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結解  作者: 坂本流
2/2

黄泉の国

  六

 義之は目を覚ました。

 ここは……。

 何があったか? すぐには思い出せ無かった。見渡してみると、そこは真っ赤な世界が広がっていた。自分が寝ていたところは人間界の砂浜に似ていた。砂はパラパラしている。しかし、それすらも赤かった。少し離れたところに草原、そして起伏があり、山になっているところもある。しかし、それも全て赤かった。色の強弱はあるものの、ここでは全て赤い色が世界を作っていた。

 立ち上がってみる。体はずぶ寝れのようだ。汗ではない。これは……。

 義之は初めてそこで赤以外の色を見つける。液体は真黒だった。どういうことだ? ここに来るまで何があったか? 何故自分はここにつれてこられたのか、思い出してみる。

 確か、由佳、透、空也と一緒に自分の家にいたんだ。

 徐々に脳裏に蘇ってくる光景。

 あれは、母さん……。

 そうだ、あの時、庭の池に母さんが現れたんだ。そして、その池の中には黒い水がたまっていた。黒き泉! そうだ俺は黒き泉に吸い込まれたんだ。ここは黄泉の国か! 皆は無事か?! 俺のせいで、皆、黄泉の国に行かせてしまったんだ!

 自分の不甲斐なさよりも、皆が心配で気が気でなかった。すぐに立ち上がり、走り出した。しかし闇雲に走っても、何も生まれない。手がかりも何も掴むことはできない。

 すると、目の前に三毛猫が通り過ぎていくのを発見する。いや、よく見ると尻尾が途中で裂けて、二本になっている。猫又だ。

「おい!」

「うん? 何にゃ?」

 言葉が通じる。当たり前だ。黄泉の国であっても、妖怪には違いは無い。人間界で通じていたのならば、通じるだろう。しかし、何にゃって……。クスリと笑いそうになったがそんなことを気に留めている時間などあるはずもない。

「ここに俺以外の人間はいなかったか?」

「人間?!」

 猫又は義之の足元に行き、クンクン匂いをかいだ。

「お主、本当に人間か?」

「……そうだ」

 少しそう言い切ることに躊躇いを感じた。

「混じっているな……」

「そんなことを詮索している時間はない。答えろ!」

「お前、無礼な奴じゃにゃ。まず、目上の人と話すときは敬語だろうにゃ!」

「……分かりました」

 この、愛くるしい生き物が何故、目上なのか? しかしとりあえず、この猫又に協力してもらわなければ、何も進まない。

「良いにゃ」

「それで、人間じゃな。よく落ちてくるから、幸運なら砂かけババのところにいるのではにゃいか?」

「砂かけババとは、砂かけ婆のことですか?」

「ああそうにゃ。とりあえず、ついて来るにゃ!」

 二本の尾っぽを揺らせながら、歩いていく。愛くるし過ぎて頼りない。義之は心配しながらも、駆け足になってついていった。

 赤い砂地を抜け、赤はどこまでも続くと思わされてしまう、草原の中を進む。

「まだですか? 猫又さん」

「自己紹介をしていにゃいのに、勝手に猫又と呼ぶな!」

「失礼しました。でも違うんですか?」

「……まあ、間違ってはいにゃいが」

「で、どこまでですか?」

「……あの山のてっぺんにゃ、砂かけババが住んでいるのは」

「ああ、あそこですか?!」

 そう言って、徐々に大きくなっていった、真っ赤な山を見た。

 やがて草原を抜けて、山の入り口に入る。この山は土の感触や、木々の種類も人間界、それも日本のどこにでもある山と同じだった。そして山道もちゃんと作られている。違うのはやはり、全てが赤くなっていることだけだった。

「疲れたかにゃ?」

「いえ、全然」

「わしはもう疲れた。ちょっと休憩するにゃ」

「いや、そんな暇ないですよ!」

「目上の人の言うことは聞くにゃ」

 そう言って近くにあった、大きな岩の上に飛び乗り、その場で腹を向けて寝転がった。

「……」

 小一時間ぐらい経過した。猫又は態勢すら変える様子がない。義之は地団駄を踏みそうになった。それを横目で見ていった。

「休める時は休んでおれ。普通の人間なら、時間が無いかもしれにゃいが、お主は急いでも仕方ないにゃ」

「……どういうことですか?」

「落ちた人間は砂かけババのところに連れていくように、皆しているんだにゃ」

「はい、それで?」

「何をしているかってことかにゃ?」

 義之は頷く。

「わし達は妖怪にゃ! 悪い事をしているんだにゃ!」

 猫又は急に起き上がって、威嚇するように体を震わせる。

「何だって!?」

 義之はその時は冷静さが欠けていた。からかわれていることに気付かなかった。こみ上げてくる、焦りが表情に表れる。

「何をしているんだ?」

「煮るなり焼くなりにゃ!」

「騙したな! クソ猫又!」

 義之は頂上に向かって駆けだした。それを見て、猫又も慌てる。

「待つにゃ! 冗談にゃ!」

 義之は猫又の言葉が届いていなかった。焦燥が体を掻き立てる。透、空也、由佳。無事でいてくれ……。その思いが胸を強く締め付ける。

 足場の悪いところで、何度も転びながら、ようやく山小屋らしきものが見えてきた。一直線で向かい、ドアを開け放つ。

「動くな!」

 そこには、透と目をぱちくりさせた長い白髪を後ろに垂らした婆がいる。砂かけ婆に間違いない。

「おう! 義之!」

 透の喜びを含んだ声。しかし、義之は警戒を解かなかった。

「透、そいつは危険だ。離れろ!」

「は?」

 透は疑問を露わにした。

「とにかく離れろ! おい! 婆! 透に何をした?! いや何をしようとしている!」

「いきなり入ってきて、何を言っているだ? お主は?」

「問答無用!」

「おい! 待て、義之!」

 透は慌てて立ち上がる。

「臨兵闘……」

 その瞬間に透は義之の頭を拳で叩いた。

「馬鹿! この婆さんは俺を救ってくれたんだ」

 頭を叩かれて、痛覚とともに言葉を受け止めた。

「はい?!」

 その時、股の下を猫が通った。

「お前、目上の人の話は最後まで聞けにゃ!」

「一体どういうことだ!?」

「お前、まず、わしのことをクソ猫又とか言ったことを謝るにゃ!」

「……」

 義之は何も言わなかった。

「まあ、いいにゃ。わしが説明するから、その後、謝るにゃ!」

「早く説明してくれ!」

 猫又は溜息をついて、前足で頭を掻いた。

「あのにゃ、砂かけババは黄泉の国に落ちた人間を救ってるんだにゃ」

「……救っている?」

「黄泉の国に落ちた人間はそのまま無事ではいられないんだにゃ。だから、砂かけババは特殊な砂をかけて、人間が黄泉の国でもしばらくは生きられる状態にするんだにゃ」

「ということは、煮たり焼いたりして食うどころか人を救っているのか?」

「そうにゃ!」

 猫又は頷き、そして透と砂かけババも頷く。

「お前! 騙したのか!?」

「お前、またわしに無礼な口を! 謝るにゃ!」

「何お~!」

 義之と猫又は互いに火花を散らしている。そんなとき、砂かけ婆が言った。

「落ち着け! くだらん喧嘩をするな!」

「……こいつが騙したからだろ!」 「こいつが無礼だからにゃ!」

 砂かけ婆は溜息をついた。透は義之の傍に行き、嬉しそうに肩を組んだ。

「それにしても良かったな! お前、無事で!」

「ああ! お前も無事で何よりだよ!」

 生きてまた会えた。再会を喜び合う二人。

「にゃあ~!」

 ふたくされて、欠伸をする、猫又。

「しかし、お前は無事だと分かったが、由佳や空也は来てないのか?」

 義之の質問に、目が泳ぐ透。

「ああ、俺だけだ」

「そうか……」

 思わず下を向いてしまう。顔を上げて、猫又に聞く。

「おい! その砂をかけないとどうなるんだ?」

「ふん。お前の言うことなんて聞かないにゃ!」

 そのやりとりを見て、砂かけ婆は二人を叱った。

「おい! お主らいい加減にしろ!」

 猫又はしおれたように、首肯する。

「猫又、お前は下らんことをするんじゃない!」

「にゃ」

「お主も、いつまでも喧嘩してるんじゃない!」

「う……」

 まだ砂かけ婆と打ち解けてないので、素直になれない自分がいた。

「まあ、いい。わしから説明する」

 義之は頷く。

「まず、順番に話していく」

「うん」

「人間は黄泉の国に着くと、黒き泉の気に徐々に蝕まれていく。そして吸い寄せられるようになる」

「黒き泉! なんだって!」

 義之は驚愕した!

「確か、お主達は黒き泉から黄泉の国に落ちて来たんじゃな」

「透から聞いたのか。その通りだ」

「黒き泉とは何なのか、改めて説明するよ。お主、ここに来て赤以外の色を見たか?」

「ああ、自分の体に黒き泉の水がついていた」

「黒い水の正体は人間達の闇の心や魂。ここにはもちろん人間界と同じように水がある。最初は澄んでいたと思う。しかし闇の心。嫉妬、憎悪そして、怨念。つまりは人間の負の心は人間界では生き場を無くす。そうした心はここ、黄泉の国に行きつく。そしてここの水を黒く染める」

 初めて語られる、黒き泉の正体に驚きを隠せない義之。

「そして、そういうものを抱えた人間の魂もここに来る。つまりは黄泉の国の黒き泉は人間界ではいわゆる、地獄といわれるものなのじゃ!」

「……」

 義之は何も言葉が出てこなかった。

「お主達が何故、黄泉の国に落ちて来たというと、黒き泉は黄泉の国にしか存在し続けることはできない。まして、今の黒き泉は結してある。かなり高濃度になっていると言っていい。それに浸かると人間は次元を超えて黄泉の国に行きついてしまう訳じゃ」

「……そうなのか。それで俺達は黄泉の国につれてこられた訳か……」

 義之は今まで、全く分からなかった、黒き泉の正体が分かり、何故、黄泉の国に来たかも初めて理解した。

「その特殊な砂というものを振りかけたら、人間はさっき言った心配はないのか?」

「完全ではないがな。ずっと黄泉の国に人間が生き続けることはできない。しばらく滞在できるようになる程度と認識してもらってよかろう」

「そうか……」

「ところで俺にはいいのか? 俺にも振りかけてくれ!」

 そう言うと、砂かけ婆は義之に近づき、頭から足のつま先までじっと見た。

「お主には必要ないよ」

「何故?」

「お主は半分妖怪じゃ!」

「……」

 既に分かっていたことだった。しかし、改めて聞かされると、気持ちが揺らいでしまう。

「そうか……。やはり、母さんが天狐なのか」

「何?! お主の母は天狐様なのか!!」

 砂かけ婆が驚いた。しかし、天狐様と言うのは気になった。

「母さんを知っているのか?」

「ああ」

「……」

 義之はしばらく沈黙した。そして、何かを思い出したように、ハッとして、外に出ようとした。

「その話が本当なら、由佳や空也が危ない! 助けに行かなきゃ!」

「待つのじゃ! 今不用意に動くのは危険じゃ!」

 砂かけ婆が義之の腕を引っ張る。

「このままじゃ!」

「とにかく話を聞くのじゃ! 正確なことは言えないが、二三日、黒き泉の気にさらされても、この砂を振りかけたらどうにかなる」

 砂かけ婆は義之に真剣に訴える。義之は足を止めた。透はやりとりに驚いてはいたが、まだ聞きたいことが残っていたようで砂かけ婆に問いかける。

「……もしも人間が黒き泉に吸収されたらどうなるんだ? あの二人は既にそうなっている可能性はないのか?」

 砂かけ婆は一呼吸置いて話し出した。

「黒き泉に吸収された事例はある。わしらが救えなかった時だ。黒き泉は少しだけ濃くなって、その者は帰らぬ魂となる」

「そんな!」

 二人は声をそろえて言う。

「心配ない。まだそんな段階ではないだろう。地獄に落ちるのはもっと強い負の気を纏わなければならない。また近づかなければ大丈夫だ。安心せい」

 二人はコクリと頷いた。

「それよりも、今危惧しなければならないことは負の気を纏ったまま、人間が黒き泉に吸い込まれていない場合の方が危険なのだ。それではすぐに妖怪は強い負の気の力を吸収でき、強力になり得、増殖する」

「分かった。とにかく二人をそうなる前に助け出せばいいんだな」

 義之は自身を落ち着かせるように努める。

「ああ、そのとおりじゃ」

「……ところで、今不用意に動くのは危険だとはどういうことなんだ?」

 義之はさっき言われた言葉の意味を確認する。

「それはお主が来るまで、この小僧に途中まで話していたことなのじゃが、お主達はわし達の敵と一緒になって戦うのを協力して欲しいのじゃ」

「協力……」

「百鬼夜行は知っておるか?」

「ああ。親父達から聞かされている。その百鬼夜行とお前達は戦っているというのか?」

「おい! 目上の人に対する口の利き方がなってないぞ。わしにのババにも敬語をつかえ!」

 猫又はまだ苛立っている。

「猫又。話を濁すな。わしはいい。お前も別にいいだろ? こやつらはまだ小僧じゃ」

 猫又は頭を掻いた。

「分かったにゃ」

「そうだ。百鬼夜行とわし達は戦っている。正確には十三年前の起こるはずだった百鬼夜行と戦っているのじゃ」

「十三年前!? 十三年前に封印した百鬼夜行と戦っているのか?」

 義之は思わず口早になる。

「お主達は十三年前の百鬼夜行について、なんて聞かされている?」

「百鬼夜行の親玉、天狐の力を利用して、黒き泉に封印した」

「そうじゃ。それに間違いはない」

 砂かけ婆と猫又は頷いた。

「そもそも、百鬼夜行はだいたい、二百年単位で自然発生的に起こりうる現象なのじゃ」

「それはどうしてなんだ?」

 透が投げかける。

「さっきも言ったように、黒き泉は人間達の闇の心や魂。それは澄みきった水が長い年月をかけて黒く染まっていく。そして、それらは、ある一定の段階にくると、黄泉の国全体に泉の気が漂うようになるのじゃ。妖怪はそれに自身が影響されないように、避ける、または、自ら術をつかって耐えられるようにするのじゃ。しかし、それでも、その気に変化させられた者はいるのじゃ。そして妖怪達にも様々な奴がいる。自身を黒き泉の気の力を纏い、邪悪な力を手に入れようとする者。また、その手に入れた力を使って人間界を襲おうとする者が現れる。そんな者達の数が一気に増幅するのが百鬼夜行の正体じゃ」

