M16 砂時計
――翌朝。
目覚めたあたしは隣で眠るマリを見て昨夜の事を思い出した。
今思い出しても顔が火照ってくる。昨夜の彼女は今までを思い返してみた中でも特に情熱的な表情だった。何というか・・・本気でキスされるかと思った。
――もし本当にキスされていたら、あたしはどう思っただろう・・・。
ふと、そんな事を考えてみる。
『嫌だと思うかな?気持ち悪い?』
目を閉じて想像してみる。
『・・・そうは思わないな。むしろ・・・』
あたしは目を開いた。身体ごとこちらに向けて横向きに眠る彼女の寝顔を見つめた。
白銀の髪、真っ白な肌、小さな顔、長い睫。整った顔にこれだけのモノが上乗せされた、文句の付けようも無い美少女。・・・そして薄紅色の小さな唇。
その唇を見ていると訳もなくまた顔が火照ってくる。
「・・・」
あたしは無言で彼女の頬に手を添えた。
眠って少し体温が低くなっているせいか、ほんのりと冷たいその頬はプニプニしてとても愛らしい。
『あたしがマリを幸せにする。』
以前に誓った言葉を思い出す。
――本当に幸せにしているのかな。
あたしは思う。
――本当はあたしが幸せにして貰ってるんじゃ無いかな。
マリと言う存在が現れたお陰で、あたしの心の奥底に僅かに燻っていた転生したという不安が本当に取り除かれた。
マリはあたしに『腰を据えてこの世界をマリと一緒に歩んでいこう』という心強さをくれた。それがあたしにとってどれだけ救われたことか。
一緒に住みたいという意思表示をしてくれて、今こうして側に居てくれる彼女からあたしはコレほどに心の安寧を貰っている。
ひょっとしたら彼女もあたしに対してそう思ってくれて居るかも知れない。でもソレはソレ。あたしが彼女から大きな恩恵を受けている事に変わりは無い。
あの時のマリを幸せにすると言う誓いは本心だ。彼女の境遇と愛らしさに絆されて心からそう思った。でも其れは半分は同情であり、妹の様に思えた彼女を守ってあげたいという庇護欲から出た思いだ。
懸命に生きてきた彼女に対してコレは傲慢だったかも知れない。あたしまでが彼女への接し方を間違えてはいけない。
「ごめん、マリ。」
あたしは小さく呟いた。
態度は変えない。マリを愛でる気持ちも変える気は無い。でも、彼女に対する思いの根本の部分は見直してみよう。あたしは彼女とどんな関係を築きたいのか。
感情の出所が変われば自ずとあたしのマリへの感情は変化してしまうかも知れない。でもソレは恐れない。互いが傷つかない様にする為にも、そして互いの関係に自信を持つ為にも、多分だけど必要な事なんだ。
そしてその上で、成るように成れ、だ。
マリがゴソリと動いた。薄らと目を開けてあたしを見る。
「・・・おはよう。」
「おはよう。」
寝ぼけマナコで呟くマリにあたしは精一杯の思いを込めて微笑み挨拶を返した。
「!」
あたしがマリの頬に手を添えている事に気がつき彼女の頬が瞬時に紅く染まった。
「ヒ・・・ヒナちゃん?」
戸惑うマリにあたしは微笑みながらその滑らかな頬を撫でる様にゆっくりと手を離した。
「起こしてしまってごめんね。」
マリはビックリした表情で口をパクパクさせていたけど
「う・・・ううん、気に・・・しないで・・・」
やっとこさそう言った。
あたしが作った簡単な朝食を摂った後、2人でいつもの日課に移った。軽い筋トレに剣術の訓練。それを終えた後はお昼までの時間を夏期休暇の課題を終わらせる作業で過ごす。
マリがチラチラとあたしを見ている。うん、まあ朝起きてあんな事されてたら気になるよね。ちょっと気持ちが先走り過ぎたかな。
「ねえ、マリ。」
「は、はい!」
急に話しかけられて驚いたのか素っ頓狂な声でマリが返事をした。
「朝はゴメンね、変な事をして。」
あたしが言うとマリは慌てて首を振った。
「ううん!変な事だなんて思ってないよ。・・・それに変な事って言ったら昨夜こそ私が変な事をしてしまったのだし・・・」
そうだ。それも訊きたい。
「マリ、何であんな事を?・・・別に責めてはいないわよ。ただ、理由を知りたいなと思って。」
マリは視線を逸らして答えた。
「・・・その・・・久しぶりにヒナちゃんと同じベッドに入ったら・・・盛り上がってしまって・・・つい・・・。」
そっか、盛り上がってしまったか。
わかるわ。
あたしはマリの素直な思いに笑ってしまう。
「ふふふ・・・嬉しいわ。」
「ホント?」
「ええ。」
マリがホッとした様に笑う。
あたしは続けて尋ねた。
「貴女は・・・今、楽しい?」
「・・・」
何故そんな事を訊くんだろう?彼女の顔がそう言っている。けど、やがて彼女は満面の笑みを浮かべて頷いた。その笑顔にまた朝に抱いた気持ちが甦ってくる。
「うん、もちろんだよ。私はヒナちゃんと会えて生まれ変わる事が出来たのよ。」
あたしは嬉しくなった。
「そう。それなら・・・本当に良かったわ。」
あたしは心を込めてマリに微笑んだ。
「!」
マリが頬を染めて顔を背ける。
そんな彼女の仕草がとても愛おしく思えた。
午後からはリューダ様の特訓の時間だ。マリも今日は制服を着て見学している。
ここ2週間ほど彼のお相手が出来ていない。今日はしっかりと付き合わないとな。
久々のリューダ様は何だか少し逞しく成られた様に見える。
何というか・・・筋肉が付いた様に見えるんだ。それに・・・背も少し伸びた?
