遠距離恋愛の秘訣 その二
1日目の講義は抗がん剤についての話よりも、面白い講師達の体験談がメイン。
やはりじゃんけんに勝って良かった。講堂が笑いに包まれているうちに、50分なんてあっという間に過ぎていた。
「晶ちゃん、昼飯どっか行く?」
昼休憩は2時間。私はめぐちゃんをちらりと見たが、やはり彼女は若い。既に他の病院の子達と笑いあっており、仲良さそうにしている。
(私みたいなおばちゃんと一緒にご飯食べるより、こういう切っ掛けで若い他の子と親しくする方が良いわよね)
「あ、えーっと……コンビニでも寄ろうかなって」
「ダメだよ、晶ちゃん。バランス悪いものばっか食べてるんでしょ? この近くに美味しいパスタの店あるから一緒に行こう?」
有無を言わさずに拓真くんに手を引かれる。
「え、えっと。斎藤くんは──」
「拓真でいいよ。てか、なんでそんな他人行儀?」
「あ、はは……なんか、名前で呼ぶのってちょっと抵抗が」
「ふぅん」
そういえば、私が名前で呼ぶのは辻谷兄弟だけだ。最初は辻谷さん、とか呼んでたのに「名前で呼び?」と言われてから今に至る。
拓真くんが少し不満そうに唇を尖らせていたので、私は彼を名前で呼ぶことにした。
「拓真くん、今回の講義は1人だけ?」
「うん、今回はオレだけだよ。だから昼飯1人で食べるとか切なくてさあ。晶ちゃんがいて良かったわ」
にこりと微笑む拓真くんの笑顔は、10年前と全く変わらない。握られた手があまりにも自然過ぎて振り払うことも出来ない。
彼の暖かい手の温もり。昔のちょっとだけきゅんとした時を思い出す。
(あれって、今思えば初恋だったのかなあ……)
本気で人を好きになる気持ち。胸がきゅっとしたり、食欲が落ちたり、集中できなくなったり──
そんな恋愛を知ったのは拓真くんのお陰。
看護学校を卒業した私は地元ではなく、あえて東京の病院を選んだ。
腹違いの姉ちゃんや家族から一度離れて自分を見つめなおしたかったのもある。
──でも本心は違う。お姉ちゃんと仲良くしている拓真くんを見るのが辛かったんだ。
「晶ちゃん、ここだよ。お昼休憩がずれてるお陰でそんなに混んでないかもな」
拓真くんが連れて来てくれたお店は裏通りにあり、少し古ぼけた茶色の煉瓦は隠れ家的な空気を持っている。
「よくお店知ってるね。リサーチでもしたの?」
「んー、講習2回目だから前に1人で回ったんだ。晶ちゃん、溝口先生って知ってる? H大学医学部の教授で、抗がん剤の新しいレシピを作ってる先生なんだけどさあ」
「ああーっ知ってる。私、教授の本3冊持ってるもん。おじいちゃん先生なのにすごく物腰も柔らかくて、患者さんから絶大な信頼あるのよね」
「晶ちゃんも溝口教授のファンなんだ。来月にもう一回福岡で講義あるみたいだよ? 行く?」
教授の講義は看護師であれば3万円で受けることができる。
しかし、教授が人気過ぎて受講を希望しても倍率が高くほとんど落とされてしまう。
仮に休みを取っても講義を受けられなければ、年休が勿体無い。
「休み取れないよ……」
「そんなに厳しいとこなんだ!? だって資格取ったら病院にとってもプラスじゃないの?」
「あ、違うの。私の個人的用事で3ヶ月に1回年休取ってるから、そういう休みが足りなくて……」
拓真くんに俊ちゃんのことを言うつもりは無かったのでわざとぼかす。
ありがたいことに、拓真くんもそれ以上は休みについて追求して来なかった。
────────
あっという間の4時間講義が終わり、夕方からグループワークに突入する。テーマは抗がん剤についてではなく、症例研究であった。
「高桑さんのところは大学病院だから症例多いですよね?」
Fチームメンバーは神谷さん、田畑さん、拓真くん、私の4人。
私以外の3人は個人病院か、中規模私立病院の出なので症例が少ないのだという。
