主人公補正対応係の企み
この世界には俗に主人公と云われる、特別な補正を持った者たちがいる。
そしてこのスファーレスト学園にはその主人公補正の少年少女たちが入学し、生活していた。
例えば、中庭で遊んでいる金髪の幼子。彼には魔王といわれる存在を討伐する勇者の補正がかかっている。
その少年と一緒に遊んでいる黒髪の子は、逆に魔物を統制する魔王の補正。
一人黙々と剣の稽古をしている少年は、大きな戦争か革命の功績で一国を治める英雄補正。
もちろん、そんなたいそうな補正を持った人間がたくさんいたら世界はままならない。どちらかというと日常の延長で主人公となる子たちの方が多いだろう。
中庭沿いの図書室で本を読んでいる少女は行く先々で事件に巻き込まれる名探偵補正。
端っこでうじうじしている男の子は、高等科に進む頃に様々なタイプの女子に好かれるハーレム補正。
花壇の花を愛でている女の子は街の片隅で小さな店を開き、そこで素敵な人と出会い困難を共に超えていく純愛補正。
「……あなたたち、廊下は走らない」
「わ、リコスさん!」
「ごめんなさい! 気を付けます!」
今私が声をかけた少女五人組は、近いうち喋るぬいぐるみに何かを渡され、変身して悪と戦うグループになるだろう。
主人公補正というものはある程度大人になればほとんどの者が認識する。その中で一握りの人たちがより詳しい状態を、個人レベルの補正を知る。私もその中の一人だ。
この学園は過去のその中の一人が主人公補正たちを守るために作った代物である。
世の中には主人公補正がいるとわかればそれを利用しようという人が現れる。魔王や勇者などがわかりやすい例だろう。世界を征服出来るほどの力、そしてそれを越え滅することが出来る力。裏では戦争、領土拡大が大好きな各国のトップが欲しがらないはずがない。
そのために学園創立者は子供たちを守る、どの国からも干渉されない、また危険度の高い補正を制御することを目的とした独立教育機関を作った。それがこのスファーレスト学園だ。
この学園の凄いところと言えば、彼があまりにも独立したがって執念で作り上げた空中移動型学園であること。つまり空に浮いている。学園は魔導機を使い、広い空を自由に飛び回る。たまに魔術で―移動―したりとずいぶんはっちゃけたこともしている。
どこにいるのかは操縦室の地図と学園内に流れる魔導掲示板に表示されるので中にいる人には問題は少ない。だが外にいる保護者方は心配しかしないだろう。本当に子どもたちのことしか考えていない学園だ。でもまあおかげで私は助かっているが。
そして私はそんな学園に主人公補正対応係、略して“主補対係”として勤めている。理由は簡単、ある程度の安心安全が確保されているから。その中に入るにはある試験を受ける必要がある。私はそれに合格できたため、ありがたく安定した地位で働いているのだ。
とまあ前説はここまでにして。
私はお弁当の蓋を開けた。仕事が立て込み昼食の時間を逃してしまったからだ。
今の時間帯は初等科の放課後が始まり、ほかの科は午後の中休みの頃。適度に食事を得たい私としてはかなりの痛手だ。
「いっただっきまー」
「あの、リコスさんですか? 事務の」
鈴のような可愛らしい声が私の食事を邪魔した。視線をずらせば目元が隠れそうな前髪の少女が立っていた。地味めの子だが、なんとなく守りたいオーラが出ている。うん、妹にしたい。食事のことは水に流そう。
ちなみに私の職業は表向きただの事務員なので彼女の言っていることは正しい。普段の仕事内容も主人公補正に問題がなければ雑用である。
「そうだけど。あなたは?」
「え、あ。わ、わたしシエルと言います。この前ここに転入してきたばかりで。……そのリコスさんに聞きたいことが」
「うん? 何が聞きたいの?」
問い返しなががら脳内生徒名簿を検索する。シエルシエル、ああ、教頭先生が言っていた新しい主人公補正の子か。たしか乙ゲー補正、ハーレムの女の子バージョン。“ゲー”が何を示すのかは知らないけど。だって神様が決めたことだもの。
