M2 入学式
わかっていた。わかっていたさ。そう簡単に戻れやしないって。
夢だったらいいな。そう思っていただけさ。・・・朝、溜息吐いてあたしはノロノロとベッドから這い出した。
「お嬢様、お早う御座います。」
「あ、お早う御座います。ライラさん。」
ウォークインクローゼットの1番手前にあった適当なドレスを引っ掴んで着替えようとしていると、昨晩からかなりお世話になっている金髪お姉さんメイドのライラさんが入って来た。
ライラさんはあたしの返事に首を振る。
「お嬢様、お嬢様はハナコ子爵家のご令嬢に御座います。私の事はライラと呼び捨てにして下さい。」
「いや、でも・・・。」
流石に年上のお姉さんを呼び捨てにするのは、あたしが元の世界で培った17年の常識に当て嵌めて考えても受け容れ難い。そう思って拒否の言葉を口に仕掛けた途端、ライラさんはとても悲しそうな表情で俯いた。
「・・・そうして頂けなければ、私が旦那様と奥様に叱られてしまいます。」
うぉ!?泣く!?年上の金髪美女が今にも泣きそうだよ!
「わかった!分かりましたから!!・・・えっと、ライラ?」
「はい。」
うわ、いい笑顔。ニッコリと微笑むライラさんに思わず見惚れる。
「それと・・・」
ライラさんは笑顔のまま、ツツッとあたしに近寄ると着ていたネグリジェを引っぺがした。
「!」
絶句して固まるあたしにお構いなく、予め用意されていたドレスをあたしに着せ付けていく。
「お嬢様の朝のお支度は、毎日私がお手伝いさせて頂いていたのです。これからもお目覚めになりましたらお待ち頂きますように。」
「い・・・いや、流石にそれは恥ずかしい・・・」
「お嬢様。これはお嬢様付きの私に課せられた朝の楽し・・・仕事なので御座います。」
――今、楽しみって言おうとしなかったか?この人。・・・まあいいや。
見る見る内にいっぱしのお嬢様に仕立て上げられたあたしは、テーブルセットに腰掛けさせられ朝の紅茶の時間に入った。
おおう・・・これが噂のティータイム。
注がれた紅茶はジャスミンティー。鼻腔を擽る芳香と僅かに感じる甘さが心地良い。
ああ・・・優雅だわ。
――前世を思い出す。遅刻だと飛び起きて15分で身なりを整え10秒で栄養をチャージして家を飛び出す毎日。殺人的な満員電車にて月1くらいのペースで出会す痴漢の手を思い切り爪で摘まみ上げ、上がる悲鳴で男を特定し、厳選した壮絶な侮蔑の視線で撃退する。そして学校に着いて・・・
別世界である。いや、実際に別世界なんだけど。
室内を整えるライラさんを目で追いながらあたしは考える。
昨日、姿見で確認したあたしの顔は見慣れたあたしの顔だった。でも、随分と幼く見えた。身体の凹凸もかなり慎ましやかになっていた。
「ねえ、ライラさん」
「ライラです。」
「・・・ライラ。」
「はい、何でしょう?」
「あたしは今、幾つなんでしょうか?」
言ってしまった後に質問のシュールさに顔から火が出そうになった。
「お嬢様は御年13才。12月には14才になられますよ。」
「そう・・・。」
4才ほど若返っているな。
「・・・因みに来週からお嬢様が入学されるグラスフィールド学園は2年間の初等部を経て高等部に進学。3年間の修学の後に卒業ですからね。覚えておいて下さいね。」
ライラさんはあたしの呆けた様子を見て不安に思ったのか情報を付け加えてくれた。
本当に出来たメイドさんだ。
・・・にしても、あのクソゲー開始は確か15才の高等部進学からだった。って事は、あたしが来週から入る初等部では何も起こらないんだな?
『いや、待て。』
『何を警戒しているんだ?』
あたしは思う。あたしは只の名有りモブ――いわばネームドモブだ。ゲームが開始されたからといって結局はなーんも関係無い。
関係あるのは定期テストでヤマダ=ハナコの名前が4位に載る事。自慢じゃ無いが高校での成績順位は学年で10位を下回った事は無い。この世界の学業レベルがどれ程のものかは分かんないけど何とかなると思う。そして、それだけを目指していればゲームのバランスを崩す事は無いだろう。後は自由にしていて良いはずだ。
思ったほど制限は厳しく無い。あたしを取り巻く環境もまるで悪くない。
『よし、楽しもう。』
色々考えても仕方が無い。いや、本当にマジで考えても仕方が無いんだ。『元の世界のあたしがどうなったのか』とか『元の世界に戻れるのか』とかいくら考えても答えは出ないんだから。
だったら、ここの世界の子になって楽しもう。
元の世界の友達があたしの性格をして下した評価
『サバサバし過ぎ』
『バッサリし過ぎ』
『男の子より漢らしい』
『風見陽菜男』
が良い方向に発動したようだ。最後の言葉を口にしたあいつは許さん。
気を取り直してあたしは再度ライラさんに質問をぶつけた。
「ライラ、以前のあたしはどんな感じだったのでしょう?」
するとライラさんは仕事の手を止めて、考え始める。
「以前のお嬢様ですか?・・・そうですね、今と雰囲気は変わりませんよ。聡明でお優しくてお美しい。先程のように私がお願いしたら直ぐに応えて下さる、とてもチョロ・・・愛らしい方ですよ。」