「……そうだったのか。全ては人間のせい。申し訳ないことを黄泉の国の住人に強いているのだな」

その説明を受け、自然と義之はその言葉が出ていた。

「気にすることはない。それも自然の摂理だとわし達は考えているにゃ」

 気を落としている義之に対し、猫又はそれを些細なことのように言う。

「そうじゃ。それは仕方がないこと。しかし、問題は今回の百鬼夜行は完全に人間界で収めることをしなかったことじゃ」

「どういうことだ?」

「さっきも言ったように、天狐様の強大な力を逆に利用して百鬼夜行を抑え込んだ。このことに問題がある」

「どうするべきだったんだ?」

 透は質問を重ねる。

「だいたい、二百年に一度起こる百鬼夜行は人間が妖怪達を全て退治して収める。そう数万年前からこの現象に対処してきた。しかし今回はそうせずに、あんな形をとった。黒き泉と強い負の気を持った妖怪を結し、そして、黒き泉は元の黄泉の国に戻した。最初の十年ぐらいはそれで確かにもっていた。しかし、妖怪達は黒き泉から出ようと、そしてまた人間界に浮上しようとする。今回、人間界で黒き泉の一部が出たことはそれが原因じゃろう。黄泉の国は今、黒き泉から出ようとする、十三年前の百鬼夜行の妖怪がどんどん出てきて、それを食い止めようとする我々と交戦状態になっているのじゃ」

「そんな!!」

 義之は大きく目を見開いた。

「……本当にすまない。我々人間が、黄泉の国の住人に迷惑をかけて……」

 義之はうつむいてしまった。

「全くにゃ」

 猫又は欠伸をする。そんな態度を戒めるような目をして、砂かけ婆は言う。

「まあ、実際、妖怪達が人間が招いたことの尻拭いをする必要はないのだが。向こうがわしらを良しと思わないらしい。闘いは避けられなかったんじゃよ」

 義之は頭を下げた。少し遅れて透も下げる。

「頭を上げてくれ。今はいい。とにかく、今は闘いに協力してくれ。お主らは人間だ。無関係ではないし、術師であろう。祓うのはお主らの本来の仕事でもあるじゃろう」

「はい」

 二人は返答した。

「よし!」

 砂かけ婆は大きく頷いた。二人の協力が嬉しかったのだろう。それを見ていた猫又は、また欠伸をしていた。

「でも、まずは一緒に黄泉の国に落ちた由佳や空也を助けからでいいですか?」

 言い出しづらそうに義之は頼んだ。

「と言っても、わし達にもどこにいるか分からんよ」

 砂かけ婆は難しそうな顔をする。

「確かに、我々の勢力地についているなら、お前さんのように、砂かけ婆の家に連れてこられているはずにゃ」

「……」

 義之はひどく落胆している。

「まあ、もう少し待ってみるにゃ。後から来るかもしれにゃい」

「……そうしてみます」

 義之の元気がない、言葉だった。



  七

 義之達が黒き泉に吸い込まれた後、天狐の姿ともに黒き泉は消えていってしまった。その光景を見ることしかできなかった四人は、その現象にも意表をつかれた。そして、徐々に自分の無力さによって何もできなかった己自身をひどく責め始め。それと同時に、必ず救い出してみせると強い決心を宿らせる。

「これは一体どういうことでしょうか? 相模さん?!」

 そう、那須川凌空が言った。

「……」

 九朗は何も答えられなかった。さっき現れた天狐が自分の妻だと打ち明けてしまった。自分だけが本当のことを知っている。しかし、そのことを打ち明けるには躊躇してしまう。

「なんだが分からないが、とにかく本部にこのことを報告することと、我々は透達を助け出すことを一番に考えなければならない」

 東虎邦孝は自分の意思を確認するように言う。

「はい。その通りですね」

 那須川凌空は時間をかけて頷いた。

 家の前に止めてあった車ですぐ本部に帰る。そして、屋敷に上がると、先ほどいた時よりも多くの術師が集まっていた。おそらく、日本各地から集まり始めたのだろう。やがて屋敷に収容できなくなる。

 本部長、藤蔭博基は四人を発見すると声をかけた。

「お前達! どうなったんだ?!」

 四人は藤蔭博基の傍までいき、さっきまで起こっていた事実を伝えた。

「そうか……そんなことがあったのか」

「本部長はどう思われます?」

 那須川凌空が聞いた。

「天狐の力が弱まった。色々仮説はたてられるが、はっきりしたことは分からない」

「そうですか……」

 那須川凌空がそう答えると、藤蔭博基は手を叩いた。そこに集まっている皆が注目する。

「皆! 聞いてくれ!」

 皆が藤蔭博基の言うことに耳を傾ける。

「先ほどの大規模な黒き泉の一部の発生は収まったそうだ」

 それを聞いて、胸をなで下ろす皆。

「出動を命じていたものも、私から連絡して帰ってきてもらう」

「はい」 一同答える。

「我々が次にすることは、完全に黒き泉の湧き出るポイントを潰すことだ。特に、相模の家は強力な邪を祓う結界を張ることにする。他のポイントも同様だ」

 それを聞いて耳を疑った四人。衝動が抑えきれなかった。

「ふざけんな! 貴様。俺達の息子を見殺しにする気か!」

 それを叫んだ九朗は、藤蔭博基の胸倉を掴んだ。周りは慌てて仲裁に入る。しかし、那須川凌空と九流忠行、東虎邦孝は止めるどころか、仲裁に入ろうとした者を近寄らせる気はない。

「おい! お前らふざけているのはどっちだ?」

 藤蔭博基が吐き捨てるように言う。

「なんだと、貴様!」

 九朗は藤蔭博基を命いっぱいの力を込めて、吊り上げる。

「人間界の平和とお前達の子供、どっちが大事だ? 馬鹿でも答えを分かる」

 我慢ができず、東虎邦孝と九流忠行は殴りかかろうとした。しかし二人とも周りに押えられる。

「……貴様は嫁だけでなく、俺の子供まで犠牲にする気か?」

 九朗は殺意をこめて、藤蔭博基を睨んだ。

「……もう、いいお前達は何もせんで。手を離せ」

「貴様……」

 乱闘でも起こりそうな緊張感だった。そんな時、那須川凌空は独りでにスタスタと歩いていった。

「もういいですよ。こんな人達に理解を求めても無駄です。行きましょう」

 九朗は手を離した。東虎邦孝と九流忠行は抵抗をやめて、周りに手を止めさせた。

「我々は勝手にやらせてもらうぞ!」

 そうして、三人は那須川凌空について行った。

「おい! 邪魔だけはするなよ! そのときはお前たちを抹殺する」

「ああ、分かったよ」

 そう答えた九朗は藤蔭博基の顔すら見なかった。


 夜道を歩く四人。その一歩一歩に絶望と怒りを含ませていた。

「……これからどうする?」

 九朗が目を吊り上げたままで、東虎邦孝に言う。

「なんとかする。いやしなければならないだろう」

 それを受けて九流忠行が言った。

「しかし、どうすればよいものか?……」

 三人のやりとりを黙って聞いていた那須川凌空は口開く。

「……あの、私に考えがあります」

「えっ!」

 三人は声を合わせた。

「……何か算段があるのか?」

 九流忠行は言った。

「はい」

「公算は?」

 今度は九朗が聞いた。

「あります」

「何をする気だ?」

「妖怪が人間界に来るとき、次元に穴を開けますよね」

「ああ、しかし、人間には無理だ」

 東虎邦孝がそう言うと、那須川凌空は微笑気味で答えた。

「人間には無理。ならば、呼び起こせばいいんですよ」

「どういうことだ?」

東虎邦孝は確認する。

「私が、大量の妖怪を憑依させます」


                  ※


 義之達はもしかしたらここに来るかもしれない二人を待っていた。しかし、時間だけが無情にも流れていく。

 椅子に腰かけていた、義之が口開く。

「……来ないな」

「ああ」

 透が手を組んで座っている体勢で答える。

「あのさ」

 義之が砂かけ婆に問いかける。

「なんじゃ?」

「砂かけ婆は母さんのことを知っていると言ったよな」

「ああ、天狐様か。もちろん存じている」

「何を知っているんだ?」

 その質問に砂かけ婆は少し、固まった。何か言うことを躊躇っている。

「確か、お主の母様だったよな」

「ああ、黒き泉から出てきたのは、間違いなく俺の母親だった……」

「滅する覚悟はあるか?!」

 その質問にすぐに返答できない義之。

「……天狐様は皆の鏡のような妖怪じゃった。まさに、有象無象、魑魅魍魎の黄泉の国で、天狐様はそれらを一つにまとめて、王となった方だ。そのため、数万年前からここでの争い事はなくなった。別に天狐様が王になりたいと言った訳ではなかったのだが、皆の願いで王になることを引き受けてくれたのじゃ。王になってからも、平和が続くように苦心して、誰よりも何よりも黄泉の国のことを考えてくれていた」

義之は固唾を飲んだ。母が偉大さを聞いた嬉しさと同時に滅することを求められたことで複雑な心情を生み出し、緊張が体に走る。

「ただ、今から二十年前ぐらいから度々玉座を離れるようになった。人間界に関心がかねてからお持ちだった天狐様はおそらく、人間界に行っていたのじゃろう。そのとき人間の誰かに影響をされたのか、悪事を働くようになった。人間の負の心を増大させ、百鬼夜行を早めたかったのじゃろうか?」

「……そんなとき、生まれたのが俺だと言うのか?」

 その話を聞いて、自然と喉から言葉が出ていた。

 砂かけ婆はゆっくり頷いた。

「人心を惑わし、多くの悪事を働いている時に、人とまぐわった。それがお主であろう」

「俺の母さんはそんなことはしていない! 何かの間違いだ!」

 もう、そんな話をじっと聞いていられなかった。感情的に言葉が出る。

「ならば、何故、黒き泉からお主の母、天狐様が現れたのじゃ。人間が天狐様を黒き泉に封印したのじゃろう……」

 そう聞かされると何も言えない、義之。感情の置き場がない。

「十三年前に百鬼夜行は起こった。それは事実じゃ。そして、お主の母が黒き泉に封印されていることもな。じゃから、もう一度聞く。もし、天狐様がわしらに害をなせば、お主は滅することはできるか?」

「……」

 すぐに答えられない。答えられる訳がない。

「……お主の母様は偉大なお方。それも間違いない事実じゃ。だからこそじゃ、今、天狐様を止める必要があるのじゃ。これ以上、罪を重ねる前に」

「母が偉大……」

 その時、義之は小さい頃の母と過ごしたことがフラッシュバックする。そして、自然と涙が出ていた。

「そうか……分かった」

 涙ぐんだ目で砂かけ婆を見た。砂かけ婆はその思いを優しく受け止め、微笑んだ。

「辛い事を強いてもうとな。すまないな」

 涙をぬぐって言った。

「ああ」

「あの……」

 猫又はスタスタと二人の間を歩いた。

「なんじゃ、猫又」

「もう、時間が経ちすぎにゃ」

「そうじゃな」

 砂かけ婆は腰を起こした。

「もう、お主らの仲間がわしの勢力地に落ちてきているとしたら、とっくにここにおる」

「……」

 無言になる。義之と透。

「となると、敵の地に落ちた可能性が高い、敵はきっとお主らの仲間を利用し、さらに力をつけようとするじゃろう。そうなる前にお主らの仲間を助け出し、砂をかける必要があるのじゃ」

