遠距離恋愛の秘訣 その四
「うう……腰がだるい……」
昨夜の2回戦は完全に自業自得なのだが、会議のためスーツに着替えている俊ちゃんの笑顔を見たら怒る気なんてすっかり無くなっていた。
どこの新婚さんか『行って来ます』のキスをベッドの上で交わし、一糸纏わぬ情けない姿のまま俊ちゃんを見送ったのは今から1時間前の出来事。
身体は鉛のように重く、朝にシャワーを浴びるのも大変で、挙句珍しく和希くんにまで苦言を呈された。……そりゃそうだ、ひとつ屋根の下で隣の部屋なのだから。
「晶ぃ、夜中にあんな可愛い声で鳴かれたら俺も寝られへんわ」
「ご、ごめんなさい……」
「手伝おうか?」
モタモタ脱衣所で着替えている私の後ろでニヤニヤ笑う和希くん。もう、見ないでほしいんだけど、洗面所を占領している私が悪い。
「きゃっ!?」
背後からそっと抱きつかれる。何をされるのかと思い身動ぐと、こつんとぶつかってきた彼は小さなため息をつく。
「──なんで晶は俊介のことが好きなんやろ。俺のものになってくれりゃええのに」
「和希くん……」
「あとな、晶。このペースで着替えとると遅刻するで?」
「やばいいいいいいっ! 今日グループワークなのにっ!!」
半泣きの私を救ってくれたのは、和希くんがケラケラ笑いながら取り出した俊ちゃんの車の鍵だ。
「会場まで送ったる。こっから20分かからんし」
「和希くん天使!」
「だから、チューして」
全く悪びれる様子もなくそう言う和希くんは自分の頰をトントンと叩いていた。
別に減るものじゃないし、それくらいしたいところだが、相手が和希くんということが問題。
そんなの、俊ちゃんに知られたらまた内乱が起きる。弟相手であっても俊ちゃんの嫉妬は深い。
「それはダメでしょ……それに私のちゅ、チューとか……嬉しくないでしょ?」
「俺は晶のチューが欲しいんや」
「──あぁ……もぅ! お願いしますっ!」
背に腹は変えられない。ごめん俊ちゃん。──いや、そもそもダメって言ったのに歯止めが効かなかった俊ちゃんだって悪いよね、うん。
────────
和希くんの運転のお陰で、私は腰のだるさに耐えつつ何とか会場に着いた。
めぐちゃんと待ち合わせはしていないので誰にも迷惑はかからない。
まだ到着していないグループも多く、講堂の中に人は殆ど居なかった。早く来すぎたと思い、バッグに入れていたコンビニのおにぎりを取り出す。
「晶ちゃん!」
朝食のおにぎりにかぶりついていると後ろの方から拓真くんに声をかけられる。
慌てておにぎりから口を離すが、彼はその様子を見て苦笑していた。
「──まさか、朝食食べる時間も無いくらい彼氏に離してもらえなかったとか? 随分……」
「ち、ちちち違うわよ!? 俊ちゃんは朝の会議に行ったし、それにちゃんとグループワークの内容考えてきたもん!」
勢いの余り余計なことまで言った気がする。はっと我に返ると拓真くんは口元に笑みを浮かべていた。
「へぇ、俊ちゃん。ね」
「……何?」
「晶ちゃんは付き合い長いの? もう結婚秒読みとか?」
付き合いが長いも何も……初めての遠距離恋愛。ただがむしゃらに日々を送ってきたわけで、先についてあまりまだ相談したことはない。
俊ちゃんはいつでも大阪に来いと言ってくれているし、先をどうこうするかは私次第だ。
「そんなの……たっくんはどうなの?」
「俺は今フリー。知ってるでしょ? 聖さんと別れてからずっとフリー」
聖さんとは、私の腹違いのお姉ちゃん。拓真くんと付き合っている様子を散々見せつけられた記憶が新しい。
「嘘……お姉ちゃんと別れてから彼女は?」
「聖ちゃんと付き合ってる間も、俺は晶ちゃんのことがずっと好きだった。初めて学校で一緒になった時から」
そんなの初耳だ。──それに、拓真くんは格好良くて優しくて、看護学校の仲間達の中では『王子様』と呼ばれていた。
王子様の独り占めは許されなかったので、学校内恋愛は確かになかった。
何人かは、『王子様と付き合いたい!』とアプローチをかけていたのを横目で見ていたが。
「俺の気持ちに聖さんも気づいてたから、こっぴどく振られちゃった」
「知らなかった……」
「うん。俺も晶ちゃんが虐められたらいやだから、こっそり片思いしてたんだよ?」
「……私は、お姉ちゃんとたっくんが笑いながらいつも一緒にいる姿を見るのが辛くて東京に出たのに……」
「俺は晶ちゃんが東京に行くって知らなかったから、卒業前に告白しようと思ってたんだ。俺のそばにいて欲しい。そして、お互いに仕事が落ち着いたら、俺のお嫁さんになって欲しいって」
自分がもしフリーだったら嬉しすぎる告白だ。憧れだった拓真くんが、あの時からずっと私のことを想ってくれていたなんて。
けれども、今はその甘い言葉が胸に重くのしかかる。
「……」
「今は、もうダメ?」
「うん。……嬉しいけど、私には俊ちゃんがいるから」
俊ちゃんと誰かを比較なんて出来ない。私が辛く苦しい時の傷を埋めてくれた彼の存在は、今の私の全て。
「晶ちゃん、大阪の彼氏ってことは遠距離恋愛なんでしょ? 女の子って相手がそばに居ないとすぐに不安になんじゃん。浮気してんじゃないかとか」
「俊ちゃんは確かに私には釣り合わないくらいのイケメンだけど、絶対私に隠し事しないもん!」
何も知らない人に俊ちゃんがどんな存在なのかを勝手に決められるのは腹が立つ。
これ以上拓真くんとの話はダメだと思い、私は簡易椅子から腰を上げ、食べかけのおにぎりをゴミ箱に突っ込む。
「晶ちゃん?」
「──先に戻るね。また後で」
私は感情を殺し、きょとんとしている彼の横をすり抜けて講堂へと足を向けた。