質問内容をパターンから推測すると「誰々が気になるんですが、どうすればいいですか?」か。主補対係は大体アドバイスをくれる脇役として彼らの人生に参加している。
シエルは少し黙り込んでから、意を決したように言った。そしてそれは私の推測に当たらずとも遠からずな内容だった。
「リコスさんが剣術のラウレル先生と付き合っているって本当ですか!?」
わーお、今回のターゲットは隠しキャラの先生ですか。しかも彼ですか。色々面倒ですよ、彼。
いきなりそのキャラを引き当てるとは、中々の主人公補正。俄然興味が湧いてきたー。
「この前授業に参加したときから、あの方を見ると胸がどきどきしてしまうのです。でも、噂ではリコスさんとお付き合いなさっているって。それが本当ならわたしは潔く諦めようと思います。お二人の幸せを壊すことは出来ませんし」
なんて良い子なのだろうか。悪く言えば弱腰だが、相手のことを想いその幸せを願うのも難しいこと。私はこの子の恋を応援しようと直感的に思った。
「それなら大丈夫よ。最近会ってないし、会ったとしてもよそよそしいしね。そろそろ終わりかなって思ってたの。私には未練はないし、あなたの恋、応援するわ」
「え、本当ですか!?」
驚いた表情をするシエル。しかしすぐ顔を赤くして照れてしまった。こんな子の対応が出来るとは喜ばしいことだ。
次の授業の予鈴が鳴り、真っ赤な顔で「ありがとうございます」を言ってシエルは教室に戻って行った。
昼食を食べながらどう相手に別れ話を切り出そうかと考えていると、丁度良く彼のメモを持った郵便配達の猫――魔術が担当教科の先生が造った魔法生物であり、身軽かつ、知能が賢いのでこうやって仕事を与えられている――がやって来た。
メモに書かれているのは『今夜会いたい』とのデートの誘い。ナイスタイミング。
今日のラウレルはどこか違っていた。いつもはぼさぼさである金茶の髪は丁寧に撫でつけられ、服装もフォーマルに近い。素が美形であるから、それだけ変えただけで多くの女性が振り返る。何ともいえない思いだ。
そんなラウレルに連れて来られたのは学園が羽休めをしていた場所に近い街のレストランだ。落ち着いた内装で上品さが醸し出されている。どうも彼はフルコースを予約をしていたらしく、オーガニック野菜とサーモンのマリネ、ジャガイモのポタージュと食べ終わるごとに次の料理が出て来た。
話をするか、前にある料理を食べるかの二択なら即答で後者を取る私は何も考えず食べる。ラウレルもそのことは知っているのであまり話しかけてはこない。しかし今日は妙に静かだったな。
デザートまで食べ終わり食後のコーヒーを堪能している頃、満足した私は今日話すべきこと口にした。
「えっと」
「なあ」
私とラウレルの声が重なった。
「先どうぞ?」
「いや、お前が先で良い」
あれ? 身だしなみだけでなく考え方もいつもと違うのか。普段なら自分から先に言うのに。体調でも悪いのかな。
「そう? ならお言葉に甘えて。本日付であなたと別れようと思う」
「………………………………は?」
「ほら、最近あんまり会わなかったし、会ってもよそよそしいからそろそろ終わりかなと。それに仕事の用事も入ったから、良い時期なのかなって?」
男にしては長めの髪によってラウレルの表情は隠れている。女から振っちゃったからプライドを傷つけてしまった、とかそんなことないよね。
「んじゃそういうことで。こんな話しちゃったから一緒に帰るわけ行かないよね。お代ここ置いとくから先に帰るね」
「なっ!? ちょ、お前待て!!」
「それじゃあ、バイバイ?」
なんか急に元気良くなったラウレルと食事代を置いて私は外に出た。そして走る。
本当はちょっと寂しい。結構好きだったから。でも相手の心が離れ始めたのに付きまとうのは嫌だし、仕事を放ることもしたくない。これが最良の結果だ。
