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 翌朝、カミルは日が昇りきらぬうちにヴォルフスブルクを出た。


 街門から出て北辺境街道を東へ向かってひたすら進む。何もない荒野に、歴代の辺境伯が敷設した石畳の街道が延々と続いている。こまめに補修を繰り返しているせいか、石畳の色は所々異なっていて、なかなかに見応えのあるモザイク模様を成していた。


 ジギスムントによればこの街道をしばらく東に進んだ後北に折れろとの事で、どうせなら荒野を突っ切ったほうが早い。このあたりの起伏はなだらかで背の高い草もなく、街道を外れたところでそれほど歩きにくいということはないのだが、自分の居場所を見失いそうなほど目印となるものが少ないため、敢えて外れようという気にはならなかった。なにしろここ最近のカミルはヴォルフスブルクで何度も迷子になっている。自分の方向感覚というものに対する自信を少し失っていた。


 早い時間ではあるがいくつかの商隊とすれ違う。これからヴォルフスブルクの朝市にでも出るのだろう。今までの旅であれば護衛や御者に話しかけて情報収集に勤しんだものだ。行商人は商品と共に情報を運んでくる。情報は傭兵にとって命綱でもあった。行く先の治安や物価の変化、どこそこに大型の魔性が出たなど、たとえ噂話程度であってもあるのとないのとでは全然違う。今回は意図的に無視をしたのだが、意識しないとついつい話しかけてしまいそうになる。

 かなりの早足で歩きながらカミルは自嘲で顔を歪めた。錬金術師として活動を開始してから半年。つまり傭兵を引退してからもまだ半年。半ば家に引きこもって生活をしていたが、身体は現役の頃と変わらず動く。そして心も、同じように動いてしまうのだ。


 しばらく進んで、ようやく昇りきった朝日を眩しいと思わなくなった頃、教わったとおりに北へ折れる細い道筋を見つけた。石畳の舗装はなく、気をつけていないと見逃しそうになるほど細かったが、それなりに人の通りはあるのかしっかりと踏み固められている。うねうねと続く道の先には緑の帯が広がり、その向こうには山々が連なって見えた。頂上付近は霞んで茫洋としている。


 あれが破望山脈か。

 あそこに行けば手に入るのか。

 思いを新たに気合を入れなおすと、カミルは再び歩き始めた。



 いつの間にか太陽は天頂を越えた。少し暑さを感じ始める頃に開墾されたらしき畑をちらほらと目にするようになった。農作業に勤しむ人の姿も見える。長閑としか言いようのない光景の中を道なりに進んでいくと、簡単な木の柵に囲われた小さな集落に辿り着いた。なるほど、確かにカミルの足ならば昼過ぎには着く。しかしずっとあの速度を維持して歩き通す破目になるとは思わなかった。疲れはないが、もう少し正確な情報をくれてもよかったのにと思う。


 建物は全部でも十数軒程度。粗末というほどでもないが皆一様に古びている。よく言えば歴史を感じさせる建物ばかりだ。中央あたりの広場に共同であろう井戸が掘られ、その周囲に人影が見える。ちらちらとこちらを伺いながら囁きあっているようだ。誰に尋ねようか迷っていると横合いから声をかけられた。


「街から来なすったお人だね」


 腰の曲がった老人がカミルを見上げている。眼光鋭いが皺に埋もれて表情は読めない。歓迎されているとは到底思えなかったが、別に警戒もされていないようだ。

「はい。あの」

「予想よりずいぶん早かったが、知らせは受けとるよ」


 知らせというのはジギスムントが言っていた鷹のことだろう。やけに手回しがいいようにも感じる。破望山脈に入るということは、それほどのことなのだろうか。


「ユリアン、案内しておあげ」


 老人が振り向いて声をかけると、後ろにいたらしい少年が進み出た。歳は十をすぎた頃か。薄い金色の巻き毛に、透き通る美味しそうな青い瞳を持った、美しい少年だった。街に出ればご婦人方に人気が出そうだ。


 この辺りの人はみな色が薄い。老人も頭は既に真っ白だが、瞳は薄い灰色だ。肌も日に焼けているが小麦色にはほど遠く、若干赤みがかっている。ヴォルフスブルクでも薄茶や金髪の人間が多かった。そういう人種なのだろう。カミルは黒髪に黒目、肌も浅黒く、このエーデルシュタイン辺境伯領では非常に珍しい色彩をしている。一時、南のほうの戦場にいた頃は見かけたこともあったので、もともとはそちらの出なのだろうと思っている。


