第17話『ゴリラと風のイタズラ』
カナが勢いよく玄関を飛び出して行くのを呆然と見送る俺。
「はやく追いかけなさいよ! バカ、アホ、ゴリラ!」
呆然と立ち尽くす俺を涼が勢いよく罵倒する。
ちょっと待て、確かに俺はゴリラだが、バカでもアホでもない。エリートだ!
ってかこのまま俺が追いかけると、逃げるJCと追いかけるGORIRAの通報コースだよね?
ゴリラが檻の中って、もはや刑務所じゃなくて動物園だよね?
「まぁ、ちょっくら行ってくるわ」
仕方がない。俺はゴリラになっても、あいつの兄であることに変わりはない。妹を追いかけるのは兄の仕事だからな!
そんなことを考えながら颯爽と玄関の扉を開け放ち外に出られない俺。出られないのかよ!
急いでいたから、たくましい両腕がガッチリと扉にぶつかっていた。
慎重に腕を通して廊下へと出る。
くそ、エレベーターはすでに1階にまで下がっていた。
はやる気持ちを抑えながら、なるべくソフトにボタンを押す。よし、力のコントロールが徐々に出来るようになっている。
やっとのことでエレベーターが昇ってきた。ゴリラを乗せたエレベーターは途中で止まることなく1階へと降り立つ。扉が開き視界が広がる。
エントランスの椅子に座り込む少女が一人。
その頬には一筋の涙がチラついている。
「カナ……」
妹の小さな背に弱々しく声を掛ける俺。
「ねぇ、意味わかんないよ」
その疑問はどちらを指しているのだろうか。急に兄がゴリラになったことか? 兄の部屋に見知らぬ女子高生がいたことか?
「何が?」
俺はなるべく慎重に柔らかい声音を意識して妹へと問いかけた。
「なんで、なんでお兄ちゃんの部屋に……」
妹は思い詰めた面差しで言葉をつむぐのを止めてしまう。
兄の部屋に見知らぬ女子高生がいることがそんなに嫌だったのか……。
「……」
俺は沈黙を守り、妹の言葉の続きを待つ。
「なんでお兄ちゃんの部屋には妹ものがないの!」
真剣な表情でこちらを見つめながら言い放つカナ。
「そこかよ! お兄ちゃんゴリラになってんだぞ?」
兄がゴリラになったことよりも、兄の部屋にあるエロ本のジャンルが重要視されることがあるのだろうか? いや、無い!
もうそろそろエロ本から離れようよ。
「だって、お兄ちゃんはお兄ちゃんだもん。ゴリラになったって、世界で一番のお兄ちゃんだよ」
いじけた雰囲気を引きずりながらも、小さな声でその言葉を大切にするかのように、そっと呟くカナ。
カナの言葉に俺の涙腺が緩む。おそらく俺は今、泣いているのだろう。
ゴリラの頬を一粒の涙が流れる。
あぁ、これ以上はダメだ。昨日から一日中保ってきた何かが崩れてしまいそうだ。
JCの頬に流れる涙とゴリラの頬に流れる涙。
人間とゴリラ。妹と兄。この関係性には様々な名前をつけることが出来る。
この世界の生物は一様に何かしらの枠組みを押し付けられている。
そんな世界の中で、妹が口にしたこの言葉はシンプルな材料のみで出来上がっており、真っ直ぐ過ぎる言葉の槍が俺の柔らかい所を貫いていた。
俺がそのまま俯いていると、ゴリラの分厚い背に優しくも暖かい感触が……。
どうやら、いつの間にか妹が回り込んで、この大きな背中を抱きしめてくれているようだ。
「ねぇ、お兄ちゃん?」
妹の優しい声が俺の鼓膜を揺らす。
「なんだい?」
「今からちょっと出かけない?」
ゴリラの背中から顔を覗かせ、お出かけの提案をするカナ。
「うん。どこへ行くの?」
「コンビニ!」
先程の涙が嘘のような笑顔でコンビニをご所望するカナ。
なんの用事だろうか? さては好物のあんまんが狙いかな?
