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聖徳太子の地球儀 

日本にもオーパーツは存在した。

兵庫県揖保郡の斑鳩寺いかるがてらに伝わる、聖徳太子が作ったとされる地球儀である。

この寺は推古14年(西暦606年)に聖徳太子によって建てられたといわれる寺で、太子ゆかりの品が数多く所蔵されている。

これらの所蔵品は、「常什物帳」という目録の中に聖徳太子ゆかりの宝物と並び「地中石」と記載されていることから、聖徳太子が作ったとされる地球儀。


大きさはソフトボールくらいで、家の壁を作るのに使われていた粘土状の土で作られている。

この地球儀には日本、ユーラシア、アフリカさらに南北アメリカ大陸が刻まれており、なんと、南極大陸まで刻まれているのだ。

当時、聖徳太子の時代は飛鳥時代、勿論南極大陸は発見されていなかった。

また、この地球儀にはムー大陸まで刻まれているそうです。

なんとも不思議な地球儀。

本当のオーパーツは日本にあったのか!



この地球儀は本当に聖徳太子が作ったものなのか?

コベルコ科学研究所で地球儀の年代を特定するために鑑定した。

分析の結果、炭酸カルシウムの結晶である「カルサイト」と、「スサ」と呼ばれる繊維質が発見された。

このことから、地球儀が「漆喰」という方法で作られたものと解かった。

漆喰とは、石灰岩を粉にしたものに水と糊を混ぜ粘土状にしたもので、古くから家の壁を作る建材として使われている。さらに、漆喰に使用されている糊の成分を分析したところ、江戸時代に使われ始めた海藻糊が検出された。

この結果、この謎の地球儀は聖徳太子が作ったものではなく、江戸時代以降に作られ、斑鳩寺に持ち込まれたものだと推測できる。

この地球儀が江戸時代に作られたものなのだ。これもオーパーツではなかった。



では、この地球儀は誰が作ったものなのか?

石灰や海藻糊は薬として使用されていたことから、医者が作った可能性が高いという。

さらに、地球儀の表面に残されている地名とおぼしき謎の文字に注目した。

南極と思われる部分に書かれた文字、1文字目は「墨」、2文字目は「瓦」、3文字目は古代中国の仏教の教典に見られる「」という文字。そして、4文字目5文字目は消えかかっていたが、「さんずい」「ちから」の部首を使用し、合計5文字で構成されているという。そこで、この事実をもとに謎の文字を調査したところ、「墨瓦臘泥加メガラニカ」と書かれていることが判明した。

墨瓦臘泥加メガラニカとは、古代ギリシャ時代に「南半球には巨大な未知なる大陸が存在する」といわれた架空の大陸を意味する。

名前の由来は、世界一周を成し遂げたマゼランのスペイン語名から名付けられた。日本には1592年以降、ポルトガルの宣教師により伝えられたという。

江戸時代の医者、「墨瓦臘泥加メガラニカ」という文字の書かれた地図に関わりのある人物で、寺島良安という人物が浮かび上がった。

江戸期に活躍した大阪の医者で、日本初の百科辞典「和漢三才図会」を編纂した人物。

その「和漢三才図会」の中に「山海興地図」という地球の絵を載せている。

「山海興地図」と斑鳩寺の地球儀は墨瓦臘泥加メガラニカを始めとする様々な大陸の位置が一致していた。

謎の地球儀は江戸時代の医者寺島良安によって作られ、何かしらの理由で斑鳩寺に献上された為、いつしか「聖徳太子の地球儀」と解釈されるようになったのだ。



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