M15 おやすみ
あたしの今日の本題はこれだ。マリについてだ。
そう思って口を開きかけた時、お父様からまさかの先制攻撃が来た。
「それと、ヤマダ。マリーベル嬢についてだが。」
え!?
「お前は彼女がどう言う立場にいらっしゃるのかは知っているのかい?」
それは――。マリの実家での扱いや社交界の噂の事だろう。
あたしは少し引き攣った表情で頷いた。
「はい。存じ上げております。」
やっぱりお父様も貴族で商人だ。良くない噂の立つマリーベルとの付き合いは好ましく思わないだろう。
「知っていながら付き合いを続けていると?」
お父様は笑顔を引っ込め真剣な表情に変わっていた。
――どうしよう。
少し狼狽えてしまった。お父様に機先を制されて、気持ちの上で不利に立ってしまっている。
・・・でも。あたしは本音を話す事にした。
元々、誤魔化しなんてこの人には通用しない。
あたしはお父様の顔を真正面から見据えた。
「はい、そうです。マリーベル様の事情はご本人から直接伺っています。でも、あたしは彼女本人が好きなんです。ずっと一緒に居たいと思っています。」
「うむ。」
「それにお父様はあたしの入学前に仰っておられました。『事情を抱える人を直ぐに切り捨てるものでは無い。』と。そういった人達との付き合いを大事にしてこそ思わぬ未来が拓けたりする物だと。」
「・・・。」
「彼女の境遇は酷いものです。あたしだったら耐えられない。でも、それでも彼女は腐らずに一生懸命に幸せを探し続けています。あたしは彼女のそんな強さを尊敬します。」
「学び取れるものが在ると?」
「はい。」
「・・・」
お父様はジッとあたしを見つめる。けど、やがて「フッ」と相好を崩した。
「分かった。お前が其処まで彼女から刺激を受けているならそれで良い。せっかく出来た友達だ。大事にしなさい。」
「・・・お父様・・・有り難う御座います。」
いかん。ちょっと「ウルッ」ときてしまった。
「彼女と友達付き合いをしていくので在れば、今後つまらん横槍も入るだろう。何か在ったら直ぐに相談するんだよ。」
「はい、お父様。仰せの通りに致します。」
あたしは感謝の想いを込めて心からお父様に頭を下げた。
ハナコ家に治める領地は当然無い。だが其の財力は一国に冠絶する。
身分や地位は低くても、世界有数の規模を誇る商会がもたらす収益は広大な領地を持つ上級貴族達の収益にも匹敵した。そして、ハナコ家の出費は商会に関わるモノのみ。対して領地を持つ貴族達は領地経営の為に莫大な出費と余剰金の確保が必須となる。
結果、自由に使えるお金に雲泥の差が生まれる。前世もそうだったけど、この世界も結局最後にモノを言うのは身分や地位では無くお金なんだ。
そして、そんなお父様がマリーベル様との付き合いを許してくれたと言うこと。それは、財力に於いて一国に冠絶するハナコ家当主の後ろ盾をマリーベルが暗に得た事になる。
でもそうは言っても相手は侯爵家。堂々と喧嘩する訳には行かない。でも、何か在れば財力にモノを言わせて問題を強引に回避できる可能性が出てきた。
あたしはこの承諾が欲しかったんだ。
これで、いざとなればマリを連れてこの国を逃げ出す事も情勢の進み具合によっては可能になるかも知れない。今日はその為の第一歩だった。そして其れは上手くいったと言えそう。
あたしは満足した。
「それはそうとお父様、以前にお話しされていた共同馬車の設立はどうなったんですか?」
あたしは尋ねた。
以前にお父様は『共同馬車』設立について話していた事がある。
この国の移動手段は馬車が主軸だ。だが所有するには馬車は高すぎる。貸し出し用の馬車もあるけどレンタル料は相当なモノで平民じゃあ簡単に借りられない。平民が利用出来るとしたら送迎馬車・・・前世で言えばタクシーみたいなモンを利用するくらいだけど、これもお高い。
そこでお父様は考えた。
『大きい馬車を大量に用意して、決まった道を決まった時間に走らせて乗りたい人から少額の金銭を貰い走らせる仕組み』があれば国の交通事情は劇的に変わる筈だと。・・・要は前世のバスみたいなモンだ。
『実用化の目処は立った。』
とお父様は仰っていたけどどうなったんだろ?
