の意思や考えを確立する』『想いを本物にする』って事はあると思う。
前世でも部活で周囲の人に
「あたし次の大会では3位以内に入るわ。」
と言った事でチャラチャラ出来なくなった。そして本気で練習に取り組み始めた。そんでその結果、好成績に繋がった。
言葉は時に何よりも強い力を持つ。
まあ、だからこそアヤとの関係は口には出来なかったんだけどね。
『恋人になろう』
そんな男女の間柄なら伝えて当たり前の事が言えなかった。多分アヤもそうだったと思う。
言えば後には退けなくなる。
ソレが怖かった。
「・・・。」
あたしは隣で本を読んでいるマリを見た。
でもこの子とは・・・。この子とはいつの日か2人の関係をハッキリと口に出来る様にしたい。
その時マリは喜んでくれるのかな。それとも困った顔をするのかな。多分の期待と少しの不安が入り交じる。
ああ、あたし何で男に転生しなかったんだろう。でも男に転生していたらマリとこんな関係にはなっていなかったんだろうな。うう・・・ジレンマだ。
あたしはそっと溜息を吐いた。
☆☆ ☆☆ ☆☆ ☆☆ ☆☆
更に時は過ぎていく。
あたしとマリは流れて行く時間の中で、剣術の稽古をし、授業内容をハナコ家の家庭教師のイングリッド先生を通して履修し、セーラ達から届く学園の様子が綴られた手紙に高揚し、時々我慢出来なくなってムフフな時間を過ごした。
お父様はあたしとマリが早く学園に戻れる様に色々と策を打って下さっている。
「下らん理由で娘達が貴重な学園生活を送れないでいる」事にお父様は結構ガチで腹を立てているらしく、普段なら決して接触しない方々にも面会して非情な策を打っておられるそうだ。
『怒らせたら怖い人』全開である。
12月に入ると学園では定期考査の季節だ。
色々な事情を鑑みてあたしとマリは1週間早い定期考査をハナコ家で受けた。今日は数学と国語と武術だ。
剣術試験はベラル先生にご来訪頂いて試験を見て貰う。
横であたしとマリの試験の様子を見ていたテオが「自分も剣術を教えてくれ」と先生にねだり始め、先生は苦笑しながら基本的な剣術を教えて下さった。
「先生、息子が我儘を申しまして・・・。」
招待したお茶の席でお母様がベラル先生にお詫びの言葉を伝える。
「とんでもありません。楽しい時間を過ごさせて頂きました。どうぞお気になさらず。」
先生は和やかに返されていた。
昨年は新人の先生と言う事もあって色々と頼りない先生だったけど、何か随分と落ち着いた感じになってた。
数学と国語の試験の回答はイングリッド先生が学園に持ち込み評価して貰う。
その結果は――あたしは満点。マリが2点マイナス。
「やっぱりヒナちゃんは凄いなぁ。」
「いや・・・あたしは満点じゃ無ければ逆に落ち込むレベルよ。元々はあたし高3女子だったんだからさ。中学1年生レベルの読み書き計算くらい満点取らないと。それよりマリが相当なモンだよ。」
「そ・・・そうかな。」
マリがポリポリと頭を掻いて照れる。
うーん・・・可愛いなぁ。
翌日は社会学と魔学。魔法の実技テストも先生に来訪して頂き合格を頂いた。鬼門の社会学も何とか満点を取れた。有り難う、記憶を失う前のあたし。
でも思い返してみれば、あたしヤマダ=ハナコは小さい頃から結構歴史が好きでソッチ系の本ばっかり読んでたもんなぁ。前世でも歴史好きだったし。その辺、なんか関係あるのかなぁ。
そんな感じで一風変わったあたしとマリの初等部2年生2学期の定期考査はアッサリと終了した。
そしてある晩、あたしとマリはお父様に呼ばれた。
「だいぶ待たせたね。明日から学園に通っても大丈夫だよ。」
「・・・。」
あたしとマリは咄嗟に反応出来なかった。
なんやて? 明日から学園に行っても大丈夫? 早くない? もっと時間掛かるかと思ってたのに。
あたし達が黙っているとお父様が訝しげに首を傾げた。
「どうした?2人とも。嬉しくないのかね?」
「あ、いや・・・。」
ハッとなってあたしは答えた。
「余りにも早かったのでビックリしただけです。もっと時間が掛かるかと思っていたので。」
マリがコクコクと頷いている。
「ハハハ。」
お父様が笑った。
