八束VSネーロさん
先程まで安心しきった顔をしていた影井が、震えた声を出す。その豹変っぷりは、思わず笑えてくるほどだ。いや、俺も、同じ目にあうのだから、笑っている場合ではないのだけど。
今まで過酷な訓練をしてきたであろう騎士団長のネーロさんが、とんでもなく痛い、と言うのだ。その痛さは、想像を絶する。それでも、こうして、内心で笑っていられる余裕があるのは、影井のお陰だろう。周りに、自分以上に慌てふためいている人が居ると、何故か冷静になれる、あの現象が作用しているに違いない。
それにしても、影井も、なかなか難しいことを聞くな……。ただでさえ、どれくらい痛いか、なんて表現するのは難しいだろうに、俺達と、ネーロさんは文字通り、今まで生きてきた世界が違う。こちらが常識だと思っていることが、この世界の常識とは限らない。勿論、そのまた逆も然り。
つまり、分かるだろう、と思って出した例えでも、相手に通じない可能性は、大いにあるのだ。
そんな中で何かに例えろ、と言うのは酷な話なのである。
言っている本人は、ただ、今度自分がどんな目にあうか?と言う明確なビジョンを得て、安心する為に聞いているだけだと思うが……。きっと、無茶を言っている自覚もないのだろう。そんなことを考える余裕すらなさそうだ。
「痛みには個人差があるらしいから、なんとも言えないな……」
やっぱり無難に答えたか。影井の求めている物ではなかったけれど、下手に答えるよりは、余程良い様な気がする。結局は百聞は一見にしかず。一見は一行にしかず。聞くよりも、実際にやったほうが早い。
最悪、痛すぎたら、やめればいいのだ。やめれば。魔法くらい使えなくても、死にはしないだろう……多分
「そうですか……」
影井は肩を落とした。
ここで俺なら、申し訳ない気持ちになり、彼を慰めようとするのだが……。ネーロさんは違った。
「嫌なら、やらなくていいんだぞ?」
「や、やります!!」
殆どかぶせるような声に、出した本人が一番驚いたのか、口を押さえていた。ネーロさんはそんな影井を見て、ふっと鼻で笑う。でもそこに、馬鹿にするような感情は篭っていなかった。
それから、ぐしゃぐしゃ、と影井の頭を乱暴に撫でる。撫でられた本人は擽ったそうに、目を細めた。まるで、猫のようだ。
俺だったら、手を払いのけていただろう。その点、影井は素直……というか、やはり、警戒心が低い。まあそこが可愛いくもあって、影井のいい所でもあるんだろうけど。
「……決まりだな。では、誰からはじめる?」
ネーロさんは、影井、俺……と、順々に目を移していく。影井は、顔を伏せたまま、上げようとしない。まあ、そりゃあ、そうだよね。俺だって一番にやるのは嫌だもの。できれば、二番ぐらいがいい。
ネーロさんの目線が、八束に向いたとき、少しの期待を込めて、俺も八束のほうを見た。その瞬間、八束はゆっくりと手を上げる。
「じゃあ、俺で」
流石、八束。空気が読めるし、頼りになる。思わず、「よっ!特攻隊長!」と茶化したくなったが、今の場面でやると空気が読めないやつになってしまうので、流石に自重する。
八束は特に気負った素振りも見せず、薄ら笑いすら浮かべているように見えた。
「分かった。これから俺が魔力を込めた拳でお前を殴りかかる。お前はそれを適度に避けて、適度に当たれ」
「え?俺殴られるんすか……?」
珍しく戸惑っている八束。そりゃそうだ。殴られる、なんて聞いてないもんな……。正直、俺じゃなくて良かった、と安堵している自分がいる。白状かもしれないが、自分の気持ちに嘘は吐けない。
まあ、そのうち俺もやらなくてはいけないのだが。一番にやるのはどうしたって怖い。やっぱり二番目が丁度いいのだ。二番目が。
「ああ、言ってなかったな。生命が危機的状況に陥るとより、魔力を得やすい。だから、殴らせてもらう。勿論、殴ってきても良いぞ。出来るなら、だが」
そういって挑発的な笑みを浮かべるネーロさん。
殴り合いで、命の危機を感じるって……。確かに、ネーロさんは強そうではあるけど……。と言うか、隊長だから、強いのは分かるんだけど、まさか、そこまでだったとは……。
あ、でも、現代でも、ボクサーが殴ると凶器扱いされる、と言う話を聞いたことがある。ボクサーと言うと、実践というよりは、試合形式で戦っているし、それよりも、ネーロさんが強いと考えると、素手で戦うだけで殺されそうに思えるのは当然のことか。
ん?でも、騎士と言えば剣で戦うイメージが強い。殴り合いは……まあ、しなくはないだろうけど、専門、ではなさそうだ。拳だけの威力なら、ボクサーのほうが強そうである。
と、なると……うーん?どっちが強いんだ?
