波乱の大阪旅行 その四
ビルタイプのお洒落なホテルに連れてこられた私はキョロキョロと視線を動かす。
フロントの横にはバーがあり、本当に此処はラブホ? と疑いたくなるくらい綺麗な場所だ。
しかし、彼がパネルを操作しているところを見ると、人と会わないよう配慮されている場所だと悟る。
普通のホテルと違う。たったそれだけで変な感じがした。
「晶、何ぼーっとしてんねん。いくで?」
背中を叩かれてはっと我に返る。私はキャリーバックを転がしながら先を歩く俊ちゃんの背中を慌てて追いかけた。
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部屋全体が赤で統一されている部屋は、それとなく興奮してしまう。かと言ってどぎつい赤ではなく、目に優しい印象を受ける。
今までこういう場所に自体来る事が無かったので、見るもの全てが新鮮だ。
俊ちゃん選ぶホテルは大体綺麗なビジネスホテルなのだが、そういう目的の所を選んだのは今回が初めてだ。
「これ、お姫様のベッドみたい」
薄いピンク色のレースカーテンを見た私は率直な感想を述べた。そんなはしゃぐ私を見て、いつまでも笑う俊ちゃん。
「晶は、ほんま……可愛いなあ」
「俊ちゃんは、どうせ色々な女の人とこーいう所来てるんでしょ」
「過去は、過去」
ジャケットを脱いだ俊ちゃんは、背後からそっと抱きしめてきた。
「俊ちゃん?」
そして無言のまま首筋に舌を這わせてくる。少しトーンの落とされた薄暗い室内は、まだ昼間だということを忘れさせる危うい空間となっている。
首筋を舐めた後、俊ちゃんは私のチェスターコートをそっと脱がせる。相変わらず手先の器用な彼は、今度はニットワンピースを下からたくし上げてきた。
「俊ちゃん……」
「晶に、1つ聞きたい」
途中まで進入した手をわざと止めた俊ちゃんは、ワンピースから手を離し、私のコートを皺にならないようクローゼットにしまう。
真剣な顔で近づいてきた俊ちゃんに肩を掴まれ、そのままベッドに押し倒される。スプリングのきいたベッドは高くて足が浮いた。
「あの男、誰や」
さっき名刺までもらってたのに──。いや違う。
(まさか、私と草間くんが寄りを戻すとか、勘違いをしている?)
私と俊ちゃんは遠距離だから、連絡をしない間は相手がどこで誰と何をしているか分からない。
それを前回の結奈さんの一件で、痛いくらい分かったのに。
「草間くんは、私が看護学校に行ってた時に、居酒屋で一緒にバイトしてた同僚よ」
「そんだけやないやろ」
「……付き合ってた。一年だけ」
本当、それ以上俊ちゃんに伝える情報なんて無い。
苦い過去の恋愛経歴をほじられるのは好きじゃない。
(それだったら、私も俊ちゃんが今までお付き合いしてきた美女達の武勇伝でも聞きたいくらいよ)
って、比較したら逆に悔しくて泣けてくるからしないけど。
「俊ちゃん。私は、俊ちゃんだけだよ?」
「そんなん分かってる。ただ、あいつの挑発的な目が腹立つんや! お前は、晶の事どれ位知ってるのかって試されたみたいで」
「俊ちゃん……」
「……なんで、右頬だけ、チーク落ちとんねん」
そう呟く俊ちゃんの目は、どこか寂しそうに見えた。
男の人は女の化粧とか、ちょっとした変化とか、こちらから言わないと気づかないのに。
俊ちゃんは本当に良く見てると思う。──そこは感心する点なのだが、今はそれどころでは無かった。
あの新幹線で草間くんに頰にキスされて、それを拭ったから化粧が落ちたのだろう。
私はそんなに化粧をするタイプじゃないから、全く気がつかなかった。
そして草間くんの態度。あれせいか、俊ちゃんは珍しく嫉妬と怒りで私を見つめている。
「晶、何された? あいつに、新幹線で口説かれたか。確かにあいつもそこそこ面は悪うないよな? 元彼に久しぶりの再会で、気分が昂ぶったか?」
冷たくそう言い放つ俊ちゃん。──やっぱり勘違いしている。でも、私だって誤解されるのは嫌。
「俊ちゃんに、何が分かるのよっ!」
俊ちゃんの腕を引き離し、私は逃げるようにベッドの壁際ギリギリまで移動した。
しかし、そんな私を彼は逃げる小動物を追いかける肉食獣のような瞳で見つめてくる。
ぞっとするくらい、冷たい瞳。
その瞳を見ていると、思わず逃げ出したくなるが、ここで言い返せなければ負けだ。
「わ、私なんて、俊ちゃんみたいに、恋愛経験豊富じゃないし、こんなだし……そりゃあ、嘘でも好きだとか言われたら……嬉しいものよ」
「嘘でも……ね」
静かに瞳を伏せた俊ちゃんは、着ていたセーターを脱ぐと、床にそれを叩きつけた。
反響した音に驚いた私は、膝を丸めてベッドの隅で縮こまり、支配者が近づいてくるのを視線で追う。
「晶は、オレが好きやって言うたのを、嘘やと思ってたんか?」
「え……?」
「嘘で晶を好きや言うて、慰めて抱いてたと思ってたんか?」
完全に勘違いしている彼に、どう言葉をかけるべきか。いや、今は多分何を言っても通じないだろう。
彼と遠距離恋愛をして一年くらい。
イケメンでモテる彼を想うことは、毎日が不安の連続でしかない。
相手が側に居ない生活は、実は他の女性がいるのではないか? と毎日疑心暗鬼に駆られる。
自分の心が腐ったみたい。俊ちゃんの連絡が無いと見えない何かに潰されそうになる。
私の何とも言いようのない寂しさを埋めるのは、仕事だけ。毎日忙しい外科で働いて、働いて──めまぐるしく時間が過ぎるのをただ待つ。
『彼氏が出来ても、そんな仕事人間じゃ、女も終わるよ』
誰か忘れたけど、そんなことを言われたのを覚えている。みんたに笑われたけど、私の黒くて醜い嫉妬と彼への独占欲を押さえつけるのは、それしか無かった。
「晶……! オレが、同情でお前を好きや言うてたと?」
「そ、そう……だよ……」
私の言葉に俊ちゃんは寂しそうに眉を寄せる。また、言葉を間違えてしまったのか、俊ちゃんを傷つけてしまった。
「しゅ──」
唇にそっと触れるだけのキスが落ちる。
え……?
これって、どういう?
「……晶、オレの言葉が足りんかったんやな。どうしたらお前は不安じゃなくなる? どうしたら、やり直せる?」
やり直せる? だって、別れても居ないのに?
嫌だ。本当に、俊ちゃんが居なくなってしまう。
私は自分の足で何も行動しないまま、彼を失うのだけは嫌だ。この醜い感情を笑われても、伝えないと後悔する。
「俊ちゃん……私、俊ちゃんを独占したいの。好きなの……でも、そんな事、言ったら嫌われるから、私、魅力ないし……だから、不安で……不安……っ、で」
「そんなん、いくらでも縛れ。オレは、晶しかいらん。魅力なんて外見やない。晶は、自分で知らない魅力が沢山あるで」
いつの間にか滲んでいた涙を指の腹で拭われる。それはいつもの優しい彼の指。
私は泣き顔のまま、そっと彼の唇に己のを重ねる。
「晶──!」
背中に大きくて暖かい手が回る。密着した素肌と近づく顔。どちらからともなく何度も唇を重ねる。




