未来について その六
あれから1ヶ月。私の日常、変わらない日々が過ぎる。──いや、ひとつだけ変わったのは私の中から俊ちゃんがいなくなったこと。
あれからいちども俊ちゃんと連絡を取っていない。というか何度も無視をしていたせいか、電話もついに鳴らなくなってしまった。
俊ちゃんとの関係は、きっとひとときの夢だったのだろう。遅咲きの私に与えてくれた神様からのプレゼント。
──すごく楽しい2年間だった。彗さんや真由ちゃん、和希くんとも知り合いになれたし。
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「わあ〜。1ヶ月でこんなに大きくなるんだ。私、産科は実習しか行ったことないからすごく新鮮」
今日は1ヶ月目健診で真由ちゃんが病院に来ていた。久しぶりにマンションから出たという真由ちゃんはすっかり母親の顔を見せていた。
私はプニプニの子供の頰をつつきながらいいなあと呟く。
「……晶さん、元気ないですね」
「そ、そんなこと無いですよ? 今、看護研究やってるからそのせいかなあ……」
目の下のクマは全く消えない。最初の2週間は食べ物も受け付けなくて、体調を崩したけど私らはプロだ。私事でいちいちつまづいていられない。
適当に嘘をついて笑いながら、ぐずる茜ちゃんを抱き上げる。すると真由ちゃんは少しだけ言いにくそうに話を切り出した。
「あの、晶さん……俊介さんとは?」
「へ? ああ……うーん、なんだろう。自然消滅ってやつかな? どうせだったらサッパリ振られた方が良かったな」
「そんな……」
「あっ、真由ちゃんがそんな顔したらダメだよ。私には2年間の魔法だったんだから」
丁度私も30歳で、ある意味切りのいい年齢。実はこれを機に──ってわけじゃないんだけど、今の職場を辞めるつもりだ。
認定の試験を受けて、資格を取ってから新しい場所でスタートする。
(そうしたら夢の余韻から覚めると思うんだ。まだ辛いから必死に勉強して、誰も知らない人の環境で1から頑張れば……)
「晶さん、俊介さんは……」
「じゃあね、真由ちゃん。次は3ヶ月検診で!」
「あ……」
真由ちゃんが何か言いたそうな顔をしていたけど、私はこれ以上俊ちゃんや彗さんの話を聞くことが辛い。病院から逃げるように去った。
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マンションに戻った私は荷物をテーブルの上に乗せ、職場で配布された来月の勤務表を鞄から取り出す。夜勤のせいで日付や曜日の感覚が悪くならないよう、いつものようにカレンダーに記号を書く。
翌月に捲る前に、大きな赤丸を見てふっと笑みが零れる。
「今日は記念日だったんだ」
2年前に、俊ちゃんと初めてUSJで会った日。お付き合い3年目になったらサプライズしなきゃなって言ってたっけ。
「懐かしいなあ……俊ちゃんとUSJ──っ」
ダメダメ、またカレンダー見て泣くとか、未練タラタラじゃない。正直、草間くんと別れた時よりもかなり辛い。
乱暴に涙を拭い、私はカレンダーの赤丸を黒いペンでぐしゃぐしゃに塗りつぶした。
「はあ……。そうだ、また旅行に行こう。久しぶりに実家に帰ろうかな。温泉もいいなあ……後は──」
気分を変える為に違うことをあれこれ考えていると、それを邪魔するインターフォンが鳴る。
「こんな夜に誰だろう……」
居留守を決め込んでいると、こういう時に限って何度もしつこく鳴らされる。大事な用事だろうか? それともよくある厄介な勧誘?