「なるほど。だが私としては娘達の復学が掛かっていたんだ。少々強引に策を打ってでも早急に事態を解決させたかったんだよ。」
そうなの。そりゃ嬉しいけど。
一体何をやったんだろう。訊くのが怖い。とは言えひとまず。
「あ、ありがとう御座います。」
「ありがとう御座います。」
あたし達はお父様に御礼を言った。
「うむ。」
お父様は満足げに頷く。
「そ、それで、あの・・・お父様・・・」
あたしは恐る恐ると尋ねる。
「ん?」
「一体どうなったんでしょうか? その刺客の件とか、誰が裏で糸を引いていたのかとか・・・。」
お父様が「大丈夫」と言った以上、身の危険については何も心配はしていない。でも何がどうなったのかが気になる。
「うん・・・。」
お父様は少し思案されていたがやがて頷いた。
「そうだね。全部は話せないが少しはお前達も知って置いた方が良いだろうな。」
そう言ってお父様はあらましを話してくれた。
「そもそもの事の起こりとなった廃教会での傷害未遂についてだが、アレは君達も予想していた通りアビスコート侯爵が糸を引いていたんだ。」
やっぱり。
あたしはマリをチラ見した。けどマリも呆れた様な表情で特に傷付いている様子は無い。っつーか自分の娘にまで全く信用も期待もされていない男ってどうなのよ。薄っぺらい奴。
「あと、実際に君達を襲ったあの2人は単なるゴロツキだった。金を掴まされて引き受けたらしい。兵士として紛れ込めたのはアビスコート家とその一派が仕組んだから出来た事だ。」
うんうん。なるほどね。
「そしてこの件には第1王子、つまりライアス殿下の派閥も絡んできている。マリーベル嬢を保護する為に動いていたそうだ。間に合わなかった様だが。」
「え?」
意味が解らない。
「何でですか?ゲス・・・ライアス殿下派にとってはマリーベル様との婚約は都合が悪いんですよね。だったら・・・。」
放って置くのが1番都合が良いんじゃ・・・?
「昨年までならな。」
「?」
「昨年までならライアス殿下派にとってマリーベル嬢との婚約は無くしてしまいたいモノだった。しかし陛下が定めたこと故に変更出来ずに居た。ソレに加えゼスマイヤー公爵の後押しも在ったとなれば、下手な策を打って公爵に睨まれる事だけは避けたい。だからマリーベル嬢に対して危害の心配は無かったんだ。」
「・・・。」
「だが状況はもう変わった。」
どういう事だろう?
あたし達は黙ってお父様の話の続きを待つ。
「ライアス殿下が昨年、学園の伯爵令嬢達に何をした?」
お父様の双眸に嫌悪の色が浮かぶ。
アレは酷かった。
「アレが引き金となって、元々少数派になってしまっていたライアス殿下派から第2王子のアルベルト殿下派に乗り換える貴族が更に続出したんだ。こうなると残ったライアス殿下派としてはマリーベル嬢が婚約者に収まっている間に代わりの婚約者を立てて陛下に認めさせてしまいたい。だが女性を女性とも思わぬライアス殿下の婚約候補者など上がる筈も無い。」
随分と嫌われたな、ゲス王子。まあ当然だよね。
「そして候補者も定まらぬウチに今回のマリーベル嬢への傷害計画が上がってしまった。だから連中は今回だけはマリーベル嬢を保護する方向に動いたのさ。」
でも間に合わなかった、と。
「それでお父様は何を・・・?」
「うむ、全部は話せないがゼスマイヤー公爵と面会を重ねていた。」
ゼスマイヤー公爵? どっかで聞いたことある名前だな。なんだっけ?
でもマリは知っているみたいだった。そしてその顔は酷く青ざめていた。
「ゼスマイヤー公爵とお会いになっていらっしゃったのですか?」
「そうだよ。」
「だ・・・大丈夫だったのですか?」
大丈夫ってどういう事?
ヤバい奴なの?
「マリ、知ってるの?」
あたしの問いにマリは頷いた。
「うん。前にヒナちゃんにも話した事あるけど、侯爵様と一緒に私の婚約話を国王陛下に提案した人。このアルマタニア王国の筆頭貴族よ。凄く頭の良い方で、とても冷酷な人だって聞いているわ。自分の考えにそぐわない人は容赦なく切り捨てる人だって・・・。確か第2王子のアルベルト殿下派の筆頭でもあった筈。」
・・・あ、思い出した。
1年の五草会の時にマリが丘の上で教えてくれたっけ。ヤバいじゃん。言ってみれば敵の大ボスでしょ?
