M25 倒れた
「ヒナちゃん、大丈夫?・・・やっぱり今日は休んだら良かったのに。」
マリは朝に言った事を、またあたしに言った。
「平気だよ。」
あたしは返す。余り平気では無いけど。でも、何か今はマリの側を離れたくない。
「・・・無理しないでね。」
マリは心配そうな表情でそう返してくれた。
それに休まなかった理由は他にも在った。武術祭まではあと3日。みんなも盛り上がってきている。何となく下位貴族のクラスメイトの中で中心になりつつ在るあたしが、昨日の事を理由に休むのは何だか士気に関わりそうで休めなかった。
大丈夫。今日1日ムチャしなければ良くなるさ。
『ズキズキ』
お腹痛い。昨日突かれたお腹の部分が痛い。一限目は凌げたけどね。コレ、結構辛いかも。
「・・・ヒナちゃん、次は武術の時間だけど。・・・ヒナちゃん?顔が赤いよ?」
声を掛けて来たマリがあたしの顔を見てそう言った。
え・・・?顔が赤い?
マリがあたしの額に手を当てる。
「!!・・・ヒナちゃん、熱があるよ。」
「え?嘘、そんなこと無いよ・・・」
マリに返しながら席を立った途端に、急に目の前が真っ暗になった。
目がチカチカする。アレ・・・何だコレ?貧血?ヤバいなあ・・・何かに掴まらないと・・・倒れちゃうなあ・・・。
其処まで考えるとあたしの思考はプツリと止まり、あたしは膝から崩れ落ちた。
遠くで何か悲鳴が聞こえるよ・・・。
急速に意識が浮き上がってくる。暗闇の世界に光りが差してあたしは目を開けた。視界がボヤける。
――・・・寝てる・・・。アレ?何してたんだっけ?
「ヒナちゃん!」
大好きな声が聞こえて、あたしはソッチを見た。
マリがコッチを見ている。柔らかくて温かい手があたしの左手を包んでくれていた。その瞳に溜まった涙を見て、あたしは笑顔を見せてみる。
「マリ。」
「大丈夫?」
「うん。」
何だか寝たらお腹の痛みも消えていた。あたし、倒れたんだな。
「無理しないでって言ったのに。」
マリが悲しげにそう言う。ああ、心配掛けたな・・・。
あたしはマリの頬に触れた。
「ゴメン。やっぱり1人はまだ不安で・・・。今日はマリから離れたくなかったの・・・。」
クラスの士気云々を言ったら怒られそうなので、休まなかった一番の理由だけ言う。
「ヒナ・・・」
マリは顔を赤らめる。でも嬉しそうに微笑んだ。
「それなら言ってくれたら良いのに。」
「そんな事言ったらマリも休んじゃうでしょ?」
「当たり前だよ。」
「ダメよ、そんなの。」
予想通りの答えにあたしは苦笑いしながら返す。それから訊いてみた。
「あたし、倒れたんだよね?それからどうなったの?」
マリは「あっ」て顔をして教えてくれた。
倒れた後、あたしを運んでくれたのはエリオット様らしい。リューダ様が先回りして医務室の先生に事情を伝えに行ってくれて、あたしは直ぐに診察されたみたい。
マリにあたしの様子を訊いて、目やらお腹やらを視て、顔色を視て・・・取り敢えずヤバい状態では無いらしい。それまでアイナとフレアが涙目で見守ってくれて居たらしいけど、大丈夫だと聞いて「みんなに伝えてくる」と、授業に戻ったみたい。
「強いショックを受けて、ずっと緊張状態だったから体調を崩したんだって。今日1日心を落ち着けて休んだら良くなるって先生が仰ってたよ。」
「・・・そっか。」
昨日の夜、マリに慰めて貰って落ち着いたつもりだったけど、まだ引き摺ってたんだな。
「今日はもう帰ろう?」
「うん。」
マリの言葉に頷く。けど、やっぱり1人は怖いな。さっきは強がってマリに休んじゃダメなんて言ったけど・・・。あたしはマリを見上げる。
「・・・あのね・・・。マリは・・・?」
マリは嬉しそうな顔であたしを優しく抱き締めてくれた。
「もちろん一緒に早退するよ。」
あたしもマリの優しさが嬉しくて彼女の背中に手を回す。
「ありがとう、ゴメンね。」
マリは首を振った。
「こんな時に私を頼ってくれて、ホントに嬉しいよ。ヒナ。」
