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病夢(びょうむ)とあんぱん  作者: 雛まじん
32/58

病夢とあんぱん その32


 事が起こったのは、深夜に差し掛かる直前。

 日を(また)ぐ10分前。

 「本日中」という約束は果たされないのではないか、と思われた頃だった。


 ホールには三人の人間がいる。

 (やな)()(ゆう)

 (おき)飛鳥(あすか)

 ()()(おり)(ほとり)

 この三人だ。

 ()(ばた)(じょう)()は作戦通り、『海沿(かいえん)保育園』の入り口付近に張り込み、その風景に溶け込んでいた。もし、敵が入り口側からやって来ていたのなら、まず間違いなく、彼女に見つかっていたことだろう。

 しかし、敵は入り口側からはやって来なかった。

 その逆。

 敵は、保育園の最も奥にある部屋に侵入したのだ。

 機桐(はたぎり)()()空炊(からたき)(ほう)()、そして、十五人の子供たちが避難している奥部屋に侵入した。

 彼らが意図的に奥部屋を狙ったのか、それとも偶然だったのか・・・。いずれにせよその事実は、敵にとっては好都合だったし、柳瀬たちにとっては最悪の事態だった。

 


 ガシャン!という、窓ガラスの割れる音が奥部屋の方から聞こえたとき、僕の体は硬直した。


(ついに来た)


 そう思ったのだ。

 今度こそ、臨戦態勢を整えなければならない。

 それは沖さんも同じだったらしく、僕同様に、身を固くする。

 だが・・・氷田織さんは違った。

 身を固めるでも、構えるでもなく、勢いよく()け出したのだ。

 奥部屋の方に向かって。

 なぜ?向こうからこっちに近づいて来ているというなら、待ち伏せをした方が良いんじゃないのか?

 が、次の瞬間気付く。

 それでも、遅すぎたくらいだが。


(奥部屋には、莉々ちゃんたちが・・・)


 彼女たちは戦えない。

 僕と同じく、戦えない。

 あっさりと人質(ひとじち)に取られてしまうし、容易(たやす)く殺されてしまう。

 氷田織さんに数秒遅れて、僕と沖さんも奥部屋の方に駆け出す。

 

 三人は、それぞれの()(わく)(もと)に、駆けて行く。

 氷田織畔は、敵を殺すため。

 沖飛鳥は、仲間を助けるため。

 柳瀬優は、「事実」を知るため。

 (おの)(おの)、走り出す。

 

 氷田織さんに続いて部屋に飛び込んだとき、まず最初に目に入ったのは、慌てふためく子どもたちだ。

 笑顔はどこにもない。

 泣き出している子。

 泣くのを我慢している子。

 周りを心配そうに見回している子。

 ただ、殺されている子はいないし、人数も十五人のままだ。ひとまず、子どもたちは被害を(まぬが)れたらしい。

 次に目に入ったのは、床で伸びている空炊さんだ。何者かに襲われたのか、気を失って倒れている。

 そして、目に入らないものがあった。

 本来いるはずの人間が、そこにはいなかった。


 機桐莉々の姿は、部屋のどこにもなかったのである。



「・・・やられたねぇ」


 氷田織さんが(つぶや)く。

 あれから数分後。

 莉々ちゃんが姿を消した後。

 ホールには、先ほどの三人が集まっていた。

 炉端さんは空炊さんの手当てをし、子どもたちを落ち着かせてくれている。


「つまり、奴らは最初から、柳瀬君なんて眼中になかったわけだ。柳瀬君を殺すという予告はフェイク。本命は、莉々ちゃんの誘拐(ゆうかい)だったわけだねぇ。なるほど。なるほど。なかなか上手(うま)いことやってくれるじゃないか」


 氷田織さんは、心底(しんそこ)楽しそうに語っている。

 一方で、沖さんはとても沈んでいた。

 (さら)われた莉々ちゃんを、相当心配しているのだろう。この人のことだ。今すぐにでも、彼女を助けに行きたいと思っているのかもしれない。

 そして僕はといえば、少し複雑な心境だった。

 莉々ちゃんの身は確かに心配しているのだが、自分が狙われなくて良かった、という思いの方が強い。

 思いやりの欠片(かけら)もない奴であることは、十分承知している。・・・・だが、可能性はあったのだ。

 奥部屋に入った瞬間、敵が莉々ちゃんや空炊さん、子供たちを人質に取り、「柳瀬優を差し出せ」と言う可能性が。

 「僕なんて眼中にないのかもしれない」という「予想」を、「事実」として認識するために、僕は奥部屋まで走ったのだ。

 ・・・まあ、そんなことをされたところで、自分の身を差し出すつもりなんて、さらさらないが。


「それに、このポストカード・・・」


 と、氷田織さんはポストカードを(つま)み上げる。

 奥部屋には、莉々ちゃんの姿が消えていた代わりに、一枚のポストカードが落ちていたのだ。

 『シンデレラ(きょう)(かい)』という文字と、どこかの住所が書かれたポストカード。


「返してほしくば、ここへ来いってことかな?随分と、面倒くさいことをするじゃないか。やり口が古風だねぇ」

「・・・・すぐにでも行きましょう」

 

 と、沖さんが立ち上がる。

 予想通りのことを考えていたようだ。


「私が行きます。皆さんは、ここで安全に待機を・・・」

「無茶苦茶なことを言うもんじゃないですよ、沖さん」


 氷田織さんが、心底馬鹿にするような口調で反論する。


「あなたに、何が出来るっていうんですか。あなたこそ、安全に待機していてくださいよ。いつも通り、()()りでもしていたらどうですか?」


 沖さんが、渋々、椅子に座り直す。

 その表情は、悔しさと悲しさに(ゆが)んでいた。


「心配せずとも、僕が彼女を助けてあげますよ」


 え?

 この人が?

 他人を、助けるだって?

 だが、理由を聞けば納得できた。

 彼女を助けるに値する、氷田織畔らしい、合理的な理由が。


「彼女の『()()()(じょう)(やまい)』は、非常に役に立ちますからね・・・。彼女を攫った『シンデレラ教会』だって、それが目的でしょう。ありとあらゆる傷を治せる『(やまい)』を、自分たちのものにしたい。誰だって考えそうなことですねぇ」

 

 氷田織さんは微笑む。

 人を人とも思わないような、悪魔的な笑顔で。


「僕だって考えますよ。あの『病』があれば、安心して殺し合いができる」


 ・・・安心して殺し合いをするかどうかは、別として。

 『治癒過剰の病』が、とてつもなく便利だという考え方に関しては、異論を唱えるつもりは、僕にはない。

 彼女自身が、というよりは、彼女の抱える『病』が重要なのだ。

 はっきり言ってしまえば、あの子が『病』を持っていなければ、彼女の存在なんてちっぽけなものだろう。特に価値のない、その辺の女の子と同じだ。

 ・・・僕も大概(たいがい)、悪魔みたいな奴なのかもしれなかった。

 


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