 カミルには故郷がなかった。敢えて言うなら、それは戦場だった。父も母も、故郷について語ったことは一度もない。


「あの、私は構わないんですが、確かめたりしなくてもいいんですか?」

「この村にわざわざ旅人が立ち寄ることはない。街道から外れとるしな。来るのは山に用があるお人だけだ。そういうのは全部知らせが来る」

 老人はそのまま背を向ける。周囲の人影も興味をなくしたように散ってしまった。村に人が来るのは珍しいことだが、その人物が抱いている目的は珍しくもなんともないのだ。


 ユリアンと呼ばれた少年について歩き出す。巻き毛が木漏れ日に映え、跳ねるような足取りに合わせてふわふわと揺れている。途中で拾い上げた木の枝を振り回しながらちらちらと後ろを気にするようなそぶりを見せるので、少し足を速めて少年に並んだ。


 ユリアンは眩しそうにカミルを見上げてきた。

「おっさん、強いんだろ」

「……確かに私はもうおっさんですが初対面の年長者に対してその態度はどうなんでしょう」

「別にいいだろ。傭兵なんて荒くればっかりじゃないか」


 容姿からもっと大人しそうな性格を予想していたのだが、全然違ったらしい。年齢にふさわしいくそ生意気な言動は微笑ましいくらいだ。


「まあそれは否定しませんが」

「んで、強いんだろ」

「なんでそう思うんです」

「だってひとりで山に入るんだろ」

「森番の方と一緒ですよ」

「フェリシアの父ちゃんがやってたときだって、来る奴は四人とか五人とかでまとまってたぞ。フェリシアは戦えないっていうし、そんならやっぱりおっさん強いんだろ」


 聞き捨てならない言葉を聞いた。その名前はどう聞いても男ではありえない。森番という言葉から勝手に中年くらいの小柄な男性を想像していたのだが。

「……待ってください、森番の方というのは女性なんですか?」

「そうだよ。フェリシアが男に見えたらおかしいぞ。だってすっげーおっぱいでかいんだ」


 そんな余計な情報は知りたくなかった。

 いや、カミルだってないよりはあったほうが好きだ。大きければ大きいほどいいとまでは言わないが、柔らかくて弾力があって揉んだときに指が埋まりそうなくらいの大きさとか堪らなく好きだ。だからといってそれを知らされてどうしろというのだ。


「うちの母ちゃんよりでかいんだぜ」

 だからそんな情報は知りたくなかった。

 黙り込んだカミルに何かを勘違いしたのか、ユリアンはニシシと悪戯っぽく笑った。



 ユリアンと他愛もない話を続けながら森を進む。どちらかと言えばユリアンが一方的に喋ってカミルは相づちを打つだけだ。わずかな時間で持っている相づちの種類を一通り使い切ってしまった気がする。


 森の木々はすらりとした白樺や松が多く、森の中といえどかなり明るい。下草も苔などが地表を這う程度なので子供の足でも歩きやすそうだ。もっともこの少年なら鬱蒼と茂った草木の間でも平然と駆け回りそうな気がする。黙っていれば薄幸の美少年といっても通りそうなのに、物怖じしない態度といい心根はどう見てもガキ大将のそれである。どうやら彼はフェリシアという森番に淡い想いを抱いているようだ。胸の大きさについてはともかくとして、先ほどから話の半分以上が彼女の話題だ。おかげで出会う前から、髪がたっぷりしていることだとか目が大きいことだとかそばかすがなくて肌が綺麗なことだとか、容姿に関する情報は一通り仕入れてしまった。


 このくらいの歳の少年というのはこんなにも女性に興味を持っただろうか。少なくともカミルが十の頃は、関心があるといえば、装備をいつ新調するかということと、効率のいい人の殺し方についてだった。周囲は皆大人だったから艶めいた下世話な話題には事欠かなかったが、さすがに十の子供がその話し相手に選ばれることはなかった。


 森の木々の合間に丸太で組まれた平屋の建物が見えてきた。急勾配の切妻屋根と入り口の扉の前に広いテラスを持った家だ。建物自体は地面より数段高くなっていて、軒はテラス全体を覆うほどに深く、南からの日差しを程よく遮っている。鎧戸の開けられた窓に生成り地のカーテンがはためいていたり、軒下に渡された紐には洗濯物と共に茸が吊るされてあったりして、しっかりとここで生きているという感じがした。


「いらっしゃいませ」


 テラスに人がいると気付いたのは、出入り口へと続く短い階段の前に立った時だ。しかも声を掛けられるまで気付かなかった。扉は開閉していないからずっとテラスにいたのだろうが、まったく気配を感じなかった。


「フェリシア、お客さん」

「はい、ユリアンいらっしゃい。お客様も、いらっしゃいませ」


 少年の言葉通りの容貌をした女性がそこに立っていた。少女と呼ばれる時期の終わりごろ、二十手前くらいの年齢に見える。緑色の大きな瞳、うっすら日焼けした健康的で滑らかな肌。亜麻色の豊かな髪を一本の太い三つ編みにして左肩から前へ流している。どこかで見たことがあるような気がしたが思い出せない。特に緑色の瞳は非常に印象的だ。