「うん。」
早退して部屋に戻ると、マリはあたしを寝かせて甲斐甲斐しくお世話をしてくれた。
御夕飯を作ってくれて・・・そう、マリはあたしから調理の仕方を教わって料理をモノにしている。火付け石の扱いはあたしより上手。ホントに細かいトコまでハイスペックな子だな。
「本当はオカユが良いんだろうけど、この世界のお米ってあんまりオカユに向かないから・・・」
と言って、パンとバナナをミルクでトロトロになるまで煮込んだポタージュの様な物を作ってくれた。口に運ぶと甘くて飲込みやすくてメチャクチャ美味しかった。
「美味しいよ、マリ。」
「良かった・・・。乳児の離乳食らしいんだけど、気に入って貰えて良かった。」
・・・お・・・おう。離乳食ね・・・。いや、でも今のあたしには凄く有り難いわ。マリが一生懸命に考えてくれたんだもんね。・・・ヤバい、ホントに嬉しい。
その後、身体を拭いて貰って・・・流石に『アノ時』の事を思い出してちょっと恥ずかしかった。マリも顔を赤くしていたけど変な事にもならずにスッキリとさせてくれた。
「ゆっくり眠ってね。」
マリはそう言うと、あたしが眠るまでずっと側に居てくれた。
・・・あ、寝てたんだ。眼を醒ましたあたしはボーッとした頭でそう思った。
「気分はどうだい?ヤマダ。」
渋いカッコいい声が直ぐ横で優しくあたしに問いかけた。
ソッチを見ると見慣れた顔があたしを覗き込んでいた。
「お父様?」
ちょっと驚いた。何で居るんだろう?
「どうして此所に居るんですか?・・・マリは?」
あたしの問いかけにお父様は首を捻った。
「マリーベル嬢の事かな?彼女は自室にいらっしゃるよ。親子水入らずでどうぞと、席を譲って下さった。」
「そうだったんですか・・・。」
・・・何か色々と言わなければいけない気がするけど頭が働かない。
「優しいお嬢さんだ。お前のことを心から心配して下さっていた。感謝しなくてはな。」
「はい。」
あたしは頷いた。
・・・ええと・・・
「お父様は此所に居て大丈夫なんですか?ここは女子寮だから見つかったら大変です・・・。」
あたしのボケた心配にお父様は苦笑する。
「もちろん寮母様の許可は取っているよ。そもそも娘が倒れたと聞いて飛んできた父親を追い返す女子寮も無いだろう?」
「はい。」
あたしが頷く。
「学園と寮母様からお話は聞いたよ。・・・怖い思いをしたね。」
お父様はあたしの頭を撫でてくれた。その途端にまた目から涙が溢れてくる。
「・・・はい・・・。とても怖かったです・・・。」
そう言うと頭を撫でるお父様の大きくて温かい手を、あたしはギュッと握り絞めた。お父様も握り返してくれる。
「大丈夫かい?ヤマダ。学園は続けられそうかい?」
心配げな声があたしに掛けられる。
あたしの意識が少しハッキリする。そうか、お父様とお母様ならそう考えるよね。あたしはお父様の顔を見る。
「はい、続けられます。マリ・・・マリーベル様が同じ部屋なので大丈夫です。・・・昨日もマリーベル様があたしの不安がっているのを見抜いて、ずっと慰めてくれていたんです。」
「そうか・・・。本当に良い友人に出会えたな。大事にするんだよ。彼女には何かお礼をしなくてはならないな。」
「はい。元気になったら、あたしが精一杯お礼をするつもりです。」
「うむ。」
お父様はあたしの笑顔を見て安心したのか席を立つ。
「次の休みには1度家に帰ってきなさい。お母様もテオも心配している。」
「はい、お父様。」
「では、私は帰るとするよ。こんな時間に女子寮に長居する訳にも行かないからね。」
あたしは帰ろうとするお父様に声を掛けた。
「お父様。」
踵を返そうとしていたお父様の動きが止まる。
「なんだい?」
「心配をお掛けしてごめんなさい。来てくれて嬉しかったです。ありがとう御座います。」
お父様はあたしの頬に手を当ててくれた。
「私もお前の笑顔を見られて良かったよ。来た甲斐があった。・・・ゆっくりお休み。」