「そうですね、外科だけでも病棟では10人くらい毎日やってますね、呼吸器内科の方も時期によっては多いですし、外来はもっと多いです」
「ほええ〜、うちは1週間で1人くらいですよ、大学病院とは規模違いますね、やっぱ」
「でも神谷さんの病院には噂の名医がいるじゃないですか。患者さんが病院を選ぶ時代ですから、いい医者がいるところが一番ですよ」
Fチームの症例は子宮癌全摘後でリンパ節転移により、術後抗がん剤を受ける30歳女性だった。
自分と同じ年齢の症例を見ると他人事には思えない。
「……肺転移は多いですよね。メンタルケアがメインかなあ。この若さだし」
「ええっと、子供もいるみたいですね、1歳」
もし自分に1歳の子供がいて、癌の転移があるとしたら──。
守るものの為に生きようと願い抗ガン剤を選択するだろう。でもリンパ転移、治療しても治療しても終わることのない戦い。
「抗ガン剤と定位放射線で小さくして一気に小さくしてから肺部分切除?」
拓真くんの提案はあくまでリンパ転移のない場合の回答だ。
「リンパ転移してるから、血液の中に癌細胞が巡っているから執刀は出来ないですよ」
「あれ? この症例。そういえばキーパーソンが書いてないですね」
「ええ? そこまで考えるの? 旦那さんはいるのか、シングルマザー、親のフォローとか?」
神谷さんと田畑さんが顔を見合わせる。思っていたよりも深い症例検討に4人で議論を重ねる。
18時の鐘が鳴り、そこでグループワークは終了となる。
ここは間借りしているビルとのことなので、いつまでもダラダラと討議に時間をかけられないらしい。
「じゃああとはそれぞれで纏めましょ。また明日」
「高桑さんの話はすごく参考になります。ありがとうございました」
「ええー? 年の違いじゃない?神谷さんも田畑さんも若いもん」
褒められると嬉しいが、そんなのは私のいる大学病院が癌研究が盛んで症例が多いだけの話。
年も近くて仲良くなっていた神谷さんと田畑さんを見送ったところで私はGチームにいるめぐちゃんを待つ。
「晶ちゃん、腹減った。ご飯いこ? どこのホテル?」
「あ……うーん、私はめぐちゃんを待って一緒に行こうかなって……」
「あっ先輩ー」
めぐちゃんがこちらに満面の笑みで近づいてきた。
「初めまして、上島恵ですっ。高桑先輩とは今年から外科病棟で一緒なんです!」
「オレは斎藤拓真。晶ちゃんとは同郷なんだ」
「わわっ、先輩……また格好いい人とお知り合いなんですねぇ。彼氏さんに嫉妬されますよお?」
「彼氏?」
「ちょ、ちょっとめぐちゃん!!」
別に慌てることではないし、隠す必要も無い。でも、俊ちゃんとの付き合いをあちこちに広めるつもりもないのだ。
きょとんとしているめぐちゃんと、少しだけ眉間に皺を寄せる拓真くん。
「──なるほど、だから晶ちゃんは大阪だから今回の講義に来たんだ」
「それだけじゃないよ。ほんと、今回は尊敬している講師の先生が多いからそれで……」
「がっかりした」
拓真くんの一言に、私は胸を潰された気持ちになった。
彼は、私が彼氏に会いたいからそのおまけで講義を受けに来たと勘違いしている。
(違う──そうじゃない……)
「大阪じゃなかったら今回来なかっただろ? 結局彼氏に会いたいだけじゃねえか。明日のグループワークは真面目にやれよ、じゃあな」
吐き捨てるようにそう言われた私は全く何も言い返せなかった。
確かに、大阪開催だったからじゃんけんまでして勝ち取った切符。
もし、これが溝口教授のように福岡開催でも同じくらい熱を持って参加した?
もし、これが東京開催でも同じ気持ちで参加した?
『彼氏に会いたいだけじゃねえか』
「……そうだね、その通り」
「先輩……? せ、先輩、ちょ、ちょっと下行きましょ!」
慌てためぐちゃんにエレベーターに乗せられた私は、無理矢理下に連れて行かれる。
ビルを出たところで夜の冷たい風が私の濡れた頰を撫でた。