「ちなみに何しに行くの?」
念のため妹に問いかける俺。
「お兄ちゃん! 今からでも遅く無いから、一緒に妹ものの本買いにいこー!」
まだその話する??
返して、ゴリラの涙返して!
妹と妹ものの素敵本を買いに行くとか、デンジャラス過ぎる。
「ダメだ! それにこの姿でコンビニは流石にな……」
スーパーは行けたのにコンビニは駄目なのかと考えると微妙なラインではあるが、スーパーとコンビニでは敷地面積が違う。
1平方メートルあたりのゴリラ密度に関わる問題だ。この密度が高くなり過ぎると人々はパニックになるだろう。
つまり、フルゴリラ状態の俺は外出する際にはひらけた場所を目指す必要がある。
ゴリラ密度で考えれば小さめのスーパーが限度だろう。
コンビニの場合に発生するゴリラ密度では流石に通報される可能性がある。ゴリラの圧迫感は狭い空間との相性が悪いのだ。
ところで、ゴリラ密度ってなに?
「うーん、じゃあ今日はもう帰るね」
少し寂しそうな顔を見せながらもそう口にするカナ。
「わかった。駅まで送るよ」
まだ時間帯は昼とはいえ、東京だからな。せめて駅までは見送ろう。
「最強のボディーガードだね!」
そう言って無邪気に笑うカナ。
そして、JCとゴリラは仲良く一緒に歩き始めるのだった。
あれ? ボディーガードどころか、近くの人達が不自然に俺たちから距離を置いているな?
ボディーガードというよりは虫除けスプレーのような役割りになりつつある……。
「じゃあ、今日はカードキーありがとな」
ってあれ? カードキー部屋やん?
入り口の自動ドアどうしよう……。まぁ、いっか。
「うん、また遊びに行くから! あ、それと、涼さんにカレーごちそうさまでしたって伝えておいてね」
そう言って、手を振りながら駅の改札へと吸い込まれて行くカナ。なんだかんだ言いながらもカレーのお礼は忘れないのね。
妹とわかれ、マンションの前まで戻ってきた。
そこには、少し強めの風が吹く中、短いスカートを手で抑えながら、ゴリラの帰りを待つJKの姿が見えた。
「ごめん、カードキー忘れた」
「それは良かったわね、忘れていなかったら、今頃このスペアも真っ二つよ?」
確かに、この薄っぺらなカードをゴリラの手で優しく握る自信はない。
「ありがとう、今後は力の制御が鍵になりそうだ」
カードキーだけにね!
口にすると罵倒されそうなので、このジョークはそっとゴリラの胸の内に仕舞い込む。
「カードキーだけにね?」
したり顔でそう言い放つ涼。
「それ、俺も考えてた!」
GORIRAとJKのシンクロ現象だね!
「うわ……」
ちょっと、低めのトーンはやめて! ゴリラのハートは繊細なんだからね!
「え、そんな嫌?」
思わず真顔で問いかける俺。
「ぷっ、やめてよ! ゴリラの情けない表情、面白すぎ」
吹き出しながら楽しそうに口を開く涼。
今度、鏡の前でゴリラの表情チェックしとくか。
引き続き涼がお腹を抑えながら笑っていると、手の抑えから解放されたスカートが風を従えふんわりと舞う。
え! 意外とそういうの履くのか!
「ウッホ!」
しまったつい声に……。
俺の頭にそんな後悔がよぎった瞬間、JKの回し蹴りがゴリラフェイスに直撃する。
み、みえ、みえない……。
二度目のラッキーは無かったようだ。
「ちょっと! 言うことあるんじゃないの?」
顔を真っ赤にしてゴリラを詰問するJK。
「ありがとうございました!」
俺の全身全霊の感謝の気持ちへのお返しだろうか。二度目の回し蹴りがゴリラへ炸裂した。
う、う、ウホゥー。
あれ? 俺いよいよ本格的に調教されてね?