幸せのとき間を思い出しながら、私は闇夜を駆ける。途中大量発生したモンスターを見かけたので殲滅した。
学校に着く頃には涙も乾いていた。
「おはようございまーす」
私は元気よく事務室のドアを開けた。過去は引きずらない性格になろうとしている。
「リコスちゃんか。おはよう」
事務室最年長のおじさんが挨拶を返してくれた。ここでは私が一番年下なので早く来なくてはいけないという強迫概念があるが、私はこの方より前に事務室に着いたことがない。その上おじさんはすでに部屋や外回りの掃除も終えていて、和やかにお茶を飲んでいる。
「すみません。いつもお掃除してもらっちゃって」
「いいんじゃいいんじゃ、年寄りは無駄に早起き。それにいつも残業なしで帰らせてもらっているから、朝ぐらいは仕事をさせてくれ」
穏やかに話すおじさんに頭を下げ、私は今日の予定を確認した。
今日は再来週学園外で開かれる野外授業に関する会議と資料の提出期限がある。
この学園では基本的な座学に加え、各自剣術や魔術、薬学、調理学などを選んで履修する。課外授業ではその選択教科の内容を外で学ぶことになっていた。剣や魔術などは野生モンスターとの実践。薬や調理などは外の名講師に講座を開いてもらう、とか。
この日は学園から子供や教師が一人もいなくなるから、事務員は見回りやなんやらで忙しいのだ。子供たちの楽しそうな表情を見ていればそんな忙しさも忘れられるけど。
「おはようございます!! あ、リコス! お前昨日のこと本当か!?」
当日の事務員の動きを確認していると、同僚のガトーが入って来た。短髪で体格が良く、よく戦術系の教師と間違われる彼はれっきとした事務員であり私と同じ主補対係の人間だ。そして彼はラウレルの親友でもある。付き合っていた頃からいつも私たちの最新情報を得てからかってくる奴なのだが、もうすでに昨夜のことが出回っているのか。
「お前なんて酷なことを! あいつはな」
「もう終わったことだから。それより、あなたが提出したこの内容、随分あなたの休み時間が多いみたいだから五割増しで仕事入れておいたよ」
「え、ばれた。いやいや何のことだ? それよりもお前、五割って」
「早く行かないと怒られるので早速いってきまーす」
縋り付くガトーを撒き、私は第一職員室の野外授業担当の先生に見回りの割り振り表を渡した。先生は手早く表を見るとOKを出してくれた。生徒教師のものは真剣に見るが事務員のは甘いので誤魔化すのは楽である。
野外で選択している科目の授業。シエルが選択しているのは間違いなく剣術だろう。ラウレルの授業を受けて彼に恋したのだから。つまり、この野外授業では二人が急接近するイベントが起こりうる。それを主補対係としては見届けなくてはいけない。別に野次馬なわけではない!
それにもし起こらなければ、起こせばいい。
しかしまずはシエルのより詳しい情報を得なければ。
この日から野外授業まで、私は昼間はシエルのデータ収集、夜は裏工作の準備を続けた。
全てはよい良い彼女の主人公人生のために。
それからデータ収集のおかげでシエルと仲良くなれた。美味しいお菓子を作って作ってくれるので嬉しい。
●○●○●○
「おーいラウレル、生きてるかー? お前が授業で失敗するなんて珍しいな」
ガトーは剣術の授業で怪我をしたというラウレルの元を訪れていた。怪我の状態は軽いが、精神の方はかなりやばいみたいだ。
「いっそのこと心臓か首にでも刺さればなぁ」
ははっと笑う表情には狂気さえ感じる。
「ま、まだチャンスはあるだろう。リコスは他に好きな奴が出来て別れようと言ったわけじゃないんだし」
「あのとき、先に譲らなければ。いつものようにわがまま言って押し通しとけば……」
いや、ぶつぶつとあの日から同じことを繰り返すその様子は、すでの狂気を通り越している。
(はあ。何でかなぁ。何で俺に預けるかな?)
