波乱の大阪旅行 その二
朝一番で品川駅から新幹線に乗り込み、新大阪を目指す。
──大体、三ヶ月に一度、どちらかがこうして会いに行く関係だ。
今日は天気も良いし、新幹線が横浜辺りを通過すると段々眠くなってくる。
あと一時間……そう思いながら瞳を閉じた。
「あの、高桑晶さんですか?」
私の眠りを妨げたのは、黒の短髪にお洒落な黒のスーツを着込んだ見るからに営業系の男の人だった。
こんなイケメン、私の知り合いに居ない。いや、彗さんと和希さんは違うけど。──誰だろう?
「どちらさまですか?」
「ああ、やっぱり晶だ。俺、隣なんよ」
私の訝しげな視線など気にも留めないのか、彼はニコニコ微笑みながら、わざわざ私の隣に腰掛けてきた。
横浜から乗り込んできた彼は「偶然に感謝」と言いながら上機嫌のまま名乗ろうともしない。
相手は私の事を知っているのに……妙な気分だった。どうして名乗らないのか。まさか、私が気づくのを待っている?
──イントネーションは関西弁だったし、あちらの人なのは間違いない。でも、俊ちゃん以外の私の知り合いでそんな人いたかな。
無言のままぼんやりと外の景色を見ていると、隣に座る彼は私の頰に缶珈琲をくっつけてきた。
「ひゃあ!」
「くくっ……相変わらずやな。そのリアクション可愛い」
はい、と渡されたブラックコーヒーを私は持ったまま、相変わらずという言葉が頭の中で反芻する。
「──まさか、草間くん?」
「そっ。遅いねん、気づくの」
目尻を下げながら穏やかに微笑む彼、草間慎吾くんは、私が看護学校時代にバイトをしていた先の同僚だ。
元々、生まれ育ちは大阪なのに、お父さんの転勤で3年間だけ東京生活とかぼやいていたような気がする。
そして、彼は……私の、元彼だ。
私が大阪の生活を受け入れられないのは、彼の取り巻きである女性からの陰湿な嫌がらせがほぼ原因だ。
正直な話、人間不信にもなったしあまりいい思い出はない。
だからこそ、こうやって久しぶりに遭遇しても笑え無いのかも知れない。
「草間くんは、今何してるの?」
「俺か? 今はコンシェルジュ」
詳しい仕事内容までは語らなかったが、甘い言葉を放つ彼にはコーディネイターの仕事は向いている気がする。
私はふぅん。と生返事を返しながらまた視線を窓の方へ向けた。これから彼氏に会いに行くのに、何で元彼と話題を膨らませなきゃいけないのか。
「晶。お前は大阪に何しに行くん?」
「彼氏に会いに」
ぽつりとそう呟いた瞬間、彼は嬉しそうに顔を綻ばせた。
「なんや、俺んトコ来てくれるんか? いつでも喜んで受け入れるで」
「冗談じゃないわよ、草間くんはもう他人です」
「つれないなあ。俺は、今も晶が大好きやのに」
大好き──と言われると、冗談としてもやはり嬉しい。
(ああダメダメ。なんか、俊ちゃんみたいにいいトーンで話すから、すっかりほだされる所だった。こういう時は、寝て過ごすしかない。)
「晶…?」
これ以上草間くんに関わるのはいけない。もう私には、俊ちゃんが居るんだから。
返答のない私を見て諦めたのか、隣に座る草間くんは急に静かになった。──これであと一時間眠れる。
早く大阪についてほしいと、気持ちだけが焦る。しかし、実際動く乗り物はそれ以上早くなる事はない。
「俺は、お前とまだ終わったつもり無いんやで」
狸寝入りを決めこんでいる私に気づいているのか、草間くんはそう告白すると、私の頰にちゅっと音を立てて触れるだけのキスをした。
「なっ、なっ、なっ!?」
「おー、やっぱり起きとった」
からから笑う草間くんの様子に腹をたてる暇もなかった。今、彼の唇が触れた場所が熱い。
慌てて手のひらで擦るが、触れられた感触だけは消せない。
「俺は、諦めへんよ。お前のコト」
もう終わった、過去の事。そうしたのは私。
だって、草間くんの取り巻きの子がそう言うんだもの。
『お前みたいな、チビでブスで色気も無い女に、慎吾クンと付き合う資格なんか無い』って。
合ってる。それにプラスでぽっちゃりです。──ああ、思い出すだけで泣けてくる。
嘘の情報で踊らされた私は、草間くんを六時間待ち続けていた。
あの日はデートだからって、気合い入れてお気に入りのワンピースと、姉ちゃんから貰ったメイクセットでしっかり顔も整えたのに。
4時間くらいして、突然雨が降って来たけど傘も無かったから、適当に雨宿りして、あと少し、あと少しとずーっと待ってた。
あの後は終電が無くなりそうだったから帰ったけど。
あの日は全ての悪条件が重なっていた。壊れた私の携帯電話。そして草間くんは私が待ってることも知らなかった。──悪いのは、情報に騙された私……。
それでも彼とのお付き合いは、取り巻きの女子からの言いがかりや嫌がらせが多かったので、彼の返事を聞く前に『別れましょう』と一方的に告げて別れた。
別れを切り出した時にバイトも辞めて、学業に専念して──今の仕事がある。
小さなため息をついた私は、「もう終わったのに」と自分に言い聞かせる。
今更、草間くんが私の前に現れても、私の気持ちは俊ちゃんから絶対に変わらないのに。
もしかしたら、草間くんの中で、あの一方的な別れがプライドを傷つけられたとか?
私みたいな奴に振られた腹いせで邪魔してやろうとか?
彼はそんな人では無いと思いたいが、諦めないと言われても困る。
「草間くん、私は今彼氏がいるの。だから、貴方は自分に合った素敵な人を…」
「俺は、晶がええねん」
細められた穏やかな瞳。俊ちゃんとは違う、細い身体。そして一途に私を見つめてくる瞳は、昔から何1つ変わらない。
やばい。こんなとこで何度も告白なんて聞いていたら頭がおかしくなる。
自由席に移動しようと荷物に手をかける。が、通路に出ようとする私の行く手を草間くんが阻む。
「何処行くんや?」
「と、トイレ……」
「わざわざキャリー引いて?」
「……」
指されて私は逃げるのを諦めた。それに、新幹線も空いているわけではない。
私みたいに荷物のある人間がウロウロしていたら、確かに邪魔だろう。
狸寝入りも出来ない、目を開けていると告白される。一体私はどうしたら……。
もう無言でずっと窓の外を見る。
結局そこに気持ちを落ち着けた私は、それから草間くんとは一言も会話することなく、一時間を過ごした。