「リューダ様、少し背が伸びました?」
あたしが尋ねるとリューダ様は小首を傾げた。
「そうでしょうか?」
うーん、仕草が相変わらず可愛いな。
「まずはぶつかって来て下さい。」
「はい。」
リューダ様に恒例の鍔迫り合いを要求する。そして。
「お!?」
思わず声が漏れた。
凄く力が強くなっている。押し返せない。あたしは本気になって何とかリューダ様を押し返した。もう、力じゃ勝てないかな?さすが男の子。あっさりと筋力を追い抜かれてあたしは心の中で苦笑いした。
「ちゃんと足腰を鍛えているみたいですね。」
「はい、ハナコさんから頂いた練習メニューは毎日欠かさずやってます。」
キラッキラした笑顔を向けられてあたしは鼻血を吹きそうになる。
「そうですか、頑張っていらっしゃいますね。では、技の練習をして見ましょうか。」
「はい。」
あたしはリューダ様に視線や剣先を使ったフェイントを幾つか教えてみせる。それらを駆使してリューダ様自身に剣を打ち込んで見せると、リューダ様は感嘆の表情と共にあたしに打たれた部分をさすった。
特訓は続き、夕方になる頃。リューダ様はあたしに何回も剣で打たれながらも数々の技をモノにしていた。まさか1日で全部覚えられるなんて、モノ覚えメッチャ良いな、この子。
「今日は付き合って頂いて有り難う御座いました、ハナコさん、マリーベル様。」
上気させた頬を真っ赤に染めながらお礼を述べるリューダ様にあたしは思わずナデナデしたくなるのを押さえて
「いいえ、お安いご用です。」
と微笑んだ。
――部屋に戻って。
「リューダ様は強くなってた?」
マリが尋ねてきた。
「そうだね、ビックリするくらい力が強くなってたよ。今日は技もたくさん教えたし、2学期にはもうあたしも追い抜かれているかな。」
「そうなんだ。何か嬉しいね。」
「うん。」
2人で顔を見合わせて笑い合う。
「課題も終わっちゃったね。」
マリが名残惜しそうに呟く。
意外かも知れないが普通はみんなが嫌がる課題にもマリは楽しそうに取り組んでいた。いや、正確には『あたしと一緒にやる』課題を楽しそうに取り組んでいた。マリは友達と一緒に勉強するのが大好きなんだ。
「そうだね。明日にはアイナ様とフレア様も帰ってくるし4人で楽しく遊べるわ。」
「!・・・そうか、そうだね!」
お、笑った。
一応、アイナ様とフレア様の間で約束事が取り決められているらしい。『帰省中に必ず課題を終わらせる事』・・・うーん、アイナ様はともかくフレア様は終わらせているかなあ。少し不安。
――夜。
今日はマリのベッドにあたしがお邪魔した。
ふっかふかのベッドにふっかふかの羽毛布団。肌触りも最高でホンノリとマリの匂いがする。
「マリのベッドも久しぶりだね。」
あたしがそう言うとマリはくすぐったそうに笑った。
「そうだね。」
夏期休暇の寮は極端に人が少ない。
それだけに夜ともなるとホントにシンと静まり返って、あたしとマリしか居ない様な錯覚に陥る。
「ホントに静かだね。」
あたしはベッドに埋もれながらそう言った。
「私達2人しか居ないみたい。」
マリの声が直ぐ真横から聞こえる。
おんなじ事を思ってたんだな。
「あ、そうだ。」
マリが不意に起き上がってベッドを下りた。
「?」
あたしが上半身を起こしてマリを目で追った。
「どうしたの?」
「コレ。」
あたしの問いにマリは自分の机の上に置いてあった物をあたしに見せた。