そう思いながらガトーは手に持つ薬瓶を握りしめた。これは、今ラウレルをこのような状態にした要因でもある主人公補正の少女が彼のために作った物。本当は少女がリコスに「自分の代わりに渡してくれ」と言って預けた物だ。それをリコスは、私が渡すと色々面倒だからとたまたま近くにいたガトーに預けたのだ。
この狂い始めた男に、ある意味恋敵からの物を渡せと? ただの自殺行為でしかない。
しかし渡さないという選択も出来ない。主人公補正をサポートする主補対係という肩書がガトーの意思を邪魔をする。
心を決めガトーは薬瓶をラウレルの前に出した。
「……これ、リコスから預かったんだが」
「!!」
嘘は言ってない。少し言葉が足りないだけだ。
ラウレルはリコスから預かったという言葉を聞くと、ぎろっと目を動かしガトーの手の中にある薬瓶を見た。
「嘘を吐くな。あいつの薬はほとんど無味無臭。いかにも薬草をすりつぶしましたという色はしていない」
緑の液体が入った薬瓶を一瞥だけしてラウレルは視線を外した。
「ああ、どうしてくれるんだよあの転入生。あいつのせいで俺の人生計画が……」
ラウレルはそのままベッドに倒れ込んだ。日頃のストレスと怪我を治癒させた魔術の副作用か、しばらくすると寝息が聞こえた。怪我をしたのが今日最後の授業だったのでこのまま寝かせておこうとガトーは決めた。わざわざ起こして狂気の愚痴を聞く気はない。
持って帰るわけにもいかず薬瓶を机の上に置いたとき、ガトー机の端に四角い高そうな小箱を見つけた。
「はあ……、まさかプロポーズする直前に振られるとか」
そう言い部屋を出たガトーは、頭を掻きながら事務室へと戻った。
●○●○●○
野外授業当日、私は午前中だけの見回りを完璧にこなすと、目立たない服に着替え学園の外に出た。
学園の中心部にある昇降口には見張りの警備兵がいるので、外縁から飛び降りた。学園は羽休めでも地面から浮いているが、それほどまで高いわけではなく難なく着地出来る。
そこで十分ほど微動だにせず周りの様子を探る。昇降口の警備兵も、学園内の人間も騒ぎ立ててはいない。
太陽と時刻から方角を割り出し、走り出した。どこでどの授業をやっているのかは全て記憶している。剣術は学園から北東に数キロ、比較的弱いモンスターの大量発生が確認された北の森近くの平原にいるはずだ。
草原を走り抜け目的地に着くと、モンスターと戦う生徒たちが見えた。
「そこ、脇が甘い! 気を抜くな!」
指揮をしているのは最近調子の悪いラウレルの補佐に入っていた壮年の男グリタル。この前腰が痛くて仕方ないと言っていたが大丈夫なのだろうか。
ラウレルといえば、端の方で初めての実戦で動きの悪い生徒のヘルプに入っている。気迫のない構え方だが実力があるので心配はない。
が、あの男はシエルから遠い位置にいる。確かにシエルの剣の腕はまあまあ良いのでヘルプに入る必要はないが、だとしても遠すぎると思う。意図的に離れているのか。
折角戦闘中になんとなく意中の相手と近付ける方法を彼女に教えたのにこれでは意味がない。
「仕方ない。プランBか」
私は懐から犬笛を取出し、人間の耳には聞こえない音を奏でた。夜間、学園を抜け出して肉を持って通い続けることで友達になった彼らを呼ぶために。
――――ウォォォォォォォォォォオオオオ!!!!!!
