カブレラ・ストーン
1961年、それは南米ペルーのアンデス地方にとって数十年ぶりの大豪雨だった。
突然の大奔流となったイカ川はオクカヘ砂漠の砂を海へと押し流し、それとともに深い地層から奇妙な絵が彫りこまれた石が発見された。
この石の奇妙なところは、南米では生息するはずのない動植物や、今から6500万年前に絶滅したとされている恐竜の絵が描かれていたことだ。
また天文学の知識がなければ描くことができない絵や、心臓移植などの外科手術、大陸が分裂し移動している絵など、高度な文明を持っていたことを示唆する石も見つかっている。
この石を1万1000個も収集し、私設博物館まで作ったジャンヴィエル・カブレラ・ダルケア博士(「カブレラ・ストーン」は彼の名にちなんでいる)が1967年6月、マウリシオ・ホッホシルト鉱業会社に石の分析を依頼しており、同社随一の地質学者エリック・ウルフ博士に分析を依頼した結果、1万2000年以上前という鑑定結果が出た。
結果に驚いたのはウルフ博士自身だ。彼はカブレラ・ストーンを、ボン大学鉱物学・岩石学研究所のヨーゼフ・フレッヒェン教授に送ると、自分の鑑定とは別に、彼にも鑑定をしてもらった。
結果はやはり驚くべきものだった。ここでも少なくとも1万2000年以上前という鑑定結果が出たのだ!
カブレラ・ストーンは間違いなく正真正銘のオーパーツなのかもしれない。
1万2000年前に高度の文明を持つ人類がいて、恐竜とも同じ時代にいたと証明している、不思議なカブレラ・ストーン。
本当に1万2000年前の鑑定は正しいのだろうか?
2年程前だったろうか、「神の手を持つ男」と言われた考古学者が、朝早く発掘先で土偶を埋めて話題になった事件を知っているだろうか!
彼は自分が発見したように細工していたのだ。
この事件で日本史の教科書を変えなければならないほどになった。
土偶や石のような「無機物」は年代測定ではおなじみの「炭素14法」は使えない。
こんな事が普通考えられないが、出てきた石の年代鑑定するのは非常に難しく、大抵はその周りの地層で判断するのだ。
その年代の地層の中から出てきたものは、その年代と判断するのだ。
神の手を持つ男もこのことを利用したのだ。
カブレラ・ストーンの年代測定は一体どういう方法で行われたのだろうか?
実際に用いられた方法は、「石の表面を覆う酸化層を分析する」という方法だった。
しかしこの分析法には大きな欠点がある。
発掘された現場の状況や、地層の状態、発掘されてからの保存状況など、詳しいことが分からなければ正確な年代測定は不可能なのだ。
この鑑定法では、石を火の中で焼くことで古い年代を出すことが可能である。
なんか怪しくなってきた。
もっと調べる必要がありそうだ。
1977年、イギリスのBBCテレビでドキュメンタリー番組が制作された。
この番組ではカブレラ・ストーンの真相を探り、ある1人の農民を見つけた。
彼の名前はバジリオ・ウチュヤだ。
バジリオ・ウチュヤは妻のイルマ・グチエレス・デ・アパルカナと共謀して、カブレラ・ストーンのニセモノを作ったと告白したのだ。
ウチュヤによれば、石は歯医者が使うドリルを使って削っていたという。また色は靴墨を使って黒くし、ロバや牛の糞の中で焼くことで古色蒼然とした古い外観に見せかけていたという。
そして、この糞の中でカブレラ・ストーンを燃やすカマドも発見された。
BBCテレビのスタッフがカブレラ・ストーンを貰って帰り、ロンドンの地質科学研究所で詳しい調査をしてもらったところ、彫刻の切り口がシャープすぎて、古いものなら当然あるはずの磨耗の類が無いこと、古びて見せる為に着色をした跡が見つかったことなどから、「比較的最近作られた偽造品である」との鑑定結果を出している。
これもオーパーツではなかった。
しかし、気になる話しがある。
ウチュヤは盗掘の疑いをかけられ警察の取調べを受けたことになった時、カブレラ博士とは石を売り買いする仲だったウチュヤは、カブレラ博士のところに相談に行った。
相談を受けた博士は、「以後のこともあるので、自分のところへ持ち込んでいる石は、あなた自身が彫った偽物だということにしてはどうか」提案した。
ウチュヤはその案を受け入れたが、偽物で押し通すには、彼自身がそれを作る技術を身につける必要があった。それが、ウチュヤが偽物作りを手がけるキッカケになったのだという。そしてその後、ニセモノ作りが金になることを知ったウチュヤは、発掘の合間に副業に精を出すようになっていったという。
だがウチュヤは、継続的に買い求めてくれるカブレラ博士だけには、オクカヘ砂漠から探し出した本物を渡し、ニセモノを渡すことはなかったというのだ。
この話は事実なのか分らないが、カブレラ博士の所有する1000個のカブレラ・ストーンの中には本物があるのかもしれない。