……。
……分からん。まあ、どっちでも良いか。大事なのはそこじゃないし。
「上等です。やってやりますよ……」
八束は挑発に乗せられたかのごとく、不敵に笑い返すが、俺は知っている。彼が内心、冷や汗を掻いていることを。八束は強がるときに、いつも唇を舐めるのだ。さっきもそれをしていたから、恐らくそうなのだろう。
それに……こう言ってはネーロさんと、影井に失礼なのかもしれないが、そもそもがあんな安い挑発に乗るような人間ではない。
ぱっと見は、チャラチャラしているように思えるが、その実は冷え切っている……というかなんと言うか。いつものように、自らを偽る必要のある場以外では、意外と薄情な男なのである。
今回の場合だと、こう、挑発したほうが逆に恥ずかしくなるような……。よく言えば冷静で、悪く言えば、ノリが悪い。
そんな彼が挑発に乗った。いや、乗ったように見せかけたのは……。ネーロさんが態と挑発していることに気がついていて、それに乗った形になったのだと思う。何故ネーロさんが態と挑発したかは分からないけれど。
分からない……と言い切るのは少し違うか。
本当に全く見当がつかない、と言うわけではない。なんとなく、こうかな?と言う推測はある。ただ、それをはっきりと言葉にしてしまうのは、恥ずかしい。当たっているかどうか、分からないし、内容的に外れていたときの自意識過剰感が半端ない。
そもそも上手く言葉に出来る自信もないし。
ただまあ、ネーロさんは俺たちのことを思っていてくれていて、それに八束が応えた、ということなのだと思う。たぶん。
そうじゃないと、八束の行動に説明がつかないからね。
「では始めるぞ……!!」
言うや否や、ネーロさんは地面を蹴る。目を凝らしてみると、灰色の何かに包まれていた。あれが魔力らしい。どうやら魔力は人によって色が違うみたいだ。魔力はうねうねと蠢いていて……アメーバに似てるかもしれない。
一瞬の内に八束との距離を詰めたネーロさん。そのあまりの速さに、八束は驚き、慌てて飛びのく。
ここで反応できるあたり、流石、八束だ。俺だったら、驚いてるうちに、殴られそうだ。影井も多分反応なんて出来ない。恐らくこの中で一番、運動神経がいいのは八束だからなあ……。
……ん?
ということはこれ、八束がどれだけネーロさんに食いつけたかどうかで、我々の醜態がどの程度まで納まるか、判明してしまう……ということか?つまり、八束がボコボコにされたら、俺たちには絶望しかないわけで……。
……。
あれ、これ、八束に先に行かせないほうが良かったのでは……?
いや、それは今更過ぎる……か。今、ここでうだうだ言うのは、一番を引き受けてくれた八束に失礼と言うものだろう。
だから俺は、それ以上考えるのをやめて、ただ、声を上げる。
「頑張れ!!八束!!」
隣の影井が、はっと息を呑むのが分かった。ネーロさんの表情は見えないが、口角が上がっていることだけは、辛うじて分かる。
影井のほうは、悪い奴だと思い込んでいる、八束を、俺が応援したのに驚いているのだろう。ああ、俺がそういうこと言うタイプじゃない、ってのもあるかもしれない。
ネーロさんは、喜んでる……、よな?男の友情、見たいな風に解釈されてそうだ。そういうの好きそうだし、そうじゃなくても、傍から見てたら、そんな風にしか見えないだろう。
まさか、俺たちがホモで……なんて考える奴は居ない筈だ。
まあ実際の所は、保身から出た言葉なんだけども。
八束からは、ブリザードのような視線が飛んできた。あっ。やっぱり、奴にはばれていたか……。
一発一発を、ギリギリとは言え、しっかりと避けている。挙句の果てに、こちらを気にする余裕があるとは……。
これは八束がすごい、という訳ではなく、ネーロさんがまだ加減してるって事なのだろう。
考えてみれば当然の話だ。殴り合いと聞いて、俺は直ぐにビビッてしまったけれど、もし、はじめっから本気出して、俺たちがミンチにでもなったら、どうしようもない。だから、徐々に本気を出していく、の方が自然である。
でもそんな余裕も長くは続かない。いや、そんな余裕をネーロさんが許してくれなかった、というのが正しいのかな。
ネーロさんの右手が、八束の胸の辺りに当たる……前に急激に速度を落とす。
結果、拳はただ、八束の胸に接触しただけ……かのように思えた。
しかし、拳が触れた瞬間、ぞわり、と鳥肌が立つ。ネーロさんの拳のあたりの魔力が爆発的に増え、八束に絡みつく。
すると、八束は目を見開き、
「い゛っ」
という声を上げ、素早く、ネーロさんの拳をはたいた。
それから、彼から離れるように、大きく飛び退く。
その額には、冷や汗が流れていた。
当事者ではない俺や影井は、ちんぷんかんぷんだが、きっと魔力を流された、のだろう……多分。
攻撃を見た感じは全く痛そうじゃないけど、八束の様子を見るに、痛いんだろうなあ……。
八束は、胸を抑えて蹲りながら、息も絶え絶えに言う。
「なるほど……これが魔力ってやつか……」
「そうだ……ん?」
ネーロさんはなにか言葉を続けようとして、じっと八束を見つめた。
「まさか……お前……」
八束に駆け寄り、奴の手を掴む。その手は透明と言うか……何色にも言い表せないような、純粋な光に包まれていた。
「もう魔力を出せるようになったのか……?!」
「ええ、そうみたいですね……」
俯いていた彼は、こちらを見ると、ニヤリ、と挑発するように笑った。