「・・・」
お父様の表情が現状を雄弁に語っている。
――上手く行ってないのか・・・
「何か問題が在るんですか?」
あたしが訊くとお父様は少し思案していたが口を開いた。
「そうだな、ヤマダには話して置くとしよう。・・・この国で共同馬車の実現は難しそうだ。」
「そうなんですか。何か不備でも?」
「いや、違う。準備は万端だ。だが、許可が下りない。」
「何故でしょう?」
お父様は心無しか声の大きさを落とした。
「ハナコ家がまた功績を上げる事を王が良しとしないからさ。」
「・・・」
――え・・・嘘でしょ?
考えが表情に出てしまっていたのか、お父様はあたしの顔を見て苦笑した。
「ハナコ家を重用したのは先王陛下までの話さ。現国王は成り上がりのハナコ家の台頭を快く思ってはいないんだ。」
マジか。今日一番の驚きだ。
何だかんだ言っても王族はハナコ家の財力を頼りにしているモノだとばかり思っていた。
お父様の話は続く。
「アイデア自体に不満は無い様なのだが、ハナコ家が主導で行うのが気に入らないらしい。国の上級貴族に主導させてハナコ家には資金面での援助をさせたいらしい。」
・・・それって自分の側近や貴族に手柄を立てさせてウチには金だけ出せって言いたいって事?
「随分と器の小さいお方の様ですね。」
あの王子にしてこの王ありって感じか。
あたしの身も蓋も無い感想にお父様は笑う。
「その通りだが、外で言うんじゃ無いよ。」
「心得て居ります、お父様。その提案はこの国には勿体ないですわ。違う国でやりましょう。」
あたしが真面目な顔でそう言うとお父様は頷いた。
「ヤマダが理解を示してくれて私は嬉しいよ。ならば迷いは晴れた。本格的に準備を進めよう。」
そうだ、これを訊いておかないと。
「お父様、商会本体の移動準備はどのくらい掛かるんですか?」
「大丈夫。そんな直ぐには無理だよ。早くて2年か・・・遅ければ4~5年は掛かるだろう。ヤマダにも学業なり交友関係なりに準備が色々在るだろうからゆっくり進めるといい。」
お父様は微笑むとあたしの頭を撫でた。
――懐かしいな、昔は良くこうして貰ったな・・・
そう思ってからあたしは首を傾げた。
ん?懐かしいって何だ?・・・ひょっとして、あたしが此処に来る前のヤマダの記憶?
「・・・」
あたしは深く考えるのを止めた。
「さあ、もう戻りなさい。マリーベル嬢が待っているんじゃ無いかい?」
あ、そうだった。
あたしはお父様の書斎を出て、マリの処へ戻った。
部屋に戻るとマリは窓から庭を見下ろしていた。
「マリ。」
「あ、ヒナちゃん。」
あたしはマリの所に歩み寄る。
「何見てんの?」
「ヒナちゃんが転成した場所を見てたの。」
ああ・・・植木鉢が落ちて来た場所の事ね・・・。
「そんなの見て面白い?」
「・・・うふふ。」
尋ねるあたしにマリは微笑んだ。
『コンコン』
マリとお喋りしていると扉がノックされた。
「?・・・。どうぞ。」
あたしが声を掛けると、扉が開いてヒョイと男の子が顔を覗かせた。
あたしと同じ赤毛に赤茶色の瞳。つぶらな瞳があたしを探す。
「ねえさま。」
男の子はあたしを見つけると嬉しそうに笑った。
「!」
隣でマリの息を呑む声が聞こえた。
「ヒ・・・ヒナちゃん、この子は誰?」
「マリ、紹介するわ。弟のテオフィールよ。・・・テオ、いらっしゃい。」
目を輝かせるマリの下にテオを呼ぶ。テオはチョコチョコと走り寄って来た。
「テオ、姉様のお友達のマリーベル様よ。ご挨拶してね。」
テオはあたしにコクリと頷いてマリを見た。
「テオフィール=ハナコです。マリーベル様、よろしくお願いします。」
「マリーベル=テスラ=アビスコートです。宜しくね、テオ君。」
テオは恥に噛むように笑うと頷いた。
「テオ君はお幾つ何ですか、ヤマダ様?」
「今年で9歳になります。」
マリのキラッキラッした目を見てあたしは苦笑した。
うん、テオは可愛いしね、仕方ないね。