「……どういうことだ?」

「今から敵地に攻め込む。その方がお主らのためでもあるじゃろう」

 透は義之の顔を見て、二人は頷いた。

 その時、家の扉が勢いよく開いた。

「砂かけババ!」

「なんじゃ?!」

 伝言に来た、鉄鼠を鋭い視線で見る。

「砂かけババ、敵が攻め込んで来ました!」

「何!?」

 驚きの声をあげる、砂かけ婆と猫又。義之と透はまだ心の準備が出来ていないため、戸惑う。

「よし、迎え討つのじゃ!」

「ハッ! しかし、それだけではないのです。攻め込んで来る敵に、人間が二人いる模様。黒き泉に蝕まれ、触媒のように妖怪達の力を増幅しているようです」

「何!?」

 四人の裏返った声は重なった。

「遅かったか……。早く戦いの準備を整えるように皆に伝えよ!」

 砂かけ婆は鉄鼠にそういうと、急いで鉄鼠は山を駆け下りる。

 きっと由佳と空也だ。二人は同じ思考をし、頭から汗がしたたり落ちる。

「お主ら!」

「はい!」

「お主も今回の戦いに参加してもらう! 仲間を助けるのじゃ!」

 砂かけ婆は砂を掴んで、握りしめる。

「ああ! もちろんそのつもりだ!」

 透と義之の返答は同じだった。


 四人は急いで、山を下り草原に着いた。そのとき、思わず集結した軍勢に目を見張ってしまう。魑魅魍魎と言うが、こんなにも妖怪の集まりは壮大なものなのか……。

 そう義之は思わされる。草原には千人もの数の妖怪が集結し、闘志を漲らしていた。

「まだまだこんなもんじゃにゃいぞ!」

 猫又は義之の気持ちを察したのか、話し出した。

「わしらはこれの十倍の数がいる。しかし、劣勢に追いやられている。現段階では、わしらの方が百鬼夜行の軍勢より多いのにゃが」

「……そうなのか、しかし何故?」

 透が質問した。

「それだけ、負の気を纏った妖怪は強いということだよ。一匹いるだけでも、骨が折れるのじゃ」

 そう、砂かけ婆は説明した。

「さあ、行くにゃ!」

 そう言って、猫又と砂かけ婆を先頭に、妖怪の集団の中を歩く。妖怪達は道を開けた。どうやら、砂かけ婆と猫又はこの軍勢の親分みたいだ。

 歩きながら周りを見渡すと、圧巻だった。鉄鼠、座敷童子、ふらり火、塗壁。知っている妖怪をあげるとキリがなく。また知らない妖怪をあげると、それもキリがなかった。

「人間だ」

「人間だぞ!」

 妖怪達は口々に義之達を見て、話している。

「人間なんぞ、連れて行って何になる? 役に立つのか」

「足を引っ張るのが関の山だろう」

「しかし捕まっている人間がいると聞く、あの小僧達、関係しているのかもしれんな」

 そんな妖怪達を横目に義之と透は進んでいった。

 集団を抜け、そして皆の前に立った砂かけ婆。義之達は先頭に立った。

「敵の数を知りたい、鉄鼠! 報告を頼む!」

 砂かけ婆の大声は全員に行き渡った。

 鉄鼠が前に出てきた。法衣を着ている、人間大の灰色の鼠。それが鉄鼠だ。

「敵の数、百。数は取るに足らない、応援を呼ばなくても、大丈夫だと思われます」

「そうか」

「しかし負の気を纏っている人間が真ん中にいます。偵察班が確認しています。真ん中にいる程、強い妖怪がいると考えてもよろしいかと」

「ごくろう」

 砂かけ婆は難しい顔をして、そして、命令を下す。

「敵軍と相見える前に、軍を二分する。敵軍が分かれたらそれでも良い。数の優位性で一匹ずつ滅せよ!」

「はい!」

 千体もの妖怪の返答。とても、大きく地面が揺らぐようだ。

「そして動かなかったら、取り囲め、どっちに転んでも我らの優位性に変わりは無い!」

「オ~!」

 一斉に妖怪達は叫ぶ、その雄たけびは赤い大地を揺らすようだ。妖怪達は右手を天に突き出した。

 異様、そのものだった。今まで妖怪を黄泉の国に戻したり、はたまた、滅したりしていた義之達にとって、妖怪達が一致団結して闘おうとしている姿はとても不思議に感じらせられる。しかし、とても頼もしい。

 砂かけ婆が義之達に近づいてきた。

「あのよ、猫又。砂かけ婆とは一体、何者なんだ」

 義之が猫又と顔を見合わせた。

「……天狐様の元側近にゃ。だから、ここの誰よりも皆、信頼を寄せているにゃ。そして。誰よりも天狐様をお慕いしていたんだにゃ」

「……そうか」

 義之は砂かけ婆が自分に母親を滅するように求めたこと。その時の砂かけ婆の複雑な気持ちを感じ取り、なんだかやるせない。

「お主達!」

「はい!」

 思わず、敬語になってしまう二人。

「お主達はもし敵軍が二分したら、真ん中に突っ込め!」

「どういうことですか?」

「真ん中にいるお主らの仲間を助け出すのじゃ!」

 そう言って、砂の入った巾着袋を二人に手渡す。二人は頷く。

「しかし、敵は他の妖怪達よりも強い。猫又、お願いできるか?!」

「分かったにゃ!」

 そう言って、砂かけ婆の真剣なまなざしに答える。

 砂かけ婆は振り返り、一歩一歩進み始めた。道案内の鉄鼠もすぐ近寄る。そして、千体もの妖怪達は進軍した。

「……猫又、お前、なんで砂かけ婆に敬語を使わないんだ? 上下関係を重要視しているお前が」

 そう義之が進軍しながら言った。

「にゃ。本当にいつまでも無礼な奴だな。年功序列にゃ。わしは砂かけババより年上にゃのじゃ」

「ええ! 本当に!?」

「そうにゃ、立場は砂かけババの下だから、そういう意味では目上かもしれんが、年功序列なのにゃ」

「……」

 この愛くるしい猫をどこまで信じたらいいのだろう。しかし、砂かけ婆は猫又に自分達をお願いするように頼んだ。どういう意味なのだろうか?

 今度は透が質問した。

「砂かけ婆が言っていた、お願いするとはどう意味だ? 猫又」

「ああ、周りの妖怪達をわしに蹴散らせという意味にゃ」

「お前、強いのか? そんななりで?!」

猫又は威嚇するような、声を上げる。少しご機嫌斜めのようだ。

「お前達、ほんと無礼な奴らだにゃ! わしは強いんだにゃ!」

 そう言うと、透は猫又を急に持ち上げた。そして、顎の下を触る。

「気持ちいいにゃ。そのまま……」

 猫又はハッとして、そして、飛び降りた。

「何する馬鹿め!」

 透と義之は笑った。しかし、降りた猫又は真剣な顔をしていた。

「まあ、見ておれ、わしに任せておれば心配にゃい」

 その姿を見て、背筋が凍った。

「はい」

 二人の返事は重なった。



 三十分ぐらい進軍すると、敵軍が見えてきた。義之は正直大したことがないと感じていた。今いる自軍の方が多くてそして強そうだ。魑魅魍魎、百体ものの、妖怪の集団。しかしこちらは千。それに見る限り、妖怪達の個々にそれほど差があるとはとても思えない。

「おい、猫又。妖怪同士が戦う際、どうやって相手を滅するんだ?」

 透は疑問を口にする。

「お前、そんなこと今更かにゃ?!」

「すまん、聞きそびれていた」

「基本的にはお前達と一緒にゃ、真名が分からん限り、妖怪は消滅しない」

「……とすると、真名を聞きだすまで、痛めつけるのか?」

「そうだにゃ!」

 そう言った、猫又はとても好戦的な怪しい輝きを目に持っていた。

 義之は顔を上げる。距離は五百メートルぐらい。草原が続く平らな地形。しかしあの集団に立ち上る黒い煙のようなものが見える。

「あれか……」

 透もそれに気付いた。

「ああ、あそこに由佳や透がいることは間違いないようだ」

 義之はゴクリと唾を飲み込んだ。

「砂かけ婆!」

 透は砂かけ婆を呼んだ。

「なんじゃ、戦いに、今お主らのすべきことに集中しろ!」

「あの、一つだけ。間に合うのか? この砂をかけたら」

「確実だとは言わん。しかし、おそらく大丈夫だろう。幸運にもすぐに見つかって良かった」

「そうか……」

 透と義之は少し胸をなで下ろした。

「おい! きっと救って見せるぞ!」

 透が義之に気持ちの確認を求める。

「当たり前だ! 二人とも救ってみせる!」

「よし!」

 二人は思いを一つにした。そして、覚悟を目に宿らせた。

「良い覚悟にゃ。でも、お前達、勝手に先に飛び出すにゃよ。わしが蹴散らしてからにゃ」

「ああ、それも了承した」

 義之は頷いた。


 三百メートル、二百メートル、徐々に大きくなる目に映る敵勢。その時、自軍が大きく二つに割れた。そして左右に大きく展開していく。狙い通り敵軍も散らばっていく。

 中央に残った、猫又と義之達はできるだけ、中央が手薄になるのを待った。

「狙い通りにゃ!」

 猫又はニヤリとした。

 左右に割れた自軍は、すぐに交戦状態になった。だいたい、五体と一体の戦いになっている。敵の獏が噛みつこうとしたところを一反木綿がぐるぐる巻きつき、体を拘束し、塗壁が倒れこむ。数の優位性を持った戦い方をしたら、決して負ける相手ではないと思わされた。

「にゃにをボーっとしているにゃ! わしらも行くにゃ!」

「おう!」

「中を見ろ!」

 義之と透は敵軍の中央が大分手薄になっているのを発見する。そして、由佳と空也の姿も確認できた。由佳は見たところ、変化はあまり見られない。しかし、空也から出ていたのは、今まで闘ってきた、姑獲鳥や一反木綿に取り憑かれた人間の纏う物と似ていた。いやそれ以上の負の気が立ち上っている。

「蹴散らしたらすぐに出ろ。そして、お前達の持っている砂をかけろ!」

 二人が頷くと、猫又はものすごい速さで敵軍中央に走っていく。

「速え! 時速何キロ出てるんだ?!」

 透は驚嘆した。その速さはチーターをはるか上にいっていた。

 そして、敵と相見えた時、猫又は巨大化した。その姿は象の体格を持った三毛猫だ。

「にゃ~!」

 そこに残っていた妖怪は大髑髏、土蜘蛛、鵺。どれも、義之達からしたら、闘うことを避けるよう、注意されていた大妖怪である。

 猫又は大髑髏に噛みつこうとした。さっきの駆けていた速さなど取るに足りない。目にも止まらぬ速さだった。しかし大髑髏は軽くかわす。その後、大髑髏は猫又に話しかけた。

「おい! 猫又、久しぶりだな」

 大髑髏は人間の骸骨の姿をしていて、その大きさは今の猫又の二倍はあると思われた。

「なんにゃ?! お前、悠長に話している場合かにゃ?」

「いや、昔話も少しぐらいよかろう」

「にゃ?!」

 大髑髏は土蜘蛛と鵺と共に笑った。緑色の体に黒い縞模様のそしてその体から八本の足が出ている、全長三メートルもあるだろうと思われる巨大な蜘蛛、土蜘蛛。体の大きさは鷲ぐらいだが、頭が猿、胴が狸、手足が虎、尾が蛇、そして蝙蝠のような翼を持った怪鳥、鵺。

 三体とも、黒い煙が立ち上っている。

「お前ら、わしに勝てるとでも思っているのかにゃ?! 昔はわしを見ただけで小便ちびっていた奴に」

 またケタケタ笑う、三匹。

「もう、昔とは違うんだよ。俺達は力を手に入れた」

 そう言って、大髑髏は手のひらを前に出し、黒い煙を握りしめた。

「もう、お前はデカいだけの猫だぜ」

「にゃにお!」

 すかさず、猫又は大髑髏に噛みつこうと飛びつく。

「遅い!」

 猫又は空中で大髑髏の拳を食らう。真下に突き落とされた。地面に体を大きな音を立てて打ち付けると、すぐに土蜘蛛が顎で噛みついた。

「ギャアァァ!」

 猫又は奇声と同時に体を起こし、三匹に威嚇するように、体を震わせた。

「……確かに昔と違うようだにゃ。しかし、わしも昔のままだと思うにゃよ!」

「何を!? この年寄り動物。お前は衰えているだけだよ」

「……」

 猫又はまた威嚇したように見せた。二つに割れた尻尾をピンと立てている。そして、体を真っ赤にさせていく。好戦的なのか? 三匹はそれをじっと見ていた。

 目を真っ赤にさせて猫又は言った。

「いくにゃ!」

「……こ」

 何か言いかけた大髑髏は既に背骨を折られていた。速すぎて何も見えない。おそらく、前足で殴ったのだろう。大髑髏の上半身は飛んでいる鵺に直撃し、鵺は地に落ちる。猫又は痛みを感じる間も許さない、鵺をかぶりと噛み切った。

「ギャアァ―!」

 鵺の断末魔。土蜘蛛はそれを見て逃げて行った。

「今にゃ! お前達」

 すぐに動けなかった義之と透。

「こいつらは人間と違って回復するにゃ! それに、わしもこれ以上闘い続けると、敵が寄ってくる。それではかにゃわん。早く!」

 義之と透は体の硬直が解けた。しかし、今まで猫又の戦いに気をとられていたあまり、空也に注目していなかったことが仇となった。空也は二人の目の前にいた。邪悪な煙を体中から立ち上らせて、無表情で立っていた。

「空也……」

 すぐには動けない、義之。

「何してんだよ!」

 迂闊に動くべきでは無かった。巾着袋に手をつっこみ、砂を握りしめた透は、砂をぶっかけようとした。しかしその間もなく、空也は右手で透の首を絞めながら持ち上げる。

「く、くうや……」

 空也の右手から、負の気が透の体に移っていく。透の体は徐々に真黒になりつつあった。

「くそ!」

 遅すぎる行動。義之は砂を二人にかけようとしたら、空也は透を放し、いつの間にか、義之の目の前にいた。

「小僧!」

 猫又が二人をくわえて、助け出す。少し離れた所で、二人を離すと義之は透の安否を確認した。

「……おい! 透! 大丈夫か?!」

「……分からん。少し、砂をかけてくれ……」

「何を言っている? 全部だ。全部かけてやる」

「馬鹿野郎!!」

 透は叫んだ! その威圧感に思わず、口をつくんでしまう。

「あの二人を助けるだろうが!? 最初の主旨を忘れてんじゃねー!」

「お前が死んだら、元も子もねーだろが! 馬鹿はお前だ!」

 そんなやりとりを見て、猫又は儚い顔をした。

「小僧、もう無駄じゃ。無理じゃ。砂かけババの砂は万能で無いんだにゃ」

「は?……」

「今確認したが、もう二人ともわしら妖怪がどうにか出来る段階はとうに超えておる。もう無理にゃ」

「ああ?! だからと言ってこのまま黙って見とけ!! ってのか?!」

「仕方にゃい……」

「そうか、俺はもう手遅れなのか? 薄々そんな気してたよ……」

「おい! お前ら!」

 そう、猫又に食い掛かっていこうとする義之。その時、鉄鼠が猫又に急いで、何かを伝えに来た。

「猫又!」

「なんにゃ!?」

「退却だ!」

「は? わしらの軍は優勢であろうが?」

「前を見てみろ!」

「……あれは黒き泉」

 黒き泉はこちらに向かってきていた。一面、広がっていた赤い草原は、津波のように押し寄せる黒い液体に覆われようとしている。泉と聞いていたが、泉どころではない。あれはこの世界にある内海だ。あまりの圧巻たる光景の言葉が出ない義之。

