チョコレートよりも甘いキスをしよう
2月14日
乙女達の戦場の日。私は大阪駅前で携帯を開く。
3月の決算に向けて俊ちゃんは連日お仕事で帰宅が遅い。
今回のバレンタインデー・サプライズ大阪旅行は勝手に私が企画して実行しているだけ。
彼の出張がない事は確認済みなので、後は同居の弟君に電話をして先にマンションで待つのみ。
アプリ電話を起動すると、彼の弟・和希くんはすぐさま電話に出てくれた。
「もしもし?」
『晶ぃ、俺にチョコレートくれんの?』
嬉しそうにそう話す声は俊ちゃんではない。何故か和希くんは私に対して好意を抱いているようで、以前よりメールをや電話をする回数が増えた。
まぁ……この電話アプリのお陰で遠距離でも通話料金が発生しないというのは便利な世の中になったものよね。うん。
「勿論、和希君のもあるよ。でね、ちょっとお願いがあるんだけどいい?」
『やったっ。晶のお願いやったら何でも聞いたるで』
語尾に音譜マークでもついていそうなくらいご機嫌な和希君、うう、これ以上言うのは気が引ける……でもこれを言わないと大阪に来た意味がない。
「今晩……和希君はお出かけする用事とかある?」
『……久しぶりに来るんやろ。俺は絶対家から出ぇへん』
一瞬で機嫌を損ねた和希君の低いトーン。俊ちゃんもそうだけど、この兄弟……わ、分かりやすい。
(ですよねえ……ですよねえ……)
そもそも彼氏と二人きりでバレンタインを過ごしたいからって、同居している弟君にどこかで過ごす用事なんて無い? と聞く私も私か。
「ごめんね和希君。さっきのは忘れて。これからマンション行くから」
『待ってるで。また後でな』
待ってるでって……和希君はあんなに格好いいのに彼女を作らないんだろ。
バレンタインだからって最近の女子はチョコレートとか渡さない風習になってきたみたいだし、出会いがないのかなあ。
確かに和希くんは今治療中で仕事もやめて和希君は家に籠っていることも多いし……。
チョコレートくらいだったら、私ので良いならいくらでも作ってあげるんだけどね。
それで喜んでくれるなら作り甲斐もあるし。
「えっと、生クリームとバター……卵と──」
お菓子の材料を購入すべく、俊ちゃんのマンション近くにあるスーパーに足を向けた。
────────
買い物袋を持って俊ちゃんのマンションに向かう。いつも逢瀬している3ヵ月は経っていないので、私がマンションに居たら俊ちゃんは驚くだろう。
2週間以上前から企画していたこのサプライズ旅行。
俊ちゃんには『当日に着くようにプレゼント送ったから』と伝えている。
インターフォンを鳴らすと、すぐに和希君がドアを開けてくれた。
「晶ぃ! 久しぶりやなっ。元気やったか?」
「ちょっと……しがみつかないでよっ!」
恋人との久しぶりの再会のように、正面から抱き着かれる。
……こんなシーン、もし俊ちゃんに見られたら例え兄弟であってもプチ修羅場と化す。慌てて彼を引き剥がして距離を取った。
「つれないなぁ……もっとこう、恋人同士の再会とか無いんか?」
「和希君は俊ちゃんじゃないでしょっ!」
ツンツンしていた和希君も、少しずつ私に対して警戒心が無くなった。──それはとても喜ばしい事なのだが、このベタベタっぷり。少しでも気を抜くとすぐに背後を取られてしまう。
辻谷兄弟はみんな格好いい。勿論、俊ちゃんが一番なんだけど、和希君も細身の長身に知的な印象を醸し出すミステリアスな空気。黙っていると完全に1枚の美しい絵になる。
「晶、何作ってんの?」
「ガトーショコラにしようかと思って。少し甘さ控えめで、ブラックコーヒーと一緒にね」
「腹立つわぁ……俊介が憎たらしい」
彼が憎々し気に舌打ちをしたのは理由がある。甘いものが大好きな和希君と対照的に、俊ちゃんは甘いものが得意ではない。
チョコレートは好きらしいのだが、それを中和するのに必ずブラックコーヒーを好む。
