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第一話 桜が舞う

 桜が舞う三月の下旬。芸能専門学校の入学式に合わせて、私は上京してきたばかりだった。

 東京は地図で見たら小さかったのに、いざその地へ行くと何もかもが大きくて。人がたくさんいて、公共機関を使ってなんとか寮の周辺に辿り着いたはいいけれど――。


「ここどこ?」


 私は、完全に迷っていた。


 地図とにらめっこをしてもまったくわからない。都心から少し離れていて、立派な桜の並木道がたくさんあるような閑静な土地なのに、そもそも地図を読む能力が私になかったなんて。


「とりあえず、寮に電話して……!」


 唯一知っている番号を押して、数秒待機。


『はい。《タカヒナ寮》です』


 出てきたのは、女性の声だった。


「あの、私、今日から入寮する天馬てんまなんですけど、道に迷っちゃって……! 助けていただけませんか?」


『そこで待機して』


「あ、はい! 場所は――」


 そう続けようとした刹那、通話が切られた。


「えっ? なんで?!」


 なんで今通話が切られたの?! 私、まだ何も言ってないのに!!


 悶々としながら今にも泣きそうになっていると、不意に近くの桜の木が揺れた気がした。


「――?」


 顔を上げ、桜を見


「――ッ?!」


 私は、〝彼〟と目が合った。


 それはあまりにも一瞬で、すぐさま地面に向かって飛び降りた彼は体をくの字に曲げる。そして視線だけを上げ、改めて私を惹き込まれるような瞳で見つめた。


「あんたが杏子あんこ?」


 美しい髪がさらさらと揺れる。男の子なのに艶のある唇から漏れた私の名前は、世界で一番素敵な言葉に聞こえて――私はハッと我に返った。


「は、はい! 天馬杏子です!」


「…………。こっち」


 ぶっきらぼうに告げて、彼は私に背を向ける。

 背筋を伸ばした姿は綺麗としか言いようがなくて、細い線なのにがっしりとした肩幅に男の人らしさを感じた。


 もし彼が芸能専門学校の生徒なら、ちょっと顔面偏差値高すぎじゃないだろうか。

 背も高いし、仕草も男の人すぎて緊張する。あまりにも一緒に歩けなさすぎて、距離をとってしまうくらいだ。


 彼は時々振り返って、私を視認する。どれだけ距離が離れてもついてきていればそれでいいのか、無視して先に行ってしまう。……でも、追えなくはない。

 すると彼は立ち止まり、すぐ側の建物の中に入っていった。


「あっ……!」


 小走りで追いかけ、彼が入っていった建物を見上げる。レンガ建ての建物で、どこか可愛さとあったかさを感じる作りだ。


「ここだ」


 扉を開けて中を覗くと、廊下が続いている。少し歩くと開けた大きな部屋があり、そこに彼はいた。


「あのっ」


「杏子の部屋は二階。好きに使え」


「え?」


 彼はそれだけ告げて、ソファに寝そべっている女の子をつついた。


「おい雛菜ひな、寝てんじゃねぇよ。さっきのメールの女来たぞ」


「……わかった」


「わかったじゃねぇよ。起きろよ」


「……なんで?」


「女の面倒見るっつったろ」


「今じゃなくてもいいでしょ」


 女の子はうっとおしそうに彼を見、ソファから起き上がる。寝起きなのか髪がところどころ跳ねており、ちらりと私を一瞥した。


「――ッ?!」


 彼と引けを取らないほどに整った顔立ち。見つめられたら逃げられないくらいの美人だ。


「杏子、ハウス」


「ハウス?!」


「冗談。来て」


 女の子は立ち上がり、私の側にある階段を上がっていった。


「あの、お名前は……?」


 腰を低くして尋ねると、私に背中を向けていた女の子は振り返り


「雛菜」


 と、端的に名乗る。


「で、あれは飛翔ひしょう


 そして彼を指差し、遠くにいた彼は鼻を鳴らして雛菜さんを睨んだ。


「……飛翔、さん」


 変わった――だけど、美しい名前だと思った。

 雛菜さんは首肯し、言葉を続ける。


「この寮には僕と飛翔しかいないから、何かあったらどっちかに聞いて」


「え? あの、寮長は?」


「僕」


「え?!」


 私は改めて、階上にいる雛菜さんを凝視する。私よりも幼そうだけど、それって一体どういうことなんだろう。


「言っとくけど、僕は生徒じゃなくて臨時講師だから。学校のことは飛翔に聞いて」


「わ、わかりました!」


 ほんとはまったくわかんないけれど、雛菜さんに関しては芸能専門学校すごいで解決できた。


「それと」


「は、はい?」


「僕と飛翔には触らないで」


「……え?」


 一瞬、何を言われたのかわからなかった。それは一体、どういう意味なのだろう。


「わかった?」


 私は雛菜さんの威圧に押されて頷き、先に階段を上っていく彼女を眺める。


 触らないで……?


 わざわざ美男美女のお二人に触るつもりもないけれど、そう釘を刺されたのは地味にショックだった。


「…………」


 私、ここの寮でやっていけるかな?