数分後、気高い遠吠えと共に彼らは現れた。灰色がかった豊かな毛並みに、均等の取れた身体。彼らの鋭き歯と爪がモンスターと戦っている生徒たちに襲い掛かった。
「オネットルー!? 何故ここに」
グリタルの声に緊張が走る。“オネットルー”、彼らは狼に似た姿を持つモンスターだ。高度な知性を持ち、気難しいが仲良くなれば誠実に付き合ってくれる中々友好的なモンスターである。もちろんモンスターなので敵と判断されれば容赦なく殺しにかかってくるが。
しかし今回は敵と認め生徒たちに襲い掛かっているわけではない。私の策を成功させるために協力してもらっているのだ。彼らに与えた十万ジェルム分の肉と彼らの縄張りを圧迫していた多種族のモンスターや山賊の討伐。それらの報酬として友情と作戦協力を得た。
協力内容は「生徒たちに酷い危害を与えることなく場を乱すこと。さらにもし出来ればシエルとラウレルの二人を一緒に追い込むこと」。
彼らは本当に素晴らしい。内容通りに動いてくれている。彼らにも生徒たちにも酷い怪我はない。終わった後、最高級肉を差し入れに行こう。
彼らの動きにより、離れていたシエルとラウレルの距離は縮まった。二人は背を合わせ共闘している。ラウレルは教師としての義務感かシエルを庇い、シエルはそうして増えた傷を魔術で回復させている。
彼女には回復魔法の適性があったので教えてあげたのだ。覚えれば誰かが怪我をしたときに手当てを出来ると喜んでいた。どこまで良い子なのか。
とまあ、こんな風に傍から見た二人の関係は良さそうだ。これにプラスして今の状態にちょっと脚色した噂を学園内に流せば外堀が埋まってくだろう。あとは流れに身を任せるんだ。
頃合いを見て、私は再度犬笛を吹いた。これは撤退の合図である。
それを聞いたオネットルーたちはそれぞれ戦闘を離脱して森へと撤退し始めた。生徒たちは教師の指示のもと深追いせず、各自の状態を見る。大した怪我がないと分かると安堵したように数人が座り込んだ。そのほとんどが初実践の子。かなり怖がらせてしまった。お詫びとしてあとで彼らにお菓子をあげようか。
さて、帰ろうかと踵を返すとどこからか視線を感じた。新たなモンスターかと思い辺りを見回した。
そして、ラウレルと目が合った。
彼は私の存在を認めるとニタリと笑った。しかし目は笑っていない。先ほどの襲来は私が糸を引いていたと理解したらしい。
そういえば彼には犬笛が聞こえるんだった! 何たる失態。主補対係として特定関係者以外に見つかるなど言語道断だ。しかも自分の凡ミスで!
「……取り敢えず逃げるか」
そう呟き走ろうとしたそのとき、少し遠くで不吉な羽音がした。
「きゃあぁぁぁぁ!?」
一瞬で近付いた何かの強風に耐えようと体勢を低くしたとき、シエルの悲鳴が辺りに響き渡った。
「今度はワイバーンか。全く何て日だ」
グリタルが心底面倒くさそうに言った。いや生徒が捕まっているときに言うセリフではないだろう。言葉の割にちゃんとシエルを取り戻すため剣を向けていなければ、私はあとでその首を取りに行くだろう。
しかし今回首を、それより腹を切らなくてはいけないのは私の方だ。ワイバーンの右翼、その付け根にとある帝国の紋章が焼き付けられている。あのワイバーンは、私が呼び寄せてしまったものと言えた。
ワイバーンはグリタルやラウレル、実戦経験のある生徒たちからの攻撃を軽く受け流すと、シエルを掴んだまま悠々と北へ飛んで行った。シエルは幸い気絶してしまったようで大人しく、あれなら落とされる心配はないだろう。
「どうする? 生徒を連れたまま追いかけることは出来んぞ」