そんな彼氏の要望に応えるべく、準備を怠らない私の態度が悔しかったのだろう。
「俺に本命チョコ作ってや、晶ぃ」
「そんなに甘えてもダメ。いくら和希君が格好良くても、私は俊ちゃん一筋です」
大きな猫のようにすりよってくる和希君に、私はヘラの持ち手部分で額を軽く小突いた。
「ちぇっ……」
少しだけしおらしくなった和希君はキッチン近くの椅子に腰掛け、お菓子を作りをただじっと見つめている。
(──暇じゃないんだろうか。恋人でも無いのに、ただ黙って見ているなんて)
「ねえ、和希君。彼女作らないの?」
「俺は晶が欲しいんや」
「あのねぇ……」
あまりにも直情過ぎて会話が繋がらない。私がどうやって和希くんのハートを射抜いたのかさっぱり分からない……。
今はこんなやりとりをしていても、いつか彼にも素敵な人が現れてくれると思いたい。
2人分のガトーショコラを作り終えた所で、私は冷蔵庫の余り物から夕食の支度を始めた。
「冷蔵庫潤ってるね」
「晶がなんか作ってくれると思ってな。頼むわ」
思っていた以上に冷蔵庫の中身が潤っている。余り物なんて無さそうだが、手軽な物をぱぱっと作り、テーブルに並べる。和希くんも手持ち無沙汰なのか一緒に皿を出したり手伝ってくれた。
料理を並び終えたところで玄関の鍵ががちゃりと開く。
「和希……彼女連れてくるんやったら──」
「あ……」
靴を脱いでマフラーを外そうとしている俊ちゃんとばっちり目が合う。私の背後にはぴったりと密着する和希君の姿。
(って、いつの間に和希君後ろにくっついてんのよっ! これじゃあ完全に──)
俊ちゃんはこちらを一瞥すると無言でマフラーを外す。そしてロングコートのボタンを外しながら大股で寝室の方に足を向けた。
か、完全に誤解してる? まさかね。俊ちゃんも弟の悪ふざけくらい分かってるわよね。
それでもフォローしないわけにはいかないので、私は慌てて俊ちゃんの後ろを追う。
「お帰り、俊ちゃん」
クローゼットから取ったハンガーを手に持ち、彼の脱いだスーツを受け取る。皺取り用のスプレーを使いながら再びそれをクローゼットにかける。
その間も俊ちゃんは無言のまま。不安になった私は、ロングシャツとスラックスに着替えた俊ちゃんに背後から抱き着く。
「俊ちゃん、今日が何の日か知ってる?」
「──まさか、晶の方から来るとは思わんかったわ」
「え?」
「……本当はな、俺の方から東京に行くつもりやった。でもな、晶のシフトは人手不足で安定してへんやろ。空回りやったら寂しいなって思ったら──」
「俊ちゃんっ」
彼の胸に顔を埋めて私は久しぶりに俊ちゃんの体温を感じる。俊ちゃんも私と同じ気持ちで、早く会いたいって思っていてくれたことが嬉しい。
「晶……」
力強い俊ちゃんの腕に抱きしめられ、私は顔を上げる。優しくて穏やかな瞳に見つめられながらちゅっと唇に触れるだけのキスを落とされた。
「──甘いもんは嫌いやけど、晶だけは特別や」
「ええ? 折角甘さ控えめのガトーショコラ作ったのに?」
私は正直、料理もお菓子作りも自慢できる程得意ではない。ガトーショコラだけは俊ちゃんも食べれるって知っていたから、前から千里さんに教えてもらったのだ。
「それはおまけ。本命はコッチやろ」
トントンと私の下唇を叩く俊ちゃんは獰猛な肉食獣の笑みを浮かべている。
「──和希君、いるんだけど?」
「晶は俺だけのもんやって、教えたる」
「……バカ」
恥ずかしい事に寝室のドアは開けっぱなしのまま。
──和希君が居たらどうしようとか、そんな事を考えていたけど、彼は俊ちゃんと入れ違いの時点でマンションから外に出ていたらしい。
「晶はチョコレートなんかより甘くて美味しい」
「もうっ……恥ずかしい……」
プレゼント用の赤いリボンを首元につけられた私は、暴走した俊ちゃんと甘すぎる濃密な一夜を過ごした。