恐る恐る鍵を開けると、そこには白いスーツを着た俊ちゃんが立っていた。
「えっ……?」
ドアを少し開けた瞬間、目の前には真っ赤な薔薇の花束が視界に入る。
「え、え?」
「今日はなんの日か……覚えとるか?」
1ヶ月ぶりに会う俊ちゃんは、元々細身なのに少しだけやつれていた。彼は少し辛いことがあるとすぐに食べ物を受け付けなくなって体調を壊す。
「……誕生日でもないし、何かの記念日?」
わざととぼけてそう言うと、俊ちゃんは目尻を下げて私の額を小突いた。
「アホ。オレと晶が初めてUSJで会った日や。もうな、まどろっこしいことはやめようと思って、おかんとケリつけてきた。そんでこの日の為に溜まってた仕事全部片付けてきたんや」
「そ、そうなんだ……」
お母さんとどんな話をしたんだろう。婚約のことも怖くて聞けない。
そんなことよりも、俊ちゃんがどうして今更私のところに来たのか分からない。
「と、とりあえず入ったら?」
玄関のドアを閉めて俊ちゃんに部屋に上がるよう声をかける。すると彼は薔薇の花束を持ったまま、私の前で跪いた。
「えっ──?」
「オレと、一緒になってください」
衝撃的な言葉に、私は息を吸うのも忘れた。
今、何て? 俊ちゃんが、私と?
「……月並みな言葉ですが、オレは高桑晶を愛してる。──お前はオレのもんや、誰にもやらん」
「俊ちゃん……月並みな言葉とか言ってるくせに、オレのもんやとか……ずるい」
「──返事は?」
そんなの、聞かれなくても決まっている。私は俊ちゃんの広い胸に飛び込んだ。暖かい温もりと心音が心地よい。
「……俊ちゃん、これは夢じゃないの?」
「ああ。もう……2度と離したらへん」
「返品とか、絶対受け付けしないよ?」
「それで上等。──晶」
「んっ」
1ヶ月ぶりのキス。触れ合う唇はすぐに熱で暖かくなり、貪るように舌先を絡める。
涙で濡れた私の唇は少しだけ辛い。
唇を離したところで真っ直ぐに俊ちゃんを見つめる。
「ねぇ、俊ちゃん……婚約、どうしたの?」
「それな、完全におかんの陰謀なんや。和希に婚約させようとして、あいつが逃げよったからそれが勝手にオレにシフトされとった。冗談やない」
「そう……なあんだ……」
「はぁ……晶のことやから、また変なこと考えて勝手に自己解決してるやろと思って電話しても出えへんし、着拒しとるやろ」
「えっ!? そんなこと……」
慌てて携帯電話を見る。そういえば俊ちゃんからの電話が来なくなったのは、私がアドレス帳を整理した日から。
多分、手違いで削除して、知らない電話は自動的に着信拒否になるからそれで──。
「ご、ごめん……俊ちゃん」
「んなことやと思ったわ。彗に連絡しても、『晶さんを泣かしてばかりの兄貴はこれを機会にもう付きまとうのはやめては?』とか言われるし……ずっと不安やった」
「私も……もう電話来ないし、夢は覚めて現実見ろってことかなって……」
「アホ。晶は、オレのもんや。もうずっと……あと、これな」
照れ臭そうに笑う俊ちゃんはスーツのポケットから小さな小箱を取り出した。その箱の中には煌めくダイヤの光。
「晶、オレのお嫁さんになって?」
「俊介……」
「オレな、晶しかいらへん。一途で、真面目で、優しくて、オレのことを包み込んでくれる晶……。恥ずかしいから、1回しか言わへんで」
「えっ──?」
俊ちゃんから囁かれた愛の言葉。
私達は笑いながらリビングで何度も飽くことなくキスを交わす。
「んもう……お洒落なスーツが皺になるからダメだって……!」
「嫌や。晶補充」
子供のように茶目っ気たっぷりに笑う俊ちゃんと、もう一度キスをする。
不器用な愛を貫く遠距離上等! の俺様な彼氏は私の自慢。
飽きても返品なんて絶対に受け付けないんだから。──覚悟しててね、俊ちゃん。