「鉄鼠! 何故だ?! 何故、黒き泉が動いているんだにゃ!」

「黒き泉の結がもう相当弱まっているんだろう。中にいる妖怪が勢いづいて、動かしているんだう。もう、何体か、飛び出してきている」

「……そんな馬鹿にゃことがあるか!」

「……とにかく逃げるんだ! 退却だ! あれを、後ろ盾に戦われてら全滅するぞ!」

「仕方にゃい! 小僧達、逃げるにゃ」

 そのやりとりを見ていた、透は微笑した。

「いや、義之だけでいい。俺は残るよ」

「ああ? 何を言ってる!?」 「にゃにを言っているだ?」

 猫又と義之の声が重なった。

「俺は、空也と共に、黒き泉に吸収された方がいい……」

「は?」

 掴みかかろうとした義之に透は言った。

「触るな!」

 その言葉よりも、それを言い切った後の透の表情に衝動が収まった。

「義之、俺達はもう助からない。そして、空也はもう自我を失っているんだ。俺もそろそろだ。このままでは一生、妖怪に力を利用される存在になって、この世界に害をなすなら、黒き泉に吸収された方がいい」

「だから、何だって言うんだ!?」

 この事態に直面して、冷静でいられない義之。

「それに、今、空也を導いてやれるのは俺しかいないんだよ」

「……は?」

「あっちを見ろ、義之」

「……」

 指さした方向に由佳が助けを求めている姿があった。妖怪達に連れられて、移動させられているようだ。

「由佳を助け出せるのはお前しかいないんだ」

「……」

「頼んだぞ!」

「馬鹿野郎!」

 義之は透に殴りかかろうとすると、猫又に咥えられた。

「残念だが、そやつの言うとおりにゃ、今は逃げろ!」

「猫又離せ!」

 黒き泉が迫ってきているのを発見した砂かけ婆軍は退却をし始める。四方八方に逃げ惑う。それに追い討ちをかけるように、殴り、食い、潰し、そして滅しようとする百鬼夜行軍。もうこの世の終わりを暗示しているかのようだった。

 透は空也に不動金縛りの法をかけ、空也を連れ帰ろうとする妖怪と最後まで戦っている。

 義之は涙が止まらない。その涙は黒き泉が二人を飲み込まれて、枯渇した。

「透!」

 猫又に咥えられたまま、距離はかなり遠くになった。それでも義之は命いっぱい叫んだ。きっと届きますように。



「落ち着いたかにゃ?」

 猫又と洞窟の中に逃げ込んだ義之は、猫又に話しかけられた。

「……ああ、少しはな」

 猫又はもう元の大きさに戻っていた。

「もう、黄泉の国には飲み水がないんだにゃ」

「いや、大丈夫だ。ありがとう。ありがとう」

 自分の無力さ、透や空也を失った悲しみ。全てを受け止めて、猫又の優しさが胸にくる。

「半妖のお前さんなら、水は無くても、しばらくは生きられるだろうが」

「……ああ」

「まあ、少し落ち着くにゃ。落ち着いたら今後のことを話そう」

「……ああ」

 洞窟の壁にもたれながら、座りこみ、ただ義之は脱力した。



  八

「どういうことだ? 那須川?」

 九朗は那須川凌空に問いかける。

「はい。神隠しというものはご存知ですか?」

「ああ、もちろん知っている。神様が人間をどこかにつれて行くと伝承されている現象だが、我々に言わせれば妖怪が通った、次元の穴にはまって、黄泉の国に行く現象だ」

 那須川凌空は頷いた。

「まさしくその通り。では、神隠しにあった、人間を救いだすにはどうしたらよいのでしょう?」

 この問いには、九流忠行が答える。

「実際にやったことはないが、反魂術を行えばよいのだろう」

「そうです。しかし、現代になって行ったものはいない。我々が知る一番古い例では、江戸時代に遡ります」

 三人は神妙な顔をして頷く。

「しかし、文献や伝承には不明瞭なところが多い。術を多く知る、我々でも実際に行えるか分からないですよね……」

「ああ、その通りだ」

 東虎邦孝は頷きながら、言葉を続ける。

「そもそも、神隠しはあまり人間界から救い出す必要があまりない。妖怪がそんな時は人間界にかえしてくれる事例が多いからだ」

「はい、その通りです。しかし、問題は何かというと、今の黄泉の国の状態を察するにそんな状況ではないことです」

 それを受け、九朗が言う。

「ああ、今の黄泉の国は全く何がどうなっているか推し量ることはできない。おそらく、広大な黒き泉から妖怪が次々に出現しているに違いない。そんな中、義之達が無事に済むのか? 保証は一切無いんだ。もし生きているにしても、妖怪に利用されるに違いないよ」

 絶望的な状況を改めて確認する。

「あの時、やはり俺は黄泉の国に行くべきだった!」

 九朗は悔しそうに顔を歪めた。

「それは違うぞ、相模!」

「……相模さん、もう過ぎたことを言っても仕方ないでしょう?」

東虎邦孝と那須川凌空に念を押される。

「黄泉の国に行く選択をしたら、行ったあいつらと同じ運命をたどる。誰が救えるというのだ?」

 九流忠行は言い聞かせる。

「ああ、感情的になって悪かった」

 三人は頷く。

「で、どうするんだ? 那須川」

 九朗が訊ねる。

「はい。反魂の術を行うには、クリアーしなければならない事柄があります。一つは江戸時代の事例から考えるに、次元に穴を開けること。つまりは入り口を作ることですね」

「ああ」

 口をそろえて同意する。

「しかしこれが一番不明確なところで、次元に穴を開けるにはどうすれば良いか、記されていないのです」

「その通りだ」

 東虎邦孝は眉間にしわを寄せた。

「また、反魂術を行うには、なるべくその人がいなくなった所で行うのが良いこと。また、その人の魂を引き寄せる何か、縁があるものが必要だということ。この三点がそろえなければならない事柄です」

「ああ」

 九朗達は頷く。東虎邦孝は那須川凌空に問いかける。

「二つは実現可能だろう。しかし次元に穴を開けるのはどうするんだ?」

「そうです。そこで、私の能力を使うと言っているんです。おそらく、江戸時代に行ったのもこの方法でしょう」

「妖怪を憑依させ、通ったところに開いた穴を使うというのか?」

 九流忠行は那須川凌空の顔を覗く。

「はい」

 那須川凌空はそのとき、とても真剣な顔をしていた。返ってくる言葉が分かっていたからだろう。

「那須川、危険だ。今の黄泉の国は異常なんだ。それこそ、相模が言った、負の気に取り憑かれた妖怪を憑依することも考えられる」

 九流忠行は注意を促す。

「……分かっています。でも、それ以外方法ありますか? 降霊術を得意とした私以外に行える人はいますか?」

「……分かっているよ。しかし、那須川が命を落とす可能性が大きいと言っているんだ!」

 九朗も那須川凌空を止めようとする。

「……分かっていますよ。しかし、このままでは黄泉の国に落ちた娘達が全員無事に帰ってくるのはほぼ不可能でしょう。しかし、私達がこれを行えばまだ可能性はあるのです。また、私も無事に済む可能性もゼロではないのです。ゼロでは無いのならば、それに賭けるしかないのではないでしょうか?」

 那須川凌空の決意を含んだ言葉に三人は押された。

「ああ、分かった。確かにこの方法しかない。任せたぞ、那須川」

 九朗が了承の意を示す。

「分かった。しかし、那須川、貴様も無事にこれを遂行すると約束してくれ」

 東虎邦孝は那須川凌空の目をまっすぐとらえる。

「分かりました」

 笑顔で三人にこたえる、那須川凌空。

「しかし、反魂術は三人に任せますよ。私はおそらく、沢山の妖怪を憑依させているので、状況を推測するに、おそらく、他のことはできそうもない」

「ああ」 「了承した」 「任せておけ!」

 三人はまるで、心配することは無いと言い聞かせるように言った。

「後は、おそらく、今頃あのじじいが大量の術師を送りこんでいるだろうと思われる相模の家でどう行うか? だな」

 東虎邦孝の言葉に、険しい顔をする三人。

「闘いは避けられんよ」

 九朗は静かに言い切った。

「ああ」 「そうだな」 「そうですね」

 四人の意見が一致した時に、楓の葉がひらりと四人の間に落ちた。九朗はそれを拾い上げた。

「こいつが必要だ。根も俺が掘り越して切っておくよ」

「分かった」

 東虎邦孝は首肯する。

「確か、後縁の物が必要なんだな。その間に取ってくるよ」

「ああ、那須川も九流も頼む」

「分かりました」

「では、俺の家の近くの空き地に来てくれ、作戦を立てる必要がある」



 数時間後、四人は九朗の家の近くの空き地に集まった。

 九朗は一つのゴミ袋いっぱいに楓の葉を集め、そして、もう一つのゴミ袋には根を詰めたていた。

「文献や伝承されていることは、確かだと言い切れないが、その通りにやるしかないな」

 九朗はやって来た三人に言った。

「そうだな。呪術の方は分かっているのか?」

 九流忠行は九朗に確認する。

「だてに暇人やってないよ。日中は暇だからな」

「全くだ」

 三人は笑った。

「反魂術は問題なくできるとして、後は今、相模さんの家にいる術師をどうやって倒すか? ですね」

 那須川凌空は三人の顔を見比べる。

「人間相手だ。あまりしたくないが、俺の不動金縛りの法だけでも、対抗できる術師は数えるぐらいしかいないよ」

 東虎邦孝は平然とそう言った。

「そうだな。俺に対抗できる奴すら、あまりいないと思うよ」

 九朗も自信は持っていた。

「心配なさそうですね。それでは、反魂術とともに、そちらもお願いします」

「おう!」

 返事が重なる三人。

「那須川が滞りなく、憑依できるようにしなければな。そうなると、刃向かうことをできないぐらい、強い術をかけるしかない」

 九朗は三人にそう確認を求める。

「大丈夫だ。覚悟はできている」

 九流忠行の目は澄んでいるようだった。

「分かっている。今になって、妖怪だろうが、人間だろうが関係ないよ」

 東虎邦孝は断言する。

「はい。私も覚悟は出来ています」

 那須川凌空も迷いはないようだった。

「ならば、今から乗り込むぞ!」

「はい!」 「おう!」

 四人は幾度、袈裟を着て闘ってきただろうか? 幾度、命の危機を乗り越えてきただろうか? 百戦錬磨の四人は闘いの地にまた赴く。ただし、今回は人間だった。仲間だった。それだけの違い。それだけの違いだが、それは四人の胸に様々な思いを抱かせていた。しかし一つだけ共通の思いがある。それは必ず自分の子供を救ってみせる! その強い決意だった。


 やがて九朗の家が見えてきた。結界が張りなおされていた。それは今からその領域を侵すものを決して許さないと顕示しているように見える。四人は気圧されそうになった。それは強力なものが出来上がっていること以上に、今は自分たちが邪にあたる物だと自覚しているからであった。ゴクリと唾液を喉に通す。

「行くぞ!」

「おう!」

 勢いよく門の中に入る、四人。数十人で黒き源泉を封印している術師達は彼らを発見し、動揺する。その中で大声で命令を出したのは藤蔭博基だった。

「おい! そいつを拘束しろ!」

 藤蔭博基は全てを分かっていた。そして、その結果何が起こるかまで理解していた。

「ノウマクサンマンダ バラサダンセンダ マカラシャダソワタヤ ウンタラタカンマン」

 三人が唱えた、不動金縛りの法。

 目に見える術師はほぼ、動けなくした。唯一その術を耐えられたのは藤蔭博基だけ。

「じじい。やるではないか? ただの老害ではなかったのか?」

 そう悪態をついた、東虎邦孝。

「馬鹿が、先代ならいざしれず、貴様程度に遅れをとるわしではないわ!」

 東虎邦孝は鼻で笑った。

「出てこい! こやつらを止めるぞ!」

 そう言って、屋根の上から術師が出てきた。五、六人いる。

「こうなる事を想定して、先手は打った」

「こいつらが俺に勝てるとでも?」

「東虎家も地に落ちたな、力も立場も。お前たちを拘束し! 処分する!」

 東虎邦孝はまた鼻で笑った。



  九

 猫又は義之に優しく声をかけた。

「少しは落ち着いたかにゃ」

「ああ、もう大丈夫だ」

「そうか、あまり、長い時間をかける訳にもいかにゃいのでな」

「そうだな。今後のことを話すって……」

 義之は充血していた目をこすった。

「さっき、部下の鉄鼠が来た」

「それで?」

「もう、黄泉の国は終わりだにゃ……」

「どうしてだ?」

「わしらの軍の拠点が次々に百鬼夜行軍にやられているそうにゃ」

「……」

 義之は何も返答できなかった。

「まあ、それはいい。もう、お前の仲間を助けたら、人間界に帰してやるにゃ」

「……猫又も来たらいいさ。こんなに世話になってるんだ。少しぐらい返させてくれ」

「それは無理だにゃ」

「なんで?」

 その質問に猫又は一瞬固まった。しかし、すぐ表情を取り戻していった。

「黄泉の国の住人として最後まで見届けさせてくれにゃ」

「……分かった」

 それ以上、義之は猫又にそれを求めることはしなかった。しかし、自然と謝ってしまった。

「すまない……」

 猫又は笑顔で返した。

「いいにゃ。謝らなくても。それよりもお主の仲間を助けにいくにゃ」

「ああ。しかし、俺はどうしたらいい? 何をしたらいい?」

 頭を掻きむしる。何もできなかった自分。無力な自分を許すことができないのだ。

「……お前は何もしなくていいにゃ」

「なんだって……」

「正確には闘わなくていいにゃ」

「どうして?」

「鉄鼠がお前の仲間のいる所をつきとめてくれた。幸運にもそんなに敵はいない。だからわしが闘うから、お主はただ助け出してくれたらいい。その間、時間は稼いでやるにゃ」

「……何で、お前達妖怪は俺達、こんなどうしようもない生き物、人間にこうも、優しく、協力的なんだ……」

 再び涙腺が緩みそうな義之の顔を見て、猫又は義之が座っている場所に行く。そして見上げた。

「あのにゃ。妖怪ってなんだと思う?」

「妖怪。人間界と黄泉の国と住む所は違えど、同じ大切な生命……」

 猫又は少し驚いた顔をした。前足で頭を掻いた。

「お前が最後に出会った人間で良かったにゃ」

「……」

 義之は何も言葉が出てこない。

「術師の多くは妖怪を目の敵にしているものも少なくにゃい。特に人間界の江戸時代からは酷いものにゃ。お前がわしらのことを思ってくれて素直に嬉しいにゃ」

 まるで、猫又の表情はまるで女の子の笑顔のようだった。

「……俺は親父や母さんからそう教えられたきたし。今でも変わらないよ。滅してしまった妖怪達を思うと本当に何度頭を下げたらいいことか。そんなこと、今頃になって気付いた」