 問題は首から下で、ゆったりとした丈の長い上着の上からでもはっきりわかるほどに、その双丘は盛り上がっていた。身動きをするたびにたゆんと揺れる。テラスに立っていてさえカミルよりわずかに目線が上にある程度だから、背はかなり低めだが、顔立ちはすっかり大人の女性のそれであり、口元にある小さなほくろも相俟ってなんとも言いがたい色気を感じさせる。

 これはいけない。服の下を想像したくなってしまう。身体の線は衣服のおかげで見えないが手首の細さでなんとなく予想できる。


 とても、美味しそうだ(・・・・・・)


 浮かんだ思いは即座に打ち消した。


「傭兵組合から紹介されてまいりました、カミルと申します」

「カミルさまですね。森番のフェリシアです」


 フェリシアはゆったりと微笑んで歩み寄ってきた。階段を二段ほど下ると腰を折り、ユリアンに陶器の瓶を差し出す。

「ユリアン、たぶん今日には山に入るから、村長にそう伝えて。いつも通り五日戻らなければ領主館にお使いをお願いって。あとこれ、苔桃のジャムね。お母さんに渡してね」

「わかった、じゃーねー!」


 フェリシアに手渡された瓶を手に、もう片方の手をぶんぶん振りながらユリアンは来た道を戻っていく。見送っているとその背がぴたりと動きを止め、ゆっくり振り向いた。綺麗な顔を台無しにするようなニヤニヤとした笑みを張り付けて、とても意地が悪い。


「そうだ、フェリシア! そのおっさんもでっかいおっぱい好きだってー!」

「はあ!?」

「ちょ、何言ってるの! 失礼でしょ!」

「あははははは。だってさっきからずっとフェリシアのおっぱい見てるじゃんかー!」

 少年はとんでもない爆弾をさくっと落とし、笑いながらつむじ風のように去っていった。


「も、もう……すみません、何か他に失礼なことを言われませんでしたか? あの子いたずらっ子で……」

「い、いえ、こちらこそ、失礼を……」


 否定できない。ユリアンの言うことを、まったくもって否定できない。先ほどからカミルの視線はどうにも定まらなかった。顔だけを見ていればいいのかもしれないが、フェリシアのほうが明らかに背が低く見下ろす形になってどうしても胸が目に入る。しかも一度見てしまうと今度は外すのが惜しくなる。結果的に明後日の方に向けるしかない。


「え、ええと、とりあえずこちらにどうぞ」

 フェリシアは赤い顔のまま強引に話題を変えると、テラスに据え付けられたベンチを指してカミルを招いた。


「お茶をお入れしましょうか?」

「いえ、お構いなく」

 一度背中の荷物を降ろしてベンチに座る。フェリシアがその横にちょこんと腰掛けた。隣り合ったことで視線が胸からはずれ、正直助かったと思う。


「月光草をご所望と伺っています。山は初めてでいらっしゃいますよね」

「そうですね。ここは初めてです」

「月光草があるのは二ノ峰です。この森を北へ抜けて登り口から一ノ峰に入り、寄り道をしなければ、今から出ても日が暮れる頃にはなんとか二ノ峰手前までいけるでしょう。そこで野営をして、翌朝二ノ峰へ登ります。今夜村で過ごして翌朝から登り始めたとしても、結局は一ノ峰で野営することになります。二ノ峰で夜を明かすことはできませんので」


 夜を明かすという言葉に、カミルは思わず喉を鳴らしそうになって咳払いで誤魔化した。フェリシアは大切なことを話しているのだから、しっかりと聞かなくては。山に入るのは自分の都合なのだ。まだ先ほどの動揺から立ち直れていない。求めていた月光草が手に入りそうだというのに、何故こんな些細なことに惑うのか。


「それだけ二ノ峰が危険ということですか」

「そうですね。一ノ峰までは、まだかろうじて人の領域と言えるでしょう。でも二ノ峰は違います。あそこはもう魔性の土地、歩き回ることはできなくないですが、留まることはできません」

「わかりました。ではもしフェリシアさんの準備がよろしければ、今から出発をお願いします」

「はい、すぐに用意しますね」


 フェリシアが立ち上がり洗濯物を回収して家の中へ入っていく。下がっていたのはただの敷布で、下着などでなくてよかったとカミルは大きく息を吐いた。



 フェリシアの、緑色の宝玉のような瞳の、きらきらとした輝きがなんともよろしくない。

 唇もふっくらとしていて艶々で、本当にこれはよろしくない。

 とても美味しそうで。

 自分が抑えられなくなりそうで。


 ぞわりと、内側がざわめいた。

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