翌日から、あたしはマリを地元紹介も兼ねて外に連れ回した。・・・正確にはライラさんに案内して貰いながら2人で地元巡りを楽しんだ。
とにかくあたし達がちっとも大人しくして無いものだから、護衛の人達は堪ったモンじゃ無かったろうな。自分の仕える主の娘と侯爵令嬢のお守り。考えると目眩がしそうだ。だけど、楽しかったんだもん。仕方無いじゃん。
商店通りでデザートを食べ、買い物を楽しんだ。
テオも連れて森に行けば、鹿を見つけて主にあたしが大はしゃぎをして追いかけ回し迷子になり掛けた。
テオも連れて湖に行けば、主にあたしがはしゃぎ過ぎてボートをひっくり返し3人して湖に落っこった。
遠出して山に出掛ければ、主にあたしが・・・。
と、まあ何かしら仕出かして帰ってくる有様だ。
毎日の様に護衛の人が変わるのも仕方無いのかも。
夕食時に意気揚々と語るあたし達の土産話に、両親の笑顔が次第に引き攣って行ったのは気のせいだろう。
そう言えばマリは夜になるとハナコ家で用意したマリ用の客室に毎日大人しく戻っていく。当たり前っちゃあ当たり前なんだけど『一緒に寝たい』くらい言い出すと思ってたのに。・・・流石に言わないか。
そんなこんなで1週間の帰省予定期間を大幅に過ぎ、流石に戻ろうかと決めてあたし達は学園に戻った。
『お嬢様、今度はいつ帰ってくるのですか?』
『ねえさま、マリーベルさま。次はいつ帰ってくるのですか?』
ライラさんとテオにしがみつかれて、離して貰うのに相当の時間を費やしたのは誤算だった。
最後にシルヴィアさんが・・・お母様が仰った言葉が心に残る。
『ヤマダ、マリーベル様。一生を通して付き合える友人は、生涯を通しても何人も出会えるものでは在りません。・・・お互い仲良くね。』
「・・・素敵なご両親だね。」
お母様の言葉に瞳を潤ませていたマリが馬車の中でポツリと呟いた。
「そうだね。・・・あたしもそう思う。」
あたしも頷いた。
何となく寂しい、しんみりとした馬車の中だった。
夜、いつもの部屋であたし達は久しぶりに一緒に寝た。今日はあたしのベッドだ。
「楽しかったね。」
「うん。家族ってあんなに温かいんだね。」
あたしが薄暗い部屋でポツリと呟くとマリが頷いて言った。
窓を開けているせいか、外からスズムシ達の静かな演奏が流れ込んでくる。
「・・・」
実家の出来事を思い返す。
「何か一緒に寝るの久しぶりだね。」
マリが呟いた。
「うん。」
あたしが頷く。
「・・・」
夜の少し冷涼な風がフワリとあたし達の顔を撫でた。
「あたし、マリが『一緒に寝たい』って言ってくると思ってた。」
あたしが悪戯っぽく言うとマリは苦笑いした。
「だって、あんなに素敵なご両親が私の為に用意して下さったんだから、使わないのは失礼だもん。」
大人な返答が返ってきて、あたしはちょっと意外な気持ちになった。
「へえ・・・」
「でも・・・」
マリがあたしにゴソリとにじり寄った。
「本当は一緒に寝たかったよ。」
「う・・・うん。」
吐息混じりの余りにも色気満載な声を耳元で囁かれてあたしの声は上ずった。
マリが上半身を起こしてあたしに床ドンする。
「・・・」
あたしはマリを見上げた。潤んだような静かだけど激しい思いが込められた様な情熱的な瞳があたしを見下ろしている。その白い頬には薄紅が差している。
「・・・」
マリは黙ってあたしの顔に自分の顔を近づけた。サラリと美しい銀髪が落ちてあたしの顔をその毛先が撫でた。
――え・・・え!?
大パニック。
そして、マリの唇はあたしの唇・・・を逸れて右頬に落とされた。
「・・・」
あたしは、自分の心臓がバクバクと早鐘を打っている事に初めて気がついた。
「・・・」
マリはあたしをジッと見つめるとやがて身を翻すように背中を向けるとゴロリと寝転がった。
「おやすみ。」
小さい声が聞こえてくる。
・・・いや、・・・だから、・・・休めないって!




