1:はじまり
ある少年が白いビニール袋を片手に提げ、早々とした足取りで多くの住宅が立ち並ぶその中を歩いていた。
「ったく。こんな夜中にコーヒー買ってこいとか親の言うことじゃねえな」
その少年は上下ジャージと、身軽な格好をしている。髪はほんの少し長めで、少しつり目がちだ。
彼は腕につけていた時計を見た。その短針と長針は、どちらも真上を指している。
「はあ...もう12時かよ。めんどくせえ。こっちは明日...もう今日か。今日出す課題やってなかったり色々忙しいんだっつーの」
誰かに言ってるわけではない彼の独り言は、静かな夜の中に響いた。
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彼は、自分の背丈ほどの門を開き、そこそこ大きい建物の玄関まで歩いた。
ジャージ下のポケットから鍵を取り出し、扉に付いている鍵穴に入れて、半回転させた。そしてドアノブを掴み、扉を開いた。
「ただいまー。母さん、コーヒー買ってきたよー」
彼は帰宅の挨拶をした。しかし、返事が返ってこない。不思議に思った彼は、再度呼びかける。
「母さーん?いるー?」
返事は返ってこない。首を傾げながら、出かける前まで母親がいた部屋まで歩く。
しかし、部屋には誰もいなく、付けられたままの電気が照らしているだけだった。
誰もいない部屋の中、彼は何かを見つけた。
「ん...?なんだこれ?書き置きか?」
彼が見つけたものは、1つのメモ用紙だ。おそらく母親が書いたものだろう、そう思いながら彼はメモを読んだ。
「えーと、紫苑へ。少し出かけてくる。コーヒーは冷蔵庫の中に入れといてちょ☆....か。
なんだこれ...。どこ行ったんだろ。...まあいっか」
そして紫苑は部屋を出て、ゆっくりと階段を上がり、自身の部屋へ向かった。
扉を開き、ベットへ倒れこむようにして仰向けに寝転がった。
「ふぁーあ。....眠い。もうめんどくさいし、課題は起きてからやればいっか」
そのぐうたらな発言を最後に、紫苑はすぐに眠りについた。
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紫苑は、瞼の中に貫通してくる強い光を感じ、目を覚ました。
「んぅ...。眩しい。....って、あ!!!やばい!課題やってなかった!」
急に立ち上がろうとした紫苑はバランスを崩し、横に体を倒して地面に落ちた。
そして紫苑は今自分の置かれた状況を理解する。
「はあ...?ここ、どこだ」
ーーそこは明らかに紫苑の家ではない。
煉瓦造りの建物が立ち並び、地球に存在しないであろう獣耳が生えた人種が街を闊歩していた。地球にいたような普通の人もいるが、腰に剣を指していたり鎧を着ていたりと、ここが普通の地球ではないことを証明している。
つまり、
紫苑は膝を折りながら両手を地面につけて、
「もしかして、もしかしなくても、これって異世界転移ってやつかああああ!」
地面に向かって叫んだ。
獣耳が生えてたり、鎧を着ている人々が紫苑の事を怪訝そうな目で眺めている。
紫苑はそんなのは気にせず、急に立ち上がり腕を組んで思案するようなポーズをとった。
「これって夢...?頰をつねるんだっけ......痛い。ってことは、夢じゃない...!?なんで俺が?ハッ....!ならこれ俺が勇者コースなんじゃ...?でも普通は城の中だよな.....なら、なんか手違いがあったのかもしれない。俺を待ってる召喚した姫よ!待ってろよ、今行くからな!」
1人で全て完結させたや否や、走り出した。向かうはもちろん、城だ。紫苑は先程から目についていた。煉瓦でできたこの街の中、ひときわ大きい白い建物が。恐らく城だろう、紫苑は確信を持ってその建物が見える方向に全力で走って行った。
ーーしかし、
近道をしようと路地へ入っていった紫苑だが、
「おい、兄ちゃん。取り敢えず持ってるもの置いときなぁ!」
「うおおお!?これはもしかして俺無双イベントか!?」
1人の、大男がいた。金髪のオールバック。服はノースリーブの緑色の服。肩から見える大男の腕は、筋肉がぎっしり詰まっているのが見える。
しかし、紫苑は怯まない。
人差し指を立てて、挙手をするように腕を上に伸ばしながら言う。
「はっ。この紫苑様に会ったのが運の尽き!世界転移者....そして、勇者の力を見せてやる!」
指を立てながら、伸ばした手を大男に向かって勢いよく振り下ろす。
「俺無双、開始だ!」
そう言って大男へ殴りかかるーーー。
ぺちん。
その軽い音が路地に響く。紫苑が力一杯に伸ばした拳は、大男の胸に弾かれた。
「.....あ」
ーー全然強くなってねえええ!
自分の力(笑)が通じず唖然としている紫苑。その間に大男は足を後ろに引き、力を溜めている。
「あ?何やってんだお前。調子のんなよ!」
大男の膝蹴りをがクリティカルにヒットしてしまった紫苑は、3メートル程ノーバウンドで文字通りふっ飛んだ。
地面を激しく擦りながら着地した紫苑。大男が近づきジャージの胸ぐらを掴んで片手で持ち上げる。
「テメエ、そんな変な格好してるってこたぁ、それだけ稼いでるってことだよなあ?」
紫苑は何も言わない。大男に蹴られたダメージが大きく、意識も朦朧としている。
「おい。なんか言えよ、オラァ!ぶん殴られたいのか?」
紫苑を掴んでいない方の腕を振り上げる。
殴ろうとしたその時、
「そこまでだ」
男の綺麗な声が紫苑と大男の間に滑り込んできた。
紫苑は朦朧とした意識の中、その声の主を見た。
それは透き通った蒼い髪だった。それは背中に二本の剣をクロスさせるように付けていた。それは大男が振り降ろした手を受け止めていた。
「全く。怒声が聞こえてきたと思えば...」
青い髪の青年は、造作に大男の手を振り払う。たったそれだけで、大男は吹っ飛ぶ。
そしてくるりと振り返り紫苑の方を向く。
「君、大丈夫かい?もう、大丈夫だよ。奴はもう倒したから」
紫苑は吹っ飛んだ大男に目を向ける。どうやら気絶しているようで、ピクリとも動かない。
「助け..てくれ、てあり、がと....な」
大男に与えられたダメージと助かったという安心感からか、紫苑は意識を失った。