お父様はマリを見て頷いた。
「確かに危険は在った。だが『竜を従えたくば其の巣に入れ』と言う言葉にも在る通り、事態を打開するには勇気を示す必要も在ったんだよ。」
竜を従えたくば其の巣に入れ・・・前世の世界で言うトコロの『虎穴に入らずんば虎子を得ず』のコッチの世界バージョンだ。
大成したけりゃ危なかろーが何だろーが勇気を出して逃げずに取り組めって意味だけど、それにしたって危険過ぎやしませんか?
「それにライアス殿下とマリーベル嬢の婚約話の支持者でもあった事だしね。」
いや、やっぱメッチャヤバいじゃん!
ホントに平気なのかよ父ちゃん!
「お、お父様、ホントに大丈夫だったのですか? 敵の大ボスで冷酷非情でモンスターみたいな人なんですよね!?」
「モンスター・・・。」
あたしの口走った言葉と慌てっぷりにお父様は苦笑した。
「確かにモンスターと言えばモンスターだな。だが彼は無法者ではない。決してブレない信念に基づいて行動している。その信念を貫く為ならば、例え血を分けた家族でさえも容赦なく切り捨てる。敢えて言うなら信念のモンスターと言った処か・・・まあそう言う意味では確かに冷酷非情だが、決して感情任せに動く様な無軌道な人間では無い。」
「その信念とは何なのでしょうか?」
マリが尋ねる。
「民の安寧さ。」
「タミノアンネイサ・・・?」
なん・・・?
マリが呟く。
「民の安寧・・・。」
・・・あ、ああ「民の安寧」ね。安寧な。解ってたさ。うん。
マズいぞ。何かさっきからあたし間抜けポジに立っている気がする。立ち位置の変更を要求したい。
「そう、民の安寧だ。そう考えると彼の言動にも筋が見えて来る。」
「そうなんですか?」
「うむ。例えば陛下にウケの良くないハナコ商会が、未だに妨害も入らずに商売が出来ているのはゼスマイヤー公爵が陛下を止めているからだしね。」
「・・・。」
そうなん?実は良い人なの?
「そしてマリーベル嬢とライアス殿下の婚約についても無駄な王位争奪戦をさせぬ為に賛同した、と言うのならば解る話だ。マリーベル嬢との婚約が成立した場合、多数派のアルベルト派は『ライアス殿下は競争から脱落した』事を察して落ち着くからね。争いにはならない。精々が少数のライアス派が躍起になる程度だ。」
「・・・でも、それじゃマリーベル様が可哀想です。」
「そうだね。だがゼスマイヤー公爵はそういった感情は持たない。王位継承争いが激化して貴族達の啀み合いが表面沙汰になれば必ず民がその煽りを喰らう事になる。民の安寧を護る為なら1人の貴族令嬢が不幸になる事は気に掛けないんだ。だからこそのモンスターさ。」
「・・・。」
言ってる事は理解出来た。
デイプール領の件を考えれば、あたしだってエロルだかエルロだかの人生なんてどうでも良いと思ってるし、でも領民の人達に不幸になって欲しくはないと思ってる。似たようなモンだ。・・・いや、個人的な感情を多分に含んだあたしよりゼスマイヤー公爵の方が余程に理性的だ。
でもその為にマリ1人が不幸になるのはやっぱり納得いかない。
あたしの顔を見てお父様は頭をポンポンと叩いた。
「お前がそんな顔をしてどうする。マリーベル嬢は受け容れているぞ?」
そう言われてチラリとマリを見ると、彼女は静かに微笑んであたしを見ていた。ったく、あんたは度量が広すぎるわ。あたしだったらブチ切れてるわよ。
「事情は解りました。では、あたし達が学園に通っても大丈夫と言うのは・・・?」
「ゼスマイヤー公爵が社交界に口を利いてくれた。『今後、マリーベル=テスラ=アビスコートとその友人達に手を出す事を禁じる。手を出した場合はゼスマイヤー家を敵に回すと知れ』とね。」
「・・・?」
ソレってどう言う事? 何か色々おかしい。
「解らないって顔をしているね。」
「はい。」
「簡単に言ってしまえばゼスマイヤー公爵はアビスコート侯爵を切り捨てたという事さ。」
「え・・・。」