「俺が行きます。グリタル師は生徒を連れて学園に戻って下さい。近くにいたのに彼女が捕まってしまったのは俺の責任です。それにぎりぎり―捕捉―をかけられたので、俺が追い駆けた方が効率的です」
教師たちの会話に耳を傾けながら私は過去の記憶を引き出す。あの方角には、森を越えたその先の岩山に帝国の隠れ砦があったはずだ。ここから隠れ砦まで夕方には着くだろう。丁度いい頃合いだ。
「私の、主補対係の生徒に手を出すとどうなるのか、その身を持って知ってもらおうか」
私は地面を蹴った。
太陽が地平線へ落ちた頃、私は隠れ砦に潜入し詰めていた帝国兵を屠った。短剣の血を振り払いながら先を急ぐと、奥にある広大な空洞に辿り着いた。空洞には上から牢が釣り下がっており、その中にシエルがいる。
「シエ――」
「やっと来たな、リコス!! これで」
「――ルちゃん、今助けるから待っててね」
空中牢でうずくまるシエルに声をかけようとすると、頭の悪そうな声が遮った。だが興味はない。
私は壁を使い三角跳びをし、その空中牢へと移った。
足場を確保すると私はかけられた鍵を見た。数世代前のレトロな鍵、これなら時間をかけずに開けられる。
「リコスさん!? そ、その腕の血は……早く治療しないと」
「大丈夫。全部返り血だから。本当なら全部避けたかったんだけど、そんなことに神経擦り減らしたくなかったし」
「え? え!?」
話している間も手を動かし鍵を開ける。そして混乱しているシエルを抱きかかえて、下に飛び降りた。
着地すると同時にまた頭の悪そうな声が声をかけてきた。
「貴様らッ。誰もいないように無視しやがって!」
そこでやっと私は頭の悪そうな声に振り返った。奥の舞台のような岩の上、そこにセンスの悪い制服を着た帝国兵がいた。一般兵の制服はまだマシな物だから、彼は少し上位の兵か。
「お知り合いですかリコスさん?」
その制服に哀れそうな視線を注ぎながらシエルが私に聞いてきた。
「うーあー、あの人個人は知らない」
「そうなんですか。じゃああの変なおじさ……方は?」
「よくぞ聞いてくれた! 我が名はフクス・ドゥム。誉れ高きシャルドネラ帝国の国軍第十九師団の師団長だ!」
わざわざ言い直してくれたシエルの言葉に、頭の悪そうな男フクスが声色高々に答えた。
「あれ? 国軍て十五師団までじゃなかったの? 増えた?」
「シャルドネラ帝国? そういえば学園に来るまでの旅路で、『領地拡大で人口が増えて、同時に使えない人も増えたからその人達用の師団を作った』と聞いた気がします」
可愛い顔してどすどすと毒矢を射るシエル。しかしフクスは聞いていないのか、それとも耳が遠いのか、何事もなく朗々と大げさな自慢話を話し続けた。
「確かに使えない人間だ」
とっとと取り押さえて学園に戻ろう。五分ほどその演説を聞いて、そう結論を出した。私は睡眠薬を塗ったナイフをフクスに投げつけた。しかし一応師団長を任せられている辺り腕はいいのか、長剣で弾かれてしまう。
「ふふ、弱いな。まさかこんな女がアレだとは。ところでそこの娘。お前の隣にいる奴がどんな人間だか知っているのか」
「わたしが通っている学園の事務員さんですが?」
こてんと首を傾げシエルは返した。さすが乙ゲー主人公補正か。フクスは若干挙動不審になった。
「……その女が学園の事務員だと! 面白い。お前に良いことを教えてやろうか」
体裁を整えフクスが私の方を見ながら問うた。彼の瞳が語るに、言う気は満々だ。止めても意味ないと思い私は欠伸をした。
制止の声が掛かるかと思っていたフクスは肩透かしを食らい、結局気を引くように大声で言った。
「その女は前皇帝の恩赦で第零師団に入団しながら、彼の君を裏切った者。軍から、国から逃げたんだぞ。それも大勢の兵を殺しながらな!」
