魔王様と秘書さん その5
先日より魔王様の機嫌がこれまで以上に上機嫌である。
海水浴イベント以降、奥様との距離が更に近づいたことが余程嬉しいのだろう。
先日の奥様の上機嫌さ加減からしても、お二人の仲が良好である事は間違いない。
国の運営には殆ど関わっていない魔王様ではあるが、だからといってそのカリスマによる影響が無い訳ではない。
魔王様の機嫌は直属の部下のやる気に繋がり、その更に下のやる気に繋がっていく少なからず国の景気をも左右する重要事項である。
ここに直接関わり成果を上げられたという事は秘書冥利に尽きる。
さて順調に二人の仲が進めば気になるところは一つだ。
「奥様との仲は順調なご様子ですね」
「お前にもそう見えるか? そうだな。だが、それにはお前の力添えは大きいぞ。本当に感謝する」
魔王が軽くではあるものの頭を下げた。
アストロスはその魔王の姿勢に感動を覚えながら、深く頭を下げる。
「勿体ない御言葉を頂きありがとうございます。ですが私の力などほんの僅か。魔王様のそのお心こそが奥様を幸せにしておいででございます」
「それは大前提だな。だがそれだけでは無いことはわかっておる。これからもよろしく頼むぞ」
「お任せを」
魔王の執務室が和やかな空気に包まれる。
「それでなのですが、魔王様」
「なんだ、アストロス」
真剣な顔で問いかけるアストロスに釣られて、魔王もまた真剣な面持ちで答える。
「このようにお二人の仲が良い傾向が見られるようになりますと、我ら一同、いよいよお世継ぎのお話など期待す──」
ガタッ!!
アストロスがそこまで話した瞬間、魔王が椅子を跳ね飛ばさんばかりの勢いで立ち上がった。
「ばっ、ばばっ、ばっ、馬鹿な話を言うな! 手を繋ぐたびに頬を染めるあれの顔を見るたびに我の鼓動がどれほど高まると思っている! 我はそれに耐えるのが精一杯なのであるぞ! そのような事が一朝一夕に進むかっ!!」
顔を真っ赤にして恥ずかしい宣言を力一杯口上する魔王である。
しまった、ここにいるのもフェアリーだった……
そして後悔に嘖まれるアストロスである。
だが、黙っていれば千年経っても二人はこのままだ。
間違いない。
故にアストロスは心を鬼にする。
いや、鬼の方が部下だとは言わない約束で。
「ですが魔王様、奥様はお子を望まれているご様子。そのようなお話しは奥様からお聞きになってはおられませんか?」
「なに? それは本当か? いや、まさか……」
魔王はブツブツと何やら小言で言っている。
「先日、奥様とこの宮殿の廊下でたまたまお会いしたときそのようなことを仰られてましたので、てっきり」
「妻が我の子を望んでいる……」
魔王様が激しくデレた顔をしている。
これは他者には見せられないな。
「ですが一つ問題があります」
「問題? なんだ」
アストロスの言葉に魔王は顔を引き締める。
「奥様は、お子は仲良くしている夫婦のもとに天女が運んできてくれるものと信じておられます」
「てん、にょ?」
「天女です」
「………………」
「………………」
まるで時間が止まったかのように二人は微動だにしない。
「なぜだっ!?」
そして先に動き出したのは魔王。
もちろんアストロスは魔王が動き始めるのを待っていただけである。
「もしや、奥様は男女の営みというものをご存じない、とか?」
アストロスは先日に抱いた懸念を魔王に問いかける。
「いや…… いやいやいや、そんな事は無い。我が妻と夫婦として初めて会ったその日に犯した失敗は下ネタだったのだ。妻は明らかにそれに反応した」
「なるほど…… では奥様はそれを知っていて、なお子供は天女が運んでくると信じておられる……」
「お前が揶揄われただけという可能性は無いのか?」
「ありえませんね」
アストロスは自信たっぷりに断言した。
あのお姿を見て揶揄われただけと思うことができよう筈がない。
「つまり、妻は男女の営みと子を授かる事は別のこととして捉えていると?」
「そうとしか思えませんね。男女の営みはただ恥ずかしいだけの行為と思われている可能性は高いかと」
つまり、恥ずかしいからそれ以上は知識の探求へと踏み込まない。
あの知識欲の塊である奥様が、性行為のみ偏った知識に留まっている理由はそれしか考えられない。
「なんということだ……」
魔王はその場に倒れ込みそうなほど身体中から力が抜け、椅子に座り込んだ。
そしてそのまま机に塞ぎ込む。
「これは、おしべとめしべが受粉して種ができるところから説明していくべきでしょうか」
「……それは ……いやだめだ」
魔王は塞ぎ込んだまま力なく首を振る。
「何故でございます?」
「それでは妻のことだ、ただ子作りの為だけに事務的に性行為を行おうとしかねない」
「ああ……」
それはあり得る。
ああ見えて奥様は合理主義的なところがある方だ。
「それでは駄目だ。我はそのように妻を抱きたいのではないっ!」
そして魔王はがばっ!と顔を上げる。
「よいかっ! 我と妻が結ばれるその時は、華やかな宿の一室で、満天の星の下、満月を背景に光の精霊に照らされた魔王城を向かいに見ながら我は妻の肩を抱き寄せ、ワイングラスを片手に『綺麗ね』『お前の方が綺麗だよ』などと言いながら頬を染める妻の唇に我の唇を優しく重ねだなっ、そして我は妻の服を一枚一枚ゆっくりと、変化していく妻の姿を褒め称えながら優しく脱がせていくのだ、我が脱がせるのだ、いいか? 妻が自分で脱ぐのではない!!! とにかくそういう光景でなければならんっ!!!」
ダァン!
魔王が両の拳を机を壊さんばかりに天板に叩きつけた。
ああ、それで夢の城の向かいにフェアリー思想な高級宿泊施設を建てさせているんですね?
ようやく、あの対勇者には何の関係も無さそうな施設の利用用途を理解したアストロスである。
あれはきっと夢見る乙女達の性夜を彩る人気宿泊施設にもなるだろう。
アストロスは夢魔として確信した。
「よいか? 事務的であってはならんのだ、事務的ではな……」
魔王はその身体をブルブルと震わせながら、喉の奥から絞り出すようにその思いを告げた。
「大変よくわかりました」
フェアリーとフェアリーが結ばれるとめんどくせぇ……
アストロスの頭を占めるのはただそれだけである。
「では如何しましょうか。このままでは何も進展が見込めませんが……」
「わかっておる。わかっておるが…… 今は駄目だ」
いつならいいんですかね?
アストロスは喉まで出かかったその言葉を飲み込んだ。
「勇者だ…… とにかく勇者を倒してからだ…… そうすればお互い落ち着いた時間が取れる」
「……わかりました」
つまり尚更今回は負ける訳にはいかないと。
奥様のお陰で今までとは違う戦いが見込める今回ではあるが、尚のこと気を引き締めなければならないとアストロスは心に刻む。
四天王達を通して全軍に今一度、檄を飛ばしておきますか。
アストロスはその笑顔の下に隠した猛将の顔を再び呼び起こす。
魔王様と奥様の為に。
四天王の一角であった先代をも超えると言われ、前対戦時にも魔王国に敵対する大国の精鋭部隊を一人で壊滅させた若き夢魔が、再びその牙を剥こうとしていた。
牙を剥くのは本編でお願いします( ˘ω˘ )