――今、チョロいって言おうとしなかったか?この人。・・・まあいいや。
あたしはそれから入学式まで、以前の自分を探る旅(屋敷の人に聞きまくるべく歩き回る)と勉学にマナーのレッスンに励んだのだった。
☆☆ ☆☆ ☆☆ ☆☆
時は流れて、入学式。
いよいよあたしは、貴族の令息令嬢が集うこの全寮制の学園「グラスフィールド学園」に入学を果たした。
『お嬢様、せめて週に1度はお戻り下さいませね。』
マジ泣きして抱き締めてくるライラさんに不覚にも胸を高鳴らせながらあたしは頷く。
『分かった。分かったからもう放して。ね?ライラ?』
金髪美女の泣き顔は尊いなあ・・・なんて事を思いながらあたしはライラさんの頭を撫でた。
そんなちょっとした騒動はあったものの、こうしてあたしのモブ生活の序章は幕を開ける。
日本人が何も考えずに準備したような平々凡々な入学式が終了するとクラスに分かれて移動が始まる。総勢で300人程は居るようだ。
指定されたクラスでは既に席が決められていた。クラスの右半分に令嬢が固められ、左半分は令息で固められている。あたしの席は右端の1番前の席だ。そこに大人しく腰掛ける。そしてソッと周囲を見渡した。男女問わず、皆一様に緊張している様子だ。
ゲームに登場していたキャラクター達はヒロインを除いて全員いる筈だ。
実は王子の存在は既に確認している。
新入生代表の挨拶は彼が務めていたんだから。
颯爽と壇上に上る彼の姿に、女子生徒の間から僅かに上がった悲鳴のような歓喜の声も致し方無い。金髪碧眼に見目麗しい顔の造形は知らない人が見たら息を呑むレベルだろうさ。・・・でも中身がかなり残念な事を知っているあたしはかなり冷めた眼で見ていたと思う。
それはともかく、平民設定のヒロインは高等部からの入学になるが、宰相の息子、騎士団長の息子、悪役令嬢は全員伯爵以上の高位貴族だから先程の入学式にも出ていた筈だ。
・・・こう言っちゃあ何だけど余り同じクラスにはなりたくない。
モブが関わっても良い事なんか1つも有るわけが無い。触らぬ神に・・・である。
『そう言えば・・・』
ふと思う。
『ヒロインの名前ってどうなるんだろう?』
ゲームではヒロインの名前はプレイヤーが決めていた。公式ネームも付けられていない筈だ。
「・・・。」
『ヒロ=イン』とか?
イン家のヒロお嬢さん・・・。
もしそうなら笑いを堪える自信は神に誓って皆無である。しかも、この適当なクソゲー世界なら充分にあり得るのだからその危険度はかなり高い。
2年も先の事など考えるのは止めよう。その内に嫌でも判明する。
クラス担任は女性の教諭だった。学園と寮の基本的なルールの説明が終わると自己紹介の時間だ。
1番手はクラスの右端の先頭から行われることになった。全員の目があたしに集中する。
「・・・。・・・!?」
オゥッ!あたしかよ!?
くっ、何も考えていなかった。しかし何時までも座ってはいられない。
ここは『アドリブに強い』と前世で評判だった風見陽菜さんの底力を見せる時。
あたしは席から腰を上げると全員に向かって取り敢えずのカーテシーをして見せた。貴族なんだから可笑しくないだろう?
「皆様、初めまして。ハナコ子爵家の娘でヤマダと申します。こう言った集団での生活は初めてになりますので色々と失礼もあるかと思いますが、どうぞ仲良くして下さいませね。」
そしてライラさんが優美と絶賛してくれた微笑みを投げて見る。
どうよ。およそ13才の子供の初っぱなの挨拶としては上々でしょう?
拍手を受けて静かに席に腰を下ろす。内心ではホッと胸を撫で下ろしながら。
次の御令嬢もあたしに倣ったのかカーテシーから始まり無難に挨拶をしている。
順番は回り、あたしの席の隣の子が立ち上がった。
そうなんだ。この子がずば抜けて可愛い。白銀のサラッサラなストレートヘアが腰にまで届きそうなロングスタイル。やや吊り目がちの双眸は南国の海を思わせるエメラルドグリーン。しかも睫毛がめっちゃ長い。やや小ぶりの鼻はツンと前を向き、唇は桜の花びらを溶かし込んだような艶やかな薄紅色。それらに付け加え、小柄な体格が愛らしさを加速させている。
深窓の御令嬢は斯くあるべし。とあたしの中の乙女脳が声高に訴えかけてくる。
お友達になりたい。是非、この子と・・・!
こんな子が相手ならあたしは百合展開だってYABUSAKAではない。
先ずはお名前だ!お名前をお聞きしなくては!
彼女はカーテシーを施すと怖ず怖ずと声を絞り出した。あたしの耳がどんな一言も聞き漏らすまいと全神経を集中させる。
「アビスコート侯爵家の娘でマリーベルと申します。皆様、宜しくお願い致します。」
「・・・。」
悪役令嬢だったあああーっ
☆☆ ☆☆ ☆☆ ☆☆
絶世の美少女兼悪役令嬢は静かに腰を下ろした。
触らぬ神に祟りなし。とあたしの中の乙女脳が声高に訴えかけてくる。
席を離れたい。是非、この子から・・・!
悪役令嬢が相手ならあたしは無視されるのだってYABUSAKAではない。
先ずは席替えだ!席替えを提案しなくては!
離れてさえしまえば何も起きないはずだ。だってあたしはその他大勢の1人に過ぎないんだから。
平穏なモブ生活を守るべくあたしは決意を固めた。