「はい、お休みなさい。」
あたしは微笑んだ。
☆☆ ☆☆ ☆☆ ☆☆ ☆☆
ヒナちゃんとハナコ様はどうしただろう?私は気になって勉強も手に着かない。
その時、扉がノックされた。
「は・・・はい!」
私が駆け寄って扉を開けるとハナコ様が立っていらした。
「ヤマダとも話ができましたのでもう帰ります、マリーベル嬢。」
話ができたと聞いて私もホッとする。
「はい、お話が出来たのなら何よりです。」
思わず顔が綻んでしまう。
ハナコ様は暫くそんな私を見て相好を崩された。
「貴女のような御令嬢と同室させて頂けたのは、娘にとってもハナコ家にとっても本当に有り難い事です。娘も申しておりました・・・貴女と同室だから頑張っていけると。」
「そんな・・・」
私は顔が火照るのを感じながら言葉を探す。
「同室にさせて頂いて有り難いのは私の方です。いつも楽しい思い出と勇気を頂いて・・・本当にヤマダ様には感謝の気持ちでいっぱい何です。」
ハナコ様はとても優しい目で私を見て頷いてくれた。
「ありがとう。これからも娘を宜しくお願いします。」
「こ・・・こちらこそ!」
ハナコ様が頭を下げられたので、私も慌てて頭を下げた。
お帰りになるハナコ様の後ろ姿を見て改めて思う。カッコいい方だなって。男性としてもカッコいい方なのだろうけど、それよりも父親として最高に素敵な方だと。少しだけヒナちゃんが羨ましくなる。
扉をノックしてみる。
「ヒナちゃん?・・・入るよ?」
私が扉を開けると、ヒナちゃんが此方を見て微笑んでいた。良かった。だいぶ顔色が良くなってきている。
「少し元気が出てきたみたいだね。」
「うん、マリのお陰だよ。ホントにアリガトね。」
ヒナちゃんの少し大人しい笑顔が艶っぽくてドキドキする。変な事を考えちゃダメダメ。ヒナちゃんは病人なんだから。
「元気になったら何かお礼をするから、何でも言ってね。」
「な・・・何でも?」
お礼・・・それなら・・・またヒナちゃんと・・・。私はハッとなった。ソレは駄目だ。つい最近、ヒナちゃんはそう言う事で怖い目に遭ってるんだから。
「お・・・お礼なんて気にしないで。」
私がドモリながら伝えると、ヒナちゃんはジッと私の顔を見つめた。
ああ・・・。その綺麗なダークレッドの瞳に見つめられると、私はいつも吸い込まれそうになってしまう。
「マリ、顔が真っ赤だよ?・・・ひょっとしてエッチなこと考えてた?」
「か・・・考えてないよ!全然そんなこと考えて無いから。ヒナちゃん、ソレで怖い目に遭ったのに、そ・・:そんな事・・・。」
いきなり言い当てられて私は思いっきり否定する。
「そっか・・・」
ヒナちゃんはポソリと言った。
「もしマリが望むなら、ソレでも良いかなって思ったんだけど・・・」
え!?
私は愕然となった。・・・ああ、私のバカ・・・。
私はヒナちゃんが私をどう思っているのか良く分からない。好いてくれている事は分かってる。友達としても、・・・違う意味でも。じゃ無きゃあんな事はしてくれない。でも、どのくらい好意を持ってくれて居るのかが良く分からない。
時折見せてくれる何気ない仕草や視線が凄く色っぽいのに、別にその後に何かしてくる訳でも無い。
彼女は本当に綺麗な人だ。気取らず寧ろ粗雑な言動が多いのに、その細く長い腕や脚が動く度に、彼女が微笑む度に、しなやかな指が私に触れる度に、私は彼女に釘付けになる。
ヒナちゃんは無意識に私を魅了するんだ。そして私だけが勝手にドキドキしている。単純に私がそう言う目で見過ぎているだけなのかも知れないけど。
ヒナちゃんにも悪戯っぽく指摘された事あるけど、多分、私はヒナちゃんよりも『そう言う欲求』が強いと思う。
でも、かと思えば、時々だけど凄く大胆に私を翻弄してくれる時もある。ホント、良く分からない。でも、そんな彼女に私は胸のドキドキが押さえられない。
ヒナちゃん。これからも貴女が望んでくれる限り私はずっと側に居るからね。