それは帰省中に町でマリに買った砂時計だった。スターダストサンドと呼ばれる異国の砂浜で取れる砂を詰めた砂時計。
マリは手にしたソレを持ってくると窓際にコトリと置いた。
あたしはベッドで上半身を起こしたまま、マリはその隣に立ったまま砂時計を見つめる。
月の光が砂時計を照らすと砂は銀色にキラキラと輝きながらサラサラと下に落ちていき、幻想的な雰囲気を生み出してくれる。
「綺麗だね。」
あたしが言うとマリは呟いた。
「・・・ヒナちゃんが私にくれた大事な贈り物。私の一生の宝物。」
「アハハ、そんなに思って貰えるなら嬉しいわ。」
マリの呟きが気恥ずかしくてあたしは照れ笑いをしながら言った。
「こんなに温かい贈り物を貰ったのは本当に初めてだよ。」
彼女の少し大人びた静かな笑みにあたしは吸い込まれそうになる。
「・・・」
あたしは見惚れて彼女を見上げる。
「・・・」
マリの柔らかな手があたしの頬に触れた。その手は撫でる様にあたしの頬を滑り、彼女の細くしなやかな人差し指があたしの唇に触れる。
「・・・」
あたしの胸の鼓動が早くなる。
「・・・」
マリはあたしの唇を人差し指で愛おしそうに撫でる。
「・・・」
そしてマリはその人差し指を自分の唇に持って行くと、瞳を閉じてそのまま唇に押し当てた。
夏の夜風が吹き込み、彼女の美しい銀の髪をサラサラと弄ぶ。
「マリ・・・」
あたしは彼女の名前を呼んだ。
「ヒナ・・・」
マリがあたしの名前を呼んだ。
もう・・・何がどうとか、対策をしなきゃ、とかどうでも良かった。
あたしは彼女をグイっと引き寄せてベッドに押し倒した。
「ヒナちゃん?」
マリのビックリした顔があたしを見上げる。
「・・・」
その顔をあたしは見下ろしながら自分の唇をペロリと嘗めて湿らすと、彼女に顔を近づけてその紅色の唇に自分の唇をそっと落とした。
「!!」
彼女の身体がビクリと震えて固まる。
自分の中に猛った炎を彼女の唇に移すとあたしはゆっくりと唇を離した。
「・・・ヒナ・・・」
マリの掠れた声があたしの耳をくすぐる。
自分の顔が火照っている。熱い。たぶん顔は真っ赤だ。
「ごめん、急に・・・。でも何だか押さえられないの。だから・・・」
あたしはそれだけ言うと、もう一度マリに口づけた。
「うぅ・・・」
マリが小さく呻く。
ああ・・・やってしまった。でも止める気も無い。
そう思ったとき、天地がひっくり返った。
「わっ」
あたしは突然の変化に思わず声を上げる。
気がつくとあたしはマリに組み敷かれていて、マリはあたしの上に跨がっていた。
彼女は白磁の頬を紅色に染め上げあたしを見下ろしている。
「マ・・・マリ・・・」
あたしが呼ぶと彼女はその美しい双眸に艶めかしい光を宿しながらあたしに囁いた。
「ヒナばかりズルい。」
そしてマリは白銀の髪をサラサラと落としながらあたしに顔を近づけると、その小さな唇をあたしの唇に落とした。
キスをするのとされるのでは、こうも違うんだと驚く程に彼女の唇の感覚があたしを支配していく。前世でもキスをした事は在ったけどこんなに痺れるように相手の唇を感じた事は無かった。
口づけては離れ、マリはあたしの唇を舐める。そしてあたしの顔を愛おしげに眺めて、また口づけてくる。彼女は何度もあたしの唇を貪り、あたしは其れに成されるがままだった。
この子にこんな激しい情熱があったなんて。
あたしはマリの情熱に翻弄されながらも喜びを感じていた。
いつの間にか砂時計の砂は落ちきっていた。