「いいにゃ。いいにゃ。もう謝るな!」

 猫又は慌てた。

「あのにゃ。妖怪はお前が言うことも正しいんだが。人間にとっては神様だったんだにゃ」

「かみさま」

「そうにゃ。人間はときどき黄泉の国から人間界に現れる妖怪を見て、畏敬の念を持ち、そして崇め奉った。お狐様などが分かりやすいんではないか?」

 義之はゆっくりと頷いた。

「そんな妖怪達は人間を見て、慈しみ、加護や恩恵を与えたんだにゃ。そうすることによって人間達はなお一層わしらを信仰してくれた。そういう関係性でずっとお互いに命を繋いできたんだにゃ」

「そうか。そうだったんだな」

「だから、神様が人間に世話を焼くのは当然なんだにゃ」

「……」

 義之は黙って聞いていた。しかし、最後の猫又の小さい胸を張った様子に笑ってしまった。

「お前を見てると、とても神様には見えないがな」

「にゃにお~!」

 お互い、ムキになって睨み合った後、笑った。

「……少しは元気でたかにゃ?」

「ああ」

「では、行くにゃ!」

「おう!」

 猫又は洞窟を出て、巨大化した。

「乗れ!」

 義之は猫又に寄って、よじ登り、首を持ち背中に跨る。

「猫又、最後まで本当にすまない。ありがとう」

「もう、いいにゃ。神様なんだにゃ」

「ハハハ、そうか!」

「振り落とされるにゃよ! 急ぐにゃ!」

 そう言って、全速力で駆ける。とても速い。風景が映画のフィルムのように、一瞬映っては違う景色を映す。その間に様々なことが義之の頭の中によぎった。小さい頃の母との思い出、由佳と初めて会ったこと。猫又と会ったこと。空也と透を失ったこと。流れるような景色の中で、溢れだす自分だけの知っている物語。

 義之は目をこすった。その後は力強く前だけを見ていた。


「着いたにゃ」

 そこは崖の上だった。眼下には敵が野営しているようだ。赤い布で作られたテントのようなものが数多く点在していた。

 義之は由佳を探す。もう誰かを失うことはこりごりだった。由佳だけでも救い出してみせると、目に熱い物を宿らせる。

「小僧、大丈夫だ。匂いは覚えているにゃ」

「そうか!」

「崖を下りるからしがみついておれ! 一直線で向かってやるにゃ」

 義之はしっかりと首に抱きつく。

「行くにゃ!」

 崖を落下するごとく、四つの足で垂直に駆けていく猫又。警備している妖怪がその光景にど肝を抜かしている。

「敵襲だ! 猫又がやってきたぞ!」

 大声で喚起する。テントから次々と妖怪達が現れる。崖の下に着いた猫又は目にも止まらぬ速さで止めようとする妖怪達を次々と吹き飛ばす。

「ニャアー!」

 もう誰も、猫又を止めることは出来ないと思われた。

「あの先のテントに仲間がいるにゃ!」

 義之はその言葉を聞き、砂の入った巾着袋を握りしめた。

 猫又が言った、テントの前に着こうとしたとき、一匹の妖怪が姿を現した。

「止まれ! 猫風情が!」

 全身、真っ赤な姿、頭に二本角があり、顔の中央に一つの目。体長は五メートルはあると思われた。

「お、鬼……」

 義之は思わず言葉に出てしまった。それは鬼に違いない。その鬼から伸びる負の気はどこまでも続いているように思われた。

「目一鬼か……」

 猫又は急ブレーキした。そして体を震わせて、威嚇する。

「猫風情が図に乗るのはここまでにしてくれないか?」

「わしを舐めているのか? 鬼でこのわしとまともに闘えるのは酒呑童子ぐらいにゃ」

 それを聞いて高笑いする目一鬼。

「随分な自信だな。お前は確かに強かった。しかし、もう、昔の話だろ?!」

 それを聞いて、微笑する、猫又。

「情報不足だな。大髑髏も鵺も土蜘蛛もわしの敵ではなかったと、お仲間に聞いてにゃいのか?」

「それはあいつらが弱小妖怪だからだろ? 俺を相手するのとでは訳が違う」

 それを聞いて、猫又は義之に小さく話しかけた。

「小僧、悔しいがあいつの言う通りにゃ。隙を見て、お前の仲間を助け出すにゃ」

 そう言って、義之を降ろす猫又。

 義之は唾を飲み込んで、頷く。

「それにここは敵中だ!」

 目一鬼が合図すると、五十体ほどの様々な妖怪が現れた。

 本当に猫又一人でここの妖怪を倒せるのか? そして、由佳を助け出せるのか? 義之の頭の中でそれがグルグル駆けまわる。

「小僧!」

 そんな義之の様子を見て、猫又が強く言い聞かす。

「余計なことを考えるにゃ! 絶対に大丈夫だ。わしを信じろ!」

「……分かった」

 義之の迷いは消えた。猫又は息を大きく吸い込み、そして体を真っ赤にしていく。一目鬼は、猫又を襲うように命令する。

一斉に猫又に襲い掛かる妖怪。おとろし、塗仏、かまいたち、女郎蜘蛛。

猫又は修敏な動きで、次々に食いちぎっていく。

その間、義之は見ていることしかできなかった。しかし、猫又に違和感を持ち始めた。普通、これほど速く動きまわると、猫又といえど、体力が消耗するはずである。しかし、全く衰えることはない、それどころか、どんどん強くなっている気すらする。

「猫又、お前は一体……」

 義之がそう小さくつぶやくと一瞬、黒くなっているように見えた。しかし、まばたきをして、もう一度確認すると、そんな変化は見られなかった。

「もういい! 俺がやる! お前達は下がっていろ!」

 一目鬼が他の妖怪を下がらせた。

「ごきぶりのような生命力だな。老いぼれにこれほどの力があるとは」

「お前も、こんな風になりたいのかにゃ?」

 そう言って、体をちぎられた妖怪の残骸に目を向ける。

「その言葉そのまま返してやるよ」

 猫又と一目鬼は互いに睨み合った。

「いくぞ!」

「にゃ!」

 互いに速い、猫又が口を開け食い掛かろうとしているところを一目鬼は口を両の手で抑え込み、閉じさせた。猫又はそのまま一目鬼を押し出そうと、四本の足を踏ん張っている。それに耐える一目鬼。

 力はわずかながら、一目鬼が勝った。猫又を相撲をとるように投げ飛ばす。猫又の体は宙に浮き、そして背中を強打する。

「ニャア!」

 痛がる間もなく、一目鬼は猫又に近づき、左目を尖った爪で突き刺した。

「ニャアー!」

 悲鳴が上がる。しかし、声を上げたところに猫又はもういなかった。距離をとり、また威嚇するような体勢をとる。しかし、左目から血が噴き出ていた。

「やはり衰えたな。猫又よ。俺の方が今は強いらしい」

「お前のようにゃ、ガキにはまだ負けんよ。それは自意識過剰というんだにゃ」

「チッ! 減らず口を……」

 再び動き出す、二人。猫又は前足で引っ掻こうとした。一目鬼はギリギリのところでそれを避け、次は横腹を爪で突き刺す。

 猫又は今度は悲鳴をあげなかった。尻尾で殴ろうとする。しかし、一目鬼は尻尾を掴み、そして、遠くにぶん投げた。

 飛ばされる猫又、しかし、空中で体勢をととのえ、四本の足で着地した。

「ハア ハア」

 猫又の息は荒い。とても勝てそうもない。現時点では一目鬼の方が強かった。

 それでも、猫又は果敢に攻撃を仕掛け続けた。何度も体を負傷させながらも、闘い続けた。

「猫又……」

 義之は見てられなくなって、加勢しようとした。猫又は印を結ぼうとしている様子を見て怒鳴った。

「小僧! 余計なことはするな! 分かるだろ!? お前ではどうにもにゃらないことを」

 その通りだった。しかし、それでも義之はこれ以上傷つくのを見過ごせない。

「小僧!」

 あまりの迫力に手が止まる。

「見ておれ、必ず勝つ!」

 猫又はまた一目鬼に襲い掛かる。爪で引き裂こうとした。一目鬼は反応はできていた。しかし、避けられていたはずの体に爪の跡が残っていた。血がポツリと地面に落ちる。

「……どういうことだ?」

 すぐに距離をとる一目鬼。また攻撃をしかける猫又。今度は体を爪が深くえぐっていた。

「お前、これはどういうことだ?! もうすでに満身創痍になるはず」

 一目鬼も義之も今頃になって気が付いた。猫又が黒い気を放ち初めていることに。

「お前、まさか……」

「不覚にゃ。もう、負の気が全身に回ってきた……」

 猫又は顔をひどく歪ませた。

「猫又!? これは一体どういうことなんだ?!」

 義之の質問に耳を立てて、義之を見つめた。

「わしはな。歳をとりすぎたんだにゃ。もう黒き泉の気を跳ね除ける力は残っていにゃい。死に近いものは黒き泉の気に抗えないんだにゃ」

「何を言ってるんだ! この砂を使えば!」

 義之は巾着袋を取り出した。

「馬鹿か! そんなもん気休めにしかならんのにゃ! わしに使うにゃ! 仲間を救うんじゃにゃかったのか?!」

 その間に、後ずさりをしている一目鬼。猫又はその姿をギラリと睨んだ。

「お前は逃がさないにゃ。地獄に送ってやる」

 そう言い切った猫又の姿に恐怖という言葉を脳裏に強く焼き付かされる。全身に黒い気を立ち上らせ、不敵に笑う猫又に一目鬼はおののく。

「何を、お前などに殺されるものか?!」

 去勢を張る一目鬼。

 その瞬間、ガブリと噛みつかれていた。肢体バラバラになる一目鬼。

「にゃにをしている! 早く行くにゃ! わしが正気を保っていられる間に!」

「……」

 猫又は後ずさりしている他の妖怪達を瞬時に壊し始める。もう、自分の知っている猫又の姿はそこにないと思われた。悪鬼と成り果てる。

 大分遅れて、自我を取り戻した義之はようやく動き始める。

 分かっていた。猫又は自分のために、悪鬼となっていること、自分が由佳を助け出してから、妖怪に襲われないようにしてくれていること。

 でも、あまりも……。猫又の女の子のような笑顔が脳裏に浮かぶ。

『お前がわしらのことを思ってくれて素直に嬉しいにゃ』

「猫又! ありがとう! さようなら!」

 振り返ったとき、猫又が再び笑ってくれているように思った。義之は涙を拭いてテントの中に入った。




 月夜に屋根の瓦を踏ん付けて立っている、五人のシルエットが映える。

「よお、あんたが術師で最強だと言われている、東虎邦孝か?」

 若い男がそう言った。

「あんた? お前誰に口を利いている? ひよっこが?!」

「……本部長に聞いたよ、百鬼夜行を起こそうとしているのか?! 本部長の言う通りで残念だよ。あんたは術師から大きな尊敬を受けているのに、関わらず」

「あ?! このジジイから何か吹き込まれたな?!」

 東虎邦孝が若い男を鋭い目で見て離さなかった。

 後ろの影が動く、ギシギシと瓦が動く音がする。

「ねえ、私、あんたがどのくらい強いか気になっていたんだ」

 若い女のようだ。臀部まで長い髪が伸びている。なんだが妖艶な雰囲気を持つ。他の三人も姿を現した。一人は髭を生やした男、一人は筋肉質な男。そして、もう一人は義之達とあまり変わらない子供だった。五人に共通して言えることはまだ若いということである。