「公は言っていたよ。『最初に案を持ち込んだ迄は良かった。が、その後は何もせずに放蕩生活を続けており、細かな調整は儂がやっていた。役立たずは必要ない。』とね。」
ああ・・・提案だけして『やった気』になっちゃったのか。そりゃダメだ。最後まで自分主導でやり切らなきゃね。
そしてお父様は更にゼスマイヤー公爵との会話の一部を教えて下さった。
☆☆ ☆☆ ☆☆ ☆☆ ☆☆
『サミュエル卿。』
『はい。』
『君はこの国と周辺の国々を比較してどう思う。』
『どうとは?』
『女性についてだ。』
『・・・諸国では貴族女性の社会進出が当たり前になってきましたな。』
ゼスマイヤー公爵は頷く。
『で、在るな。翻って我が国では、未だ女性は家に居るもの・・・という風潮が主流だ。』
『左様で御座いますな。』
『・・・時に卿の娘は中々に面白い発想で学園を賑やかしているとか。』
『はい。学園に留まらず、あの子は我が商会の当面の柱になり得る新商品やイベント事にも知恵を出してくれております。』
『うむ。』
『そしてマリーベル様も・・・。』
ゼスマイヤー公爵の目がスッと細まる。
でもお父様は臆すること無く言ってくれたそうだ。
『彼女も斬新な発想からクルマイスなる物を私に提案してくれ、その商品もこの国に大きく貢献してくれております。』
『・・・。』
『彼女は自分の生い立ちの不幸に腐る事なく前を向いて経験から知恵を絞れる賢い娘です。』
『・・・知っている。』
公爵は溜息を吐いて認めたそうだ。
『儂も足腰が弱ってきていてな。屋敷では妻共々世話になっている。』
『左様で御座いましたな。閣下にも何台かお買い上げ頂いておりました。』
『父親とは随分と違う。』
『はい。親子とは思えぬほどに聡明な娘です。』
『控えよ。あの男とて仮にも侯爵、卿より上位の貴族だ。』
『失礼致しました。』
『・・・。』
お父様を諫めるとか、やっぱ怖いな。
『この事は誰にも言わんと誓え。』
『娘達には話します故に、そのお積もりでお話し下さい。』
『娘か・・・まあ良かろう。』
『・・・儂はアビスコートを切る。』
『左様で御座いますか。』
『ライアス殿下はもうダメだ。敢えて此方が瑕疵を付ける必要も無く、自分から底なしの沼に嵌まっていきよった。従ってマリーベル嬢との婚約にも何の意味も為さない。』
『・・・左様で御座いますな。』
『そして先の傷害未遂の件だが。アレは同じように考えた陛下が、もう婚約関係は必要ないと判断してアビスコートに命じた事だ。儂もその場に居たのでな、ライアス殿下派に防ぐように命じたのだが間に合わなかった様だ。』
『・・・。』
『そう怒るな。故に詫びの意味も込めてこの話をするのだからな。儂は今日にでも貴族共に言うつもりだ。「今後、マリーベル=テスラ=アビスコートとその友人達に手を出す事を禁じる。手を出した場合はゼスマイヤー公爵家を敵に回すと知れ」とな。』
『閣下・・・。』
『もはやアビスコートと組む価値は無い。寧ろ将来を鑑みれば学園でも良好の人脈を作り上げている娘の方を護った方が民達に恩恵も多かろうて。』
『しかし其れではアビスコート侯爵が納得しないのでは? 事が成れば閣下の血筋の令嬢をアビスコート家の次男に嫁がせると・・・。』
『無能に嫁がせる人間など我が一族には居らんよ。奴には違う報酬を与えて黙らせる。』
☆☆ ☆☆ ☆☆ ☆☆ ☆☆
大体こんなやり取りが在ったそうだ。で、お父様もゼスマイヤー公爵と何か約束をしたらしいけどソレについては教えて下さらなかった。
「何にせよ、だ。」
お父様は仰った。
「この国の誰もが恐れる1番怖い貴族様の後ろ盾が付いたんだ。明日からでもお前達は学園に戻って大丈夫だ。」
あたしとマリは微妙な表情で笑顔を作る。
明日戻ってもみんな試験2日目で、あたし達は寮で大人しくしてるしか無いんだけどね。
まあいっか。戻って良いなら戻りましょうや。我が学園に。
1/21
誤字の指摘を頂きました。
早速、適用させて頂きました。
大変助かります。有り難う御座います。