 学校は楽しみだけど、人間関係に不安を覚えた。





 その日の夜、雛菜さんの晩御飯に舌鼓を打って、談話室のソファに座る。雛菜さんも飛翔さんもいない、静かすぎる談話室だ。


「……僕に触らないで、か」


 そして、静かだからついつい考えてしまう。

 一緒に食べていた二人は平然としていたけれど、私だけなんだか疲れてしまった。


「……これからやっていけるのかなぁ」


「杏子」


「っ、ひゃあ?!」


 急に名前を呼ばれて振り返ると、キッチンから飛翔さんが姿を現していた。


「ななななな、な?!」


 もしかして、今の聞かれてた?!


 飛翔さんは私の反応を怪訝そうに眺めながら、持っていたペットボトルの水を飲んだ。


「明日入学式だろ? さっさと寝ろよ」


「えっ……」


「えっ、じゃねぇよ。寝ろよ」


 なんでそんなに、優しい言葉をかけてくれるんだろう。

 触らないでなんて言われたから、嫌われてるかと思ってたのに。


「……あの」


 何? とでも言いたげに飛翔さんは私を見て。


「どうして触っちゃいけないんですか?」


 そう尋ねた私を、鬱陶しそうに見下ろした。

 聞いちゃいけなかったのだろうか。でも、理由を聞かないと心が潰れそうになる。


「……じんましん」


 不服そうに答えた飛翔さんは、子供っぽく唇を尖らせた。


「じ、じんましん?」


「俺もあいつも、女に触られるとじんましんが出る」


 伏し目がちに飛翔さんはペットボトルの蓋を閉め、私の方へと投げる。慌ててそれをキャッチすると、私を見ていた飛翔さんは


「だから、触ったら殺すし俺たちは死ぬ」


 そう告げて階段を上っていった。


「…………」


 飲みかけのペットボトルが温かい。

 飛翔さんはぶっきらぼうだし言葉も悪いけれど、嫌われているわけじゃないと知って心が軽くなる。でも。


「……雛菜さんには触ってたじゃん」


 ちょっとだけ納得がいかなかった。





『新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます』


 短い入学式を終えて、クラスに行って、自席で固まったまま視線を伏せる。


(飛翔さんや雛菜さんだけじゃない。この学校、全体的に顔面偏差値が高すぎる!)


 男の人も女の人も、信じられないくらい美形で。話しかけてくれた目の前の席の橋本多恵子はしもとたえこちゃんという女の子も可愛かった。


「あ、初めまして! 天馬杏子、十八歳です!」


「えっ、うそ年上?! じゃない、年上なんですか?!」


「えっ、年下なんですか?!」


 聞けば私の年齢でこの学校に来る人は少ないらしく――大半は高卒ではなく中卒で来るらしい。中卒で入れるなんて思ってもみなかったから、私は三年間を無駄に過ごしたみたいだ。


(だから雛菜さん、プロなんだ)


 自分の失態を恥じる。でも、後悔はあんまりしていなかった。


(中卒で上京なんて絶対無理!)


 頭を振って、私は多恵子ちゃんと他愛もない世間話をした。


「えっ?! 杏子姉、あの《タカヒナ寮》に住んでるの?!」


「えっ? うん、そうだけど……」


 年上の同級生に対して親しみを込めてそう呼んでくれる多恵子ちゃんは、驚いたように目を見開く。そして顔を近づけ、「本当に?!」と感情のままに声を出した。


「も、もしかして、何かまずいことでもあるの……?!」


「や、まずいってことはないけど……! だってその寮、二人しかいなかったでしょ?」


「うん。雛菜さんと飛翔さんっていう人しかいなかったよ」


 それがどうして、そんな反応になるのだろう。

 多恵子ちゃんは少しだけ声を低くして


「その寮ね、入寮した人は一ヶ月も経たずに出ていっちゃうんだって」


 まるで怪談話をするように、そう言った。


「出ていっちゃうって、どうして?」


「それが誰もわからないの。真実は古参の二人の中――って感じらしいし」


 嘘みたい。だけど、少しだけわかるような気がした。


 だって、雛菜さんと飛翔さんの信頼関係は並じゃなかったのだ。


 昨日一日だけでも、二人だけの世界。二人しかわからない世界があるということくらいバカでもわかる。


(つき合ってる、のかな)