 それを発見した九朗は笑った。

「こんな奴等が、クソジジイが打った手だとでも言うのか? 片腹痛いわ!」

 九朗と東虎邦孝は顔を見合わせて、笑う。

「相模九朗!」

 女が凛とした声で言った。

「なんだ? 小娘が?!」

「あんたも強いって聞くよ。興味あるよ」

「……」

 今まで九朗は妖怪としか闘った経験は無かった。だから人間の強さ、特に術の力がどれくらいかなど分かる由もない。しかしこの肌に感じる物は戦慄と、確かな強さだった。

「いくよ! あんたと術比べだ!」

 女は空中に舞うように下りた。その間、印を結ぶ。

「ノウマクサンマンダ バラサダンセンダ マカラシャダソワタヤ ウンタラタカンマン」

 九朗と女は同時に唱えた。

 九朗はここを占拠している術師達の不動金縛りの法を解く、解かざるをえない。そして、目の前の女にさらに強い術をかけた。

 それにより、九流忠行と東虎邦孝の負担は重くなった。

「おい! 相模!」

 東虎邦孝が声をかける。しかし、九朗の顔に思わず言葉を飲んでしまう。

 唇を大きく歪めて、歯を食いしばっている。女はどうか? 東虎邦孝はパッと確認しようとする。女も動けない状態。しかし、どことなく余裕がありそうだ。

「……」

「加勢するな!」

「何!?」

 東虎邦孝は耳を疑った。

「加勢するな! 二人とも。いくらお前達でもこれだけの人間の自由を拘束するのは、ギリギリだろ? こんな奴等、俺一人で十分だ」

 その通りだった。印を結ぼうとする、九流忠行と東虎邦孝は手を止める。

「ほんとはハンデなしでやりたかったが、残念だよ」

 女は口を動かした。

「でも、相模九朗。あんた、今、全力だろ?! 不動金縛りの法を私、以外にかけてないだろ?」

 それらを見ていて、九流忠行は聞いた。

「お前達は何者なんだ?」

 当然の疑問だった。強い術師なら、自分達が知らない訳がない。まして、この日本で五本の指に入る九朗を拘束するなど、ただ者である訳がない。

 それを聞いて、今まで黙って見ていた藤蔭博基は言った。

「こいつらは人殺し専門の術師だよ!」

「は?! そんな奴等がいるというのか?」

 東虎邦孝が言葉をぶつける。

「人間界の敵ってのは、何も妖怪だけでない。そもそも、人間はずっと人間を敵にしてきた。闇の世界のまた闇の人間、そう。人間を滅することを目的に育てられたのがこやつらだよ」

「は? 何を言っているんだ?! 老害よ。貴様こそが一番の闇だよ!」

「相模、虚勢を張るのは結構だが、お前だけでこいつ等を全員、相手できるのか?! 滅せられるのは時間の問題だよ」

「ジジイ!」

 東虎邦孝は我慢ができなかった。印を結ぼうとする。

「いいから!」

 九朗は動けない中、汗を滲ませる。

「相模……」

「東虎、いいから! このジジイも目の前の若造達も痛い目に合ってもらう!」

「お前だけでいけるのか?」

「知らん。だが、俺とお前は何年間一緒に闘ってきた。ちったあ。信じろ」

「分かったよ」

 東虎邦孝は手を止めた。

「さあ、長話と友情ごっこは他でやってくれる? 私はあんたとの闘いに興じたいんだよ」

「ハハハ。雑魚だと思っていたが、おつむまで雑魚とは。闘いに関する考え方がもう既に、死んでるよ。お前達みたいな本当に害を為す存在は消えた方がいい」

「は?」

 女はあきれ返っている。

「さあ、かかってこいよ。あばずれ!」

「貴様! 臨兵闘者皆陣裂在前!」

 九朗の不動金縛りの法をかかりながらも九字を切れた女は本当に強かった。九朗は重くなった体を無理矢理動かした。

「臨兵闘者皆陣裂在前!」

 互いのかまいたちがぶつかる。僅かながら女の方が強かった。女のかまいたちが九朗を襲う。九朗は地面に伏せた。

 女は刀印を作って、九朗の傍に来る。九朗も刀印を作って迎え撃つ。女の人差し指が九朗の頸動脈の真横を触る。九朗は弾き飛ばした。お互い、刀印を作って距離をとった。

「さすが、人殺し専門。一気に首を狙うかい?」

 九朗は皮一枚が切れて、そこから血を流している。

「そうだい。刀印のつばぜり合いなんて、あんたからしたら初めての経験だろ?」

 女は刀印を舐めて言う。

「怖くなったら、逃げだしてもいいんだよ」

 九朗はクスリと笑った。

「見逃してくれるのといのか?」

「それは無いね」

 女は憐れむように言い切った。九朗はその言葉を聞いた直後にまた九字を切る。

「臨兵闘者皆陣裂在前!」

 同時に唱えた。九朗は二回切った。またかまいたちのぶつかり合い。女のかまいたちは勢いが衰えたとはいえ、九朗にまた襲い掛かる。しかし九朗は二回目の九字で防御の結界を作りだし、自分を守っていた。かまいたちは衝突し無力化した。

「あんた、弱腰だね。私に勝てないと思って、最初から防御を考えているなんて」

「……」

 何も返さない九朗。

「……がっかりだよ。相模九朗。あんたは強いって聞いてたのに」

「……」

「あんたはそんなことないよね? 東虎邦孝。表の世界ではあんたが最強って言われてるんだ」

 東虎邦孝はそれを聞いて、笑った。

「俺と、相模との差か?」

「ああ」

「そんなもん、あって無いようなもんだよ」

「はあ、もう拍子抜けもいいとこだよ」

 女は顔に落胆の色を見せる。

「ハハハ、お前は俺達を勘違いしているよ。こっちはさほど、期待して無かったから何も裏切ってはないがな」

 東虎邦孝と九流忠行は笑った。

「どういうことだ?」

「ノウマクサンマンダ バラサダンセンダ マカラシャダソワタヤ ウンタラタカンマン」

 九朗はいつの間にか結界から出て、女に不動金縛りの法をかけていた。

「またまた。同じこと……」

 女はそう言い切る前に汗をびっしょりかいていた。そして動けなくなったことに気付く。

「お前、何を!?」

 完全にかかっている。もう、口だけ動かすことがやっとのようだ。

「残念な頭のお前が学習できるように、分かりやすく教えてやるよ」

 今度は刀印を九朗が舐めて、いつでも攻撃できる意を示す。

「一、お前達はチームプレイってのはできるのか?」

「は?」

「お前が闘っている間、他の奴はただ見ていた。それはお前達の慢心もあるだろう。だが慢心がそもそもこの結果を招いた」

「あ?」

「屋根の上見てみなよ」

「……」

 女は言葉を無くした。屋根の上にいた奴等は皆、動けなくなって、その場で伏せられていた」

「最後の不動金縛りの法はお前だけではなく、お前達五人全員にかけた。だからこうなったんだ」

「は? それはどういうことだよ!? なんで、私だけでなく、他の……」

「まあ、待て。第二、お前達は人間を殺すことを目的に術を学んだこと。俺達は妖怪を退治することを目的に術を磨いてきた。この違いが分かるか?」

「は……。私達の方がお前達より優れているはずだろう?」

「人として生まれたからには最期の時まで己を高めなければならない。馬鹿なお前に教えてやるよ。お前達はどうせ、強い力を一気にぶつけて、そして時間をかけず、相手を殺すんだろ?」

 女は九朗を見据えながらゆっくりと頷いた。

「妖怪と闘う時ってのは、真名を吐き出すまで時間をかけなければならない。そのため、術の効果は持続力が求められる。術ってのは、何もすぐ力が発揮するものばかりでは無い。呪術とは、基本的にゆっくりと、そして蓄積されるもの。その効果が屋根の上の状況を作りだし、お前も例外ではない」

「……クソ! クソ!」

 女は術を解こうともがく、しかし、一歩も動けない。

「俺が不動金縛りの法を解いても、二人とも術を解かなかった。俺は二人を信じていたからさ」

「……」

 やがて、女は口さえも動かせなくなっていた。

「こんな基本的なことも分かってないのに、ガキにおもちゃを持たせて良かったのか? なあ、ジジイ」

 九朗は藤蔭博基を見た。藤蔭博基は気力を完全に失っていた。

「馬鹿なのは確かだが、コイツらが弱いんじゃないよ。お前達が異常だ。ただそれだけだよ」

 九朗は頭を掻いた。

「やはり貴様は老害だよ」

 藤蔭博基は何も言い返せなかった。不動金縛りの法にかかっていること以上に、九朗達が完全に彼の心を追い詰めていた。

「で。どうするんだ? こいつら?」

 九流忠行が九朗に投げかける。

「別にこいつらを元々どうする気もないよ。那須川の邪魔さえしなければ、解放してやるさ」

「そうだな……」

 九流忠行がそう小さく言ったとき、九朗は気付いた。那須川凌空の姿が見えないことに。

「おい! 那須川は?」

 ハッとして、三人は那須川凌空を探す。

 那須川凌空は池の中で胡坐をかいて、般若心経を唱えていた。もう既に憑依をする状態に入っている。

「おい! 那須川、待て! まだこっちの準備ができていない」

 東虎邦孝は止めようと声を上げる。三人は那須川凌空に駆け寄る。

「波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶 般若心経」

 そう唱え終わった後、地震がこの地に再び起こった。立っている地面は割れ始め、家が横に大きく揺さぶられる。食器が落ちる音、タンスが転倒する音、様々な混乱へ誘う音が鳴り響く。

「おい! 何が起こっている?!」

 九朗の言葉を事の重大さを物語っていた。

「おい! 那須川、那須川!」

 東虎邦孝は体を揺らして呼びかける。しかし、那須川凌空に反応は無い。まるで魂が抜けたようだ。那須川を見ていると、徐々に体が白くなっていく。

「これが、妖怪の降霊術だというのか?!」

 九流忠行は言葉を失った。

やがて、地震が収まり始める。しかし、弱まっていく中、確実にそのものが巨大化していることが分かり始めた。

完全に収まったとき、三人はそれが強大に顕現した。

 次元の穴が人間界に大きく開いたのだ。九朗の家の広さどころではない。この街を覆い尽くす程の広さを持ち、そこから数知れない白い火の玉が夜の空に立ち上ぼっている。

「これは……」

 あまりにも壮絶な光景を見せつけられて、九朗は放心してしまった。

「おい! 相模! ボーっとするな! この街はやがて黄泉の国に落ちるぞ!」

 九流忠行は気を立て直した。東虎邦孝もその声に我を取り戻した。

「おい! 那須川! なんてことをしてくれたんだ!?」

 東虎邦孝は那須川凌空の体を揺すった。その瞬間、那須川はすっと立ち上がる。そして真っ白い顔でニヤリと舌を撫でまわした。

「……お前、一体?」

「貴様ら人間はもう終わりだよ」

「……は?」

那須川は顔の凹凸を失っており、妖怪の姿を現した。


                 ※


「由佳!」

「義之!」

 由佳は義之を発見して、涙を浮かべていた。

「おい! 由佳! 大丈夫か?!」

 由佳はテントの中の端に足を崩して座っていた。見るところ、黒い気は放っていないし、怪我もしていない。

「うん。なんともないみたい」

「何か、ひどいことされたか?」

「ひどいこと……。いっぱいされた……」

 由佳は何があったか思い出すのがとても辛そうだった。

「そうか。空也もここの奴等に利用されたしな……」

「義之、空也はどうなったの? 透は……」

 由佳が見つめる目はとてつもない不安を物語っていた。

「空也は俺達が救いにきた時には黒き泉の気に蝕まれて、もう手遅れだった。透は、空也を助けるために、自分も黒き泉の気に侵され、一緒に黒き泉の中に入ってしまったよ」

「どうして?! なんで助けられなかったの!? 二人を!」

 由佳は義之の体を泣きながら、叩く。義之は何も返答できなかった。全ては自分の無力さと受け止めてしまっていた。しかし、こうしてられない。せめて由佳だけでも助けださなければ。

「由佳、この砂を浴びてくれ。これで、お前も、黒き泉の気に侵される心配は無くなる」

「……私だけ、生き残れっていうの?」

「そうだ」

 申し訳なさそうに伝える。

「……嫌よ」

「駄目だ」

「なんで?」

 義之は真剣に訴えた。

「俺は大切な人を沢山失った。もう誰も失いたくないんだ……」

「……」

 由佳は無言になった。

「それに、透は由佳や空也を助け出そうとしていた。透の気持ちを汲んで欲しんだ……」

 由佳は目をこすった。

「分かったわ。透の意思なのね。私は二人に分まで強く生きなければならないのね」

「うん」

 目を強くつむって、義之は頷いた。

「かけて」

 義之は巾着袋に手を突っ込んで、頭の上から砂をかけた。

「ありがとう」

「うん。由佳、もう行かなければならない!」

「どこに?」

「分からない。でも、俺達に協力して、逃がそうと闘ってくれている猫又がもう黒き泉に蝕まれている。猫又の気が確かなうちに、逃げないと」

「何だか分からないけど、複雑な事情があるのね」

「そうだ」

「ええ、分かった。とにかく離れればいいのね」

「ああ」

 義之は座っている由佳に手を差し伸べた。

「行こう!」

 外は妖怪達の体の断片が散在していた。うねうね動きながら自分の体を取り戻そうとしている。しかし、もう猫又の姿は無かった。

「……」

「猫又がいないんだ。きっと、俺達の前に姿を現さないように、遠くに行ってしまったんだと思う」

「そう……」

 義之は足元のうねうねしている物を見る。気を立て直して、まっすぐ前を見た。

「行こう。由佳」

 二人は手を繋いで、その醜悪な場所から立ち去ろうと駆けていく。

 どれくらい、行先の無い真っ赤な大地を二人で駆け抜けただろう。義之は、自分達がどんどん真っ暗な世界を進んでいく錯覚に陥る。

 由佳と自分の息遣いにだけ、自分が生きているという証を確認でき、それを失うと今にも気を失ってしまいそうになってしまっていた。

「ハアハア」

 息を荒あげ、義之達は立ち止まった。

「義之、どこまで行けばいいの?」

「……猫又が人間界に帰してくれるって、言ってたんだ」

「……でも、猫又さんはいないよ」

 不安そうな目で見る由佳。

「うん。でも、それって妖怪なら人間界に帰してくれる奴もいるってことだと思うんだ」

「うん」

 由佳はそれを聞いて黙り込んだ。

「だから分からないけど。知ってる妖怪、とにかく砂かけ婆を見つければ。いや、鉄鼠でも」

「……」

 由佳はそれを聞いて何も言わない。不安でいっぱいなのだろう。

「由佳、きっと大丈夫だ! 助かる! 助けてみせるよ!」

 勇気づけようと義之は自分を鼓舞する。

 しかし、由佳はうつむいて、そして顔を上げた。

「砂かけ婆も鉄鼠も死んだよ」

 義之は耳を疑った。

「は?」

「砂かけ婆も鉄鼠も殺させた」

「はい?! お前一体、何を言っているんだ!?」

 訳が分からない。義之は頭の中が混濁する。

「もういいだろ。私も十年以上演技することも疲れた。まあ、私達にとってそれは、取るに足らない時間の浪費だったがな」

「……」

 由佳が何かを合図した。空から何かやってくる。二匹の飛行できる妖怪のようだ。頭が猿、胴が狸、手足が虎、尾が蛇、そして蝙蝠のような翼。……鵺。鵺が由佳の周りに降り立った。しかし、前の鵺とは違って体は人間より大きく、そして翼を広げると五メートルはあると思われる。何より、漂っている黒い気はとてつもなく強力だった。

