遠距離恋愛の秘訣 その三
私は夕食も取らないまま、俊ちゃんのマンションを訪れていた。頭の中には拓真くんの言った言葉が反芻している。
あれは正論だ。偶然とは言え、聞きたかった講義は大阪での開催。会場は俊ちゃんのマンションから駅2つ分で、時間があれば俊ちゃんにも会えるという私の邪な感情。
一石二鳥とはまさにこのこと。
正論に否定も肯定も出来なかった。どっちも私にとっては大事なことだから。
1つだけ悔しいのは、彼氏に会うためのダシに『遠方の講義』を使って休みを取った? と誤解を受けたことだ。
それだけは断じて違う。多分、何を言っても拓真くんの耳には入らないだろうけど……。
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「いっただきま〜す」
20時に仕事を終えた俊ちゃんが帰宅。それから私達はまるで1つの家族のように一緒に食卓を囲む。
俊ちゃんと同居している弟の和希くんは、今は大分メンタルも安定し、日中だけカフェでバイトをしている。
彼は元々在宅ワークだったので、最初の仕事はぎこちなかったものの、少しずつ感覚を得ているらしい。
バイトで“あるある“な笑い話を聞いていると、突然彼の表情が曇る。
「元気ないなあ、晶。何かあったんか?」
「えっ? そんなことないよ、大丈夫。久しぶりのグループワークで疲れたみたい」
「それならええんやけど……」
和希くんの心配そうな声に、私は無理に作り笑顔を見せた。しかし、そんな演技は俊ちゃんに一切通用しない。
「晶、ちょっと……」
「え? あ、うん」
食事途中だと言うのに、彼は私の手首を掴み、寝室まで大股で歩く。部屋のドアを閉めたところでベッドの上に座るよう促された。
「俊ちゃん?」
「……嫌なことあったんやろ。オレは晶のことは何でも知りたいんや。言うてみ?」
「顔にそう出てる?」
「晶とは昨日今日の付き合いやないし」
昨日今日の付き合いじゃない。確かにそうだ。俯いていると私の隣に俊ちゃんも腰掛けてきた。
「……あのね、今回の講義で看護学校のクラスメイトに会ったんだ」
ぽつりぽつりと今日の出来事を話す。──はっきり言って、この話は誰が悪いとかじゃない。単に正論を言われてへこんだなんて恥ずかしい話なんだけど。
ちらりと俊ちゃんの顔を見ると小さく頷いていた。続けろと目が言う。
「……そしたら講義を聞きに来たんじゃなくて、彼氏に会いに来たんだろって……」
「うん」
「確かに、講義は大阪開催だったし、私は俊ちゃんに会いたかったから受けたいって思ったよ。でも、私が取りたい免許を持った有名な先生の話だし。これって、そんなにいつも聞ける話じゃなくて貴重なのよ」
「うん」
「講義は聞きたい。俊ちゃんにも会いたい。それはどっちも嘘じゃないの。私は俊ちゃんに会うためだけに休みを貰ったんじゃなくて──」
「うん……」
俊ちゃんはベッドの上でずっと私の頭を撫でていた。頰を伝う涙を指の腹で拭い、ただ黙って聞いてくれる。
「晶は、どっちもしたかったからここに来た。それでええやろ」
「……うん」
「周りがどうこう言うても、晶は自分の意思を貫き?」
「自分の意思?」
「『彼氏に会いに大阪に来た。ついでに好きな先生の講義があったから休みをつけて勉強しに来た』──それじゃあかんのか?」
「う。うん」
「そんなら何も悩むことは無いやろ。晶は間違うてない」
答えなんて最初から決まっていた。ただ、後押しして欲しかったのだ。
「ありがとう、俊ちゃん」
「解決したか?」
「うん! 言われても気にしないのが一番だよね。だって、俊ちゃんに会いたいのは本音だもん。えへっ。年休貰えてラッキー」
ぽんぽん頭を撫でる俊ちゃんにぎゅっと抱きつく。すると彼は少しだけ困惑したように眉を寄せてこちらを見つめていた。
「俊ちゃん?」
「晶、あんまり可愛いことすんなや……せっかく今日は我慢して寝よう思とったのに」
「え、え!?」
私は俊ちゃんに抱きついたままベッドの上に組み敷かれていた。口元に笑みを浮かべた肉食獣は、片手だけで器用に私の前ボタンを外していく。
「晶が悪いんやからな」
「そ、そんな──」
────────
(……はぁ)
またやってしまった。それ目的でここに来たわけじゃないのに、俊ちゃんに求められると理性は崩壊するし溢れる感情も止められない。
隣で穏やかな寝息を立てている俊ちゃんと対照的に、私は一度目が醒めると眠れない。ヘッドボードに置いていた携帯を手にとり時刻を確認する。
「わ……まだ3時……寝なきゃ明日はグループワーク発表があるのに」
こんな時間なのに着信ランプが光っている。そういえば、看護学校の仲間とはメールアドレス交換していたっけ。
まさかと思い受信メールを開いてみると、案の定メールの送信者は拓真くんで、そこには詫びの言葉が記載されていた。
『知ったような口聞いてごめん。すごく傷つけた。オレが言った無神経な一言はもう消せないけど、本当にごめんな。
晶ちゃんが真面目なのは看護学校に居た時からずっと知っているのに。
実は彼氏に嫉妬しただけなんだ。晶ちゃんがもう知らない男と一緒だと思うと、なんだか悔しくて。
ごめん。明日、いい発表しよう』
「──変わらないなあ……」
「……何がや」
「わっ! ご、ごめん俊ちゃん起こし──わぷ」
携帯を持ったまま俊ちゃんに腕を引っぱられた。暖かい素肌が触れ合うと、それだけで再び熱が上がる。
「元彼か?」
「ううん、たっくんはただのクラスメイト」
「ふぅん……」
ぼすんと俊ちゃんの広い胸に顔を埋める形となる。後頭部から抱きしめられて息が苦しい。
「今の晶がオレだけを見てるなら、それでええわ」
「うん。私は俊ちゃんだけだよ。──ほら、寝なきゃ。今日は俊ちゃんも朝一で会議でしょ?」
「目ぇ覚めたわ」
「だ、だめ。だめだからね! さっき散々……」
キスで誤魔化される私も私なんだけど、俊ちゃんのキスは本当に気持ちいい。
──もちろんその後は2度寝じゃなくて、第2ラウンド開始されていた。