「……リコスさん、本当のことですか?」
心配そうに私を振り返るシエルに私は力なく頷いた。いつかはばれることだが、あまりこの過去のことはシエルに教えたくなかった。
少し距離を取ろうとするシエルにフクスはほくそ笑んでいた。私から味方を減らそうとしているのだろう。まあ味方が減ったとしても私はここを切り抜けられる。安全な職場がなくなってしまうが、なんとかなるだろう。
「あ、でも好きで前皇帝陛下を裏切ったわけじゃないんだよ。あの方の馬鹿息子――今の皇帝に夜這いされて、身に危険を感じたから逃げ出しただけ。お蔭でラウレルに合うまで男性不信になったし。そのとき殺した相手だって馬鹿息子の息がかかった変態どもだし」
自分の名誉のために取り敢えず言っておいた。あの時のことは思い出せば今でも鳥肌が立つ。
私の目を見て嘘ではないと分かったのか、シエルは元の位置、私の横に戻ってきた。少し嬉しい。
「そんなことがあったのなら逃げ出すのは当たり前です!」
さらに私の援護までしてくれた。とても嬉しい。
逆にフクスは顔を真っ赤にして怒鳴った。
「そんなことを堂々と言う女のことを信じるだと!?」
「リコスさんは昼間から夜の営みについて教えてくる方です! だから信用できます!」
そんなことで信用されていいのか。確かにあまり躊躇はしなかったが、保健の授業は昼間にやるでしょ。夜やった方が怪しいよ。
フクスはまだ未体験なのか、さらに顔を赤くした。男のそんな表情はゲテモノだ。
「ああもういい! 要は貴様を生け捕りにし陛下の元に連れて行けばいいんだ!」
フクスが首に下げた竜笛を吹いた。空洞の上から黒いドラゴンが急降下してくる。それはシエルを攫った個体より一回り大きい。
「レッサードラゴン!? そんなものまで飼育しているんですか帝国は!!」
「まあ割と。領土が広いから騎竜部隊は重宝されるし、良い人材がいるし」
竜飼育師の主人公補正を持った人が帝国にはいたはずだ。しかしこの末端のような師団にレッサードラゴンを預けるとは。あの馬鹿息子は本物の馬鹿だ。
「わ、わたしは何をすればいいですか?」
「出来れば先に外に出ていてもらいたいけど、内部の敵を全員倒したわけじゃないから不安だしなぁ。そうね、巻き込まれないように端っこにいて」
「でもそれじゃリコスさん一人で」
「私は平気。それに一人の方が殺り易いの」
私の表情を見て無駄だと悟ったのかシエルは「ご武運を」と言って引き下がった。
「でも、もしもの時の回復は頼むね」
「はい!」
シエルの元気の良い返事を聞き、私はレッサードラゴンに向き直る。
余裕ぶっているフクスのせいか、レッサードラゴンは話が終わるまで律儀に待っていた。彼は今すぐ戦いたいというように口の中に炎を燻らせているのに。
その余裕をぶっ壊そう。
「行け! パトリオット!!」
フクス号令の元、飛び上ったレッサードラゴンから劫火の炎が放たれた。広範囲に渡るそれは端に寄っていたシエルまで届きそうだった。もちろん目の前にいた私などなす術もなく、
「元第零師団、そして現生徒思いな事務員を……甘く見ないで欲しい」
レッサードラゴンの片翼が落ちた。次にもう片翼が。
飛べる術を失い落下するレッサードラゴンを私は魔術で強化した脚力で蹴り飛ばす。レッサードラゴンは彼が自ら作り上げた炎の海へ落ちた。
レッサードラゴンが炎に身悶えた。彼の鱗が融ける。斬り落とされた翼の傷口から炎が内部を侵食する。
せめてもの救いを。私は着地する際に速度を殺さず地面を踏み切り、一気に前へと加速した。炎海を突っ切りレッサードラゴンの心臓に深く短剣を突き立てる。
