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病夢(びょうむ)とあんぱん  作者: 雛まじん
38/58

病夢とあんぱん その38

 

 (やく)()(ただし)は、(やな)()(ゆう)が逃げ出して行った、部屋の出入り口の方を見()えた。


(あいつ、逃げてばっかだな・・・)


 最初に柳瀬が逃げ出したときは、さすがに不意を突かれた。

 あんなに恥ずかしげもなく、堂々と逃げ出す敵を、疫芽は見たことがなかったからである。


(まあ、でも、これで終わりだな・・・。三階・・・いや、おそらく屋上だな。そこで決着はつく。同じ間違いを二度繰り返すほど、バカには見えなかったしな)


 またしても三階のどこかの部屋に隠れている、ということはないだろう。と、疫芽は予想していた。

 柳瀬が想像していた通り、疫芽の『(やまい)』は、物の長さを変えることができる。

 が、自由自在に、とはいかない。そんなに便利なものではないのだ。

 『(しん)(ちょう)(やまい)』。

 物を伸ばすことはできるが、短くすることはできない、というのが疫芽の『病』の正体だった。

 それも、生物相手には使えない。刃物やらガラスやらといった、無機物相手にしか使えないのだ。つまり、自分の手足を自由に伸ばしたりすることはできない。そんなことができるなら、武器を持ち歩く必要なんてない。

 二階に容易(たやす)く侵入できた理由も、この『伸長の病』にある。

 一度、二階に上がって柳瀬の逃げ込んだ部屋を確認した後、外に出る。そして、ビルの二階フロアの高さを、下に向かって引き伸ばしたのだ。結果、一階フロアがほとんど(つぶ)れてしまったが、二階の窓の位置も大幅に下がり、入り込むことができた。


(・・・(てん)(じょう)、滅茶苦茶高いな)


 それもそのはずである。

 天井まで、約二階分の高さがあるのだ。高さだけで言えば、体育館並みである。


(ま、別にいいか)


 誰かが使っているわけでもないし。こんな(はい)ビル、そのうち取り壊されるだろう。疫芽は、無責任にもそう考えていた。

 基本的に、彼は考え方が軽いのだ。

 深く考え込むのが好きではない。

 ただ、この状況下において、どうしても考えなければならないこともあった。

 柳瀬との戦いの、決着のつけ方である。


(多分、あいつは『病持ち』じゃねぇ。もし『病持ち』だとしても、戦いの役に立つような『病』じゃねぇんだろうな・・・。だったら、焦って追い詰める理由は(かい)()だな)


 柳瀬が不意打ちを狙っているであろうということは、疫芽にも分かっていた。戦いに慣れていないのなら、尚更(なおさら)だ。だからこそ慎重に、かつ確実に、追い詰めなければならない。


(屋上に逃げたなら、もうこれ以上、逃げ場はねぇ。相手の出方を見ながら、余裕を持って戦う・・・。なんなら、あいつが戦いを放棄するまで徹底的にやったっていい)


 敵が武装放棄した時点で、確実に殺す。

 この戦いは、それが理想的かもしれない。


(しっかし・・・)


 階段をゆったりと上りながら、疫芽は溜息をついた。


(考えてた以上に、弱々しい奴だったな)


 自分で対戦相手を選んでおいて、そんなことを思うのも筋違いというものだが。

 疫芽はもちろん、「中学校で俺を(いじ)めた奴に似てるし」なんて理由で、柳瀬を対戦相手に選んだわけではなかったのだ。

 相方のスーツ男、()(じま)()(ぶき)との相談の上で、彼との対戦を選んだ。


(詩島の奴は、上手くやってんのかな・・・?)


 詩島の作戦・・・というか、詩島の頼み。

 その頼みを叶える形で、疫芽は今、柳瀬と戦っていた。

 疫芽からすれば、上手くいくとは到底(とうてい)思えない作戦。

 そして、誰も望んでいない作戦。


(それとも、本当は望まれてんのか・・・?)


 疫芽は、自分の雇い主が考えていることを、いまいち理解できていなかった。疫芽の雇い主は、考えていることが表に出にくい性格をしているのだ。指示することと考えていることが真逆、ということがちょくちょくある。

 思考と行動が直結している疫芽からすれば、理解しがたい性格だった。


(ま、あの人の考えてる事なんか、究極的にはどうでもいいんだけどな。今のところは、やれと言われたことをやるだけだ)


 やはり、彼の思考は簡単な方向へとシフトする。

 今は、目の前のことだけを考える。

 殺すべき目標だけを、殺す。

 殺せと命令された男を、殺す。

 たたそれだけだ、と彼は思った。

 階段を上り切り、ついに屋上の扉へと到着する。この先でどのように柳瀬が待ち構えているのかを、疫芽はまだ知らない。しかし、それは疫芽にとってどうでもよいことだった。

 知っていようが、いまいが、自分は勝てるという自信があった。

 もちろん、過信ではない。

 冷静であるからこそ、どんなことにも対応できる余裕があるからこその自信だ。

 ゆっくりと。

 警戒心を(ゆる)めないように、なるべくゆっくりと扉を開ける。

 瞬間。


「!」


 ナイフの切っ先が、疫芽の(ほお)(かす)める。が、これは落ち着いて(かわ)す。

 二撃目。

 もう一度振るわれたナイフに対して、疫芽はさらに冷静に対処した。

 『伸長の病』により、ちょっとした日本(とう)程度の長さまで伸ばしておいた窓ガラスの破片で、柳瀬のナイフを、自分の後方へと弾き飛ばしたのだ。

 不意打ちは、失敗に終わった。

 武器は奪った。

 疫芽は、ほんの少しだけ頬を緩めながら、見据える。

 今から殺す、男の姿を。

 


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