 何故か、胸の奥がチリチリする。

 お似合いなのに、チリチリする。


「……私も、出ていくのかな」


 出ていきなくない。他に行くところがないからと言い聞かせて、だけど、それ以外の理由があることを知ってしまっている。


「かもねぇ。今までかなりの数の人が出てったみたいだから」


 言われてみれば、あの寮は大きかった。

 三人だけじゃ勿体ないくらい広くて、言い換えるとそれだけ多くの人が出ていったのだと気づく。


 あんなに綺麗な寮で、

 あんなに美味しいご飯があって。


 一体どうして、そうなってしまったのだろう。


 私は唇を噛み締めて、自分だけは出ていかないと心に誓った。それは多分、ただの意地だった。





「あ、お帰りなさい。飛翔さん」


 談話室から声をかけると、廊下を歩いていた制服姿の彼は驚いたように顔を上げる。


「…………」


 そして何故か、渋そうな顔をして


「……ただいま」


 言葉を漏らして階段を上がっていった。


『その寮ね、入寮した人は一ヶ月も経たずに出ていっちゃうんだって』


 人がいなかったから、そう言われることもなかったのだろうか。寮長の雛菜さんは曲の打ち合わせ出払っていて、私が帰ってきた時は誰もいなかったから――。


(私が来るまで、ずっと一人の日もあったのか)


 それは、お門違いかもしれないし、傲慢かもしれないけれど、少しだけ可哀想な気がした。


 私は腰を上げて、飛翔さんを追いかける。


「飛翔さん!」


 声をかけると、階上にいた飛翔さんは振り向いて「何」と眉間にしわを寄せた。


「あの、昨日のお礼がしたくて……!」


「なんの」


「道案内してくれたじゃないですか!」


「あんなの道案内じゃないだろ」


 飛翔さんはそう言うけれど、そんなことない。だってあの日、飛翔さんは私の側にいてくれた。


 一日経っても、飛翔さんが桜の木から飛び下りたあの光景は忘れられるわけがないのだ。


「私の側に、いてくれましたよね?!」


 偶然なわけがない。だとしたら、どうして飛翔さんは桜の木の上にいたのだろう。


「たまたまだ」


 飛翔さんはそっぽを向く。

 けれど私は、本当に偶然だとしても偶然だとは思えないのだ。


 もし本当に偶然だったなら、運命なんじゃないかと思ってしまうのだ。


「それでもお礼がしたいんです! ていうかさせてください!」


 だから私は、死にものぐるいで頭を下げた。

 飛翔さんは何も言わない。けれど動きもしない。


「お願いします!」


 最後の一押し。

 そんな思いでいると


「別にいらねーだろ。……許可なんて」


 彼は一瞬で私を地獄に落として、一瞬で天国へと引き上げた。


「ッ! はいっ……!」


 顔を上げると飛翔さんはそっぽを向いている。

 人の顔をまじまじ見るかと思えば、人の顔をまったく見ない日もある。まるで気ままな猫みたいだ。


「じゃ、じゃあ、楽しみにしててくださいね!」


 高鳴る鼓動を抑えていると、飛翔さんはわずかに顎を引く。そして自室へと駆け出してしまった。


 その動作は、少しだけ子供っぽくて。

 ちょっとだけ可愛いと思ってしまった。





「飛翔」


「ん」


 雛菜さんの呼び声に、飛翔さんは目の前にあった醤油を手渡す。名前を呼んだだけなのに、深い部分で通じあっているような――そんな関係に、少しの居心地の悪さを覚える。


「……何? 醤油?」


「あっいえ、よくわかったなって」


 目の前に座っていた雛菜さんは眉間にしわを寄せ、「そう」と持っていた醤油を置く。


「雛菜」


「ん」


 逆に雛菜さんはマヨネーズを飛翔さんに手渡し、自分で作った夕食を口に運んだ。


「……よくわかりましたね」


 さっきも今も、名前しか呼んでいないのに。やっぱり、二人の信頼関係は強い。


「ずっと、一緒にいるから」


 そんな雛菜さんの返答が、ズキリと胸を刺した。飛翔さんは、真顔のまま夕飯を口に運んでいた。 


「ずっと一緒って、どれくらいなんですか?」


 痛いのに、聞いてしまう私はなんなんだろう。

 聞きたくないのに、知りたいと思ってしまう私はなんなんだろう。


「生まれた時から」


「えっ」


 それって、幼馴染みとかそういう部類なのだろうか。


「雛菜」


「別にいいでしょ」


「えっ?」


 今、さっきと同じように名前を呼んだだけなのに――。やっぱり、過ごした時間というのは私が考えている以上に大きいのだろうか。


 無性に落ち込んでいると


「杏子」


 飛翔さんに名前を呼ばれた。


「ッ!?」


「うるせえ」


「……ごめんなさい」


 私も雛菜さんみたいに何かあるのかなと思ったのが馬鹿だった。


 やっぱりまた落ち込んでいると


「あ。雛菜、明日弁当いらない」


「なんで」


「食堂で美味そうな飯見つけたから」


「わかった」


 更なる新事実が私を刺す。


 もう、完全に付き合ってるよね? この二人。幼馴染みとかそういうレベルじゃなくて、もう完全に家族みたいなものだよね?


 本当に、出ていった人たち全員がこの二人の関係性に耐えられなかったんじゃないかって思うくらい、密接な関係すぎて――。



 ――だから、この気持ちに嘘をつけなくなってしまう。



 嫉妬は、容易に自分の本心を暴く。


(女嫌いだと思ってたのに)


 ご飯は美味しいのに、なんだかちょっぴりしょっぱかった。

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