「……これは一体。由佳、逃げるぞ!」

 放心状態から我に返った義之は由佳の手を引っ張った。しかし、由佳はその手を振りほどく。

「馬鹿な奴だな。お前との付き合いは十年ちょっとあるが、ここまで、馬鹿だとつける薬もないだろう」

「おい……お前は何を言っているんだ!?」

「天狐様。ここまで長うございました。念願の百鬼夜行、天狐様の体をとり戻す日がやってきましたね」

 天狐……。どういうことだ? 天狐は自分の母、討つべき敵。それが今、目の前の由佳が天狐だと言っている。そして由佳の周りには鵺がいて、従属関係に見える。

「お前は誰だ!? 由佳ではないだろ?! 正体を現せ!」

 咄嗟に出た言葉。

「ハハハ!」

 由佳の高笑いが辺り一面に鳴り響く。

「天狐様?!」

 鵺はあまりにも大きな笑い声に驚いている。

「すまない。あまりも滑稽でな」

 由佳が目から出た涙を拭いた。

「我はお前の知る、那須川由佳。そして大妖怪、天狐だ」

「は?!」

 由佳は頭を掻いた。

「お前に真実を教えてやるよ」

 義之は由佳から目を離さない。しかし、目は泳ぎ始めていた。

「お前の母も天狐だが我も天狐なのだよ。百鬼夜行を起こしたとき、お前の母親は我も黒き泉に封じこめた。我にとってはとてつもない屈辱だった。このまま奴の好きにしてなるものか?! その強い思いから、我は黒き泉の中で魂だけ逃がしたんだよ」

「……」

「そして、那須川由佳。この体の女に憑依して魂を食らったのだよ。つまりはお前の問いに答えると、我はお前の知る那須川由佳であると同時に、天狐だよ」

 義之はゴクリと唾液を飲み込んだ。自然と後ずさりしてしまっている。そして、体が痙攣し、寒気が体中を襲う。それでも、気をどうにか持たして、天狐だと言っている由佳に食い掛かる。

「そんな馬鹿な! それを証明するものはどこにある?!」

 由佳の姿をした妖怪はため息をついた。

「変化の術では、所詮姿しか、変えられないだろ? 我はお前との記憶はちゃんとある。初めてデートしたのは十歳のときか? 場所は丘上公園。お前が渡した物はおもちゃのルービーの指輪だよな?」

「……」

「まだ信じられないなら、お前は我と初めて接吻したのは、中学の卒業式」

「……」

「あと」

「もういい!」

凍てつくような体の反応にもう耐えられない。自分の体を抱きしめ、必死に耐える。

 由佳のことが好きだった。由佳のことを誰より、何よりも愛していた。由佳も自分を愛してくれていると信じていた。それが全て虚像の真実であったことに精神がもたなくなっている。

「ハハハ! これだから人間は面白い!」

 再び鳴り響く天狐の笑い声。

「そういえば、透とか言う男も我のことを好いておったな。皆、哀れなものよ。我が全て演じていたのかも気付かずに」

「……」

 その場で膝を崩して、耳をふせいでいた義之だが。その言葉は耳に入ってきた。

「空也とか言う男もか。皆、我にとって屁の突っ張りにもならなかったが、やはりゴミらしく惨めに死んだな。笑い草にはなったな」

 その言葉を聞いたとき、義之の少し体は熱を取り戻していた。

「……」

「ん? どうした? ゴミクズ」

「お前……」

「お前、透が何故、死んでいったか?! 分からないのか?」

「知らないね。我にとって、人間などどうでも良いのだよ」

「透はお前を救うために地獄に落ちたんだ!」

 義之の足に力が戻った。目が充血している。

 由佳の姿をした妖怪は鼻で笑った。

「お前も我を救うために、こんな馬鹿なことをしてくれたんだな。いい迷惑を通り越して、滑稽だよ」

「お前!」

 義之は反射的に殴りかかろうとした。

「おっと」

 周りにいた鵺が義之を転倒させて、背中から体を抑え込んだ。

「まあ、よい、貴様にはまだやってもらうことがある」

「やってもらうこと?!」

 顔だけ動かして、由佳の姿をした妖怪を殺す気で睨みつける。

「貴様の母の、天狐の真名を吐け!」

「知るか!? たとえ、知っていてもお前などに教えるものか?!」

「おい!」

 由佳の姿をした妖怪は鵺に顎を出して指示を送り、鵺は義之の小指の爪を剥いだ。

「ウワァァー!」

 あまりにもの痛さに絶叫してしまう。

「まだまだこんなもので済まさないぞ!」

「……」

 しかし痛さのお陰で、由佳への思いを全てかなぐり捨てることができた。そして、今誰と何と闘うべきか、義之は理解していく。

「それを知ってお前は何をするつもりだ? 今まで、何が目的でこんなことをしてきた?!」

 由佳の姿をした妖怪は溜息をつく。

「まあ、よい、冥土の土産だ。説明してやる」

 そう言って、話し出した。

「我は二十年前にお前の母親になりまして黄泉の国の王となった。その間、お前の母親は人間界などにうつつを抜かし、挙句の果てに男と子など作った。それがお前だな」

「ああ」

「我は手下とともに人間界で人間の悪しき心や魂を増幅さえ、百鬼夜行を起こそうと企てた。目論見どおり、百鬼夜行は起こった」

 鋭い目つきをして義之は聞いていた。

「しかし憎きお前の母親は人間界に黒き泉を呼び出し、結し。百鬼夜行ごと我らを封じたのだ。我と我の家来たちはまさに一網打尽。ほぼ全て黒き泉に封印された」

「それで?」

「そこでこの女、我は那須川由佳として転生し、そしてずっと、お前の母親の力が弱まるのをずっと待っていたのさ」

「お前の父親はどうした?」

「ああ、この女の父親か。確か那須川凌空だっけ。すぐに殺したよ。今いるのは、変化している我の部下だよ」

「そうやって、ずっと俺達を騙していたのか?!」

「ああ、人間とは愚かなな生き物だと、改めて学習させてもらったよ。お前も、お前の友達も、術師達も馬鹿すぎて開いた口がふさがらないよ」

「貴様!」

 抑えつけながらも、立ち上がろうともがいた。

「まあ、待て、話の途中だ。我は我の手下ともに、黒き泉を解の呪術を人間界の地上にほどこした。それは我の意思を叶えようとするかつての手下の百鬼夜行の妖怪を人間界に呼び出し、再び百鬼夜行を起こそうとしたのさ。しかし、お前の母親はその呪術を残りの力を絞り出し、抑え込んだ。覚えているよな?」

 義之は唇を強く噛みしめる。

「完全に解が決まると我も思っていたが、お前の母親はしぶといな。我の体を取り戻して、人間界を滅ぼそうと思っていたがな。時機を見誤ったよ」

「貴様が俺の母さんより格下妖怪だからだろう」

「おい、我の機嫌を損ねる発言はするな。今すぐにでも、地獄送りにしてやるぞ!」

 義之はかまわず、食い掛かる。

「で、貴様はこれから何をする気だ?」

「さっきも言ったろ? お前に母親の真名を吐かせて滅するつもりだよ。前に人間界に浮上させたとき、お前に言わせようとしたが、母さんとしか言わなかったからな。恨み以上にやはりアイツは危険だ。完全に滅せなければならない。その瞬間にアイツの結は消え去る。人間界を終わりにしてやるよ」

「ならば、何故、俺をすぐにこうしなかった?」

「あの猫又はなかなか骨が折れる。体を取り戻していない我では少々骨が折れる」

「やはり、弱小妖怪だな。人間界を滅ぼすなど、片腹痛いわ」

「おい!」

 そう言って、傍らの妖怪に指示を送る。

 鬼が義之の腹をえぐるように殴る。

「ウッ……」

 喉から一気に、血が混じった吐出物が口から流れる。

「お前、人間の術師が妖怪を退治する時、どうするか覚えているような?」

「……」

 苦痛に悶えながらも、義之の目は生きている。殺す気で睨みつける。

「確か真名を吐くまで、拷問する……。人間にそれと同じことを強要させてみようか?」

「貴様などに何も言うものか!?」

「威勢のいいこった。それが何分持つかな」

 その時、この赤い大地に大量の黒い水が押し寄せ、近づいてくる。

「黒き泉がこっちに来たか。まるで、我に同調しているようだ」

「……」

 由佳の姿をした妖怪の高笑いが響く。

「さあ、楽に死にたければお前の母親の真名を吐け」

「クソが! 貴様だけでも殺してやるよ」

 由佳の姿をした妖怪は鼻で笑う。

「しばらく、痛めつけろ!」

「はい!」

妖怪達のリンチが始まる。顔に何度も地面にぶつけられ、やがて鼻の骨は折れ、あばらが一本一本と折れ始める。

「……おい! 上を見てみろ」

 由佳の姿をした妖怪が言った。拷問している妖怪は手を止めた。

 あれは……。朦朧として首を上げた義之は完全に意識を取り戻した。

 黄泉の国の真っ赤な空に自分の住んでいる街全体が映りこんでいる。その広大なビジョンに目を疑った。

「……おい。あれは何だ?」

「我の部下に人間界と黄泉の国に穴を開けてもらったのさ。この広大な黒き泉の妖怪達が一気に人間界に溢れ出させるためにな」

「それで人間界を滅ぼそうってか。貴様には不可能だよ。己の器を知れよ。クソ狐」

「はあ? もう良い。お前の相手するのは飽きたよ。真名を吐き出して、死んでから我の作り上がる世界を見届けな」

 そう言って、由佳の姿をした妖怪は刀印を作った。

「腕一本ぐらいなくなってもいいか」

「やはり貴様は無力なようだな。人間が出来ることしかできないくせに、妖怪のお山の大将か。笑わせてくれる」

「フン! それが最期の言葉にしてやろうか?」

 由佳の姿をした妖怪はうつ伏せになっている義之に刀印を振りかざそうとした。

「天狐様。待って下さい」

 由佳の姿をした妖怪は手を止められた。

「なんだ?」

「あれは……」

 周りの妖怪達が黒き泉の方を見つめている。

 そこには、水面に現れた、天狐、義之の母の姿があった。

「ハハハ、やはり解に耐えられなくて出て来たな。おあつらえ向きの役者は揃った。後はお前があいつの真名を言うだけだよ」

 天狐は微動だにしなかった。ただそこに現れたのは、キリッと細くて綺麗な目。黒く長い髪。華奢な体の女がただ黒い水面上に現れただけだった。

「さあ! 手を斬り取ってやる!」

由佳の姿をした妖怪が大きく振りかぶった時、義之は母を心の中で思った。

―――お母さん……―――

 義之が顔を上げたとき、腕が無くなることを覚悟したはずの自分に、何も起こっていないことに気付く。

 天狐がここにいる妖怪達を眼力だけで動けなくしていた。

「……」

「義之」

 天狐が、義之の母が動いていた! 義之は目の前の光景が信じられない。

「義之……」

「か、母さん!」

 義之は何度も目をこすって確かめる。しかし、まごうことなく、義之の母そのものだった。

「ごめんね。守ってやれなくて……。ごめんね、今までさびしい思いをさせて」

「母さん、いいよ! それより、どうして!?」

 義之は状況に理解がついていけない。しかし、胸にこみ上げる感情が目に涙を含ませていた。

「おい! よそ見してんじゃないよ!」

 由佳の姿をした妖怪はどうやら動けるようだった。

「おや、あんた動けるのかい?! 確かあんたは今は妖怪じゃないみたいだね。人間にもなれない、妖怪にもなれないあんたがどうやって私に勝てるっていうんだい?」

「お前とは決着をつけなければならないようだな。殺してやるよ」

 天狐は頭を掻いた。

「全てはあんたのせいなんだね。百鬼夜行を起こしたこと。黄泉の国をこんな風にしたこと。それと沢山の妖怪や人達を苦しめたこと」

「だから何だ?!」

「私はね、結局のところなんでもいいんだよ。でもね、一つだけ許せないことがある。私の大切の子。義之をこんな風に心も体も傷つけたこと。許さないよ!」

 もの凄い威圧感だった。風が強く吹き付ける。しかし、由佳の姿をした妖怪は闘う意思を漲らせて刀印を結ぶ。

 天狐は軽く避ける。何度も避ける。まるで相手になっていない。疲労が見え始めたとき、天狐は言った。

「あんたを滅する!」

「できるものか?! 貴様は我の真名などしらないだろう!」

「だろうね。だからアンタも道連れだ!」

「は?」

 由佳の姿をした妖怪は眉間に皺を寄せた。

「あんた、それ自分の体じゃないだろ?」

「……」

 何も答えなかった。

「本来、魂と肉体ってのはそんな簡単に離れられるものじゃないんだ。どんな優秀な術師でもそれは禁止されていること以上に、そうすることはほぼ不可能だ」

「お前、まさか……」

 由佳の姿をした妖怪は後ずさりを始める。

 天狐は人差し指と中指を立てて、指した。

「解!」

 体から白い煙が出ていく。天狐は大きく息を吸い込み、それを吸い取った。

「封!」

 由佳の体は膝から崩れ落ちた。天狐は静かにその体の方に向かう。義之は急いで駆け寄った。

「……この子もかわいそうなものだね」

 天狐は膝をついて、優しく由佳の体を両の手で持ち上げた。

「うん」

「この子の肉体はずっとあの妖怪にいいように利用されていた。それこそ、使い捨てようとも思っていたんだ」

「……もし、この妖怪がこの子の魂を食われてなくて、俺と出会ったらどういう時間を一緒に過ごしたんだろう……」

 義之は複雑な心境だった。分からない。自分の今の気持ちもそして、今までの自分の抱いていた気持ちも。ただ、一筋の涙が頬をなぞった。

「義之、あんたは優しい子に育ったね」

「うん」

「お母さん、嬉しいよ。あんたがこんなに大きくなって、大きく成長したあんたとまた出会えて」

 天狐は強く義之を抱きしめた。義之は天狐の抱擁に応え、強く抱きしめ返した。

「ずっと会いたかった。ずっと会いたかった。母さんが急に死んだって親父から聞かされて、とっても耐えられえない程辛かった。母さんに会いたい、もう一度会いたいって何度も思った。でも、こうやって、こうやって、ようやく会えたんだ」