レッサードラゴンは一瞬身体を硬直させ、そしてすぐ炎に包まれた。
「……あっつ」
「リコスさん!」
炎から抜ければ、シエルがすかさず回復魔術を掛けてくれた。良い回復役になれるよ。
「な、なんだと!? パトリオットがそんな、一瞬で」
「思ったけど、ネーミングセンスも悪い」
呆然とするフクスに私は近付いた。殺そうとまでは思わないが、生徒を誘拐した犯人として学園まで送らなくてはならない。
「いや、まだだ! まだここには二体のワイバーンが! 二体もいれば逃げる暇くらい」
この男は貴重な人材(竜材?)を囮にして逃げるというのか。殺すまではいかないが去勢しようか。
フクスは再度竜笛を吹いた。が、反応はなかった。
「なんだ!? どういうことだ!」
「……こういうことだよ」
男の声と共にフクスの足元に二つの塊がごろんと転がった。
「ひっ!!」
それは上を向き、ガラス玉のような二対の眼球ががフクスを見つめた。二体のワイバーンの首だ。
腰を抜かし後ずさりするフクスの首元に、ひんやりとした鉄臭い切っ先が触れた。
「フクス・ドムだったか? お前を誘拐容疑で拘束する」
「ラウレル、“ドム”じゃなくて“ドゥム”だよ」
「些細な問題だ。それよりリコスには色々聞きたいことがあるんだがなぁ?」
すでに戦意喪失したフクスは魂が抜けたように大人しい。彼に拘束具をつけながらラウレルは不気味な笑顔で私に問いかけてくる。
「私は何もないよ。そうだ、残党狩りをしないと。ここをこのままにしておくのは危ないし」
私は即座に話を変え空洞を出ようした。しかしフクスを縛り終えたラウレルにあっさりと捕まってしまう。
「それも問題ない。すでに終えた。もうすぐ処理班も到着するから後片付けの心配もない。だから、早く戻って朝までゆっくり話そうか」
「シエルちゃん! シエルちゃんヘルプ!!」
助けを求めシエルを見れば、彼女の表情に好きな人を見つけた恋する乙女の様子はない。彼女は面食いではなく、ちゃんと内面まで見る人のようだ。
「わたし後処理班の方が来るまでこの方を見張っています。だから、ごめんなさい!」
そして今私を助けたらどうなるかも気付いたようだ。とても申し訳なさそうに謝った。大丈夫、あなたのせいではない。
私はラウレルに引きずられるようにして帝国の隠れ砦を後にした。その後のことは規制を掛ける。
●○●○●○
「以上のようなことがありました。学園長、どういたしましょうか」
教頭は目の前で穏やかに茶を飲む学園長に、先日野外授業中にあった騒ぎの報告をした。主人公補正対応係の事務員が、仕事時間に工作をし学園を許可なく離れたり、授業中の生徒たちにモンスターを仕掛けたりと、頭の痛くなるようなことばかりだ。
しかし学園長の答えは教頭の予想していた通り期待した物ではない。
「まあ~仕方ないのう。あの子も主人公補正が入っているからね。『帝国の暗部兵』に『仕事好き』、『問題児との恋愛』、『皇帝寵姫の不義の子』でもあったか。ほかにももろもろとな。あの子自体苦労しているんじゃし、少しくらい息抜きも必要だろう」
「息抜きの限度を超えていると思いますが……。分かりました。今回のことは始末書の提出と一か月の奉仕活動で片を付けます。それでよろしいですか」
「ああそれで良い」
学園長からの許可をもらった教頭は早速このことをリコスに伝えた。彼女は何度も謝りながら始末書を提出し、奉仕活動に明け暮れた。
楽しそうに仕事をするリコスに教頭は溜息を吐いた。
出来ればこれ以上、彼女が関わるイベントがないように、と。
書いている時のテンションがおかしかったです。でも楽しく書けました。