「うん。私も、もう二度と会うことが無いって思ってた。でもこうやって、また会うことが出来た」

 天狐に抱きしめられ、頬が赤くなる義之。胸がどんどん熱くなり、涙が抑えられない。

「うん……」

 いつしか、義之は天狐の胸の中に顔うずめていた。

ずっと会いたと焦がれ続けていた、とても叶わない思い。それが、こうやって現実になった。義之はこの時がいつまでも続けばいいのにと感じた。いつまでもこうしていたい……。母ともう一度一緒に暮らしたい。そんな思いが頭の中を占めている時だった。

天狐が抱擁の手を突然、緩めて、義之の両肩を持った。

「義之、お母さんね。あまり時間がないの」

「エッ! どういうこと?」

「お母さん、もう持たないの。黒き泉に解をかけられて、もう百鬼夜行を抑えられなくなるのは時間の問題。それに、義之を救うために力使っちゃったしね」

「エッ……」

 義之は固まった。

「上、見てみなさい!」

 上には自分の住んでいる街が映っている空が広大に広がっていた。

「おそらく、あれは人間界から開けたもの。あんな穴を開けられるほど強力な妖怪がいる。おそらく、さっきの奴の右腕ね。倒しにいって、穴を防がないといけないんだけど、私は黒き泉から離れられないし、黒き泉は人間界に行こうとしている。そして、あの街はやがて黄泉の国に落ちてしまう……」

「どうしたらいいの?」

「次元の狭間で、黒き泉と私を結して滅してほしいの。私はそれまで、どうにか百鬼夜行を抑えてみせるから」

「そんなのできない……」

 天狐はそれを聞いて、表情を厳しくした。

「義之! やりなさい!」

 義之はたじろいだ。

「できないよ……俺、そんな力ないし、母さんを滅するなんて」

 天狐は義之の右手の拳を両手で握りしめて言う。

「人間界を救うにはこれしかないの」

「……」

 返答できない義之。

「それにね、あなたならきっと出来るわ。私達の子だもん。そして、あなたは一人じゃないのよ」

「エッ……」

「あなたは沢山の人に愛されてきた。それはきっと今もそうよ。信じなさい、自分を。だから、お願い……」

天狐は涙目になって訴える。義之も涙を流しながら答えた。

「……うん。やってみるよ。母さん」

「ええ、ありがとう」

 天狐は綺麗な笑顔を見せた。しかし、目が潤んでいた。

「さあ、行くわよ、手を取って……」

 義之は嫌な予感が体に走った。もう、この手をとったら、二度と天狐に会うことができないような、予感。

 義之はおそるおそる手を取る。

 その瞬間、黒き泉の水面が凸凹に波立つ。中の妖怪がうごめいているようだ。その光景を見て、義之は固唾を飲む。

「いよいよ、私の結の力がもたなくなったみたいね……」

 天狐がそう漏らした後、黒き泉が上昇し始めた。行先はあの穴、次元の狭間だ。

 黒き泉と天狐が宙に浮き始める。義之は天狐に抱っこされて、一緒に昇っていく。

「母さん……」

 天狐は何も返さなかった。そして真剣な目でずっと行先を見ていた。

 義之は真下を見る。そこには真っ赤な大地が広がっていた。あそこが、砂かけ婆と出会ったところ。あそこが戦争したところ。あそこが猫又と出会った草原……。

義之の瞳は大切な思い出を映し出している。

 自分たちの行先を見る。穴は円柱型に開いていた。中は真っ白のようだ。

 やがて、どこまでも長い真っ白い世界に二人はいた。

「母さん、どこまで行くの?」

 天狐は真上を見た。それにつられて、義之も見る。あれは……。

 もう人間界の街が実物大で確認できようとしている。

「もうすぐ交わる……」

 義之は再びゴクリと唾を飲み込む。

 そのとき、黒き泉の水面が大きく荒ぶり始めた。妖怪達がもう黒き泉の中でもがき、出ようとしている。人間界の街が見えたことは妖怪達を触発させたようだ。

「ウ……」

 天狐は苦しみ始めた。

「母さん、大丈夫?」

 ゲホゲホとひどく咳き込んだ後、天狐は潤んだ目をして言った。

「義之、できるわね?!」

「……母さんと黒き泉を滅するってこと……」

「うん」

 義之はここに来て、決心ができない。結した後は母さんを滅する。そのことが胸をひどく締め付ける。

「母さん、やっぱりできないよ。俺には、俺は母さんを滅することができない」

「駄目よ! やりなさい!」

 天狐のその言葉はとても冷たく感じた。

「母さん……」

「それに、俺にできないよ。こんな大きな術、できっこないよ!」

「できるわよ」

「なんで?」

 天狐は義之を強く抱きしめた。天狐は泣いていた。義之は浮遊しながら、立ち尽くす。目に大きな滴をためて。

「義之」

「……」

 天狐は義之の頭を撫でた。

「本当にこれで最後、でも本当に最後にあなたに会えてよかった」

 そう言って、天狐は義之の元に離れていく。そして、黒き泉の中に入って、水面をどんどん歩く。

「母さん!」

 何故、天狐を止めなかったのだろう? 何故、天狐のから手を離してしまったのだろう。その思いが、義之の叫びに乗っていた。

 天狐が歩みを止めた瞬間、黒き泉が弾けた。水は飛散し、妖怪達がうごめき始める。

 妖怪達は義之を見つめ、うすら笑いを始める。しかし、膝を崩し、何もできずにいる義之。

「義之!」

 天狐が叫ぶ。

「義之、かけなさい!」

「できないよ! 母さん」

「あなたは一人じゃない!」

「その通りだ!」

 その声は……。義之はハッと振り向いた。そこには空也がいた。

「その通りだぞ! 義之!」

 この声は、透。

「義之君、君一人じゃないよ!」

 この声は九流忠行。

「そうだ! 君ならできる!」

 東虎邦孝。

 そして沢山の術師がそこにいた。術師は皆、眼前を見据えて、義之の周りにいる。

「義之……。お前……」

 九朗が義之の傍らに来た。

「あなた……」

 天狐と九朗は見つめ合う。

「あなたとも最期に出会えて良かったわ」

「ああ」

「神様からの贈り物かしら。私はあなたともう、会えないと思ってた。でも、きっと人間界に来たら、あなた達が来てくれるって信じてた」

「ああ、でも神様はまた俺達に過酷な運命をかそうとしているな」

 九朗は目に大粒の涙をためていた。

「いいえ、私は幸せでしたよ。そして、これからも……」

「……」

 九朗は何も言えなかった。

「あなた! 未来を悲観しないで下さい。どんな過酷な試練があっても、きっと再び喜びに満ちた日々を送れるから」

 天狐はニッコリ笑った。九朗はそれを見て、笑顔になった。

「二度目だな。お前にそう言われるの」

「そうね」

 九朗の頬に一筋の涙の跡がたどる。

「相模、もう時間が無い。早くするぞ!」

 東虎邦孝は言った。

「ああ!」

 九朗の言葉に迷いは無かった。全員で印を結んで唱えた!

「結!」

 黒き泉の水や妖怪達は天狐に集まり始める。

「結!」

 全員、必死で唱える。歯を食いしばり過ぎて、つぶれそうだ。

「結!」

 義之達は何度も唱えた。黒き泉は一つになり何かの形になろうとしていた。

 義之は一度まばたきした。そこには巨大な黒い狐が形成されていた。

「母さん!」

 思わず、叫んでしまった。義之。傍らの九朗が義之の方に手を置いた。

「義之、大丈夫だ。母さんとはきっと天国で俺達と再び会える」

「……親父」

「いけるか? 義之。すまない、お前にこんな役を押し付けてしまって」

 涙を拭きながら、義之は言った。

「分かった」

 その顔にもう迷いは無かった。

「遥歌 滅!」

 まるでそこには何も無かったかのように、黒き泉も妖怪達もいなくなった。そして、遥歌の姿もすでに無かった。

「戻ったのか? 人間界に!」

 ある術師の一人が言った。義之の街は次元の狭間にあったはずだが、そこは人間界に確かに存在していた。それを受け、藤蔭博基が言った。

「おそらくさっきの滅で、那須川に化けていた妖怪も滅したからだろう。あの術は発動させていないと、穴を維持できないんだ。この地は存在しうる地に戻ったのだろう」

「そうか……よかった」

 安堵の息を吐く術師達。そんな中、一人だけ、ただそこに足を崩し、放心している者がいた。

「母さん……」

 目をこする義之。眼前にはいつも見ていた街並みだけが存在している。

「母さん……」

「義之……」

 九朗達は義之を心配して駆け寄る。義之は首を大きくうなだれていた。足に大粒の滴をこぼしながら。

「すまなかった。でもお前は俺達の自慢の息子だよ」

「お、お親父」

 義之は九朗の膝に顔を押し付けて、泣きじゃくった。

「義之……」

 その様子を見て、声をかけづらそうにしていた空也が話しかける。

「お前の母さんが俺達、二人を助けてくれたんだ……」

 空也が透と顔を見合わせる。

「黒き泉に溺れているとき、お前の母さんが助けに来てくれた。俺達が義之の友達だって聞くと、とっても喜んで、お前をこれからもお願いしますってお願いされた」

 空也の話に透が頷き、話し始める。

「一緒に強く生きて行こう! そして頑張って生きて、幸せになったら、お前はきっと天国でまた母さんと会えるさ」

「……そうかな」

「きっとそうだ」

 義之は涙を拭いた。潤んだ目に移る景色はいつもの見慣れた街の風景。

「分かった。強く生きているよ。天国で母さんにまた笑って会えるように……」

「ああ!」

 九朗や空也、透、義之の周りに集まった皆はとってもきれいな笑顔で義之を見つめていた。

 義之は涙を拭いて立ち上がった。



  十

 義之は学校から帰ってきて、家の扉を開けた。

「おう! 義之帰ったか?!」

 真っ白い袈裟の姿の九朗が顔を出した。

「ただいま、今日もお役目か?」

「馬鹿か、そんなもん、毎日あるわ!」

「はいはい!」

 すっと靴を脱ぎ、家に上がる。

「義之、学校はどうだ?」

「親父、いつもその質問ばっかだな。大丈夫だよ。成績も出席もちゃんと出来てる」

「そうか……」

 九朗は義之がいつまでも心配でたまらないんだろう。

「ところで、大学は行くのか?」

「ああ。行きたいと思っている」

「そうか。お前の好きにしたらいいさ」

「術師を継ぐこともか?」

 義之は半笑いで言う。

「それはだな……。えっと……」

 言葉を濁す、九朗。

「冗談だよ。ちゃんと親父の跡を継ぐよ」

「……俺は継いで欲しいって思っているが、お前の好きなようにしたらいいさ」

「ほんとか?!」

 その返答に意表をつかれる義之。

「ああ、お前の人生だしな。お前がそう思うなら、それでいい」

「……」

 義之はしばらく考えた。

「いいよ。俺は親父の跡をやっぱり継ぐよ」

「いいのか?」

「いいって言ってんだろ!」

 そう答えた義之はとてもすがすがしい顔をしていた。そして、すぐに袈裟がかけてある部屋の襖を開けて、袈裟に着替え始めた。鏡の前で烏帽子をかぶる。

「うん!」

 部屋を出る義之。

「もう着替え終わったのか?」

「ああ、早く行こう!」

「ああ」

 二人は玄関を出た。庭の池が見える。

「……」

「義之、今日は山彦に悪戯をやめるように注意するんだ」

「山彦は何をしているんだ?」

「山の上でヤッホーって言うだろ? それをその人に知れたら嫌がるようなことを言って返して驚かしているだけのようだ」

「なんだよ。それ」

 義之は笑いそうになった。

「本当に愛らしいな妖怪は」

 そう、ぼそりと言った。

「なんだ?」

「いや、何でもない」

「おかしな奴だ」

 九朗は不思議そうにしている。

 義之は一歩一歩、進み始めた。

「おい! 待て、行先分かってんのか?!」

 九朗が慌てる。

  ―――母さん、母さんたち妖怪は本当にいい奴ばっかりだ。俺は毎日お役目を果たして、早く一人前になるよ。天国で見守っていて欲しい―――

どうでした?

感想、評価どしどしお待ちしております。


次回作も妖怪ですよ。

がんばります。

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